第17話また会う日まで

車のままでじっと駐車場に停まっていた星路は、エルグランドに話し掛けられて我に返った。

「それで星路、人との恋愛はわかったのか?」

星路は、不機嫌に答えた。

「やるこたぁわかった。だが、気持ちが追い付かねぇのさ。恋愛ってのが分からない。好きなら恋愛してるとなるのか?今まで、車のままでも好きでうまくやっていた。それが、人になったらうまくいかねぇのはどういうことだ。」

プリウスが言った。

「うまく行ってないのか?あやめちゃんと。」

星路はまだ憮然としたままだった。

「実はオレを突き落としたクラウンも人になることを選んだ。あっちであやめに名前を付けてもらったとかで、楽しくやってる。だが、何だか腹が立つんだ。」

プリウスは困惑したような声を出した。

「だが、あいつも好きで星路を突き落とした訳じゃないだろう。」

「わかってる。そうじゃないんだ。」星路はためらうような声で言った。「何でか分からないでいたら、今日前のオーナーの悟にも同じように腹が立った。あやめと飯食ってただけなのに。」

エルグランドが合点がいったという感じで口を挟んだ。

「星路、それはやっぱり人だからだ。オレは知ってるぞ。ほら、結婚してるのに他に誰かっていうので、人は怒るだろう。あれだよ。オーナーが何人もっておかしい訳だ。一人に一人。それが決まりみたいだぞ。」

星路はエルグランドを見た。

「確かに、それで別れたりするな。だが、オレは、そんな決まりは知らなかったのに腹が立ったぞ。どういう訳だ。」

エルグランドの横の自転車が言った。

「それは嫉妬ってやつだよ。」皆の意識が自転車に移った。「自分が好きなのに、相手が別の人も好きなのが許せないんだ。腹が立つんだよ。」

星路は顔をしかめたようだった。

「あやめは別の男なんか好きなんて言ってないぞ。」

自転車は場違いな明るい声で言った。

「だから、取られる気がして焦ってるんじゃない?」回りの空気が暗めになっても気にしない。「あやめちゃんはそんな事言ってないのに、見てて好きになっちゃうんじゃないかってさ。ほら、人は慣れてるだろ?星路は分からないとかで足踏みしてるのにさ。」

星路は押し黙った。エルグランドが自転車を小声でたしなめる。

「こら。少しは遠慮して言えよ。」

しかし、星路は聞いていなかった。悟は慣れてる。何しろ生まれながらの人の男だし、嫁が居た事もある。だから、確かにあやめもあっちの方が良いと思うようになるかもしれない。オレが、よく分からないとか悠長な事を言っている間に…。

そう思うと、星路は急に焦り始めた。あやめについて行けばよかった。くだらない意地をはったりしないで、あやめに正直に話して傍に居れば…。

星路は、あやめの帰りを待ちわびた。


その頃、あやめは由香里を連れてあっちの世界へ着いていた。あやめは広大な白い空間の中、目の前に不安そうにしているデミーを見て、由香里に腕を掴まれたまま、由香里がそれを理解するのを待っていた。

まだ、生きている人や物がこちらへ来る時、皆決まってこの白い空間に来る。どうやらここは、一時待機所みたいなものらしかった。

「何…?ここは?」

由香里はやっと声を出した。あやめは答えた。

「ここはまあ、この世とあの世の間みたいに思ってもらえたら。あなたはまだ生きてるし、帰る事が出来ます。私はもう、死んでいるけど。」

由香里は驚いた顔をして、反射的にあやめの腕を放した。あやめは苦笑した。死にたいと言っていたのに。

デミーが、ためらいがちに声を掛けた。

「由香里さん?僕を覚えてる?」

由香里は、そこにこじんまりと佇むその見慣れた車体を振り返った。デミオ…私の手足のように走ってくれた愛車。

「忘れるものですか。ここに傷を付けてしまって、ダンナにバンパー換えるのを許してもらえなくて、タッチペンで塗ってもらったのよね。」

由香里はその、デミーの左前の傷跡を優しく撫でた。デミーは涙声で言った。

「それも、明日にはバンパー換えられるんだ。僕、次のオーナーさんが今日、決まって…。」

あやめは、それは初耳だった。さすが人気車種だけある。もう、決まったのか。

「そう…」由香里は、寂しそうに言った。「あなたなら、誰にでも大切にしてもらえるわ。」

デミーは言った。

「その前に、どうしても由香里さんと話したくて。あやめお姉ちゃんに無理を言って由香里さんを連れて来てもらったの。由香里さんには、僕の声は聞こえなかったでしょう?だから…。」

