上総の嘘

「二人ともお疲れさま。まだ意識が戻らない私の代わりにすみませんね」


 会見を終え、病室に入ってきた上総と有坂に美月が笑いかける。

 まだ犯人は捕まっていない。この会見に集まった記者たちに混じっている可能性もある。そのため、事件直後に全国放送で負傷していると報道された美月を会見に出すわけにはいかなかった。


「……三佐、先ほどは三佐の行動を非難するような発言をしてしまい申し訳ありませんでした」


 開口一番、有坂は深々と頭を下げた。会見の場では、"でも、しかし"といった言葉はタブーだ。記者たちは、自分たちが劣っていた反省しているという話が大嫌いなのだから。


「ああ、全然。有坂特尉はちゃんとわかってるし、私もわかってる。あの場ではあの発言が正解だよ」


 頭を下げつつ、有坂は笑みを浮かべている。謝罪しつつも有坂自身は申し訳ないとは微塵も感じていないし、美月を含めこの場にいる全員がこの会見は台本通りの内容だと初めから理解している。


「今日は、都築医師と広報部の有坂ということで、普段とはなんとなく違った雰囲気だったな」


「ええ。広報部として振る舞うときは、きもち声のトーンを上げて少し目を見開いているのですが、それだけで疲れました。……私も一佐のように眼鏡を掛けようかな」


 有坂は、ちらっと上総へ視線を向けた。徹夜明けの上総は、今日は眼鏡を掛けている。普段はコンタクトだが、頭痛を伴うためいつも半日ほどしかコンタクトをつけていられない。特に寝不足の目にはとても入れられないと、しばしば眼鏡を掛けている。


「白衣姿では、なかなかメディアには出ないもんね」


「美月の意識がまだ戻らないうえ白衣を着てあの場に出れば、会見を早めに切り上げても何も言われないから良いんだ」


「なるほどね」


 自分たちの上官は本当に面倒くさがりなんだなと、ここにいる誰もが改めて実感する。


「早速、ネット上で話題になっていますよ。三つの顔を持つ特務室一佐、なぜ医師の道を行かなかったのかって」


「おお、それは確かにそうだな。なんのための医学部だって話になるよな。しかも首席だろ」


 そういえばなぜだろう。今まで、あまり上総の過去の話は聞いたことがなかった。


「医学部っていっても、医師の他に保健師や理学療法士などの学科もあるし、俺は医師免許はとったけどどっちかっていうと臨床薬理学を学んでいたから……」


 正直、部下たちは上総の話に着いて行けてはいなかったが、尊敬の眼差しは変わらない。


「でも本当、なんで上総ははじめから組織の方に行かなかったの?それとも、組織に移ったのはたまたまで、普通に研究所で働くためにISAに入ったの?」


 美月の問いかけに、上総は僅かに動揺を見せた。しかし、すぐに平静に戻る。


「たまたまだよ。新薬の研究がしたくてここへ来たんだ。主に海外との取引が多いのと、最新設備が揃っていると聞いてね」


「では、関東近郊ではISAの研究所は有名だったんですね」


「こいつはこう見えて京都出身だよ。だから大学もそっち」


 陽の言葉に皆が驚いた。上総は京都の生まれ、昔は京都弁を話していたのか……。


「えっ、京都なんですか。うわあ格好良いですね。では、もしかして京都大学の医学部ですか?」


「ああ。正確には、二年から六年の春まではボストンの提携大学に留学していたけどね。だから、ほとんどこっちの大学には通っていないんだ。まあ、それでも一応京大卒にはなっているけど」


 あまりの高学歴に皆ため息しか出ず、もはや国宝を崇めるような目つきとなっていた。


「ここの研究所の中に、ボストンの大学の研究員と繋がりを持つ人間がいるって情報を掴んでね。だからわざわざ留学をしてその研究員の下についたんだ。これはかなり就職に有利になった」


