郵便配達アーリィ&アープ

卯月

第一話 〈嘆きの姫君〉

1 小さな依頼人

 私の名前はアーリィ・フェイ。ラプラスの街で、〈郵便配達アーリィ&アープ〉の看板を掲げている。

 ただの郵便配達と思って、甘く見るなかれ。

 街を一歩離れれば獣や魔物に襲われることもないとは言えぬこの世界、隣りの郡へ旅するだけでも一般人にとってはそれなりの覚悟が必要なのである。

 だが〈郵便配達〉の看板を掲げた以上、私は、引き受けた手紙はどんな秘境や魔境の中心であろうと必ず届けてみせる。まあ、〝それ以上〟のことまでして騒動を起こしてしまうこともたまにはあるが。

 とは言え、実際にはそう秘境や魔境に手紙を出す用事のある人間などいる筈もなく、遠方に嫁いだ娘への手紙だとか、出稼ぎに行っている夫への手紙だとかいった、平和で日常的な仕事で日々が過ぎていくのだった。

 しかし、風変わりな依頼が舞い込むことも、時にはある。今回がそのケースだった。

「えーっと、差出人カルル・フレッツ、と。ちなみに歳は?」

「十歳」

と、カウンターの前の小さな依頼人は答えた。最年少記録だ。父親に手紙を出すために母親に連れられて、というのなら今までにも来たことがあるが、子供一人ではなかなかここには来ない。

「――ラプラスの街の子ではないよね?」

「うん。トルテの村から来たんだ」

 ますます珍しい。

 ラプラスは周辺に四つの村を抱えていて、一つの共同体のようなものを形成している。半日から数日で行けるところばかりなので、相互の行き来はひんぱんにあるのだが、子供がわざわざ手紙を出すためだけにやってくる距離でもない。

 そうまでして頼みに来た手紙は、いったいどこの誰に出すのか尋ねてみると、少年はいきなりこんなことを言い出した。

「あのね、郵便屋さん。この前、ラプラスに詩人さんが来たでしょ?」

「――ああ、あの〈嘆きの姫君〉の話の? 祭りの時に来てた」

「うん、そのお話」

 先月ラプラスの街で秋祭りがあったのだが、その時遠方から吟遊詩人を招いて、古代の英雄詩や珍しい異国の歌などを街の人々の前で語ってもらったのである(ちなみに彼を街に招請する手紙を届けたのは私だ)。祭りの時は四つの村の住人も大抵ラプラスに集まるので、それでこの少年も聞きに来ていたのだろう。

 その日の語りの中で一番人気があったのが〈嘆きの姫君〉の物語で、配達で結構各地に行っている私にも、全くの初耳だった。

 処は、ここよりはるか西方。〈なみだの湖〉シルドレット。どこまでもどこまでも透明な水が冷たく光るところ。

 湖の中心には、同名の街が浮かんでいる。涙水晶なみだすいしょうという、そこでしか採れぬ美しい宝石で、周囲に名を知られているのだという。天まで届くような高い塔と、それに寄り添う街並が、湖面に姿を映している。

 だがその湖は山奥の深い森の中にあり、森には幾多の魔物がうごめいている。それらから街の民を守っているのは、実はその湖水。〈泪の湖〉シルドレットは文字どおり涙でできていて、その水に秘められた強い思いが魔物を街に寄せつけぬのだ。

 ただし、湖は誰かが絶えず泣き続けていないと、すぐに枯れ果ててしまうのだという。

 街を魔物から守るために、嘆きを一身に背負った少女、それが〈嘆きの姫君〉。

 少女は、高い高い塔の天辺てっぺんで、誰とも会うことなく、ただただ毎日涙を流し続ける義務を負っているのだ……。

 そういう、物語だった。

 遠い異国の、下界でのあらゆる楽しみや喜びから遮断された美しい姫君、彼女の嘆きの上にのみ成り立つ街の儚い繁栄――そんな情景が、吟遊詩人の夢を誘うような語りによって、居並ぶ人々の心に強烈に焼きつけられたのだった。

「――あ、じゃもしかして、あの詩人さんにファンレターとか?」

 私が尋ねると、少年は首を横に振った。

「……違うの? じゃ、誰に……」

「あのね、郵便屋さん」

 少年は、思い切ったように口を開く。

「僕、そのお姫さまに手紙を届けてほしいんだ」

「お姫さまって……〈嘆きの姫君〉に!?」

 私の驚きに彼は少したじろいだが、すぐに立ち直って

「だってお姫さま、楽しいこともうれしいこともなくて毎日泣いてるだけなんて、かわいそうだよ?

 だから僕、楽しいこといっぱい、お姫さまに教えてあげたいんだ。お姫さまが少しでも笑ってくれるように。

 お願い、郵便屋さん。この手紙をお姫さまに届けて」

 そう言って、大きな字で〝お姫さまへ〟と書かれた一通の手紙と、コインをじゃらじゃらとカウンターの上に取り出す。

「おこづかい、全部持ってきたんだ。これからずっと、お菓子買えなくても我慢するよ。だから」

 真っ直ぐな瞳で、必死に訴えてくる。

(どうしよう……)

 はっきり言って、私がどこにあるのか知らないほどの遠方へ手紙を届けるのに、この金額では割が合わない。それ以前に、〈嘆きの姫君〉がただの伝説であって、実在しない可能性だってある。

(――でも、ま、仕方がないわよね)

 この少年の、これほど必死な依頼を断れるほど、私も非人情な人間ではない。自分で言うのも何だが、これでも結構面倒見がいいほうなのだ。

「わかりました、カルル・フレッツさん。依頼、お受けしましょう」

「本当!?」

 カルルが目を輝かせる。

「ただし、相手は何せお姫さまだからね、返事なんかは期待できないかもしれないわよ?」

「いいんだ、別に。お姫さまが笑ってくれれば」

 全くもって言うことがけなげだ。ますます何とかしてやりたくなってくる。

(この子の爪の垢でも煎じて、どこぞのヤツに飲ませてやりたいわよねえ……)

 カルルの笑顔を見ながら、その〝どこぞのヤツ〟のことを思い出し、内心私はため息をついた。

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