知っているということ

 胸に迷うことなく突き刺さるナイフ。

引き抜くや否や、続けて頭を穿つ。

1体倒すと、無駄のない動きで敵の死角に躍り出て、再びナイフを刺す。

体から湧き上がる衝動に身を任せ、流麗に部屋を舞う。


 マネキンを食べているねこうさぎに、他のマネキンが襲う。

「危ない!」

とっさの判断。

間に入って、マネキンの頭をつかんで床に叩きつける。

砕ける頭。


 私の腕力じゃない。

これが私の魔法。

あるべき状態に戻しただけ。

知っている、けれど認知していない。

不可思議な魔法。


 数を減らすマネキン。

レイさんが先頭に立って、敵を圧倒していく。

「さっさと人間を出しなよ」

最後のマネキンが崩れ落ちる。


「せっかく命を吹き込んだマネキンだったのに。みんないなくなった」

隣の部屋から声がした。

男の声だ。

低い、疲れた中年の声。


 そもそも、声がした部屋はさっきまで存在していたのか。

本当に隣にあったのか、それすら怪しい部屋。

その声は、虚飾に満ちた空間に刺した、一筋の真実なのか。


「隣か、こっちから行くよ」

「待って、罠かも」

「こっちが動かないでどうする」

確かにそうかもしれない。

「勇気と無謀は別物だよ」

ねこうさぎが言った。

「畜生は黙ってな」

冷たく鋭い眼光でねこうさぎを見下す。


 レナさんがドアを開けた。

漏れる血の臭い。

溢れる瘴気。

ドアの先に広がる悪夢。

人の形をした肉塊。


「悪趣味ってレベルじゃないね」

「流転の表現は様々。それを抑圧するというのかい?」

低い男の声。

「ようこそ、研究室へ」


 磔の人間や、内臓がこぼれた人間がいる空間なのに、研究室と称した。

どうかしてる。

魔術師は狂っている。

幻影を追いかけて、狂気の沼へと落ちてしまっている。


「流転だの研究だのどうでもいい。貴様を処分する」

ナイフの切っ先を男に向ける。

「丁重に迎えてやろう」

そう言った時には、すでにレナさんのナイフは男の胸に突き立てられようとしている。


 喪失。

男が消えた。

ナイフが男の肉体を捉えようとしたその数瞬前。

男がいた空間をナイフは刺した。


 レナさんの表情が曇る。

「敵がいるなら、身体が本能的にそこへ向かう。なのに動けない…おかしい」

衝動は自動攻撃システムのようなものなのか。

それが機能していない。

ということは、男は文字通り消えたということになる。


「後ろだよ」

とっさに身体を右に避けた。

レナさんがいた場所を、ナイフが穿つ。

「いい反応だ」


 男はどこから出てきたというのか。

あたかも最初からそこにいたかのように現れた。

「貴様、どこから!」

「肉体は自分であり、この空間も自分そのもの。ゆえにどこにでも存在し、どこからでもやってくる」

レナさんは間合いを取り、男から離れる。

しかし男に存在していた。


 ねこうさぎが足で地を蹴り、男にとびかかった。

ふっと消える男。

空を切るねこうさぎ。


「あ、いなくなっちゃった」

耳を垂れ下げて、私の隣に戻ってきた。

「僕の動きでは捉えきれないや…」


「畜生の分際で何ができるんだよ」

ねこうさぎはガルルと威嚇する。

「まあ見てなよ」

不敵に笑うレナさん。


 そっと男はレナさんの背後に立った。

至近。

2人に間合いはない。


「雑魚が」

鈍い音。

男の低いうめき声。


 レナさんが前に1歩歩いた。

右手をさっと一振り。

床に飛び散る鮮血。

男を刺したんだ!


「後ろに現れるのを待って刺せばいい。背後に立つしかできない、貴様の無能さが悪いんだ」

言い終わるや否や、脇腹を押さえながら、男は伏した。

「とどめだ。失せな」

彼女が振り返った時にはもう姿はなかった。


「この部屋には現れないね。もう立って戦えないんだから」

ねこうさぎが抑揚のない声で言った。

「その喋り方はやめろ。でも言ってることは正しいな」

「他の4つの部屋を探しますか?」

レナさんは頷いた。

ジャンパーを翻し、早歩きで部屋を出た。


「おかしい」

外に出たレナさんが言った。

「部屋がここと、階段に一番近いとこしかない」

部屋の数は5つのはず。

確かに私は見た。

ねこうさぎも首をかしげている。


「まずはあの部屋に行くか。いないなら1階を探す」

「待って!」

私の制止を聞くことなく、例の部屋に入った。


 何をされたのかはわからないけれど、いつの間にか部屋の外に追い出された。

分からないからこそ不気味だし、うかつに入るべきではない。


******


 薄暗い、かび臭い部屋。

ぽつんと置かれた段ボール。

廊下を通過し、ダンボール箱の前へと至る。


 ごく自然に、それが目的であるように、、疑うことも警戒することもなく、ダンボール箱を開けた。

何もない。

空白。

虚無。

「何もないのか…」


 唐突な暗転。

アパートの一室はドロドロと溶け、床は歪み渦を巻く。

崩壊する空間に、身体を飲まれる。


 消える、落ちる。

消失する身体。

消沈する意識。

解放される魂。


 魂は一点の光へ至る。

形成される身体。

どんよりした暗闇から上昇する意識。


 覚醒。

周囲を見渡した。

道場のような空間。


 手に重みを感じる。

何かを握っているようだ。

目線を落とす。

鈍色に輝くナイフ。

それを握る手は小さい。

握りなれたナイフのはずなのに、やけに重たく感じる。


「レナ!」

名前を呼ばれはっとした。

前を見る。

禿げた頭の大きな男。

手には木刀が握られている。


 自分の手を見て、再び目の前の男を見る。

男が大きいんじゃない、自分が小さいんだ!

