第25話その男

星路の塗装は、もう終わっていた。来ていた男たちは倉庫を出て行き、その時に見た外は、何もないコンクリートだけの通路で、前には他の倉庫が見えた。間違いなく、海辺の倉庫の中のひとつらしかった。

あやめは悟と共に、一日端から倉庫の中を、いちいち頼んでは見せてもらっていた。いつ自分の居る倉庫の戸が開くのかと待ったが、今日はここまで来なかった。だが、今はあの四角い箱の外に居る。ならば、あやめが家に帰ればここへあっちの世界から来られるはず…。星路はそれを待っていた。

一方あやめは、早く家にと急ぐ気持ちの中、悟に食事に誘われて断れずに前に連れて来られたレストランに居た。一日、休みだというのに付き合ってもらって、とても断れなかったのだ。

「心配しなくてもいいんだ。」悟は言った。「オレは経営者でもあるから、休みなんてあってないようなものなんだよ。休みの日でも、仕事の電話は受けてる。だから、そんなに気にしないで。」

あやめは黙って頷いた。確かに今日は、探している間も何度か悟は電話を受けていた。そんなに忙しいのに、星路を探すのに時間を割いてくれているんだ…。あやめは、なんだか申し訳なかった。

「でも、申し訳ないです。私の車のことで、こうやって一日中引っ張り回した上に、明日は仕事を休んでまで…。」

悟は苦笑した。

「本当に気を使う人だな、君は。そんなことはいい。早く元の生活に戻りたいだろう?オレだって、せっかく来てくれた優秀な経理事務員なのに、こんなことで仕事が出来ないんじゃ困るからね。自分の会社のためでもあるんだ。だから、いつまでも気にしない。この件が終わったら、飯でも奢ってくれればいいよ。」

あやめは微笑んだ。悟は、そんなあやめを見て微笑み返し、それから一時食事をして話し、そして家まで送られたのだった。あやめは、急いで星路に話し掛けた。

「星路、どう?やっと帰って来れたわ。今からあっちへ行って、すぐにそっちへ行くわね。」

「ああ。」星路は落ち着いていたが、何かに気を取られたように言った。「あ?誰か来た。戸が開く…」

星路の声が途切れた。

あやめは気が気でなく、叫んだ。

「星路?!どうしたの?!」


星路は、開かれた戸の前に立っている、見慣れた男を見て絶句していた。

「お前…お前だったのか。」

星路は、つぶやいた。その男はさっき見たあの合鍵を使って、星路の運転席側のドアを開けた。星路はあやめに向かって叫んだ。

「あやめ!田島だ!田島がオレを移動させようとしている!」

あやめは叫んだ。

「星路!すぐ行くわ!」

「無理だ!走り出す!どこかに止まったら連絡する!」

星路の声は途切れた。あやめは気が気でなかった…星路、どこへ連れて行かれるの!

星路は、あやめが心配しているのは分かっていたが、この体は思うようにならなかった。運転されたらそのままに動かなければならない。あやめに運転され続けて来たので、こちらの意見を聞いてもらって動くことに慣れていた星路は、不安を覚えた。どこへ連れて行かれても仕方がないと思っていたのに、今はこれほどに不安になるとは。

田島は、黙って星路を運転して、今度は山のほうへと向かっていた。一体どこまで連れて行かれるのかと思ったが、着いたのは、意外にも山の中ではなく、山を越えた所にある町の近くの、瀟洒な一軒家だった。そこは高台にあって、海を臨む、綺麗な別荘のような家だった。灯りは消え、誰も居ないようだ。そこの車庫に星路を入れると、シャッターを閉めた。そして、停めてあった別の車で戻って行ったのが、その音でわかった。星路は、あやめに言った。

「あやめ、ここは山向こうの別荘だ。シャッター付きの車庫に停められた。ここは広いし、誰も居ない。こっちへ来るか?」

あやめは待ってましたと立ち上がった。

「うん、すぐに行く!待ってて!」

あやめは、すぐにあちらの世界へ飛んで、そして星路の所へと飛んだ。しかし、目の前に現れた星路は、全く違う姿になっていた。

あやめは、その姿に絶句した。

「星路…。」

星路は、笑った。

「ははは、大丈夫だ。中身は変わらねぇよ。こんな姿になってもな。」

真っ白だった星路は、真っ黒にツヤツヤと光っていた。そして、タイヤは換えられ、ホイールが見たこともない物に換えられていた。それも新しく、銀色に光っていた。ホイールの真ん中には何かのエンブレムようなものが小さくついていた。前に回ると、ナンバープレートも変わっていた。封印がされているのに、どうしてなんだろう…。

