12 白い絵本といないきみ ①

 1



 誰もカップを手に取ろうとしなかった。そうすることを誰かに強いられたかのように誰も身動ぎ一つせず、カップの中のお茶が冷めていくのを見守っていた。

 まるで──待っていればそのうち『彼』が戻ってくると期待しているみたいに。

「……なんで」

 と──いつ終わるかもわからなかった沈黙を唐突に破ったのはウィザード先輩だった。

「なんで楽土を忘れるんだよ。そんなこと、あるわけないじゃないか」

「先輩……」

「なんでだよ。おかしいだろ。そんなめちゃくちゃがあるわけない」

 膝の上で組まれたウィザード先輩の両手ががくがく震えている。

「なんだよこれ。なんだよこれ、なんだよこれ、なんだよこれ、なんだよこれ……!」

「ウィザード!」

 震えはどんどん激しくなり、ついには椅子から転げ落ちて床にうずくまったウィザード先輩をプリンス先輩が助け起こす。ウィザード先輩の顔は今にも気絶しそうなほど真っ青になっていた。

「なんで、なんで、なんで、なんでこんな……!」

「ウィザード、落ち着くんだ、ウィザード!」

「落ち着けるわけないだろッ!?」

「っ!」

 ウィザード先輩に怒鳴られ、プリンス先輩が肩をびくりと竦めた。

「楽土だぞ!? あの黄堂楽土を、どうしてみんな綺麗さっぱり忘れてるんだよ! あいつ、あんな奴、地球がひっくり返ったって忘れるわけないのに……!」

 そうだ、キング先輩──こうして『思い出して』みればどうして今の今まで忘れていたのか不思議なくらい派手で印象的な人だった。馬鹿で、全裸で、子供っぽくて、いつも笑っていて、そのくせ案外頼れる人。なのに、どうして?

「なんで、なんでだよ……!?」

「……原因は、わかりきってるんじゃないですか?」

「!」

 ビースト先輩の言葉にウィザード先輩が硬直する。

「ど、どういう意味かな……?」

「決まっています。『確かにいたはずなのに、みんな綺麗さっぱり忘れている』――呆れるくらいに大神君の一件とそっくりじゃないですか」

 確かに、人が行方不明になっているのに誰も気づいていなかったなんて、まさしく大神の言っていた通りの状況だった。今ならあやふやすぎる大神の話も共感できる。わたしたちにだって、いつからキング先輩がいなくなっていたのかはっきり思い出せないのだから。

「だったら、もう答えは出ているでしょう。黄堂先輩は大神君の先輩と同じ『なにか』のせいでいなくなったんですよ」

「な……」

 ウィザード先輩が驚きに染まった顔で絶句する。

「なにか、とはなんだ? ビースト」

「さあ? それがわからないから困っているんでしょう? この中に誰かそれを知ってる人がいるというのなら話は別ですけど」

「………………」

 プリンス先輩の手を借り、顔を青ざめさせたまま椅子に戻るウィザード先輩。ビースト先輩もそこまで言ったところで口を閉ざし、再び沈黙が訪れた。

 一体なにが起こっているのだろう。考えても無駄に思えるくらいわたしたちにはなにもわからなかった。なにかの陰謀だとか、幽霊や呪いの類とか宇宙人がどうとか、そんな不真面目な当てずっぽうをする方が現実的にすら思えてきて。ただ、大神の先輩の失踪というどこか遠くの出来事のように思っていた非日常に、気づかないうちにいつのまにか巻き込まれてしまっていたことが怖くて仕方がなかった。

「私たちにできることは」

 プリンス先輩が重々しく口を開く。

「このまま大神くんの依頼を続行することだけだ――キングも同じなにかが原因で失踪したのだとしたら、尚更この依頼を投げ出すわけにはいかない。調査次第ではキングの安否もわかるかもしれないからな」