「勝てないからといって、ナイフを持ち出したか。勝てないのは得物の問題じゃないというのにな」


 ああそうだ。

この男には何度も何度も打ちのめされてきた。

目の前にいるあの男を倒さないといけないんだ。

ナイフの切っ先を男に向ける。

「いい目つきだ」

余計なお世話だ。


 飛んでしまうと錯覚するほどに、軽い足取りで駆け出す。

何としても、相手の懐に飛び込まないといけない。

近づく僕に、木刀を突き出す。

早い突きをかわし、側面へと回り込む。

しかし間合いを取られ、懐に飛び込む機会を失った。


 最小限の動きで突きを回避して、ナイフを突き立てればいいんだ。

再度の突撃。

じっと睨む男。

「何度突っ込んできても同じこと」

いいや、ここで終わらせる。

さようなら、‘お父さん’。


 鋭い突き。

身体が自然と当然の摂理のように動いた。

身体をひねらせ、木刀をかわす。

脇腹をかすめる木刀、脇腹を穿つナイフ。


 生々しく柔らかい感触が身体を伝う。

噴き出す赤黒いもの。

ナイフを引き抜くと、さらに溢れる赤。

前のめりに倒れ込む男。


 男は首を動かしこちらを見た。

その目に力はなく、ただ憐憫を誘うだけの哀れさがある。

絶対的な存在として、立ちふさがった姿はない。


 先ほどの柔らかい感触が体を震わせる。

違う!

僕が見たかったのはこんなものじゃない!

最後まで悪態をついてほしい、絶対的な存在であってほしい。


 なのに目の前に横たわるこれはなんだ!

命が惜しい単なる人に過ぎない。


 そうか、これは今までの僕なんだ。

誰かに助けてほしい、憐憫を乞うだけの哀れな人間だったんだ。

弱々しくて、かわいそうな自分なんか見たくない。

目の前の男は、僕そのものだ。


 こんな死を見たくなかった。

もっと僕を憎悪して、もっと僕に執着してよ!

ただ気持ち悪い感触だけを残すなんて、そんなの間違ってる。


 こんなのはいらない。

死をもっと見たい。


 暗転

ダンボール箱を装飾する、まだらな水玉の跡。

箱の中に涙を零している。

僕が衝動に目覚めたのはあの時だった。


 初めての殺人。

初めての憐憫。

「もうあの時に戻りたくない…もうあんな死を見たくない。僕なんか見たくない」


******


「どこに行くの!?」

1階に男を探しに行こうとする私の横をすり抜け、ねこうさぎが元の部屋に戻った。

私は後を追いかけた。


 相変わらずの血なまぐさい部屋。

「戻ってきたらどうだい。どうせ動けるほどの体力もないんでしょ?」

ねこうさぎが言った。

目の前にそれはふっと現れた。

ただ倒れただけの男の姿。


「君のやり方はある意味間違ってなかったんだ」

にわかに顔をこちらに向ける。

「答えに至る鍵と扉を呼び寄せることに成功したんだからね」

男は何も言わずに事切れた。


 ねこうさぎはなんのことを言っているのだろう。

鍵と扉。

私にはわからない。


「お二人さん、おまたせ!」

優しくて可愛い、セナさんの声。

ここまで来てくれたようだ。


 セナさんが部屋の中を見渡している。

「さすがにこれを放置するわけにはいかないよね」

目線の先に広がる地獄絵図。

か細く響くうめき声。


「どうするんですか?」

「食いしん坊さん!」

質問に答えるより先に、猫柄バッグを開けた。

飛び出した黒い何か。

それは物音ひとつ立てずに、部屋中をぐるぐる回り、‘綺麗’にしてしまった。


 部屋にいるのは私、ねこうさぎ、セナさんだけ。

「殺したん…ですか?」

「あの人たちはもうとっくに死んでた。人間がお腹開いた状態で、生きられるわけがないでしょ?」

その通りだ。

さっきのは安楽死のようなもの。

仕方なかったんだ。


「帰るよ」

「レナさんはどうしたんですか?」

「先に車に乗せておいた。あの子、トラウマを抉られたみたいだね。あの部屋自体が段ボール箱に誘導するようになってて、箱を開けたら発動する魔法っぽいね。無警戒に飛び込む子じゃないから、多分そうでしょう」

元から知っていたかのように語る。

「もう罠を仕掛けた人間が死んでたから、私は何もされなかったけど」

安堵の息をつく仕草をみせた。


「あの…この事件は解決ですか?」

「うん。あとは本部に報告書を出すだけ。さ、帰ろっか」

この件は解決した。

でも私にとっては何も解決していない。

私の正体はなんなのか、さっきのねこうさぎの発言の意味は何か。

まだ何も終わっていない。


1章 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る