『眞白の過去』 その3

 母の言葉は、「人前でその力を使ってはだめ」だった。



 母を大切に想っている男の言葉は、「その力は誰かを笑顔にするために使え」だった。



 この二重の拘束に、しばらくの間眞白は混乱した。人前で使ってはだめだけれど、人のために使わなければならない。混乱して、考えて、――最後には、自分なりの結論を出した。



 それから、眞白はこっそりと、誰かのために魔法を使うようになる。



 眞白が得意としていたのは、風を使う魔法だった。



 誰かが暑いと言ったら、風で冷たい空気を運び、木々をざわめかせた。



 村に雨が降らなかったら、魔法を使って雨雲を呼び出した。





 狭い村の、閉ざされた世界のことだ。



 疑問はやがて噂になり、噂は確信へと変貌させられ、隠していてもそれはいとも簡単に広まっていった。



 ――まほーつかい。



 ――まほーつかいは呪われてる。



 ――昔は火あぶりにさせられたんだって。



 ――お母さんが、不気味な子とは遊んじゃだめだって。



 眞白は仲間外れにされたり、足を引っかけて転ばされたりした。ここで泣いてはいけない。母に心配をかけてしまうから。痛みにも、孤独にも、このまま敏感になっていけたらいい。毎日、涙を無理矢理心の奥へとひっこめてから、眞白は帰路へと着いていた。



 毎日服を泥だらけにして、あちこち擦りむいて帰ってくる眞白に、最初のうちは母も何も言わなかった。きっと「元気な子」「男の子だから」と思っていたのだろう。



 けれど、狭い村だ。狭い村の、窒息しそうな世界のことだ。



 次第に母は気づき、目を逸らしてはいられなくなった。



 彼女は気づいた時、眞白をぎゅっと抱きしめながら、「ごめんね」と謝った。それは「気づいてあげられなくてごめん」なのか、「何もできなくてごめん」なのか、今となっては知る由もない。



 あの時、自分に「ごめんなさい」と言われた母も、こんな気持ちだったのだろうか。途方に暮れて、どうすればいいのか分からない気持ち。泣きたいけれど、涙は無理矢理引っ込めてしまって、何もできない気持ち。





 小学生になっても、眞白は「のろま」で「泣き虫」で「だんごむし」のままだった。否、そこに「呪われた子」「魔法使い」「気味の悪い子」が追加されていた。だから、閉ざされた村の、より狭い世界の中で、相変わらず人から傷つけられるだけの日々が続いていた。



 そこに、とある、たった一つの転機が訪れた。



 その転機は、朝、十数名が集まる全校朝会で挨拶をしていた。新任教師。自らそう名乗った女性は、眞白にも屈託なく笑いかけてきた。



 遠いところからやってきた、何も知らない余所者。クラスメイトはそう揶揄していたけれど、眞白にとっては、近しい所に住む者よりも、余所者の方がよほどよかった。



 ――私ね、眞白くんの力になりたいの。



 彼女に初めてそう言われた時、眞白は泣いた。身内以外で、自分の力になってくれる人がいた、その嬉しさで泣いたのかもしれない。こんなにか弱そうな人に力になってもらわなければ現状を打開できないほど自分は弱い存在なのだ、その惨めさに泣いたのかもしれない。自分でも呑み込めないぐちゃぐちゃになった感情を瞳から零しながら、眞白は「まだ自分は泣き虫だったんだ」なんて、見当違いなことを考えていた。



 その新任の先生は、言葉通り、眞白に優しかった。同級生に小突かれていれば「それはいけないことです」と彼らを諭し、眞白が泣いていれば「何があったの?」と優しく声をかけてくれた。話すのが下手な眞白の不器用な言葉を、根気よく、相槌を打ちながら、何度も何度も聞いてくれた。そして、眞白の相談に対して、きっちりと筋の通ったアドバイスをくれた。



 一筋の光が射す。



 そんな表現を、眞白は国語の教科書の中から見つけた。



 きっと、先生が、おれにとっての光なんだ。



 だから、眞白はすぐに、彼女に心を開き、懐いていった。



 彼女が、きっと、眞白の光だった。眞白は、たった一筋の光に神を見出した信仰者のように、彼女に懐き、彼女を頼り、彼女を拠り所にしていた。





 良い転機があれば、悪い転機もある。過去に幾人かは、神様は気まぐれだと言い、自らの運命に絶望したことがあるだろう。



 大なり小なりあれど、その悪い転機も、間もなくして眞白のもとへと訪れる。



 眞白が小学生の高学年へと上がった年に、小さな村の小さな小学校にしては珍しく、遠足という行事が催された。少子化と過疎化の問題で、一学年ごとではなく、全学年の全員でひとつのマイクロバスを貸し切って向かう、小規模な催し物だったけれど。



 小学生の基本と言えば、班行動である。一学年から一人ずつ、メンバーを選抜してグループを構成する。この小さな学校ではどうかと言えば、一学年から一人ずつ、メンバーを募っていけば、ご都合主義よろしく、たった一人だけ残る人数だった。



 そして、こういう時、必ず眞白が残り物になる。既に何度も経験してきたことだ。何度も経験して、悲しいけれど、もう慣れてしまったことだ。だいたい、教師は他の生徒に対して、「誰か犬色を入れてやれ」と言い、他の生徒が渋りながらも眞白を迎え入れ、いざ行動当日になると「本当はコイツと一緒なんて死んでも嫌だったのに」と眞白本人に対して文句をぶつける。経験則から容易に想像できるパターンだった。



 ――眞白くんは、先生と一緒に行きましょうか。



 先生は、本当は具合が悪い子がいたら付き添う役割だったのだと思う。その立場を応用して、眞白と一緒に遠足へ行ってくれると言った。



 今日まで眞白に対してただ話を聞くことができなかった。友達とドッジボールをして過ごす休み時間だとか、友達と一緒に帰る放課後だとか、そういう普通の生活を、彼に与えることができなかった。そんな教師の罪滅ぼしだったのかもしれない。



 けれど、理由はどうであれ、眞白は嬉しかった。学校の行事を楽しいと思ったことなんて一度もなかったけれど、今回は違う。先生と一緒なら、きっと楽しいものになる。眞白はそう信じていたかった。

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