「深入りする気ですか? 余計な藪蛇をすれば僕たちにまで危険が及ぶかも」

「もちろん、嫌だというのなら無理強いはしない。危険だと思ったらいつでも引いてくれて構わない。だが――キングは必ず、部長であるこの私が責任をもって安否を確かめると約束しよう」

 絞り出すようなプリンス先輩の声に、ビースト先輩は苦虫をかみつぶしてため息をついた。

「……そんなふうに言われて引き下がれるわけないでしょう。さすがにそこまで冷血じゃありませんよ」

「ビースト……!」

「それで……貴方はどうするんです? 白島君」

 と、ビースト先輩に問いかけられたスワン先輩が粘土をいじる手を止めた。

「………………」

「うむ、どうやら異論はないようだな」

「青星君じゃなくて白島君に訊いているんですけどね。反対意見がないのなら別に構いませんが」

 スワン先輩は結局何も語らないまま粘土彫刻に戻ってしまった。まあ、スワン先輩は止める時はちゃんと止めてくれる人だから、きっと大丈夫だと判断したのだろう。

「ウィザード、きみはどうだ?」

「オレは……」

 ウィザード先輩はまだ震えが収まらない身体を抱きながら、迷うように視線を彷徨わせていた。

「この場で一番つらいのはきみだろう。だから、返答を急かしはしない。まず心の整理がついてから、是か否かを答えてくれ」

「……うん」

 先輩は力なく頷いた。まさかあの如才ないウィザード先輩がここまで取り乱すなんて……やはりキング先輩とはわたしが想像する以上に深い付き合いだったのだろう。

「灰庭さん、貴女はどうなんです?」

 そんなことを考えている最中にビースト先輩に話を振られ、わたしは泡を食う羽目になった。

「あ!? え、えっと……」

 どう、だろう……? そもそも何もかも現実感が薄すぎて、どう考えればいいのかわからない、というのが本音だった。確かなのはキング先輩がいなくなっていて、わたしたちもそれに気づいていなかったということだけで、キング先輩が消えた原因だとか、大神の先輩との関連性だとか言われてもぴんとこない。まして、危険だなんて言われても……。

「い、いいんじゃないですか?」

 とっさに出たのはそんなぼんやりとした答えだった。ビースト先輩が呆れた目を向けてくる。

「まるで他人事みたいな態度ですねえ」

「ま、まあまあ。混乱している頭に結論を急かすのは良くないと言っているだろう?」

「ふん……」

 『それでいいのか』と言わんばかりに見つめてくるビースト先輩。だって、急にそんなこと言われても……。

「知りませんよ。なにがあっても、僕らは責任を持てませんから」

「なんかやけに心配性ですね、今日の先輩。なにがそんなに不安なんですか?」

「………………」

 なんか……変な感じ。わたしがなんとなく言っただけの一言で黙り込んだビースト先輩は、いつもらしくないように見えた。

「では諸君。各自の意思も確認できたことだ、今日はそろそろ解散しよう」

 プリンス先輩が咳払いして言った。

「今日だけで衝撃的なことを沢山体験しすぎた。閉校時間までは少し早いが、みんな家に帰って休んでくれ。問題は山積みだが、どれも一朝一夕で解決できるようなことじゃない。どうか思い悩まず、自分の心身を優先し自愛してほしい」

 ウィザード先輩に言い聞かせるようなその言葉は、しかしはたして届いたのか。当の本人の顔は青ざめたまま、曖昧に頷くだけだった。



 2



「人が突然消える? あ、それって『東京ローズシリーズ』の話!? 霧の夜に失踪する人々、謎のラジオ放送から聴こえる美女の声、異世界でしか使えない異能力……もう設定からしてロマンの塊だよね! でもやっぱり私が惹かれるのはマキトくんと愛葉ちゃんの切ない恋で…………え、違う? あ、え、えっとその……い、今の忘れてーっ!?」