由香里は驚いた顔をして、あやめを見た。あやめは肩をすくめた。

「私は、生きてた時からこの子とは話していたんです。初めてあったのは、五年前でした。まだ幼児みたいで、可愛かった。」

由香里はデミオを見た。

「じゃあ、あなたは私の言ってる事を理解していたの?ずっと…。」

デミオは頷いたようだった。

「聞いていたよ。ずっと。それで、言葉をたくさん覚えた。僕は、由香里さんに育ててもらったと思ってる。由香里さんが、いろいろ僕に話してくれたでしょう?ダンナ様のことも、みんな話してくれたから。でも、最後のほうはあんまり話してくれなくなって、寂しかった…。」

由香里は、桑田と会ってからのことを思い出した。あの頃は、ダンナから独立出来るかもと仕事を獲得するのに必死だった。そのうちに、桑田が自分と一緒に居ればもっと楽な仕事でいい給料をくれると言うのを間に受けて、あんな気持ちもないのに関係を持って…。デミオに話し掛ける心の余裕もなかった…。

由香里は涙ぐんだ。

「私、あなたに寂しい想いをさせていたのね。ごめんなさい、デミオ。」

デミオは、首を振ったように思った。

「違うよ!それはいいんだよ。僕、つらい思いをしている由香里さんに、何も言ってあげられなくて、それが寂しかった。僕は、五年間ありがとうって伝えたかったんだ。由香里さん、本当にありがとう。僕、楽しかった。ずっとずっと、由香里さんのために走って来られてよかった。あのね、次のオーナーさんは、お父さんとお母さんみたいな人たちなんだ。お父さんが気に入ってくれて、お母さんは何だか嫌そうだったのに、買うって決めたら、僕の傷を見て、かわいそうだからこれを直してもらってからにしましょうって言ってくれて。だから、明日直してもらうことになった。子供たちが巣立ったから、小さ目の車に買い替えるんだって言ってたよ。だから、きっと大事にしてもらえる。安心してね。」

由香里は涙を流した。まさか、車が大切に洗車して、乗っていた自分の気持ちを分かってくれていたなんて。そんな些細なことに、感謝していてくれたなんて…。

「こちらこそ、ありがとう、デミオ。」由香里は、その車体を撫でた。「あなたを買い戻したかったけど、それまで待ってもらえないし。だから、いい人に買ってもらえたなら、よかった。安心したわ。」

デミオは、涙声で声を詰まらせながら言った。

「うん。また、きっと会えるよ。」

あやめは、邪魔をしたら悪いと思いながら、聞いた。

「その辺りの人?私、物ネットワークできっと分かると思うんだけど。」

デミオは答えた。

「山城さんっていう人。城北台二丁目の。」

あやめは口を押えた。

「え、うちの近所じゃないの。もしかして、軽トラの太郎さんが居る家じゃない?」

デミオは困ったような声を出した。

「どうだろう。もう一台軽があるって言ってたけど。それってその太郎さんかな。だったら、あやめさんちの近く?」

あやめは頷いた。

「三軒隣り。デミーちゃん、じゃあ、これからは近くだね。」

由香里が涙を手で拭いながら微笑んだ。

「よかった。話しを聞いてもらえるわね、デミオ。」

デミオは微笑んだ声を出した。

「うん!何だか、安心した。」

由香里は、あやめに向き直った。

「あなたも、本当にありがとう。私、頑張ろうって気になったわ。デミオは、あなたの家の近くに買われて行くのでしょう?これで、私も安心。きっと、話しを聞いてあげてね。」

あやめは頷いた。

「任せて。最後まで、私が面倒を見るから。いつかきっと、ここへ連れて来ることになるの。あなたも、そのうちに嫌でもここへ来ることになるわ。その時、またデミオと話せるから。」

由香里は笑った。

「その時、変な人生歩いたなんて、デミオに言えないわね。今度は自分の力で車を買えるように、頑張るわ。まだ、出来るわね。一度実家へ帰ろう。」

デミオは微笑んだような声で言った。

「僕の方が先だから、いつかこっちで待ってるね。また由香里さんに乗ってもらえるために。いろいろ、話すことが出来てるだろうなあ。」

由香里は微笑んで、デミオに頬擦りした。

「デミオ、待っててね。きっといい人生歩んで、がんばるから。時々、あなたの顔を遠くからでも見に行くわ。」

デミオは明るく答えた。

「うん。きっとだよ。」

二人が、そうやって一時の別れを惜しむのを、あやめは見守った。

そして由香里とデミオを、それぞれのあるべき世界へと送って行ったのだった。

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