『星影祭当日』 その2

 眞白が廊下を駆けていく。ホールの真下に位置している地下階は、既に『プレライ』を行っているユニットの支援やこれから本番に臨むユニットの気合い注入などで、驚くほど活気づいている。



 けれど、そんなこと、今の眞白には微塵も関係ない。



 できるだけ早く、旭姫を安心させなければ。

 できるだけ早く、旭姫の願いを叶えなければ。



 その一心で、眞白は廊下を駆けていく。



 『星影学園』に特別奨学生として入学するまで、眞白には楽しいと思えることが何もなかった。



 アイドルという存在を知るまで、眞白にはこの世にきらきらしたものが存在するなんて信じられなかった。



 初めての「楽しい」を教えてくれたのも、初めての「きらきら」を見せてくれたのも、旭姫だったのだ。



 だから、旭姫は眞白にとっての憧れだ。



 『Bell Ciel』のパフォーマンスが見たいと、ついついわがままを言ってしまったけれど、そんなわがままに(しぶしぶながらも)頷いてくれた分も、旭姫の希望に沿わなければと、眞白は思う。



 逸る気持ちだけが、先走っていたのだろう。



「うおわっ!?」



 どん、と、何かにぶつかる音がした。それも、胸のあたりに。ということは、今の自分が自分よりも小さい誰かにぶつかったことになる。



「いってててて……」

「ご、ごめん、なさい……っ!」



 怒られる。そう思うと、たとえ相手が体格的に自分より劣っていようとも、経験と本能から、眞白は身体がすくんでしまう。



「いや、こっちもよそ見しながら歩いてたからお互いさまだし……」



 そう言って顔を上げた相手と、目が合った。



「――瀬ノ尾、夕……」

「犬色眞白!」



 名前を呼んだのは、ほぼ同時だったと思う。



 目の前には、あの日リハーサル室でスカート……ではなくキュロットを履いていた女の子……ではなく男の娘がいる。



「あ、いや……やだ……っ! ごめんなさいっ! オレ……じゃなくて、私ったら……っ!」



 眞白の耳に届いたのは、さっきの「うおわっ!」よりもワントーンほど高い、ほぼ「女の子」の声だ。



 しどろもどろに言い訳をしながら乱れたふりふり衣装を整える夕を見て、ぴんときた。



 眞白も、普段から方言を隠して話しているということもあるかもしれない。



「……いつも通りの喋り方で、いいよ?」



 躊躇いながらも提案すると、夕は一瞬驚いたように目を丸くしたが、適応は早かった。



「そう言ってもらえると楽だわ。あんがとな!」



 彼もまた、男の娘を演じさせられていたのだろう。



 本当はどんくさいのに、スタイリッシュなキャラにされてしまっている眞白のように。

 本当は田舎者で、衣装も上手く着られないポンコツのくせして、セクシーだとか大人っぽいだとか言われてしまっている眞白のように。



 アイドルとは、少なからずそういうところがあるものだと――ステージの上で見せる笑顔の裏に、幾千もの真実を隠しているものだと、眞白はこの学園に入って知った。



「嬉しいぜ! あの犬色眞白とこんな風に面と向かって話せるなんてな! こっちが一方的に見知ってるだけで、遠い世界の人だと思ってたっつうか……」



 照れ臭そうに夕は言う。



「おかしいよな! あくまで同じ学園に通う生徒だっつうのに……」



 夕は次から次へと言葉をぶつけてくるが、眞白はと言えば、彼が脇に抱えているものしか見えていなかった。



「そ、それ……」



 思わず指をさしてしまう。



「うん? このマネキンがどうかしたのか?」

「の、着てる……」

「ああ、ウェディングドレスな」



 どうやら、『Bell Ciel』の『プレライ』のために用意された困難のひとつであるらしい。直前になって、前日確認したはずの衣装が「何者か」の手によって「まったくの別物」にすりかわっていたのだという。



「うちのリーダーは「僕と空翔がタキシードで、夕がこれを着てライブに出るのも一興だね」とか冗談キツくてさあ……」

「そ、それ、使う……? 今からの、舞台に……」

「いや、 皆で対処法を練った結果、いらねえってことになったから、衣装係の誰かに渡しに行こうと思ってたとこだけど――」

「貸して!」



 思わず、普段なら――ライブ中以外には――絶対に出さないような大声を、出してしまった。



 周囲が驚いてこちらに注目する中で、夕は「いいぜ」とあっさり申し出に許可をくれた。



「いい、の……?」



 仮にも、自分達はライバルであるはずなのに。



「おう。他にも何かいるもんはあるか? オレらの方はもう案がまとまってるのと、出番がまだ先なのとで暇してるし、よければ調達に協力すっけど?」

「し、白い布……!」

「白い布が欲しいのか? どんなやつ? どれくらい?」

「少し色味が違ってても、汚れててもいいから……、できるだけ、たくさん……っ!」



 分かった、と夕は何でもないことのように頷いた。

 あまりにもあっさりとした事の運びに、眞白の方が驚いてしまう。



「でき、るの……?」

「ああ。今回の『プレライ』用の困難は、結構なユニットの間で衣装系のトラブルだって聞いてるし、だったら、白布余らせてる奴も多いと思うんだよな。黒服頼んどいたのに白服届いた~とか、どうしてステージ衣装が女物の白ワンピなんだよ~とかな。とりあえず、オレの伝手、当たれる限り全部当たってみるよ」



 それでもなお不安そうな顔をしていたであろう眞白に、夕は大丈夫だと、優しく、けれども力強い笑顔を見せてくれた。

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