『星降る夜空に願うのは』 その10

 司狼が夕と初めて出会ったのは、喧騒と怒号の中だった。

 あの日、真面目な司狼にしては、珍しく乗り気になれず、早々にレッスンを切り上げて帰ってきてしまった。



 旭姫がいなかったせいというのもあるかもしれない。彼は先日、『プレライ』で休んだ授業の補修を受けている。そんなものは学園長である司狼の父に一言言えば優遇してもらえるし、実際に司狼はそうしてもらっていたのだが、旭姫は違った。彼らしいと言えば、彼らしい。



 張り合いのないアイドル活動というものは、欠伸が出るほどに退屈だ。当時の『Nacht』は二人構成のユニットではあったが、それなりにバランスも取れ、それなりに上手く活動できていた。



 学園内に実力の釣り合うユニットはいない。『プレライ』の審査員も毎回似たような評価しかしない。このまま堕落と惰性のまま、自分は父に言われた通りのアイドルになっていく。そう考えると、欠伸を噛み殺すことは難しくなった。



 今日はこのまま、旧校舎の秘密基地めいた教室に向かおうか。旭姫はいないが、いないならいないで司狼ひとりですることはある。趣味で誰にも聞かせることのない楽曲作りだとか、気になって買ったはいいがまだ時間が取れず読めていない少女漫画を全巻一気に読み切るだとか。



 そうして気もそぞろに廊下を歩いてきたところで聞こえてきたのが、怒号だった。

 誰かが喧嘩をしているのだろうか。まさか、旭姫だろうか。この前も、彼は同級生の男子に足を引っかけられて転び、大きな痣を作って帰って来た。それ以降、旭姫に喧嘩を吹っかけているような奴はいないかと注意深く警戒しつつ、実際に彼に八つ当たり紛いのことをしている人物がいれば止めに入っていた。



 今回もその類かと、司狼は慌てて廊下の角を曲がる。止めなければ。急いで曲がったところで、何かがぶつかってきた。



 廊下の窓は開いており、突発的な風が吹き込んでいる。



 司狼が鬱陶しそうに顔にぶつかってきたものを剥がす。風によって舞い上げられたプリントだった。



 プリントには、いくつかの項目と、それに対する点数が箇条書きに連なっている。要するに、『プレライ』の点数表だ。学校のテストが点数をつけて返却されるように、『星影学園』では『プレライ』の点数表が返される。そしてそれが成績になる。



 ひどい点数だった。歌声やビジュアルはまあ及第点といったところなのだが――パフォーマンスの点数がとてつもなくひどかった。



「誰のせいでこんなことになったと思ってるんだよッ!」



 その点数のひどさに呼応するように、またひどい罵声が聞こえてくる。



「お前のせいだッ! お前さえいなければ……ッ」

「ごめ……ごめん、なさい……」



 ひどく耳障りな声に、震えた声が応える。震えてはいるが、良い声だと思った。司狼の方に飛んできたプリントが彼らのユニットの『プレライ』の結果だったとして、この声であるならば、歌の点数にも納得できる。



 女の子のような声だと思った。座り込んで蹲っている華奢な人影からしても、女の子がそこにいるのだと思った。しかし、『星影学年』は男女別れて授業に臨み、各々の校舎には許可を得ない限り立ち入り禁止だったはずで、女の子がここにいるわけはなく、ましてや男子と一緒にユニットを組めるはずもなかった。



 ということは、彼は性別上、男だということになる。少年が男になる前の一瞬だけ時を止めた、素晴らしいボーイソプラノだと司狼は思った。



「ごめんで済むわけねえだろッ! お前さえいなければ、『プレライ』には合格できたんだッ!」



 それに比べて、もう一人の声と来たらどうだ。きんきんと感情に任せてがなりたてるだけで、芸術性の欠片もない。



「……その辺にしたらどうだ。耳障りだ」

「な……ッ」



 責められている生徒を助けようとしたわけではないが、彼の煩い喚き声を止めるために、必然的に司狼はその場に口を出すことになった。



「ユニットの内輪揉めなら聞こえないところでやれ。基礎中の基礎である機密性の保持がなっていない。授業で習わなかったか? アイドルは常にファンから見られているものとして振る舞え、自分の立ち振る舞いどこをとっても完璧であれ、ってな」

「てめえには関係ねえだろッ!?」



 件の生徒は八つ当たりよろしく司狼に怒鳴り声をぶつける。怒鳴られているのは司狼の方だというのに、空気の振動に、うずくまった生徒がびくりと肩を震わせる。



 可哀想に。委縮してしまっているじゃないか。



 柄にもなくそんなことを思ってしまったのは、彼が庇護欲をかきたてる容姿をしていたからかもしれない。



 目のふちに涙をためて、今にも零れそうになっているのを必死で押しとどめながら、震えている。そんな彼を見ていると、少女漫画のヒーローよろしく、抱きしめてあげたくなってしまう。



