第30話悟

星路が、先に立って悟に話し掛けた。

「悟。」

悟は、ビクッとして振り返った。ここに来て、こうして話し掛けられるのは初めてのことだった。何しろ、ここには変な物も居て、いきなり襲いかかって来たりする。襲われている人を何人か見た。しかし、自分にはそれを助けるだけの精神的余裕も、力もなかった。ああいった人が、一体どうなってしまったか、悟には分からなかった。

「…お前…ロードスターか。」

星路は頷いた。

「あの時お前をぶん殴ったからな。だが、今は落ち着いている。あの時は、あやめを殺そうとしやがったから頭に血が上っちまっただけだ。」

あやめは、星路の斜め後ろから不安そうに顔を覗かせていた。悟はフッと顔を歪めた。笑ったつもりだったが、うまくは行かなかったのだ。

「オレは、死んだのか。」

星路は首を振った。

「いいや。まだだ。最も、そのうちそうなるだろうがな。かなり危ないらしいからよ。それより、オレはお前と話したいと思って来た。お前が死んじまったら、オレ達が行くあの世は別だから、二度と話せなくなるんだよ。今のうちに話しとかないとな。」

悟は、頷いた。

「わかった。死んでオレが地獄へ落ちる前にということか。」

星路は手を振った。

「あのなあ、オレもここに来て知ったんだが、そんなに簡単に天国と地獄で分かれてないらしいぞ。罪の度合いとかによって、いい場所から段階が分かれているんだってさ。お前の場合、オレ達よりは下みたいだが、そう悪い所でもないようだ。ま、死んだら頑張りな。それより、お前がなんでこんなことになっちまったのか、オレと別れた8年前から聞かせてくれないか。」

目の前に、ベンチが二つ現れた。星路がそれを指した。

「座りな。話しを聞こう。」

それが、星路が出したものだと分かった悟は、驚いた顔をしたが、頷いてそれに座った。

そして、星路はその前のベンチに、あやめと二人で並んで座った。

「あの日、お前をディーラーに持って行く前日の夜、オレは真樹と桑田が一緒に居るのを目撃して後を追った。」悟は言った。「オレは、友達と飲みに行くと聞いていた。桑田が友達だなんて、聞いたこともなかった…まさかと思ったが、調べて見ることにしたんだ。」

星路は頷いた。真樹というのは、前の妻の名だ。悟はそこから一気に話始めたのだった。


悟は、ロードスターを売る手続きをした後、真樹と桑田のことが気になって、田島に言って尾行させていた。調査は、数日に及んだが、結局二人がホテルに入って行くのを写真に収められ、疑惑は確信に変わった。妻には、すぐに離婚届とその写真の数々を突き付けた。そして慰謝料を請求しない代わりにと、その日のうちに家を放り出し、妻の実家へ連れて行った。何事かと驚く妻の両親にも写真を提示し、唖然とする中、悟は素早く桑田の家の方へも行った。

桑田は、涼しい顔をして言った。

「ああ、それは終わったことだ。オレは気が進まなかったのに、彼女が誘うもんだから…つい、な。オレの妻にもそれは告白して謝ったよ。だからうちには、そんな話をしに来ないでくれ。金なら、きっちり払うから。」

桑田は、田島に写真を撮られたことを嗅ぎつけて、先回りしてバレる前に妻に謝るという荒業に出て、許してもらっていた。自分だけは安全な場所に居たいという気持ちだったのだろう。

悟は歯ぎしりした。家庭を壊してやりたかった。だが、今は時が悪い。悟は笑うと、言った。

「うちも、あんな女とっとと追い出したかったから、願ったりだがな。決まりは決まりだ。一千万支払ってくれたら、これ以上お前のことを暴いて家に送りつけるのは止めることにするよ。どうする?大人はルールを守るもんだ。破ったら、それなりのペナルティーがあるもんだろうが。」

桑田が、個人事業主で今金回りがいいのは知っている。桑田はしばらく黙ったが、仕方なく頷いた。おそらく、この他にも叩けば埃が出るのだろう。

悟は、その一千万で業務形態を一新し、そしていろいろな仕事を請け負うことで事業を立て直して行った。

やっと事業が軌道に乗り、そして余裕も出て来た頃、あのロードスターが気になって、休みには探し回る日々を送っていた。だが、一向に見つからない。あれからもう、何年も経つ。きっと買われて行ったのだろうと、諦めてスカイラインを購入した。