「星路…別の車になってしまっているわ。」

星路は頷いたようだった。

「車検証まで偽のものに換えられてしまったぞ。オレは見てるしかなかったが、このままだとオレを見つけることは、警察には難しいだろう。この姿のオレに絞って探せばわかるだろうがな。これほど手際よくやられるとは思わなかった…田島のやつ、ぼうっとしてる若い男だと思って侮っていたよ。」

あやめは星路に触れた。

「…どうして、田島さんがこんなことを。」

星路は答えた。

「さあな。あいつは何もしゃべらなかったから。人ってのは、独り言なんか言うもんなんだが、あいつはただだんまりでここまで来た。それから、オレの新しい鍵を作られてるんだ。だから、あんなに簡単に盗まれたんだよ。」

あやめは、星路を手放したことなどなかった。つまり、星路のマスターキーを手放したことはなかった。ということは、きっと悟に渡したスペアキーをどうにかして盗み出して、そして合鍵を作ってまた気付かれないように戻したということになる。あやめは、どうしたものかとため息を付いた。

「ここからあなたに乗って、警察に行くしかないのかしら。ねえ星路、きっと車体の番号が分かるわよね?」

星路は答えた。

「ああ。いくら見た目を変えても、あれだけは刻印されてるから変えられねぇ。」

遠くから、また別の車の音が聞こえる。星路は慌てて言った。

「誰か来た!田島が戻ってきやがったのかもしれねぇ。あやめ、早く戻れ!」

あやめは、星路の車体を触った。

「一緒に行こう!でないと三日あっちに戻れなかったら星路は消滅してしまうのよ!」

車が停まった音が聞こえる。星路は焦って言った。

「わかった、何でもいいから早くしろ!もし移動し始めたらすぐにこっちへ戻るから!」

あやめは頷いてあちらの世界へ飛んだ。

二人はあの家へと飛んで行った。


「動機はなんだ!」星路は、あちらへ着いてすぐに言った。「なんで田島だ?!分からねぇ…オレになんか興味もないようだったのに。」

あやめは星路に答えようとして星路の姿を見て、言葉に詰まった。

「星路…!その姿…、」

「え?」

星路は、鏡を振り返った。髪が真っ黒になり、しかし目は青いままだった。慌てて他に変わったところは無いかと見たが、手足が少し大きくなっているほかは何も変わりなかった。

「車体の色が変わったからか。」星路は言った。「あっちの姿は、こっちにも影響するのか。」

あやめは、星路の腕に触れた。

「姿なんか関係ないわ。とにかく、無事でよかった…。星路、ほんとに心配したのよ。」

星路は、あやめを抱き締めた。

「心配掛けたな。とにかく、明日はあそこを出て警察へ行こう。あやめ…お前に何も無くてよかった。」

あやめは頷いた。

「私は大丈夫。明日、悟さんにこの事を話そうと思うの。」

星路はあやめを見た。

「悟に?一緒にあの家に行くつもりか?」

あやめは頷いた。

「そう。今日だって忙しいのにずっとついて来て探すのを手伝ってくれたのよ。私が星路と話せることには半信半疑だったけど、きっと聞いてくれるわ。田島さんの事…言うべきだと思う?」

星路は少し考えたが、首を振った。

「知られたと知ったら、何をするか分からねぇだろう。明日、悟と二人の時に話せ。それで警察に立ち合ってもらってあの家に踏み込むんだ。」

あやめは、明日のことを心の中でシュミレートした。なるべく早めに職場へ行って、そして悟さんと事務所を出て、そのあとすぐに悟さんに事の次第を話して、警察に行く…。

星路が、苛立たしげに言った。

「それにしても、探偵の給料ってのはそんなにいいのか。オレを全部出張塗装させたり、あんな違法なプレートつけさせたり、倉庫借りたり…結構な金が要るはずだ。」

あやめは、首を振った。

「わからないのよ。経理事務と言っても、お給料関係は全部悟さんが一人でやってるし、振込もしている。だから、私にはわからないの。もしかしたら、危険手当とかついているのかもしれないわね。」

「危険手当だあ?」星路はぼやいた。「そんなの、お前にこそついてて然るべきだろうが。オレの声が悟に聞こえたら、オレは絶対お前にそれを付けろと言うぞ。」

あやめは頷いて、もう遅い時間だと星路と二人で慌ただしくベッドに入り、そのまま眠りについた。全ては、これがきちんと収まってから。お互いに暗黙の了解があるものの、少しさみしい気持ちで、せめて抱き合って、二人は眠った。

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