「見たところ、『プレライ』の点数が悪くて激昂しているように見えるが――」



 確信をつかれた相手は、またもや責任を彼ひとりに押しつけるように睨みつけていた。



「ユニットは一蓮托生。一人だけに失敗の責任をなすりつけるな。むしろお前の方が無責任極まりない奴に成り下がるぞ」



 それに、これは怒鳴っている彼のプライドを粉々にしたくないと思って言わなかったのだが、パフォーマンスで蹲っている彼が失敗をしたのだとしたら、歌で失敗して若干のマイナス点を与える隙を与えてしまったのは彼だ。それくらい、司狼にとっては彼の声が耳障りだった。



「うるさいッ! てめえなんか、学園長の息子で何の苦労も知らないくせに! 何の苦労もしないまま、あの『木虎姫』の息子とユニット組んで、将来安定のくせに!」

「やれやれ、またそれか……」



 旭姫を庇う時も、たいていそのような言い分を聞かされ、耳にタコができるくらいだった。実際、こちらの立場もまた大変なところがあるのだが、いくらきちんと説明しても、目の前の彼には青い芝生にしか見えないだろう。



「アイドルとしては基礎すらなっていない奴だが、度胸だけは素晴らしい。俺のお父上に紹介してしかるべきだな。もちろん、その際には学園内の静寂を乱したことと、ユニットメンバーとしてあるまじき責任転嫁をしたことも一緒に報告させてもらうが」



 そこまではっきりと言い切ると、目の前の彼の顔は一気に青ざめた。青ざめたまま、それでも怒りの矛先をおさめられないのか、「覚えてろよ」という典型的な捨て台詞を吐いて走り去って行った。



 これでまた、司狼には周囲から『クソ息子』『学園長のコネ野郎』と呼ばれる所以が増えてしまったわけだが、仕方ない。あれ以上怒りで会話もままならない相手と話すことになるよりはマシだろう。



「おい、大丈夫か」

「……大丈夫、です。見苦しいところを見せて悪かった」



 一息に言い捨てて立ち去ろうとする彼の腕を、司狼は咄嗟に掴んでしまった。



「……何ですか」



 睨まれているようにも見える。しかし、彼からすれば、涙が頬を伝って零れないよう、必死に堪えているだけなのだろう。



「これ、お前のだろう」



 押しつけるような形で『プレライ』結果が印刷されたプリントを彼の手に押しつけようとする。



「いりませんっ! そんなもの、見たくもないっ!」

「『見たくもない』はないだろう。お前の……さっきの奴も合わせればお前達の、努力の結果だ。真摯に受け止めろ。それに、歌唱力の評価は悪くない。反省点もあるだろうが、自分の努力の結晶くらいは認めてやれ」



 そして、アイツに貶められた分も挽回するくらい、彼が自分のことを認められたらいい。



 彼を思いやった末の、そんな言葉だったのだが、彼は司狼の言葉を受け止めた後、顔をくしゃくしゃにした。



 くしゃくしゃにして、堪えてた涙を一気に溢れさせて、泣きじゃくった。



 悲しいだとか、悔しいだとか、色々な感情が胸からこみあがってきて、それを必死にせき止めていた杭を、司狼が外してしまったみたいだった。



「……そう、です……その結果が、すべて……オレなんて、努力しても、その程度の結果しか出せないんだ……」



 この点数では未来が見えないのだと彼は言った。諦めたくなんかないのに、諦めることしかできないんだとも言った。



 泣きじゃくる彼のたった一言で、司狼は察してしまった。



 人の才能には、どうしようもないくらい、残酷なほどの差異がある。優劣がある。強者と弱者に分けられてしまう。



 そして、この学園において、重要な才能という項目に、『魔力』が入る。『魔力』があればあるほど、『プレライ』でのパフォーマンスは凄みを増し、必然と点数に重くのしかかってくる。



 おそらく、目の前で泣きじゃくっている彼には、人並みほどの『魔力』がないのだろう。



 『プレライ』に成功しなければ、どれほどアイドルになりたくとも、どれほどアイドルとしての素質があっても、ステージの上から観客の笑顔を見ることができない。そして、『プレライ』の成功には必ず『魔力』が必要となる。



 『魔力』がなければ、未来は見えない。彼の綺麗な声は、それを必要としている人に届かない。そんな図式が、見えてしまっていた。



 歌声なら、ある程度練習して鍛えることができる。美容法なら、今の時代いくらでも見つかる。けれど、『魔力』は生まれ持ってのもので、現時点では増幅する方法が見つかっていない。



