『星降る夜空に願うのは』 その8

 誰もいない。自分だけが取り残されてしまった。さすがに途方に暮れたりはしないけれど、美琴は考えを巡らせることになった。



 どうすべきか。ひらめきは何も浮かばない。



 けれど、瞳は視界の隅で煌めく一筋の光を見つけた。



「……君、いたの」

「懐中電灯、持ってて、よかった……」



 会話が噛み合わない。美琴と眞白が交わす、初めての会話だというのに、何の記念にもなりはしない。



 眞白はあたりを懐中電灯で照らした。木々。茂み。足元に落ちている小枝。既視感から考えると、先ほどいた場所と違いはない。



 つまり、自分達ではなく、彼らがどこかに消えてしまったというわけだ。それも、忽然と。



「……っ! 探しにいかないと……っ!」



 急いで駆け出そうとした美琴の腕を素早く掴んだのは眞白だった。



 力強い腕と、美琴の持つ情報の中にあるポンコツな眞白が一致せず、少しだけ焦る。



「……夜の森は危ない、から」

「はは、流石『イナカモノ』は違うね。森の中なら何でも分かってるって顔してる」



 美琴がいつもより少しだけ強い口調で喧嘩を売ると、眞白は怯んだ。

眞白は過去に受けた傷から、キツい言葉や人を傷つける言葉には耳を塞ぐ癖がある。喧嘩を避け、人を傷つけることを避け、人と近づくことに怯える。よかった、自分の持っていた情報は間違いではなかったと、美琴は安堵する。それと同時に、いつもの強気が戻って来た。



「別に、君の持っている懐中電灯を横取りしようとかいうわけじゃない。君はここで、あのお仲間たちの到着を待てばいい。僕は僕で自分のユニットメンバーを探しに行くから」



 さっさと彼から立ち去ろうと歩き出す美琴に、眞白はどう言葉をかければいいか分からなかった。眞白は話すことが得意ではない。いつも誰かの話を聞いているだけだ。そして、自分の仲間達は、優しいから、話を聞いている自分に何か疑問はないかと、いつも問いかけてくれる。そうして、眞白はようやく、自分の声で、言葉で、話すことができる。



 けれど、美琴はそうじゃない。ちっとも待ってなんかくれないし、司狼が怒るような、旭姫が苛立つような、眞白が傷つくような言葉を平気で投げかけて来る。正直にいえば、怖かった。



 でも、ここで怖いと彼を止めることを躊躇ってそのまま行かせてしまったら?



 夜の森は危険がいっぱいある。灯りも持たなければさらに危険な場所になる。目の前の道が突如途切れて崖になっているかもしれないし、細い枝が彼の綺麗な肌を傷つけてしまうかもしれない。



 どう言葉をかければいいか分からない。言葉をかけても彼が聞く耳を持っているかは分からない。それでも彼を止めたいと思う。



 どうすればいいか分からず混乱する眞白は、口よりも先に身体を動かした。



 手首を掴めば振り払われてしまう。だったら、もっと身体を張って、力を込めて捕まえれば、たぶん、彼は逃げられない。



「ちょっ……! は、離せっ!」



 眞白は咄嗟に行動し、彼の腰に腕を回して、逃げられないよう力を込めた。



 傍から見れば、思いっきり抱きしめているようにも見える。



「やめろっ! どこを触っているっ! セクハラで訴えるぞっ!」

「……訴えられるものなら」

「……っ!」



 美琴はプライドが高く、男にセクハラされたなどと訴えられる質ではなかった。



「じゃ、じゃあ夕に言いつけてやるっ! 犬色眞白はセクハラ大魔神だから近づくなって、リーダー権限で接近禁止を言い渡してやるっ!」

「……それは、困る」



 夕はユニットメンバー以外でできた初めての心優しい友達だ。そんな彼とただのライバルに戻り話せなくなる日々は辛いだろう。



「でも、離さない」



 強情に、力任せに、眞白はぎゅうっと抱きしめる腕に力を込めた。美琴は少し息苦しそうに呻いている。



「……情報通りにいかない……まったくもって不思議ちゃんだ」



 暴れることにも疲れると、美琴はぐったりとちからを抜いた。そのままうしろから抱きしめている眞白に身体を預ける形になる。



「……俺にとっては、あなたの方が、不思議」



 最初に美琴と出会った時、彼はユニットメンバーを駒にしているように、眞白には見えた。そして実際に、夕と眞白の友情を、あたかも取引材料として扱おうとする口ぶりだった。



 なのに、今の彼は、自分の身の危険も顧みず、はぐれた仲間を探そうとしている。



 まるで、母を探す迷子のようだ。



 仲間がいなければ、何もできず、途方に暮れてしまうしかないみたいだ。



 しかし、果たして、美琴はその程度の人物なのだろうか?



