2 鳴き下手あひると灰被り ①

 おれは話すのが苦手だ。

 昔から得意じゃなかった。他の奴らみたいに上手く話して、自分の意思を伝えることができない。なにか言うたびに変な顔をされたり、思っていたのとは違ったふうにとらえられてしまう。そのほかのことはなんでも他の奴らと変わらないくらいにできたのに、上手く話せないおれは変な奴だと言われるようになった。

 そのうち話すのが嫌になり、別のことで意思を伝えようと思った。たとえば絵なら、言葉が通じない外国の人にだって意味をわからせることができる。話せない分、おれは他の奴らよりずっと上手に絵を描くことができた。おれをばかにした奴らも、おれの絵が上手いと褒めるようになった。

 けれど――どんなに上手に絵が描けたところで、見てもらえなければ意味がない。おれがそれに気づいた時には、昔よりずっと話すのが下手になっていた。



 1



「風紀が乱れています!」

 五月中旬。わたしの個人情報がクラス中に開示されてしまった事件から数日後の放課後。わたしはいつものように部室である第一美術室へと向かった。

 妙にルックスの良い変人ばかりが集まる部、美学部――今更ながら我ながら、どうしてこんな変な部に入ってしまったのだろう。人助けを至上目的にしていると言えば聞こえはいいけれど、露出狂にナルシストに性悪に仮面男、こんな個性豊かすぎる先輩方が動き回ったら当然トラブルが自然発生する。結果当初の目的より、それが原因で起きたトラブルの後始末に追われる羽目になってしまうのだ。……考えてみれば、わたしのときもそうだった。

「今日は何も依頼が来なきゃいいけど……」

 部長・プリンスこと青星先輩が聞いたら怒るか卒倒しそうなことを呟きながら歩いていると、部室からそんな声が聴こえてきた。男しかいない部員の誰とも違う、女子の声だ。

「教室の無許可使用! 度重なるインモラルな活動! 今日という今日は許しません、あなた達には解散してもらいます!」

 そっと覗いてみると、困った顔で応対しているプリンス先輩とウィザード――小角先輩の前に髪をお団子にした女子生徒が仁王立ちしていた。あの腕章って、風紀委員がつけてるやつだったっけ?

「誤解だよ、清木きよきちゃん……」

 トレードマークの帽子をいじりながら苦笑いで言うウィザード先輩。

「部室はちゃんと生徒会から許可をもらってるし、インモラルな活動なんてしてない。あくまで善良な同好会だよ、オレたちは」

「そうだぞ清木くん! あらぬ誤解は私の美しさに免じて許そう、だがインテグラルな活動という発言は訂正するんだ!」

 なんだ、インテグラルな活動って。

 さておき、清木先輩――思い出した、風紀委員長の清木美鈴きよきみすず先輩。少し前の朝の挨拶週間やら私物検査やらで毎日校門に立ち、ルーズな生徒を注意している姿を何度も見た。眼鏡でひっつめ髪、膝丈スカートなんて今時滅多に見ない優等生スタイルの外見の通り、規則や校則に厳しい人のようだった。

「小角先輩は服装規定違反。マフラーはまだしも、帽子やアクセサリー類の着用は校則に反しています」

「うぐっ……」

 清木先輩のキツい視線にウィザード先輩は慌てたように帽子をおさえる。

「青星君は先日、一年生の教室に入って騒ぎを起こしたそうですね? 後輩に迷惑をかけるのは校則以前に人として駄目でしょう。美しさの欠片もありません」

「むぅ……」

 言われた言葉がよほどショックだったのか、しょんぼりした顔で黙り込むプリンス先輩。

「そこの白島君は授業放棄、黄堂先輩は公衆の面前での破廉恥な言動、宍上君は…………と、とにかく、全員が全員駄目駄目です! おまけに、許可を取っていたとしても、借り物の教室を好き放題に使って散らかしっぱなし……これがインモラルでなくてなんだと言うのですか!?」

 部室のあちこちに散らばった紙片やら脱ぎ捨てられたままの服(!?)を指差し指摘する。……ぐうの音も出ない。うん、確かにこの部、色んな意味で駄目な人ばっかりだ……。

「こんな常識外れの部に新入生を、それも女子を入部させるなんて……! ありえません、許せません、見逃せません! 今度という今度は……!」

「誰が何を見逃せないんです?」

 と、後ろから声がした。いつの間にか来ていたビースト先輩がわたしを避けて部室に入ると、思わず見とれそうなほど軽やかな足取りで清木先輩の元へ歩いていく。

「なっ……宍上君!」

「最近なかなか会えないと思ったら、会いに来てくれたんですね。嬉しいな、僕も寂しかったんです」

 なんて言いながら距離を詰め、さりげなく清木先輩の肩に触れるビースト先輩。その顔はいつも見る不機嫌顔とはまったく違う、優しい笑顔……!?

