13 オデット、ベェトは呪われて ①

 ◆



「どこだ」

 目を奪われるよう、だなんて形容詞を使うような日が来るなんて──伴田僚史はんだりょうしの視線は大袈裟でなく釘付けにされていた。相手がもし異性であったなら恋に落ちていたのは間違いなく。視界も、思考も、すべてその男に奪われて。伴田はしばらく呆然とその美しさに見惚れていた。

「おれは、どこだ」

 髪は繊細な氷細工のようだった。味気ない蛍光灯も、窓から差し込む生温い西日も、存在するありとあらゆる光源がその髪を照らし輝かせるために配置されたように思われた。

 肌はあまりに滑らかで、たとえ国宝にされるような陶磁器だってこんなにまばゆい光沢を放つことはできないだろう。彼の姿を見れば、美を謳いかたどられた世界中の彫像も自らの不出来さに絶望して自壊するはずだ。

 そして、その顔と来たら! こればかりはどんなに言葉を尽くしても形容しようがなかった。神や天使の類が降臨したのだ、と名乗られても疑問を持つことができない。もしその唇が伴田に自害するよう命じれば、伴田は喜んで近くの窓から身を投げるつもりでいた。

「おれは、いったいどこにいる?」

 しかし彼が述べるのは意味不明な問いかけばかりで、伴田も返答に窮することしかできなかった。どこもなにも、お前は今そこに立っているだろう。鏡でも持ってくればいいのか? スマートフォンの地図アプリで現在地を教えればいいのか? しかしあんな顔の人間が二人も三人もいたら大騒ぎになっていそうなものだが……と、そこで伴田は魔法が解けたように我に返った。

「誰だ、お前」

 見た目は伴田とそう変わらぬ年頃、しかしこんな顔の男など今まで一度も見たことがない。転校生や学校見学の予定などもないはず。はたと気づいた今ではその美しさすら不審なものに思えてくる。人間離れした美貌を台無しにしている狼狽した表情も、よたよたとした無様な歩きかたも。

「お前、見かけないツラだな? クラスはどこだ、転校生か?」

 とても風紀委員とは思えない尋問めいた訊きかたに、その男は虚を突かれたように立ち止まる。

「お前、どこの誰だ」

「おれは――――――」


 ――――おれは、だれだ?


「はあ?」

 面食らう伴田を尻目に、男はその言葉で自ら動揺したかのようにぜえぜえと不規則な呼吸を速める。

「お、おれ、は…………おれは?」

「お、おい」

「おれ……お。おれ、おれは、おれは……!」

 ぶつぶつ呟きながら、閉じこもるように顔を覆う。なんだ、いったいどうした? 明らかに様子がおかしくなった男に、伴田はますます不審がって訊ねる。

「どうした? そんな真っ青になって。せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ──」

「──うわあああああああああああっ!」

 と、さながら爆発したように叫ぶ男──ぎょっとしている伴田から逃げるように走りだす。

「あ、おい、待て!」

 追いかけようとするも、男は瞬きする間に姿を消してしまった。余りに速すぎて、本当に消えてしまったのかと錯覚しかけたほどだった。

「人が消える……か」

 ふと流行りの怪談話を思い出し、馬鹿馬鹿しいとかぶりを振った。



 1



『はぁ? 白い絵本? なによそれ、そんなタイトルのナンバー作った覚えないわよ? え、曲じゃない? 袋になんか入ってた? おかしいわね、CD以外入れたつもりはないけど……サイン帳でも紛れ込んだのかしら。白紙なんでしょ? 邪魔なんだったら捨てていいわよ。だからなによ絵本って……大したものじゃないんだから、アンタたちの好きにしたらいいじゃない──』


「──マチルダくんはなにも知らないようだな」

 電話を切り、プリンス先輩がため息混じりに言った。

「でも、マチルダ先輩の荷物の中に入ってたんですよ? 知らないなんてこと……」

「そも、こんなふうに荷物に紛れ込ませてまでよくわからないものを持ってくるなんて彼女らしくない、厚意にしろ嫌がらせにしろ、正面から堂々と突き出してくるのがマチルダくんのはずだ」

 それは……確かに。こんな回りくどいことをしてとぼけるなんて全然イメージに合わない。もっとグイグイくるはずだ。

「だからこれは彼女の言う通り、なんらかの手違いで紛れ込んでしまったものなのだろう。マチルダくんか、あるいは別の第三者の遺失物──と、考えるべき、なのだろうが」

 常識的に考えれば。だけど、これは──

「白い絵本、だな」

 まさにわたしの考えていたことを難しい顔で言うプリンス先輩。

 白い絵本──書き込んだ願いをなんでも叶えてくれるが、代償としてその人を消してしまう、という怪談話。今ここにあるこれが、くだんの怪談のそれだなんて思うのはさすがに考えすぎ、なんだろうけど……。

「……なぜ、今になって現れたんだ。私にはもう、叶えたい願いなど……」

「先輩?」

 なにか考え込みながらぶつぶつ呟いている先輩が気になって声をかけると、プリンス先輩ははっとしたように笑顔を作った。

「ああ、いや、なんでもないぞ。しかし……どうしたものかな、これの処遇は」

 絵本に手を伸ばしながら、困ったように顔をしかめさせる。

「誰かの遺失物であるのなら、落とし主を探さねばならないところだが……ううむ、どうやって探したものかな」

「おい」

 まるでプリンス先輩が絵本を開くのを邪魔するかのように、部室の扉が乱暴に開いた。

「邪魔するぞ、変人部」

 入ってきたのはワイシャツとベストをだらしなく着崩した男子生徒だった。つけてる腕章は、あれ、風紀委員?

