牢獄から見る世界

 例のマネキンについて。

それが目下の問題だとセナさんが言った。

マネキンが勝手に動くわけがない。

誰かが動かしている。


「じゃあどうやって動かしてる人間を探し出すんだ?」

「マネキンを見つけて、それを尾行する。見られるリスクを考えると、人目につかない場所や、夜に行動してるはず」

「憶測だけで動くのはどうなんだい?」

ソファーにふんぞりがえって皮肉っぽくレイさんが言う。

「妄想を糧にする人間らしくていいんじゃない?」

朝食のベーコンエッグを咀嚼するセナさん。


「いつか死んでも知らないよ」

レナさんがソファーを立った。

「朝から運動して疲れた。二度寝してくる。どうせ夕方まで暇なんだろ?」

「ええ」

扉の向こうにレイさんは消えた。


 「あれでいいんですか?」

恐る恐る尋ねた。

「いいよ。実際他に手はないからね」

両手でマグカップを持ちながらセナさんが言う。


 マグカップの中をコーヒーと牛乳が渦を巻いている。

白と黒。

光と闇。

陰と陽。

マグカップで踊る根源の一場面。


「無から有は生まれないと思う?」

唐突なセナさんの問い。

「事象をはそれをかたどる作る創作者クリエイター無しには存立しないものでは?」

自分はなんでこんなことを言っているんだろう。

「じゃあ一番最初の作り手はどこから来たの?」

誰かが介在しなければ、事象は生まれない。

原初の‘誰か’はどうやって生まれたのか。

「無はただの水。有は沸々と湧き上がる泡。‘神の見えざる手’によって水が沸かされる」

「根源、アカシックレコードは誰かが介在して作られたものということですか?」

無言でうなずく。


「そうやって人は、いわゆる神の領域とやらに近づこうとする」

私の腕に抱かれたねこうさぎが言った。

「傲慢とでも?」

耳を動かしてうなずく。

「蝋の翼を溶かしただけでは、まだ人は学習しないようだね。魔法使いを自称する人たちは、みなどうかしてるよ」

嘲笑。


「伝説上の人物ローゼンクロイツを尊び、その人に知識を与えた者が住む土地に拠点を構えている。確かに正気の沙汰じゃないね」

据わった目でねこうさぎを見つめる。

「でもね、魔術師、いってみれば精神を病んだ人を守り、生きる意味を与えている、そういう風に考えれば、案外悪いものでもないでしょ?」

まるでここは介護施設とでも言いたげに見える。


「その先に蝋の翼を溶かされて、地に落ちる末路が待っていたとしても?」

うなずくセナさん。

「首をくくるより、床に落ちたシャツを拾い上げる方がマシってわけよ」

無為な死より、有意義と言いたいのだろう。

「君は正真正銘の屑だ。どうせ死ぬなら、徹底的に利用してから死なせる。早く楽にするっていう発想がないようだ」

「そう簡単に体という、魂の牢獄から抜け出されても面白くないよ。牢獄から見える世界を十分に考察すべきよ」

ねこうさぎは腕から抜け出し、憮然とした顔をしてそこらへんをウロウロし始めた。


******


 それは生々しい、けれど映画を観ているかのような非現実性。

尖ったものが肉を切り裂く感触。

噴き出す赤。

金切り声。

ただ己の本能の叫ぶままに、鋭利なそれを何度も、執念深く突き刺す。


 目の前にあるのはただの肉塊。

「おめでとう。これで君は狩られる側から卒業して、晴れて捕食者だ」

頭の中に響く自分の声。

こんなことしたくなかった。


 血に染まった自分の手を見る。

こんなの自分の手じゃない!

「それは君の手だ。危害を加える輩を制裁する獣の手だ」

違う!

「違わないさ。本能の命ずるままに、君は人を殺した。君は立派な狩人さ」

狩人?

「そう、狩人だ。僕が殺せと言ったものをその通りにすればいい。君はただ僕の言葉に体を委ねればいい。そうすれば、こんな牢獄から解放されるんだ」


 牢獄、そうだ、牢獄だ!

何が魔術の大家だ!

表の世界じゃ何も力のない、ねずみのくせに!

