18 下校時刻の攻防戦 ①



「不思議なこともあるのねえ。二人揃ってすやすや眠り込んじゃうなんて」

「ほ、ほんとですね……」

 トロイメライから現実――生徒相談室に戻ってくると、いつものように居眠りしてしまっていた茨城先生もちょうど目を覚ましていた。わたしは寝てたわけじゃないけど、説明しても信じてもらえないだろうな……。

「あら、もうこんな時間! 下校時刻じゃない。泉先生ったら、人に留守番任せて何してるのかしら。灰庭さん、今日はもう遅いから帰って、相談事なら明日にしましょ?」

「え、あ、はい……」

 窓から見える景色は薄暗い。……トロイメライであんなに色々あったのに、現実では一、二時間ぐらいしか経ってないんだ。逆浦島太郎になった気分……。

 そうなると、次にトロイメライに行った時のことが心配になる。こっちが二時間くらいであっちは半日くらいになるんだから、こっちで一日過ぎる頃にはあっちはどうなってるんだろう?


『焦りは禁物だ。こちらでは、時間とはあってないようなものなのだからな』

 別れの間際、猫さんはそんな風に言っていた。

『でも、あいつをほっといたらまた誰かが……』

 踊瀬に襲われる大神の姿はまだ脳裏にくっきり焼き付いている。あんな風に誰かを、わたしも知っているかもしれない人を“消す”なんて、絶対に許せない……!

『しかし、我々には現状彼女への対抗手段がないのだ。蛮行は看過しがたいが、下手なことをしていれば我々が次なる犠牲者にされかねない。きみの目的を達成するには、彼女との接触は出来る限り避けるべきだ』

『………………』

『ところで、夢墓場で収穫があったのではないかね? 吾輩にも見せてくれたまえ、何かわかることがあるやもしれん』

 大神の話題を避けるように、わざとらしく明るい声で言う猫さん。そういえば、色んなことがいっぺんに起こりすぎてすっかりあれのことを忘れてた。

『む、なんだねそれは……鉛で出来た、心臓?』

『自分でもよくわかんないんだけど……「これがプリンス先輩だ」って感じがして』

 スカートのポケットから出した“心臓”に猫さんは目を丸くしてたけど、わたしの言い分を信じてくれるみたいだった。

『……うむ。きみがそう思うのなら間違いなくそうなのだろうな。この世界において、直感とイメージはそのまま真実となるのだ』

『じゃあ、やっぱりこれは……』

『これが何を意味するのかはまだわからないが……きっと重要な手がかりであることは間違いない。それは肌身離さず持っていてくれ』

 なんであれ、これがプリンス先輩を探す手がかりになるのなら嬉しい。でも……これ結構重いし、何より見た目が見た目だけに、持ってるとちょっと怖い。誰かに見られたら変な誤解されそうだし……。

『ふむ……では何か入れ物にしまっておくのはどうかね? ポーチなどは持ってはいないかね?』

『ポーチなんて……あっ』

 ポーチは持ってないけど、小物入れになりそうなものがあったことを思い出した。いつかのときに貰った、青い鳥のぬいぐるみキーホルダー。お腹にジッパーがついていて、物を入れられる構造になっていたんだった。

『うむ。では今度こちらへ来るときはそのぬいぐるみを持ってくるといい。トロイメライこちらのものを現実あちらへ持ち出すのは至難の業だが、現実の物を持ち込むのは意外と容易い』

 次、いつ来られるかはわからないけど……また夕方になったら勝手にこっちに来てしまうんだろうか?

 ……いや、どうにか、なんとかしてまた来る方法を探さなきゃいけないんだ。プリンス先輩のためにも。


「どうしたの? まだ眠い?」

 考えごとに夢中になっていると、茨城先生が心配そうに声をかけてくる。慌てて「大丈夫です」と首を振る。

「そうだ、先生。さっき寝ちゃう前にラジカセで掛けてた曲ってなんでしたっけ?」

「ああ、あれ――」


「――シューマンって作曲家さんの、トロイメライっていう曲よ」



 2



 トロイメライ。……ドイツ語で“夢”を意味する言葉。

 考えてみれば、あっちの世界でもあの曲が流れていた気がする。あの曲が、あの世界に入るための鍵になっているんだろうか。

 試しに家に帰ってきてから、動画サイトで検索して曲を聴いてみたけど、その時は何も起こらなかった。学校で聞かないと駄目なのか……?

