過去の来訪

 よくわからない。

けれど頭に声が響く。

声に従い、エスカレーターの8回を押した。


 階段で1階ずつ調べるのが確実なはず。

なのに得体のしれない声に従っている。

声だけの奴隷主に従うなんて、滑稽極まりないことだ。

けれどこれが自然で、答えに至る道だと確信した。


 静かに上昇する箱の中で、ただ思考する。

この上昇は昇華なのか、昇天なのか。

とりとめのない思考。


 さっき聞いた呼び鈴のような音。

しかし今度は機械的に小さな箱に響く。

8回に着いたようだ。


 ドアが左右に開かれる。

舞台のカーテンさながらだ。

扉の先には左右の道がある。

それぞれに家があるのだろう。

そしてまっすぐ続く渡り廊下。

ツインタワーの隣の棟に移動できるようになっているようだ。


「ようこそ」

それはいつの間にか現れた。

頭の中に響いた‘奴隷主’の声と同じだ。


 渡り廊下の真ん中に、銀色のライフルを持って、悠然と立ち尽くした150センチほどのドール。

緋色のマントに、白い上品なシャツに、縫い目の細かい青いベスト、しわのないグレーのズボン。

足元を飾っているのは漆黒のロングブーツ。

アイスブルーのガラス玉の眼に、癖のある金髪。


 セナは彼を知っている。

忘れられるはずがない。

「ヴィリーだね」

彼はゆっくり頷いた。

「しゃべられるんだね」

「魔法を使ってね」


 彼がここにいるということは、確認しておかなければいけないことがある。

「'先生’はどうしたの?」

「ハックマンが始末したよ」

「だからヴィリーはハックマンのとこにいるのね」


 まるで久々にあった友人の会話だ。

「やっと復讐の機会を得ることができた」

「リュシーのことか」

抑揚のない声で答えた。

「もうどうでもいい存在か」

明らかに怒りが見える。


「彼女は人間として死んだ」

「魂は生きていた!」

「あの体でどうやって生きていくの」

人形の体で現実をどう過ごすのか。

ドールが買い物をしたり、映画を観に行ったりするのか。

研究室の深淵に眠らせておくしかない。


「肉体の有無で生死を決めるなんて、魔法を習得した者とは思えない発言だな」

「私は現実的な生活の話をしてるの。命の規定の話じゃない」

表情のないドールなのに、呆れた顔をしたように見えた

「協会の施設で保護すればいい」

「それだけ?」

「え?」


 彼はわかっていない。

「ヴィリー、今の体は痛みを感じる?」

首を横に振った。

「そういうことだよ」

「わからんね」


「痛覚は人が人であるための必須のものだよ。痛みがあるから、他人の痛みを理解できる。痛み、触覚を通して、物質と触れ合い、実地でそれを理解することができる。でもヴィリーはそれを失った」

「違う、僕は肉体を失っただけだ。魂はここにある! 人間らしい喜怒哀楽も持ち合わせてる!」

無理解だ。


「肌による刺激の無さは苦痛だとわからないんだね」

「生きるということに無理解なセナが何を言ってるんだ」

意外な反抗に彼女は少し驚いた。

「そこにあるから、いるから生きている。見ている、聞いている、心が感じているから生きているんだ。でもそれをないがしろにした」

「だから彼女を殺すことができた」

頷いて肯定を示した。


「ただ存在しているだけに、私は意味を見いだせない」

「それは君の生き方だ」

「存在してるだけでいいっていうのも、君の生き方だ」

お互いはお互いを理解した。

互いを理解し合うことをできないことを理解した。


「もう手段はひとつしかない」

彼はライフルを構えた。

「そうだね」

セナは猫柄のカバンのチャックを開けた。


******


 階段を上り、フロアひとつひとつを調べていく。

時間がかかるが、確実な方法だ。

時間をかけて、4階へたどり着いた。


「同じような光景ばっかりで飽きたにゃ」

ねこうさぎが機嫌を損ねている。

「黙れ畜生」

そう言うレナさんも機嫌がさっきから悪い。

いくら部屋を探し回っても、敵はまったく現れないのだから。


「そろそろ出てこい! バラしてやる!」

「せっかちな人ですね」

唐突な男の声。

「誰だよてめぇ」

ナイフの切っ先を男の首に向けられた。

私も指貫を構える。


 パーカーを羽織ってジーンズを履いたラフな男。

この男を知っている。

本屋で話しかけてきた男だ。


「私はクレイグ・ハックマン。協会の魔術師です。立ち話もあれなので、どうぞこちらへ」

ハックマンと名乗った男は、手近な扉を開けて家の中へ入っていった。

「行くよ」

「いいんですか?」

明らかに怪しい。

危険が高すぎる。

「リスクを取らないで何ができるんだ」

「そうだけど……」

彼女はそそくさとハックマンについて行ってしまった。

レナさんが行った以上、続かないわけにはいかない。


 室内にかび臭さが満ちている。

それが不穏さを煽り立てる。

「ぐえぇ……」

嗅覚が鋭いねこうさぎが臭気に苦しんでいる。


 玄関からは廊下が伸びていて、その先には扉がある。

リビングだろうか。

レナさんはドアノブに手をかけた。

がちゃがちゃと音を立てて、それが回る。


 そして彼女が消えた。

文字通り霧散してしまった。

あのアパートの時と一緒だ。

段ボールを開けると何かが起きた。

今回は消えてしまった。


******


 荒い息づかい。

寒風が肌を撫でる。

木立が騒ぐ。

街路樹と明かりの消えた家々。

ここは住宅街の一角のようだ。


 視線の先には走っている男。

いや、これは逃げてるんだ。

私は追いかける。

ナイフを固く握りしめ、衝動の赴くままに彼を追いかける。


 男が前につんのめったかと思えば、盛大に転げている。

何かにつまずいたのか。

逃走劇を幕引きできて都合がいい。


 すかさず馬乗りになり、男の顔を見据える。

顔のありとあらゆる筋肉を、命乞いに動員したような表情を向けている。

私は知っている。

この男は連続殺人犯だ。


 殺し合いがしたくて、襲い掛かったが奴は逃げた。

とんだ拍子抜けだ。

純粋に殺意と殺意をぶつけたかっただけなのに。

所詮は卑怯な臆病者か。


 冷めた目で胸を、首を、眼球を突き刺す。

動かなくなるまで、音がしなくなるまで、執拗に何度も刺した。

何も言わなくなった。

ただの醜い人形。


 何も満たされない。

底の抜けたバケツの心を抱えているみたい。

こんなものを求めてるんじゃない。

貫徹された何かを求めているのに。

どいつもこいつも変節してしまう。


 なんてくだらない。

つまらない人で満たされた社会に呆れてしまったよ。

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