第3話 とある冬の日に届いた手紙

「ただいま」

 帰宅すると、ダイニングテーブルにはすき焼きが用意されていた。

「おかえりなさい」

 母さんは笑顔を浮かべている。この日はバイトは休みだったのだが、気分転換に佐藤とカラオケに行ったので、帰宅時間は21時を過ぎていた。それでも、母さんは笑顔を浮かべている。

「おお、正、帰っていたのか」

 父さんがトイレから出てきた。

「お兄ちゃん、遅ーい!」

 2階から楓も降りて来る。

 そして、無言のまま一家四人、全員席に着くと、丁度チャイムが鳴った。父さんは何かを喋りかけていた。

「今日はすき焼きって言ってあったのにお父さんが、お寿司を注文しちゃったのよ」

 母さんが席を立って、バッグから財布を取り出しながら教えてくれる。

「ラッキーだよね。お兄ちゃん」

 楓がすぐに父さんをフォローする。至って自然に。

「そ、そうだな」

 俺にはそれができない。しっかりしろ。小さくても俺が長男じゃないか。

 母さんが玄関に行くと、

「ちょっと、トイレ……」

と父さんも一度、席を外す。楓は愉快そうに笑い、

「もう食べちゃおうっと……」

いつもと同じように、おいしそうにすき焼きを食べ始めた。

「そうね、先に食べたほうがいいわね」

母さんも特上の寿司をテーブルに持ってくると、

「いただきます」

と言って、いつもと同じようにすき焼きを食べ始め、

「最高!」

と自画自賛すると、楓と目を合わせて幸せそうに笑みを浮かべた。

「すまん。すまん」

 父さんはトイレから戻って来ると、話すタイミングを一度逃したことを察知して、黙々と寿司を食べ始めた。俺にできることは、いつもより飲むペースが早い父さんに、ビールをついでやることくらいだった。

 その点、楓はレベルが違った。

 ピンポーンとまたチャイムがなる。

「誰かしら」

 母が席を立ってインターホンを取ると同時に、楓が玄関に向かう。

「あの子ったら。まあ、いいわね」

 母がそう言って、席に戻ると、楓がピザを2枚持って戻って来る。

「すごーい。お家でバイキングだね」

 お前がそうしたんだろ。きっと父さんも、楓に何か言われて寿司を注文したに違いない。

「本当ねー。たまにはこういうのもいいわね」

 母さんもノリノリで楓と一緒にスマホで写真を取り始めていた。


 それからひたすら、10人前は優にあるすき焼きと寿司とピザを食べ続け、1時間ほどでなんとか完食した。誰も言葉にしなかったが、一家全員に『残さない』という意志が共有されていた。

「あれだ。正は父さんの連れ子で、楓は母さんの連れ子だ」

 自分が一番食べないといけないと責任を感じていたのか、特に満腹の極みだった父さんは、なんとか吐き出さないように言葉短くそう言った。いちいちそんなこと言わなくても、誰が見ても、誰が誰の連れ子か一目瞭然なのに。

「フフフフフッ」

「アハハハハッ」

 母さんと楓は、苦しそうな父さんを見て容赦なく笑う。おかげで、落合家に10数年も漂っていた妙な空気は、1滴残らず消えて行った。


 今日ほど、手紙の内容に困ることはない。先ほどの出来事を書けばいいだけだ。きっと、茜さんも笑ってくれるだろう。でも、俺は茜さんに手紙を書くことがどうしてもできなかった。

書くフリを続けて、いつしか眠る時間を待ち、やがて目を覚ました時には10時を過ぎていた。完全に遅刻だ。杉山は遅刻には厳しい。今日は学校をサボることにしよう。と理由をつけるが、本当は田中に会いたくなかったからだ。田中と会うことに危険を感じていた。

 

 それにしても、どうして誰も起こしてくれなかったのだろう。昨日までの俺だったら怒っていたことだろう。でも、今日の俺は起こされなかったことが、初めて自転車に乗って褒められた時のように嬉しかった。きっとこれは、もう子供じゃないんだからという、メッセージなのだろう。言葉に出されなくても、しっかりと伝わってきた。家族っていいな。沖縄に行くことが少し寂しくなった。そう、少し寂しくなっただけなのに……。俺は久しぶりに、家で思いきり泣きじゃくった。




拝啓

 天気予報で見ました。雪が降ったそうですね。風邪をひいていたりはしませんか?

きっと誠君は、濡れることなんか気にしないで、雪だるまを作って笑っていたことでしょう。リスクがあっても、楽しむことはしっかり楽しむ。私は、そんな誠君が大好き。いつか、一緒に雪だるまを作れるかな。あっ、でも、こうやって文通しているのも、なんだか雪だるまを作ることに似ているね。誠君の言葉、いっぱい集まっているよ。軟弱な私の心の中に、集まっているよ。支えてくれているよ。でも、1ミリたりとも支配されないように気をつけているよ。安心してね。私は私。誠君は誠君。ちゃんとわかっているから。


 楓ちゃんと本当の兄妹じゃないかもしれないって、書いていましたね。そんなこと言われると、悲しくなっちゃうよ。誠君と楓ちゃんは本当の兄妹だよ。どこからどう聞いたって、私にはそうとしか見えない。高校生と中学生になっても、ジャンプを割り勘で買って、どっちから先に読むかってケンカすることができているんだもの。私は一人っ子だから、本当に誠君と楓ちゃんが羨ましいよ。兄妹がいたら、私ももうちょっと社交性のあるかわいい女子高生になれていたかな。


 ああ、また私、ネガティブになっているね。今日は良い報告があるから大丈夫だと思っていたのに……。あのね、今度の合唱コンクールで1軍のメンバーに選ばれたんだよ。全国大会に行けるように頑張らなきゃ。智子だけじゃなくて、泣いて喜んでくれる子がいっぱいいてびっくりしちゃったよ。これが女子力ってやつなのかな。家に帰ってから、泣く練習してみたけど、難易度高ーい! あまり話さない子に、良いことがあったことを想像してみたけど、全然泣けないよ。きっと、楓ちゃんはうまくやれるんだろうな。最近、私も誠君と同じように楓ちゃんに対して劣等感を持ち始めているみたい。学校の友達に、楓ちゃんのことをあまり話したくない気持ちよくわかるなあ。


 おっと、また楓ちゃんに手紙を支配されるところだった。危ない、危ない。ここの桜はとっくに散っちゃったけど、誠君のいる街には、これから春が来て、桜が咲くんだよね。憧れるなあ、桜が舞う中の卒業式とか、告白とか。高校生活も、あっという間にあと1年だね。私ね、実は高校生の間にやりたいことがあるんだ。すっごく恥ずかしくて、智子にも言っていないだけど、私、彼氏が漕ぐ自転車に立って登校してみたいんだ。きっと、叶わないだろうし、叶わなくてもいいって最近は思うけど、やっぱり憧れるなあ。

 誠君は初めて自転車に乗れた日のことを覚えている? 私は残念なことにまったく覚えていないの。パパに聞いたら、「一度もこけないですんなり乗れたから覚えていないんだろう」って寂しそうに言われたわ。だからね、あと一年間、いっぱいこけようね。青春ってやつをしっかり覚えていられるように。でも、雪で滑って怪我したりしちゃダメだよ。ちょっとは笑ってくれたかな。それじゃ、またね。



敬具

小西 茜

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る