 翌日、人が失踪する話に心当たりはないか、と八木さんに聞いてみたところ、なんだかよくわからない話をマシンガントークで聞かされた。前々からうっすら感じ取ってはいたけれど、八木さんってもしかして……。

「え、えっと……そういう噂話がないかってことだよね? うーん……」

 八木さんは少し考え、思い出したように言った。

「ちょっと違うかもしれないけど、『白い絵本』ってそんな感じじゃなかったっけ?」

「あの七不思議の?」

 少し前にプリンス先輩と一緒に七不思議の実証をしたとき、そんな話をしたんだっけ。えっと、確か……。

「なんでも願いが叶うけど、代償に使った人が消えちゃう……だったっけ?」

「うん。やっぱりちょっと違うかな?」

 そういえばあの七不思議、やけに人が消えたりいなくなるような話が多かったような。でも、どれもこれもみんなデマっぽかったしなあ……。ウィザード先輩があんな状態だから少しでも自分で調べてみようと思ったけど、わたしの交友関係の狭さではやはり上手くいかない。

「ごめん、あんまり役立ちそうな話じゃなくて……」

「ううん、こっちこそいきなり変なこと聞いてごめん。ありがとうね」

 お礼を言うと、八木さんはきょろきょろ周りを見回してから神妙な顔つきになった。

「どうしたの?」

「あのね、お願いなんだけど……最初にしちゃった話はみんなには内緒にしてね?」

 …………そうだね……。

 八木さんの暴走はさておき、改めて七不思議のことを考えながら部室に向かう。第一美術室に向かう道はいつも通りひと気がない。

「……あれ?」

 ひと気がないのは部室もだった。

 普段ならばわたしよりも先にウィザード先輩やスワン先輩が来ていてお茶の準備なりデッサンなりをしているはずなのに、今日に限ってはどういうわけか誰もいない。もぬけの殻の部室にひとり佇んでいると、昨日ビースト先輩に言われたことを思い出して嫌なことを考えてしまう。

「ま、まさか……!?」

「おお、シンデレラ! もう来ていたのか! きみの真面目さ勤勉さには私も頭を下げざるをえないな!」

 そんな予感は背後からの能天気な声に即座にぶち壊された。

「プリンス先輩……」

「む、どうしたんだそんな沈んだ顔をして。もっと私の美しい顔を見て気分を上げてくれ!」

 プリンス先輩の馬鹿みたいなナルシー発言にほっとしてしまう日が来るなんて。でも、他の先輩たちはどうしたんだろう?

「うむ、その件なのだが……ウィザードには大事を取って休ませることにしたのだ」

 訊ねてみると、プリンス先輩は真面目な顔になった。

「大切な友人が行方不明になった悲しみが一日二日で癒せるはずがない。きっと気丈に振舞おうとするだろうが、そのために無理をされるのはこちらとしても辛い。心の整理がつくまではしっかり休んでほしいのだ」

 と、しっかりした口調で真っ当なことを言うプリンス先輩に、わたしは正直驚きを隠せなかった。

「スワンは画商との打ち合わせで欠席、ビーストは演劇部の用事で少し遅れるそうだ。今日も仲間は少ないが、気を抜かずに……うん、どうした? 変な顔をして」

「いや……プリンス先輩、ちゃんと部長らしいこともできるんだなって」

「どういう意味だそれはっ!?」

 うっかり失礼な物言いをしてしまった。だって、普段スケジューリングとか来客応対とかまとめ役っぽいことをしてるのはウィザード先輩だし。

「た、確かにウィザードの優秀さは私も尊敬しているところだが、私とてまったくなにもできないわけじゃないんだぞ!? そも、この部の創始者はほかならぬこの私だ!」

 顔を真っ赤にして主張するプリンス先輩には、やっぱり部長らしさはなかったけど。

「私だってその気になればお茶だってちゃんと用意できるんだぞ! ええい、ケトルはどこだ!?」

「慣れないことをするのはやめてください」

 またお湯を手にかけられたらたまらない。とはいえ、飲み物がなにもないというのも寂しかったので、ウィザード先輩が以前用意していた部室備え付けのミニ冷蔵庫から牛乳とペットボトル紅茶を出して飲むことにした。