「なるほど、早くから地盤を固めていらっしゃったんですね。さすがです」


「都築一佐のご両親は鼻が高いですね。あ、だからこの間京都へ行ってらしたんですね。たまに会いに帰られているんですか?」


「……そうだね。親孝行が全然出来なかったから、少しでも顔を見せようかと」


 この中でただ一人、陽だけが上総の声色の僅かな変化に気が付いていた。本当のことは陽も知らない。だけど、わざわざ聞こうとは思わない。これは、上総の中で上総自身が足掻いて迷って解決する問題だ。


「とにかく、元気でいてくれたらいいと思うよ」


 上総は嘘をついた。上総の両親は共にISA研究所の職員で、十五年前に恩田の手によって殺害されている。

 自分たちの身に危険が迫っていると知った両親は、すぐに内密に離婚の措置を行い、上総に危害が及ばないよう母方の苗字に替えた。


 ここISAは、組織を含め研究所や病棟、グループ会社すべてが一般公募を行っていない。はじめから組織の方へ行けば、経歴を調べられISAに入ることはできなかっただろう。上総はボストンの研究員の力を借りて、組織とは直接関わりが薄い部署に調査免除で特別に入社した。


 上総が組織の前に研究所に入った理由は二つ。まず、両親が在籍していた研究所へ潜入し二人の情報をデータからすべて抹消すること。そしてもうひとつは、組織の最高責任者であり研究所所長である恩田への復讐。彼と接触するには、末端隊員よりも研究員としての方が確率はかなり高かった。

 そして、研究所や恩田自身の信頼を勝ち取り、いざ組織へ移った際も上へあがる階段を昇りやすくしておいた。


 物心ついた頃から、両親は少し変わった職場で働いているということは知っていた。主に海外のいくつかの製薬会社を半ば強引に買収して創り上げたのが今のISAという製薬会社。もちろん、行っている研究や開発した薬は素晴らしいもので、評価はとても高く世界中で高値で取引されている。

 だが、その中でも開発に携わる人間は周りとは違っていた。直接支配者である恩田から指示を受け、法の目を潜り抜ける犯罪一歩手前の仕事をすることも多々あった。その代わりに給料の額は他の社員とは比べものにならない程違い、待遇もとんでもなく良いものだった。

 しかし、やはり肉体的にも精神的にも辛い仕事が多かったせいで、作り笑顔も笑顔にはなっていなかった。それでも、両親は上総に対しいつも優しく振る舞い、少しでも休みが出来るとどこかへ遊びに連れて行ってくれていた。


 中学生になり、さすがに両親の仕事に疑問を抱いたが、ただの子供である自分にはなにも出来ることはなかった。

 だが、十四歳になり両親が殺された日に上総の人生は決まった。両親の復讐、この荒んだ国への憎しみ、何も出来なかった自分への戒め。

 情報がないことほど怖いものはない、知識がないことほど惨めなものはない。知ってさえすれば食い止められたのではないか。あの日から、上総の頭の中は後悔に満ちていた。


 それからというもの、何が起こっても対応出来るようありとあらゆる情報や知識を頭に詰めていった。

 正直、教師という存在は必要なかった。自分で調べて答えを探す方が遥かに為になったし、一切の無駄な時間が存在しなかった。そうして、大学に入学した頃には感情を持たない生きる屍と化してしまっていた。

 神経質な性格の日本人とはなかなか考えや行動が合わず、特待生制度で留学出来るという話を聞いて即座に国を出た。アメリカ人は逆に大雑把過ぎるところが目立つが、特に周りに干渉しない生き方が上総にとっては楽だった。


