11 そしてだれかがいなくなる ①

 おれは見た。

 おれがいなくとも何事もなく回っている世界を見た。

 だったら――おれなんて最初から必要なかったんじゃないのか?



 1



「はー……」

 暇だ。退屈するくらい平和だ。無意識に出た溜め息が拭いていた窓を曇らせる。

「こら、シンデレラ。溜め息なんて景気が悪いぞ。これから来るかもしれない依頼が逃げたらどうするんだ」

「来ないほうがいいでしょう、そんなの」

 口を尖らせるプリンス先輩に、ビースト先輩が台本から目を離さないまま皮肉っぽく言い返した。来ないと暇だけど、来たら来たで大変なんだよね……。

 今日はなんの予定もない平日。先輩たちも特に用事がないらしく全員部室に集まっている。しかし……そんな日に限ってなにも依頼が来ないのだ。スワン先輩やビースト先輩は別件の仕事をこなして暇を潰し、ウィザード先輩も携帯をいじって忙しそうにしているけど、なにもやることがないわたしは普段しない窓掃除まで手を出している始末だ。

「うむ、シンデレラのおかげで我が美学部部室の窓が一段と綺麗になったな! これで我々の美しさも一層際立つというものだ!」

 ……約一名、なにもやっていないのになぜか楽しそうな変な人がいるけれど。

「まあ、確かにちょっと退屈だけど……それだけ平和ってことなんじゃないかな? オレの情報網にも事件とかは引っかかってこないし……」

「素晴らしいことだが、公衆への奉仕を務めとする我々としては複雑なところだな。ところでウィザード、おかわりをくれないか?」

「はいはい。ミルクでいいのかな?」

 なんて、ミルクポットをプリンス先輩のカップに傾けるウィザード先輩。その隣ではビースト先輩が演劇部の台本を読みふけり、テーブルから少し離れたアトリエ部分ではスワン先輩が黙々と粘土彫刻に取り組んでいる。余程集中しているらしく、いつも以上に寡黙で一言も発さない。本当に、特におかしなこともない普通の日だった。

「しかし、なにもしないというのも落ち着かないものだな。どれ、外に出て掃除でもしないか?」

「プーちゃんの場合、外よりもまず部室内を片付けるべきじゃない?」

 わたしが片付けたそばから散らかっていく部室を見ながらウィザード先輩がたしなめる。この顔が綺麗な王子様は、しかし部屋を綺麗にすることが信じられないほど苦手なのだった。

「む、むう……」

「……ん」

 そんななかふと、ビースト先輩が唐突に後ろを振り向いた。

「うん? どうかしたのか?」

「いえ……気のせいでしょう。誰かに見られているような気がして……」

「おい」

 と――そんな日常を終わらせるようにがらりと扉が開いた。

「美学部って言うのはここで良いのかよ?」

「あ、ああ! ようこそ美学部へ――」

 驚き、慌てて振り返ったプリンス先輩が来客の姿を見て硬直する。そこに立っていたのはいかにもな不良。だらしなく着崩した制服にじゃらじゃらつけたアクセサリー、脱色したうえに剃り込みを入れている髪――それなりの名門らしい揺籃にまったく似合わないヤンキースタイルの男子生徒だった。

「ひぃい!? 不良!?」

 明らかに浮いている風貌の男子生徒にプリンス先輩だけでなく他の先輩たちも驚いたようだった。しかし、わたしが驚いたのは彼の外見ではなく。

「……なんでいんの、アホ神!?」

「ああ!? バカガリじゃねえかよ!?」

 彼が懐かしきいまわしき母校押車中といっしょにおさらばしたはずの元同級生だったからだ。



 2



「押車中出身、一年C組。大神羊太おおがみようたくんだよね?」

「それ以外の誰だっていうんだよ」

 ウィザード先輩の確認にアホ神もとい大神はふんぞり返った態度で答えた。

「ちょっと、先輩に対してその態度なに? 真面目に答えなって」

「ああ? なんだよバカガリ、たかだが一つ二つ上ってだけの奴にへーこらしてんじゃねって」

「その呼び方やめろって!」

「え、ええと。シンデレラは彼と知り合いなのかな?」

 咳払いするプリンス先輩にはっとして頬が熱くなる。しまった、こういうノリは中学で卒業したはずだったのに……!