 努力しても、頑張っても、どうにもならない。



 それが悔しくて、彼は泣いているのだろうか。



「……『魔力』が少なくとも、他者から流用することは可能だ。そういった工夫も含めてパフォーマンスの点数となる。今回の結果は、やはりそのような演出をしなかったユニット全体の責任になるだろう。演出プランを練ったのは君か、それとも先ほど去っていった彼なのかは知らないが」



 司狼の言葉に、夕はただゆるゆるとかぶりを振った。今さらそんなことを言っても、どうにもならないと自分に言い聞かせるように。



「……オレ、何も言い返せなかったんだ。アイツに、全部オレのせいだって言われて、ああ、そうなんだ、って思った。もともと、お情けで組んでもらったユニットだったし。ただ、そんな風に納得してる今のオレが嫌だった」



 ただ一方的に、罵声を受け続けるしかなかった自分。抵抗もできずに、弱者だと罵られ、それを受け入れるしかなかった自分。すぐに泣きそうになって、唇を噛みしめて俯いてしまった自分。



 本当に、ただ、弱いだけの、何もできない自分。



「……こんな自分、大っ嫌いだ」



 吐き捨てるように呟いた彼を、司狼は気がつけば「そんな風に言うな!」と怒鳴りつけてしまっていた。駄目だ。これでは先ほどの無責任野郎と何ら大差ない。



「……怒鳴って悪かった。ただ、聞き捨てならなかったんだ」



 アイドルの仕事は、大衆に愛されることだ。神のように崇め奉られる愛し方をされる者もいれば、恋人の代わりのように愛される者もいる。そしてその愛は、ファンの人生にいとも容易く変化をもたらす。良くも悪くも。



 そして、『星影学園』に入れたということは、どのような形であれ、愛される資格があるということだ。



 だというのに、自分を愛することができないというのは、ただただ悲しい。



「お前は、何故この学園に来たんだ? どうして、そうまでして、アイドルになりたいと思った?」



 しばらくの沈黙の後、意を決したように、彼は答える。



「……ヒーローに、なりたかった」



 そう言って、彼はとある特撮映像の作品名を挙げた。



「ああ、そのヒーローなら聞いたことがある」



 魔法によって演出される、迫力あるアクションで人気を博していた日曜朝の特撮ヒーロだ。主人公は魔法を使うアイドルだったはず。



「……彼みたいに、強くなれたら、男らしくなれたらって、思ってた」



 そして、弱者を救い、笑顔にできたら。



 しかし、現実とは皮肉なもので、此処ではヒーロー志望が弱者になってしまっていたけれど。



 強くなりたかった。男らしくなりたかった。――弱い自分を、変えたかった。



 そう彼は言った。すべてを諦めて、自分のうしろに捨ててきた過去を未練がましく振り返ってしまったかのように。



 そんな敗北者、放っておけばいいはずなのに、司狼にはそれができなかった。



 司狼にとって、すべてを諦めている者ほど、腹立たしい奴はいない。



「じゃあ逆に聞くが、お前の言う強さとは、男らしさとは、何だ?」



 すると、彼は目を丸くして司狼を見上げた。



「お前のその涙の原因である自分の弱点すらも武器にして、強さに変えて、目の前にそびえ立つ壁へ立ち向かっていく。弱者として扱われ、劣等生として学園の底辺を這いずり回るしかないと思われていた生徒が、他の生徒を見返すように、手段を選ばずがむしゃらに、ただひたすらに努力して、ステージの上、スポットライトの下に立つ。どうだ? 男らしい振る舞いだと思わないか? お前の憧れるヒーローみたいだと思わないか?」



 いきなり語り出した怪しい奴に、どのような反応を返せばいいのか分からず、戸惑っているのかもしれない。



「お前、名前は?」

「……瀬ノ尾、夕」

「そうか、夕。俺と共に来い。悪いようにはしない」



 初めて、司狼が夕の名前を呼んだ。



 そして、『プレライ』の結果用紙の代わりに、別の紙を握らせた。ただの趣味として、日の目を見ることなどないと分かっていながらも、書き殴り続けていた曲の楽譜だった。夕を見た途端、夕の声を聞いた途端、彼にぴったりだと思った。自分の曲を歌いこなせるのは、彼――瀬ノ尾夕だけだ、と。



「安心しろ。俺が、お前をアイドルにしてやる」



 そのたった一言に、夕は頷くことしかできなかった。



 流していた涙も、いつの間にか止まっている。



 まるで魔法だ。魔法にかけられてしまったみたいだ。



 そして、夕に魔法をかけたのが、当時から『トップ・ソルシエ』に一番近いとされていた魔法使い、天生目司狼だった。

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