「……俺の生き方は、きっと間違っていたんだろうな」


 誰にも聞こえない声で、上総はぼそっと呟いた。だけど、陽にだけはこの声と共に上総の内に秘めた悲痛な叫びが届いていた。

 元々直属の部下であったにせよ、陽ですら上総のことはあまり知らない。もしかすると、久瀬将官でさえ知らないことの方が多いのかもしれない。

 きっと、本当はよく笑う明るい少年だったのだろう。無愛想な見た目からは想像出来ないほどの多趣味、意外と負けず嫌い、そして時々暴言を吐く……。


「……それは俺に対してだけか」


 すると、携帯電話片手に上総が振り返る。


「有坂、佐伯、この件の報告書だけど出来るだけ早めに頼む。急遽明後日から出張になった」


「かしこまりました。早急に提出いたします。では早速取り掛かりますので、お先に失礼いたします」


 一礼して、有坂と佐伯は病室を後にした。


「都築さん、出張って薬の方ですか?」


「ああ。今オランダの研究チームと合同で開発しているものがあってね。行かなくていいってことになっていたんだけど、急遽来て欲しいって今連絡が来たよ。まったく」


「では、早急に航空券を手配いたします」


「病棟の方には私が連絡いたします。ご準備もありますし、明日の診療から休診にしておきます」


 すると、今度は相馬と和泉が一礼し急いで病室から出て行った。


「さすが第一部隊。上総がなんにも言ってないのに、まあ次々と」


「あいつらも大変だよな。通常業務の他に、医療の方と薬学研究の方の業務も熟知しておかないといけないんだから」


 毎度のことながら、陽と美月は第一部隊の隊員たちの大変さを憐れんだ。


「……しかしオランダかあ。あの丸ごと一個のでかいチーズ、あれ一度でいいから食べてみたいよね」


「ああ、あれね!あの上でパスタのチーズを和えるやつやってみたいな」


 上総が海外へ出張に出掛ける度に、この二人はわりと無茶なお土産を要求してくる。だが、今話しているゴーダチーズは値段は問題ないが持ち帰るのはさすがに無理だ。


「ねえ上総、あの丸いのひとつ……。あれ、いない!」


 上総はそっと病室から姿を消した。


 ***


「有坂特尉、そういえば桐谷さんは都築一佐と柏樹二佐と有坂特尉の中で付き合うなら有坂特尉がいいと仰ってましたよ」


 執務室へ向かう廊下で、満面の笑みを浮かべた佐伯が足取り軽く寄って来た。しかし、有坂の表情は変わらない。


「……そう。じゃあ、僕は三番目ってことだね」


「え、どういうことですか?」


 予想していた反応と違い、佐伯はきょとんとした顔を見せる。


「三佐は、僕が一佐と二佐の中間のような人間だから選んだと言っていなかった?」


「えっと……」


「都築上総の半分と柏樹陽の半分で出来ているのが僕なんだ。……わかるかい、そこに有坂渉は存在しないんだよ」


 有坂は視線を落とし、哀しそうに笑っていた。初めからわかっていたことだが、あらためて自ら言葉にすると結構ずしっとくる。

 美月にとって、自分は友達または最も仲の良い仲間止まりだろう。それから上がることなど望めない。


「いいえ、桐谷さんはこう仰ってたんですよね。有坂特尉を半分に分けたのが都築一佐と柏樹二佐だと」


「え……」


 有坂は伏せていた視線を上げて目を見開いた。彼女は自分のことをそんな風に捉えてくれていたのか。所詮同期止まりではなかったのか。

 上総と陽には、どう足掻いたところですべてにおいて上を行くことなんて出来ない。自信がまったくないわけではないが、この先もずっと今のままの関係で良いと諦めていた。

 でもどうだろう、嬉しい気持ちはあるが、別段恋人同士になりたいだとかそういった願望もなかった。美月は、自分にとってどのような存在なのだろう。


「あ、この後諜報部の会議があったんでしたよね。長々と引き留めてしまい申し訳ありません。報告書は私が作成しておきますので、会議終了後にチェックお願いいたします」


 さっと一礼し、足早にこの場を後にした。佐伯は、先ほどの有坂の表情を思い出していた。


「……なんか嬉しそうだったな。二人ともお似合いなのになあ」


 すると、佐伯は思い出したように急に足を止め有坂の方を振り返った。


「有坂特尉!私も、量より質だと思います!あ、でも有坂特尉ももちろん凄い人です!」


 そして、再び一礼して去って行った。


「……もう少し、俺も頭を柔らかくした方がいいのかも。佐伯二尉、どうもありがとう」


***


 ……今のこの穏やかな時間は、おそらく長くは続かない。直に、大きな転機が訪れる予感がしていた。

 もしもその時がやって来たなら、自分は諜報部の有坂特尉として命令に従うのだろうか。それとも、有坂渉というひとりの人間として動くのだろうか。


「いずれにせよ、その時は近い……」

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