「あ、あの、彼は、その……」

「大神くんとシンちゃんは中学時代の同級生。一年から卒業までずっと一緒だった腐れ縁……だよね?」

 どう説明したものか困っていると、いつものように如才なくウィザード先輩が解説してくれる。その通り、大神とわたしは一年から三年の間ずっと同じクラスだった仲だ。……それ以上でも以下でもなく。

「そ、そうだ! なんであんたが揺籃ここにいんの!? アホでバカでボケのあんたが!」

「受験して受かったからに決まってんだろ! バカガリこそどうやって合格したんだよ!?」

「勉強したからに決まってんでしょーがぁー!」

「……えーと」

「痴話喧嘩はそこまでにしてもらえませんか?」

 ウィザード先輩の苦笑いとビースト先輩の冷たい声で再び我に返る。ああ……せっかく二ヶ月かけて積み上げてきたわたしのイメージが……。

「それで、大神君はどのような用件でこちらへ?」

 不良相手だからかいつもよりイケメンモードが控えめなビースト先輩が仕切り直す。大神は「おう」と横柄な口調で先輩たちをじろりと見まわした。

「美学部はなんでも依頼を聞いてくれるってのは本当なんだよな? 本当になんでも?」

「いや、違うぞ! 我ら美学部はきみのような悪漢の頼み事など――むぎゅう!」

「ええ、まあ。そういう風にとらえていただいて構いません」

 わけのわからないことを言いだそうとしたプリンス先輩の口をふさぎ、ビースト先輩が微笑む。大神のことだから絶対ろくでもないことだと思うんだけど……。

「じゃあ、頼むぜ。あんたらには人を探してほしい」

「人探し、ですか?」

 おう、と頷く大神。

「確かに人探しは得意分野だけど……」

 ウィザード先輩はなにか考え込むように顎を触りながら続きを促す。人探し? あの大神が?

「なるほど、さては自分のシマを荒らした輩を探し出しお礼参りをしようという魂胆だな! おのれ悪漢め、しかしそうはいかないぞ!」

「おいロン毛、ちょっとこのチビ黙らせろ」

「だ、誰がチビだっ!?」

「はい、謹んで」

 自らもロン毛と呼ばれ頬を引きつらせながらも、ビースト先輩は文句ひとつ言わず再びプリンス先輩の口をふさぐ。さすが猫かぶりのプロだ。

「別にお礼参りだなんだって話じゃねえよ。文字通り、人を探し出してほしいんだ」

「消えて……失せた?」

「それ……『行方不明』になった、って解釈でいいのかな」

 ウィザード先輩の顔色が変わる。そ、それって……。

「……刑事事件ならこんな学生の一部活じゃあなく、警察への相談をお勧めしますが」

「るっせえ! サツ公に言って解決するような話だったらこんなとこ来るかよ!」

 ビースト先輩の冷たい言葉にテーブルを叩く大神。い、いや、警察で解決できない話なら尚更うちでも無理だよ……。

「いずれにせよ――我々の持つ力以上の依頼は受けることはできませんよ。警察でも解決できないようなことならば、なおのこと」

「そうだね……オレたちは善意の素人ボランティアみたいなものだから。あんまり過度な期待をされても困るかな」

 先輩たちも同意見のようで、一様に渋い顔をしている。当たり前だ、そんな依頼いくらなんでも受けられるはずがない。大神も予想通りの反応だったのか、悔しげに顔をしかめていた。