「……私はそんなに頼りないのか?」

 腰を落ち着け、牛乳で喉を湿らせてから、プリンス先輩がぽつりと呟いた。

「きみの目から見て、私は部長として不適格なのか?」

「それは……」

 正直に話せば、とてもまとめ役に向いているとは言えないけれど。

「いや……お世辞を言う必要はない。わかっているんだ。私とて、きちんと部長としての役目が果たせているだなんて思っていない」

 と――静かな声で言うプリンス先輩の顔は、いつにないほど沈んでいた。

「キングの不在に気づけず、普段頼りきりのウィザードを励ますことも出来ず……こんな有様では『王子様』への道のりは遠すぎる」

「王子様……」

 王子様――プリンス。

「なんで、プリンス先輩は『王子様』なんか目指してるんですか?」

 わたしは前々からずっと気になっていた疑問をついに口に出した。

「うん……?」

「だってもう高校生なのに、王子様なんてちょっと無理があるんじゃないですか? そりゃあ確かに、先輩の顔は王子様みたいですけど……」

 まさか顔だけで王子様になんてなれるわけがない。というか、そもそもプリンス先輩が目指す『王子様』ってなんなんだろう? 国や地域のそれじゃないことはわかるけど。

「……笑わずに聞いてくれるか?」

 すると、プリンス先輩はそんなことを言いだした。

「先輩の言うことにいちいち笑ってたら今頃お腹がよじれて死んじゃってますよ」

「ははは、それもそうだな。……どういう意味だ!?」

 からかわれたことに気づいたプリンス先輩がごほんと咳払いして続けた。

「私にとっての王子様は……なんというのか、すべてを解決できるヒーローのような存在なんだ。虐げられる女の子や呪いに苦しむお姫様を助け、悪しき輩を退治し、優しく善良な人たちを幸福に導く理想の人間。そんな人がいたら、きっともっと世界は美しくなるだろう?」

「………………」

 理想のヒーロー。でも……。

「そんな人、いないじゃないですか」

「ああ。だから私がなるんだ」

 強い口調で断言する。

「昔、私のことを王子様のようだと言ってくれた人がいたんだ。取り柄も特技もなにもない、見てくれだけしかない私のことを必要だと言ってくれた人がいた。だから……私はその人に報いたい。見た目も心も、もちろん振る舞いも完璧な王子様になって、彼女の言葉を本当のことにしたいんだ」

「その人のこと、好きだったんですか?」

 懐かしげな言葉の中にそんな声音が混じっているような気がして、なんとなく聞いてみる。

「ああ、そうかもしれない。でも、もう昔の話だ。今はもう、その人の顔すら思い出せない」

「そう、ですか……」

 そう聞いて、少しだけほっとしたのはなぜだろう? 照れくさそうに目を細めるプリンス先輩の顔がいつもより眩しく見えた。

「美学部を作ったのもより良く『王子様』を目指す為だ。なんといっても人助けはヒーローの基本だからな! それがいつのまにやらスワンやビースト、キングやウィザードやきみ、沢山の仲間に出会うことができた。私は本当に恵まれている。だから、皆のためにも私は……」

 そこでプリンス先輩の言葉が途切れる。キング先輩やウィザード先輩のことを思い出したのだろう、表情が再び沈んでしまった。

「やはり、私は……」

「やっほー美学部! 遊びに来てあげたわよっ!」

 プリンス先輩の言葉を遮るように、突然部室の扉が開かれる。

「さあ、宇宙に轟く神アイドルことマチルダちゃんの来訪に歓喜号泣喝采乱舞しなさい! ……って、このなによこのお葬式ムード!? なにしてんのアンタたち!?」

 あなたこそ一体なにをしているんでしょうか。

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