「げげえっ! 副長殿!?」

「誰が新選組だよ。相変わらず馬鹿やってんな、お前」

 ぼさぼさ頭を書きながら、プリンス先輩を呆れたように見る風紀委員──副長? なんだか全然風紀委員らしい格好には見えないけど。

「風紀の副委員長、伴田先輩だ」

 生まれたての子鹿もかくやという勢いで震えているプリンス先輩。

「とってもとっても恐ろしいお人なのだぞ。ぶるぶる」

 口でぶるぶる言われても。

「勝手なこと後輩に吹き込んでんじゃねえよ。ったく……」

 と、伴田先輩はじろじろわたしたちや部室の中を眺めまわす。

「な、なんだ? 今日は副長殿に咎められるようなやましいことなどしていないぞ!」

「昨日一昨日はしてたみてえな言い方だな。や、そうじゃなくてよ……一応、念の為に訊いとくが」

 あちらこちら、まるで誰かを探しているかのように視線を映しながら伴田先輩が言う。

「こっちに変な奴は来てないだろうな?」

「変な奴?」

「男で、顔がありえねーくらい綺麗な奴だ」

 顔が綺麗な奴。わたしはほとんど無意識のうちにプリンス先輩を見てしまった。

「わ、私じゃないぞ!?」

「たりめーだ馬鹿。お前じゃねえよ。それともなにかしょっぴかれたい用事でもあんのか?」

「滅相もない! ぶるぶるぶるぶる……」

 最早首を振ってるのか震えてるのかもわからないような有様だ。生徒会長に対する態度といい、氷女宮先輩と言い、どうもプリンス先輩は権力を持つ強気な人間にはめっぽう弱いらしい。尊大キャラっぽい振る舞いのくせに。

「知らねえなら良い。邪魔して悪かったな」

「い、いや、こちらこそお役に立てなくて申し訳ない! 粗茶で良ければ是非召し上がっていってくれ!」

「ペットボトルじゃねえか。本当に粗茶だなおい」

「あああああ……! えっと、えっと、お詫びの印に一つ舞をば!」

「別に見たくねえよ」

 どういうわけかご機嫌を取ろうと必死なプリンス先輩をひたすら冷めた目で見る伴田先輩。いったいこの二人の間になにがあったのだろう。

「……つーか、お前」

 と──伴田先輩は溜め息とともに吐き出した。

「『美学部』……まだやってたのか」

「まだ、という言い方はさすがに聞き捨てならないな」

 するとプリンス先輩は媚びるのをやめ、少しむっとしたような顔をした。

「まるで不真面目でやるべきではないことをやっているかのようじゃあないか。時間の許す限り、私は美学部として活動を続けるつもりだぞ」

「今は許されてるみてえな言い方するじゃねえか。それこそ正気で言ってんのかよ」

 なんだか空気が変わったのを肌で感じた。伴田先輩は舌打ちしながらぼさぼさ頭をがりがりかいている。

「妙な連中集めてお山の大将やってよぉ。王子だなんだか知らねえが、ガキのごっこ遊びと変わらねえじゃねえかよ。どういうつもりでやってんだ、お前」

「どういうつもりもなにも……」

にはなんて説明してんだよ」

 その瞬間、プリンス先輩は口にしかけた言葉を飲み込んで沈黙した。

「……それは」

「こんなふざけたことやってられる立場じゃねえだろうが、お前。どういう神経してんだよ」

 黙り込んだプリンス先輩の顔には先程とは明らかに違う種類の焦りが浮かんでいて。伴田先輩の言葉の意味が分からないわたしにも、それがプリンス先輩にとっては痛いものであることはわかった。

「やめろ、とは言わねえが……せめてもうちょっと、身の振り方を考えろよ。自由に楽しくやれるような身分じゃねえこと、忘れんな」

 伴田先輩もその様子に言い過ぎてしまったと判断したのか、少しばつが悪そうに語尾を濁らせながら言葉を結んだ。

「……ああ」

 ほとんど嘆息と聞きわけがつかない小声で、プリンス先輩が答える。

「忠告ありがとう。肝に銘じておくよ」

「おう、そうしとけ。じゃあな、長々邪魔して悪かった」

 気まずげに会話を終わらせ、気だるげに部室を出て行く伴田先輩。あとに残された居心地の悪い雰囲気に耐え切れず、わたしは口を開いた。

「あの、先輩……今のって」

「なんでもないぞ」

 わたしの言葉をほとんど遮るように先輩が言った。

「ああ、なんでもないんだ──君が心配する必要はない」

「でも」

「いいんだ」

 穏やかなはずの声音が、どうしてか脅しのように聞こえる。

「大丈夫だから、な?」

 だから、この話は終わりだ──言外にそう言われているのを感じ、わたしも追及をやめざるを得なくなる。

 思えば、プリンス先輩から明確に拒絶されたのはそれが初めてだった。

「……そうだな。少し早いかもしれないが、今日はもう解散にしよう」

 やがて、いつも通りの笑顔を浮かべて先輩が言った。あれ? でも……。

「ビースト先輩は? 後から来るって話じゃ……」

「うん? なにを言っているんだ、シンデレラ?」

 と、プリンス先輩は心から不思議そうな顔。

?」

「……え?」

 え、あれ……そうだったっけ?

 …………………………………………………………………………

 ……ああ、そうだった。

 

「だから、心配の必要はないさ。早く帰ろう。ほら、トロイメライが鳴ってしまうから」

「はい……」

 小さな違和感はすぐに解消され──しかし代わりにもっと大きく見過ごせるはずのない違和感を、わたしは見過ごしてしまった。

 机の上に確かにあったはずの白い絵本が綺麗さっぱり消えているということに。

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