ねずみどもが、その血が僕を縛り付ける。

いつもいつも訓練という名の虐待まがいの行為が繰り返される。

円環のようにぐるぐると、何度も何度も繰り返される。


 いま僕の目の前にあるのは、その呪縛の象徴、父親。

「君は自由だ。鳥籠から解き放たれたんだよ」

自由?

自由って何?

わからない。

「そうだね、ずっと自由の概念とは無縁の世界で育ったんだから。空は赤色だと言われて育った子どものような存在だね」

なんのことだろう。

「まぁ気にするなよ。僕が君を導く。君は僕の言葉だけ聞けばいい」


 今の僕に選択肢はある?

「ないね。そもそも思考して答えを出すことすらできないんだから」

それもそうか。

言われた通りにすることしか知らない。

流れてきたものを組み立てるライン工的生活。


 僕は‘僕’の言う通りにする。

「それでいい。君はいい子だ」


 急激な覚醒。

目は開かれた。

体の各所が自分のものだという認識が行き渡る数瞬。

自分はまだ生きていることを意識レベルで認識する。


 枕元の時計を見る。

4時過ぎ。

仕事の時間だ。

服を着替えなければいけない。

白黒の縞々ニットに淡い色のジーンズ。

そしてポケットがいっぱい付いた黒いジャンバーを羽織る。

ジーンスのポケットにナイフがあることを確認する。

準備に問題はない。

あとは例のマネキン探しに出かけるだけだ。


******


 夕刻。

この世界に初めて来たときと同じ光景。

ゆったりした足取りで夕景の道を歩く。

隣をねこうさぎがとことこついてくる。


「マネキン見つけたら教えてね」

「任せて!」

そういうと、たいして敏感でもない鼻をくんくんして、周囲のにおいを嗅ぎとろうとしている。


 セナさんは別行動、レイさんは遅れて支部を出るらしい。

私を狙っているのは、昨日の件で明らか。

なのに私を1人にした。

おとりだ。

私をダシにして、マネキンたち捕捉するつもりだ。

そういう意味ではセナさんも完全な味方じゃない。

味方として利用している。

純粋な味方なんてねこうさぎぐらい。


「見つけたよ!」

嬉々として報告するねこうさぎ。

交差点の陰に隠れてそっと見る。

いた。

住宅街から、世の理から外れた存在。

それを十分な距離を取って後をつける。


 ときどき人とすれ違うが、なんの異常も感知していない。

いつもと変わらない、ずっと変わらない日常の流転の中にいる。

自分は理から外れた異常者。

セナさんも、レイさんも皆どうかしてしまった人たち。

異常者には異常者しか味方がいない、なりようがない。

先にいる、見えてしまっているマネキンと、隣と歩くねこうさぎ。


 もしかしたら牢獄のいるのは魔術師だけかもしれない。

普通の人はこんなものを見ないで済む。

異形を見せて苦痛を与える牢獄にはいない。


 それならばどうして見える人とそうでない人がいるのだろう。

愚かしい差別化に過ぎない。

もしも意味があるのなら、それは牢獄にいる人と、そうでない人のあらゆる面での比較。

誰が何のために?

根源?

根源、あの人の言うアカシックレコードに意思は存在するの?

わからない。

自分が何者なのかもわからない人間に何がわかるっていうの!


「嫌な世界…」

「なにか言った?」

ねこうさぎが怖いほど黒い目で私を見る。

何もかも見えていると言いたげな目だ。

「うんん、なんでもないよ」

「あ! アパートに入っていったよ」


 どこにでもありそうな古びた2階建てアパート。

右手に駐輪場と郵便受け。

先には10台ぐらい停められそうな駐車場。

左手には5つの扉。

ここが1階の全室だろう。


 1階を横目に歩いていく。

表札はない。

一番奥の部屋の裏に階段がある。

赤茶色の錆が段差と手すりをコーティングしている。


 まずは1階を調べてみる必要があるだろう。

利用されてばかりいるのは嫌だ。

ここの‘仕事’もできることを示さなければ。

そうすれば、捨て駒のような扱いは受けないはず。

これでいい、これでいいんだ。

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