「は? またトロイメライの話?」

 烏丸先輩の打ち合わせの時に曲の話を訊いてみた。

「そんなに聴きたいのなら、下校時刻まで居残ってればいいじゃない。下校のチャイムがあの曲になってたはずよ」

「本当ですか!?」

 ん、下校チャイム……? 前にそんな話、誰かとしなかったっけ。

「何よ、気色悪いわね。あんたみたいなのがどうして急にクラシックにかぶれるのよ」

 トロイメライ、下校時刻……思えば昨日も、最初にトロイメライに来た時も、放課後の少し遅い時間だった。トロイメライには放課後にならないと行けないのかもしれない。逆に言えば、放課後に曲のトロイメライを聴けばあっちの世界に行けるのかも……!

 そこまで考えて、はっと気づいた。踊瀬――あいつはどうやってトロイメライに行ってるんだろう。あの様子だと、少なくともわたしよりずっと頻繁にトロイメライに出入りしてるはずだ。あいつも同じ方法でこっちとあっちを行き来してるなら、上手くすれば止められるかもしれない。あいつがトロイメライに行けなくなれば、もう誰かが大神みたいな目に遭わされることもなくなるはず。大神だって……なんとか助けられるかもしれない。

 確かにトロイメライでの踊瀬はとんでもなかった。でも――現実での踊瀬は車椅子に乗ってるし、どう見ても身体が弱い方だ。こっちの世界なら勝ち目は十分ある。下校チャイムトロイメライが鳴る前にあいつを取り押さえれば……!

「先輩、凄く大事な用事を思い出しました。今日はこの辺にしてください」

「は? ちょ、ちょっと、なんなのよ一体……!」

 今は五時になったばっかりで、えっと、下校時刻は確か六時……トロイメライが鳴るまであと一時間。それまでに踊瀬を止められれば。わたしは居ても立ってもいられず、烏丸先輩の返事も聞かずに被服室を飛び出した。

「大事な用ってあんた、どこに行くのよ!?」

 烏丸先輩の声が聞こえてくる。どこって、そんなの決まってる。踊瀬のいるところだ。

 ……あれ。踊瀬って普段、どこにいるんだろう?



 3



 思い出そう。

 ちょっと前に、プリンス先輩が踊瀬のことを『クラスメイト』だって言っていた……気がする。プリンス先輩の思い出は不安になるほどどんどん薄れていくけれど、音楽室で先輩と一緒に踊瀬と会ったのが、初対面だったはずだ。

 えっと、プリンス先輩は二年生だったはずだから、踊瀬も二年生に違いない。だとすると、二年の教室にいるだろうか? いや、放課後に用もないのに教室にはいないか。駄目だ……学年がわかっただけで全然手がかりがない。

 とりあえず、最初に会ったときのように音楽室に行ってみようか。そう思って、足を向けてみたけれど。

「踊瀬さん? いやー、来てないねえ。今日はほら、僕らの練習日だから」

 今日はちょうど吹奏楽部が練習する日だったようで、音楽室はラッパっぽい楽器や笛っぽい楽器を持った人達でいっぱいだった。踊瀬の姿は見当たらない。吹奏楽部の部長さん(呂場さんというらしい)が困ったように頭を掻いていた。

「彼女、人嫌いみたいだからね。ウチはピアノはほとんど使わないから、別に弾いたって全然構わないんだけど……練習のある曜日は絶対にここには来ないなあ」

「ちょっと用事があって探してるんです。踊瀬……先輩がいそうな場所って知りませんか?」

 藁にもすがる思いで訊ねる。すると、部長さんはあっさりと答えた。

「生徒会室にいるんじゃないかな? 彼女って確か、生徒会の書記だよ」

「え……!?」

「でも凄いよねえ。元々お嬢様ってのもあるんだろうけど、身体が弱いのに生徒会を頑張ったり、習い事とか同好会とかやってたりするんだから。僕たち一般人にはとても真似できないよ……」

 あいつが生徒会……!? 全然想像できない。生徒会の人たちには何回か会ったことがあるけど、踊瀬とは一度も会ったことがないし。大体、人を平気で踏みつけにするような奴が生徒の代表として何をするつもりなんだろう。