「クソっ、そうかよ……あんたらもそうなのかよ……」

「……いや、待ってくれ」

 しかしただ一人――プリンス先輩だけが異を唱えた。

「詳しい話も聞かずに拒絶するのは美しくないぞ。たとえ相手が悪漢であろうと、話はちゃんと最後まで聞くべきじゃあないのか?」

「それは……」

「悪漢、もとい大神くん。きみが一体なにを我々に依頼したいのか、詳細を話してくれないかね」

 そうだ、プリンス先輩はこういう人だった――どんなに馬鹿馬鹿しい話でも、自分の美学に反しない限りは絶対に見捨てない。彼は王子様なのだから。

「……うん、大神、とりあえず言ってみてよ。わたしたちに何ができるかはわからないけど……」

「……………………」

 大神はしばらく沈黙していたが、それでもじっと見つめるプリンス先輩の視線に耐えられなくなったように口を開いた。

「……てめえらは信じられるか? 昨日までは確かにいたはずの人間が、次の日には綺麗さっぱりいなくなっていて……しかも周りの誰もそいつのことを覚えてないんだよ」



 3



 いなくなった人物は大神の先輩――言うまでもなくこの揺籃の生徒らしい。

「覚えていない、とはどういうことだね?」

「まず聞けよ。聞いても信じられねえだろうけどよ」

 大神の言う通り、確かに信じられない話だった。人が一人消失して、その痕跡すらも残っておらず、周りの人間は存在すら忘れてしまっているなんて。

「気づいたのは一週間くらい前だ。先輩と最近全然顔合わさないことに気づいてよ、なにかあったのかって思って教室見に行ったんだ」

「そうして、いなくなってることに気づいた?」

「だけじゃねえ、クラスメイトだったはずの奴らまで変なんだよ! 『そんな奴いたか』だの『知らない』だの……ついこないだまで普通に話してたんじゃねえのかよ!」

 異常に感じた大神は、その先輩がいたことを証明するために出席簿や教室の席や下駄箱や、とにかくその先輩の痕跡が残っているはずのものを探し、調べようとした。しかし。

「ねえんだよ……名前が、どこからも消えちまってるんだ。席はある、下駄箱だってある、出席簿だって先輩の名前が書いてあるはずの欄が残ってる! なのに……名前が消えてるんだ、どこからも! おかしいだろうよ、急にそんな空白ができてたら!? だけどクラスメイトどもも先公も、気にするどころか気づいちゃいねえ! いったいどうなってるんだよ、ええ!?」

「わ、私たちに言われてもだな……」

「こんなの警察に話してみろよ、ヤクでもキメたって思われて終わりだぜ。あんたらが駄目ならもう頼れるとこなんてねえよ!」

 確かに、どう考えたって異常な話だった。……大神の話を素直に信じるならば。

「念の為に訊きますけど」

 と、ビースト先輩がわたしだけに聴こえる声で耳打ちしてくる。

「彼が僕たちを担いでる、って可能性はないんですよね?」

「………………」

 大神は……信用できるかと訊かれたらあまり即答できないタイプの人間だ。自分の利のために嘘をつくような奴ではないけれど、意地っ張りで我が強くてなかなか引っ込まないタチで、見間違いや勘違いもなかなか認めようとしない。良くも悪くも自分の正しさを疑わないタイプなのだ。

「わたしたちをからかうとかそんなんじゃないと思いますけど……あいつが全部正しいことを言ってるかどうかは……」

「ですよねえ。どんな意見であれ、多数派と少数派に別れれば正当性を得られるのは多数派のほうです。十人と一人の主張が違っているのなら、狂っているのは一人のほうだ」

 実際にその先輩が本当にいたのかどうか知らないわたしたちには、大神の話はどうしても鵜呑みにはできなかった。変な夢でも見たんじゃないのか、なにか勘違いしたんじゃないか、なんて思わざるをえない。

 ――――だけど。

「――わかった。きみの話を信じよう」

 プリンス先輩はあくまで神妙な顔で頷いた。

「して、きみの依頼はそのいなくなった先輩を探し出すことでいいのかな?」

「おう。それ以外になにがあるんだよ」

 横柄な態度は変わっていないけど、大神はどこか安心したように眉間のしわを緩ませた。

「うむ。ではきみの依頼、確かに承ったぞ。異論はないな? スワン、ビースト、ウィザード、シンデレラ」

「…………」

「はいはい」

「了解だよ」

「わかりました……」

 状況が状況すぎて不安しかないけれど、プリンス先輩の決定にはとりあえず非を挟まないのがこの部の決まりだ。ええい、なるようになれと頷く。

「うん、じゃあ大神くん、調査のために色々訊いておきたいんだけどいいかな?」

 と、ウィザード先輩がメモ帳代わりの携帯を取り出す。

「なんだよ?」

「とりあえず、その先輩の名前とクラス。もし知ってたらその人の住所とか通学ルートとか、他に親しい人がいたりするなら教えてほしいな」

「………………」

「……どうしたの?」

 急に黙り込んだ大神にウィザード先輩の笑顔が引きつる。

「……先輩の名前、オレも思い出せねえんだよ」

「おい!」

 一番大きい声で突っ込んだのはプリンス先輩だった。

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