そんな時に、同窓会があった。

そこで、桑田と由香里と再会した。

桑田の顔を見た時、あの時の悔しさが心の中で膨れ上がって来た。そうだ、こいつに復讐することが残っていたじゃないか。

桑田の話を、親身に聞いているフリをして聞いていると、どうも事業が上手く行かなくなって来ているようだった。金を全て搾り取ってやろうかと思ったが、そんなことじゃ生温い。こいつは、もっと制裁を受けるべきだ。そう、社会的信用を失って、そして家庭も全てを失わせる方法…。

悟は、持って生まれた人当たりの良さで、桑田の話をよく聞いてやった。そんな悟には、同窓会の女子達も何かと相談を持ち込んで来た。たわいもない相談話の中から、役に立ちそうな情報だけを頭に残して、悟はうまくやっていた。どこかに付け入る隙があるはずだと、週に何回も桑田と飲み屋に付き合い、そして話を聞いた。

そのうちに、向こうは悟が親友か何かだと勘違いしたらしい。こっちが言うことは、大概何でも聞くようになっていた。どうやら桑田という男は、優柔不断で流されやすい性質の男のようだった。

こいつの浮気現場をまた抑えてやろう。だが、それだけなら家庭が壊れて終わり。そんな単純なことは望んでいない。

悟は、策を立てた。誰かを恨ませて、復讐せずには居られなくしてやればいい。そうやって犯罪者に仕立て上げ、逮捕されるという筋書きだ。

あいつを使おう。由香里。案外に顔は良かった。見た目にばかり囚われる桑田には、ちょうどいい相手だろう。今居る、桑田を相手にしないとかいう事務員を解雇させ、由香里を紹介する。桑田は絶対に手を出すだろう。それが上手く行ったら、次はその事務員だ。それが、自分の会社に来るように仕組まなければ…。

全ては、悟の思惑通りに運んで行った。毎日、あやめがパソコンで条件の良い所を探しているのだと調査させて知ったら、すぐにハローワークに登録した。それも、条件としてはとても良いものを提示し、応募せずにはすまないように考えた。

これで、その事務員をここで雇い、わざと桑田の調査に行かせて顔が見えるようにするという策は成る。

あやめが案外といい子で、一生懸命仕事をすることには少し心が痛んだが、これも復讐のための尊い犠牲だと思って見ていた。

そして、わざと由香里の夫に由香里の浮気を仄めかすメールを送り、あの依頼をさせたのだ。毎日事務所の前を通って駅へ向かうその夫のことは、悟も知っていた。なので後をつけて、よく通うバーまで突きとめて偶然を装って話をし、何かあったら自分に依頼をと、持ち前の人当たりの良さで言っておいたのだ。

役者は揃った。あとは、田島とあやめに調査に行かせるだけ…。

田島は、今回は傍まで行ってしっかり撮って来るように言いつけられていて、傍まで行かないはずはなかった。思った通り、画像は完璧で間違いなく傍で顔を見られていた。悟は、あやめを知らないと桑田に向かってうそぶきながら、しかししっかりと毒は植えつけた…しかしまあ、言われてみたら積極的に調査に参加したがったんだと田島は言っていたっけな…。何でも、陥れたいヤツが居るとかなんとか…。

桑田があやめを狙って追って行ったのを知った時は、しめたと思った。助けを求めて来たあやめに、ホームセンターの駐車場へ来いと言ったのは意味がある。あの日、あのホームセンターは休みで、入り口付近で待つよりなくなる。自分が着く前に桑田に追い付かれ、危害を加えられるという筋書きだった。そこへ、自分が駆けつけて、桑田を抑えつけて警察に連絡する。これで、桑田は犯罪者、逮捕される。あやめが死んだらかわいそうかもしれないが、まあ、運が良ければ殺されることはないだろう。

しかし、悟の思い通りにはならなかった。

あやめは、桑田に追い詰められて、その上あのロードスターと共に海へと沈められてしまった…。

悟は、打ちのめされた。いつか、絶対に買い取ろうと思っていたのに。やっと見つけたロードスターを、失ったとは…。

桑田が捕まったことは嬉しかったが、そんなことよりロードスターを失ったことが辛かった。あれほど欲した車は無かった。そして理不尽に真樹に取り上げられ、再び手にしたいと願っていたのにこんなことになるなんて。

鬱々としていたら、朗報が飛び込んで来た。ロードスターが無事に見つかったという。しかも、奇跡的にほぼ無傷で。

そう、あのロードスターは特別なのだ。オレにとって、神のようなものだ。決して誰にも渡さない。手に入れてみせる!

悟は、そう決心した。

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