 疑問はともかく、そうとわかればすぐにでも生徒会室に向かおう。なんだかんだしてるうちにもう十五分も経ってしまった。

「ところで君、何か部活入ってる? 吹奏楽とか興味ない? 管楽器だけじゃなくてヴァイオリンとかも弾けるよ。体力ありそうだし向いてるかも」

「い、今急いでるので……!」

 なんか部活を訪ねるたびに勧誘されてるような気がする。どこの部も部員が足りてないのかな。

 生徒会室があるのは四階。ただし、音楽室の棟から渡り廊下を挟んだ向かい側の棟にある。歩いても三、四分くらいしかかからないはずだけど、気が焦って猛ダッシュで向かう。

「すみません! 誰かいませんか!」

 息を荒げたまま、ほとんど殴るみたいに生徒会室の扉をノックする。傍から見たらそれこそ不良が押し入りに来たように見えたかもしれない。でも今は体面なんか気にしてる余裕はない。

「すみません、入ってもいいですか!」

「――ええ、いいわよ」

 と、返事の声が聞こえてきて――叩いていた扉が突然音もなく開いた。扉に体重をかけていたわたしは、そのまま生徒会室に向かって倒れ込んでしまう。

「わあっ!?」

「ふうん。昨日の今日で、しかも一人で来たの。おつむが足りないんじゃないとしたら、随分とせっかちさんなのね」

 床にぶつけてひりひりするところをさすりながら立ち上がる。室内は踊瀬以外誰もいないみたいだった。横長のテーブルが並び、椅子が左右に二つずつ、奥に一つ。よくあるっぽいレイアウト。そして踊瀬は、本来生徒会長が座るべき席のさらに後ろに、玉座にでも座ってるみたいに車椅子に腰かけていた。

「踊瀬……!」

「昨日ぶり、で会ってるかしら。来室理由を聞いた方が良い? わたしとしては、まずあなたの名前を聞きたいところだけど」

 色素が薄く、華奢な身体。だけどその顔には、昨日見たのと同じ高慢でふてぶてしい表情が浮かんでいた。

「……灰庭、灰庭かがり」

 言いたいこと、訊きたいことは沢山あった。トロイメライで何をしているのか。どうしてあんなふうに望者を操ってまで人を襲っているのか。そもそも、あの魔法の力はなんなのか。でも、そんなことはあとでゆっくり聞けばいい。今、言わなくちゃいけないことは。

「もう、昨日みたいなことをするのはやめてください」

「……あら」

 踊瀬はくすくすと笑った。

「ごめんなさい、もう少し具体的に言ってくれる? 昨日のこと、なんて言われてもなんのことだかわからないわ」

「とぼけないで。大神に何をしたのか、忘れたなんて言わせない。もうあんなふうに、誰かを襲って――“消す”なんてことするのはやめてください」

 実際に会って話していると、昨日のことがはっきりと思い出されて、踊瀬の涼しげな顔を見ているだけでハラワタが煮えくり返りそうになった。落ちついて、冷静に話さなくちゃ。

「驚いたわ。本当にそんなことを言いに来たの?」

 いかにもびっくりしたような口ぶりで、しかし心底馬鹿にしたような声音で踊瀬が言った。

「ど、どういう意味ですか……」

「あなた、そんなこと言うってことは、わたしを無理矢理でも止められるって思っているのね? もしそうじゃないなら、今からでも考え直したほうが良いわよ。『あなたのことが怖くて怖くて仕方がありません、どうかなんでもしますから、わたしのことは見逃してください』……そう言うのだったら、考えてあげなくもないわ」

 踊瀬の言葉を聞いていて、頭に血が昇っていくのを感じた。踊瀬が車椅子に座っていなかったらすぐにでも殴りかかっていたかもしれない。そうだ、焦る必要はないんだ。こっちの踊瀬は車椅子でしか動けないんだから……!

「……わたしも乱暴なことはしたくないです。『もうやめる』って約束してくれるなら、わたしも何も

しません。でも、その気はないって言うのなら……」

「あら、あらあらあらあら!」

 踊瀬はけらけらけらけら、可笑しそうに笑う。……なんだろう、この余裕。こっちじゃ魔法は使えないはずなのに、踊瀬からはまったく焦りが感じられない。強がってるだけ?

「ま、まだトロイメライが鳴るまで三十分はありますよ! それまでにあなたを押さえつけるなんて簡単なんだから!」

「ああそう! あなた、こんなにか弱いわたしを力づくで捕まえるつもりだったの! なんてひどいのかしら、そんなことしか考えられないあなたの頭って! ああおかしい、笑いが止まらないわ。おかしくて、おかしくて……」


「――踊り出したくなってしまったわ」


 時計の針が指し示す時刻は五時三十一分。下校チャイムはまだ鳴るはずない。

 なのに――どうしてだろう? どこからともなくトロイメライが聴こえてきたのは。

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