「……そうだね。僕は、彼らのことを手駒程度にしか考えてないよ。僕がよりいっそう輝くために動く、僕がいっそう人生を楽しめるように動く、可愛い手駒で、大切な玩具だ。だから、手元から逃げ出してしまえば焦って当然だろう? それに、玩具に愛着がわくことだって当然ある」



 あっけらかんと、冗談であるかのように、美琴は腹黒い考えを口にする。



「……俺、あなたのこと、苦手かもしれない」

「奇遇だね。僕も君みたいなタイプは苦手だ」



 いつも通りの、こちらに喧嘩を売っているのかと思えるほどに率直な言葉だったが、だからこそ眞白は驚いた。



 美琴みたいな人が自分を苦手とするなんて、嘘みたいに思えたから。彼みたいな人はむしろ、自分を雑魚だとみなして、笑いながら足で踏み潰してくるようなタイプだと思っていた。



 こちらが惨めに足掻いて、もがいて、苦しんでいても、その無様な格好を、笑いながら見ているだけのタイプだと。



「そんなに驚くようなことじゃないだろう。僕は『Nacht』を敵だと思ってるんだから、君を苦手としていてもおかしくない」



 彼が『Nacht』を快く思っていないのは、初対面の時から分かっていた。何しろ、宣戦布告までされたのだ。



 でも、理由が見つからない。



 ユニット毎に毛色がまったく違う。毛色が違えば獲得するファンの層にも違いが出て来る。条件が違うアイドル同士、純粋なバトルなんてできっこない。『プレライ』で叩き出される点数だって、審査員の好みなどもあり、確実な指標にはならない。



 なのに、彼は『Nacht』を敵として、闘える機会を何としてでも作り出そうとしている。今回、夕の『魔力』を底上げするためという調査も、その日のための準備なのだろう。



「理由が分からなくて困ってるのかな? 簡単だよ。特に君を嫌う理由はね。弱いから嫌い、それだけだ」



 美琴は強い口調で、はっきりと言い切った。



「君は生まれつき魔力に恵まれていながら、最近になるまでそれを使う環境には恵まれていなかった。だから、君自身はこんなにも弱い。ポンコツだ。僕だったら、そんな環境に自分を据えた奴は意地でも、何としてでも、何を使ってでもどんな行動をしてでも潰してやるのに、君はそれをしなかった。それがプライドという名の弱さ故なのか、やさしさという名の弱さ故なのかは分からないけれど……僕は、君のそんな弱さに苛々するんだ。憎らしいとすら思う」

「……っ」



 言い返したいのに、何と言い返せばいいのか分からない。きっと、美琴の背後にいる彼は、今、痛みを堪える表情で、息を詰めているはず。



 そんな風に、思っていたのに――。



「何も言い返せないの?」

「……た」

「言いたいことがあるなら、もっとはっきり言ったら?」

「……髪が、引っかかった」



 美琴に抱き着く時、身をかがめたのが原因らしい。あの時、彼の長髪が絡まってしまったのだろう。



「はあ……噂通りのポンコツだ。大人しくしてて」



 彼の腕からするりと抜けて、後ろに回り込む。



「うん……痛い……」



 髪はなかなかすごい絡まり方をしていた。解こうと試行錯誤するが、解ける気配がない。決して美琴が不器用なだけではない、と思う。



「ねえ、もうこれ切っちゃっていい? ぶちって力任せに引っ張ってさ」

「いいよ」

「……アイドルなんだから、もう少し気を遣いなよ」

「……? そっちが言い出したことなのに」

「はあ……ペースが狂う……」



 集中するほど数十分。なんとか枝と髪を分離させることはできた。結果的に、眞白の髪はぼさぼさになってしまったけれど。



「ここからは別々に行動するよ……」



 どっと疲れた様子を隠そうともせずに美琴は言った。



「危ないのに……?」

「いざとなったら自分の身くらい自分で守れるんだ。光だって『魔法』で何とかできる」

「そうじゃなくて……」



 ただの夜道なら、それでいいのかもしれない。けれど、森の中は、昨日も探索したとはいえ、美琴にとって不慣れな場所に違いなかった。



 どうすれば伝わるのか分からないが、とりあえず目を合わせて心をこめて訴えれば通じるだろうと、眞白は美琴の正面に回り、彼の手を両手で包み込む。



「……俺なら、あなたを守れる、から」



 眞白の手は、安心を促すかのようにあたたかい。暗闇の中だから、目を合わせるために、自然と顔が近くなる。



「そういう優しさは、弱さじゃなくてお節介って言うんだよ……っ!」



 包み込んできた手を乱暴に振りほどいて、美琴は歩き出した。



 飼い主に怒られた大型犬のように、眞白はしょんぼりと俯く。



 俯いていたことと、暗闇の中にいたことで、眞白は気づけなかった。



 ――照れ隠しから、美琴は耳朶までほんのりと赤くなっていたことに。

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