第10話帰還

「奇跡です!」上空を飛ぶヘリの中、リポーターらしき男がカメラに向かって叫んだ。「あの崖から約150メートル離れたあの無人島の木々の中に、正面から突っ込む形で、あのロードスターがあるのが確認されました!」

回りを警察の船が囲んでいる。あやめは、目を覚まして回りを見た。

「…なんだか、すごいことになってるけど。有りえないことよね?しばらくどうしてこうなったのかって論争がすごいんじゃない?」

「何かオレ、ケツが痛いんだけど。」星路の声が言った。「それから腹の辺りが海水に浸かったことになってるみたいでひりひりする。引っ張り出す時上手くやってくれるかね。」

ガサガサと草を踏み分ける音がする。男の人の声がした。

「矢井田さん!大丈夫ですか!」

「とにかく、ここまで水面跳ねて来たみたいなこと言っとこう。」あやめは、小さな声で言った。そして、声を張り上げた。「はい!まったく大丈夫です!」

到着した警官や、白い服にヘルメット姿の、恐らく救護の人達が、驚いたようにあやめを見た。あやめはその人達に言った。

「車は、必ず返してください!陸へ上げてください!私を守ってくれたんです。」

このまま、星路を海水の中引きずって行かれたらいやだ。あやめは、それだけを懸念していた。そしてあやめは、傷一つない状態で歩いてそこを降りた。降りる前、星路の鍵をマスターキーからスペアキーに変えて、マスターキーを抱き締め、あやめは星路から離れて警察に船に乗せられて行ったのだった。


念のため送られた病院のベットの上で、あやめは警察の事情聴取を受けた。

「では、どうしてああなったか分からなかったと。」

あやめは頷いた。

「はい。後ろからぶつかられてああ落ちると思ったんですけど、ブレーキを踏むつもりがアクセルを踏んで飛んでいて。それからは、落ちて行く感覚と、水の上をバウンドするような感覚があって…気が付いたら、あそこに居ました。真っ暗だったし、自分がどうなったか分かりません。」

確かに、崖から車ごと落ちて行くのにそれを冷静に見ている搭乗者は居ないだろう。いくら聞いても、あやめがそれしか言わないので、長居を看護師に咎められ、警官は諦めて戻って行った。後は、車を調べて解明するしかないと思っているらしい。

マスターキーから聞こえる星路の声は、慌てていた。

「うわ。あれなんだよ。あんなもん何に使うんだよ。っていうか、オレを無事に帰すつもりがあるのか、こいつらは!あやめ、変なことするなと言え!」

「言ったわよ。何をされてるの?」

星路は戸惑ったように答えた。

「わからねぇ。リフトに上げられてるが、さっきからとっかえひっかえいろんなヤツが来て人の腹見てるんだ。損傷がないたら歪んでも無いたら、水没してないたら言っててさあ。当たったのは尻だろうが。そっちはちょっとしか見ないで、何で腹ばっか見る。」

あやめは苦笑した。

「不思議なのよ。あんな所から出て来て。皆海ばっかり探してたんだもの。当然でしょう?落ちたのに。」

星路は憮然として言った。

「早いとこ納得してくれなきゃ、テールを直してもらえねぇじゃねぇか。」

あやめは答えた。

「さっき、高野さんに連絡しておいたから。警察がいいって言ったら、ローダーで取りに行ってくれるって。」

星路はふふんと笑った。

「お、VIP扱いだな。自分で走らなくてもいい訳だ。オレはてっきりロードサービスに牽引されるのかと思った。あれはちょっと好きじゃないんだよな。鼻っ柱を引っ張られた牛みたいじゃねぇか。」

あやめは思わず笑った。

「やだわ星路、その例えやめてよね。」

星路はしばらく黙ったかと思うと、言った。

「お前、体もう大丈夫か。」

あやめは頷いた。

「平気。なんともないのよ。」

星路は頷いたようだった。

「なら、早くお前だけでも家に帰れ。あっちに行かなきゃ死んじまうんだぞ。三日だろう。」

あやめはハッとした。

「そうだったわね。星路は?」

「さあな、オレはいつ帰してもらえることやら。」

星路はあっさり言った。あやめは慌てた。

「一刻も早く帰してもらえるように言う!だから、待ってて!」

星路は笑った。

「はは、何必死になってるんだよ。大丈夫だ。今、腹の海水を流してくれてるよ。もう気が済んだらしい。」

あやめは、ホッとした。

「もう、本当にやめて。私、寿命が縮んじゃうわ。星路が居ないと…。」

泣きそうな声に、星路はため息を付いた。

「全くお前はなあ。そんなにオレが好きか。」

あやめは、突然のことに赤くなった。

「そ、それは…当たり前じゃない。言ったでしょ?すごく好きだって。」

最後のほうはごにょごにょとなった。星路は笑った。

「そうか。オレもだ。」と、少し黙った。「ちょっと黙るぞ。リフトを降ろされる。移動するみたいなんでな。」

「え?星路…」

今、いいとこなのに。

あやめは思ったが、星路の声が途切れた。もっと星路の気持ちを聞きたかった。だってもう、星路は車じゃないんだもの。私が一方的に好きだって押してる感じだと思っていたけど、星路も好きだって言ってくれる…でも、好きって感情のこと分かってるのかなあ。早くゆっくり話したいなあ…。

あやめは、少し切ない気持ちになって、マスターキーを抱き締めて横になった。


星路は、普通にエンジンを掛けられて、損傷した車ばかりが集まる警察署の車庫へ連れて来られた。というか、運転されて自分で走って来た。

「お前、タフだよなあ。誰が見ても奇跡だって言ってるぞ。」

聞こえないのに、運転している作業着姿の男が言う。星路は、聞こえないのを承知で言った。

「そうなんだよ、奇跡なんだ。ま、これから面倒なことをしなきゃならないみたいだがな。」

相手はやはり反応せず、星路を車庫へ停めると、鍵を抜いて降りて行った。それを見送ってから、車庫に並んでいる他の車を見て、その中の一台に、星路の目は釘付けになった…桑田のセダンだ。

「お前、ここに居たのか。」

星路が言うと、相手は答えた。

「ああ。こんな姿になっても死ねないんだよ。しっかり作ってあるのもよし悪しだな。だが、お前が無事で良かった…あの嬢ちゃんもか?」

星路は答えた。

「無事だ。正確には死んだんだが、あっちでいろいろあってな。」

星路は、あちらの世界のことを話した。セダンは黙って聞いていたが、まるで遠くを見るような感じで言った。

「…人の想いか…。オレのことを作ってくれたヤツも、きっとそうだったんだな。オレも、送り出してくれた所から記憶があるんだ。だが、脆いんだって?その割には、オレはまだ生きてる。」

星路はセダンを見た。

「お前を作った想いが強かったからじゃねぇか?諦めるなよ。確かに事故車だから普通に売られるのは無理かもしれねぇが…。」

セダンは首を振ったようだった。

「オレは検証が済んだし、もうすぐ廃車だ。決定してるよ。オレのオーナーもそれで了承済みさ。ここまで車体が損傷すると、直すほうが金がかかるんだ。」

星路は、セダンを見つめた。

「…お前…。」

セダンは、わざと明るく言った。

「だが、お前から話を聞いて勇気が出た。そんな世界へ行くんだろう。だったら、いいさ。」

星路は、何も言えなかった。まだ生きている意識があるのに、廃車になるなんて…。大体は先に意識が死んでからだから、廃車になる頃には完全に屍なのだ。

あやめに、相談してみようと思った。

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