「会いになんて……ちょっと、どこに触ってるんですか!?」

「そんなに眉を吊り上げないで。可愛い顔が台無しだ」

 ビースト先輩はさっと赤くなった清木先輩の顔に手を伸ばす。眼鏡を取られた清木先輩の顔は確かに美人だった。

「か、返して!」

「いいじゃないですか、もう少しだけ。もう少しだけ、あなたを……」

 わたわた焦る清木先輩に対し、かつてないほど爽やかに微笑むビースト先輩。……この人、こんなにイケメンだったっけ!? 心なしか二人の間になにかキラキラした粒子が飛んでるような気がするし……。

 ……っていうかなに、この状況!?

「二年A組の清木美鈴みすずちゃん。風紀委員長で、その……前にちょっと色々あって、うちを気に入ってないみたいなんだよね。礼儀正しいし優しいし、とっても良い子なんだけど……」

 二人だけの世界に入ってしまったビースト先輩達に戸惑っていると、ウィザード先輩が手招きして中に入れてくれた。

「ビーくん、女の子の相手得意でしょ? 清木ちゃんのことでなにか困ったら彼を頼るといいよ」

 女の子の相手が得意って……少女漫画みたいなキラキライケメンオーラを放ったり謎の粒子飛ばしたりは得意どころの話じゃないと思うけど……。

「……も、もう! やめてくださいって言ってるでしょう!?」

 と、ついには耳まで真っ赤になった清木先輩が無理矢理眼鏡を奪い返す。

「今日のところは見逃します! 次はありませんからね!?」

 負け惜しみ全開の捨て台詞を吐きながらビースト先輩のゾーンを脱出し大急ぎで走り去る清木先輩。そして彼女がいなくなった途端、キラキライケメンだったビースト先輩の表情がすっといつもの不機嫌顔に戻った。

「……まったく、くだらないことで呼び出さないでくださいよ」

「ごめんごめん、さすがの名演だったよ」

 謝りながら後ろ手に隠し持っていたスマホをポケットにしまうウィザード先輩にふん、と溜め息をつき、ビースト先輩は出て行こうとする。

「今日は演劇部のほうに行くんだ?」

「あっちも新入生が入って忙しい時期ですからね。夏の予選に向けて準備もあるそうで」

「きみがいるんだ、全国出場は間違いなしだろうな! 私たちも是非ともきみの勇姿を見に行くぞ!」

「まだ演目も決まってないんですけどねえ」

 そっか、ビースト先輩――宍上先輩は演劇部にも所属してるんだったっけ。口も性根も極悪で最悪だけど、容姿と演劇の才能に恵まれた彼のファンはかなりいるらしい。こっちでの言動を知ってたらとてもファンにはならないと思うけど。

「それにしても、良いご身分じゃないですか。部長と先輩が困ってるのに自分だけ知らん顔してお絵かきだなんて」

 嫌味っぽく言いながら振り向いたビースト先輩の視線の先には――『美学部』部室として大胆に改装された第一美術室で辛うじて原型をとどめている一角、そこで黙々とデッサンしているスワン先輩だった。

「清木の対処はおれの管轄外だ」

「へえ、じゃああなたの管轄ってなんなんです? ご自慢の作品と一緒に置物になることですか?」

 鉛筆を握ったままぶっきらぼうに答えたスワン先輩に蔑んだ口調で言い放つビースト先輩。さすがにこの言葉にはむっとしたようで、スワン先輩は仮面の下からビースト先輩を強く睨みつけた。ぴりぴりと嫌な空気が二人の間に流れる。

「ま、まあまあ! ビーくんもスーくんも、さ!? 灰庭ちゃんの前では喧嘩しないって約束したでしょ!?」

「そうだぞ! 仲良きことは美しきかな、だ!」

「……はいはい」

 慌てて割って入ったウィザード、プリンス両先輩に適当な相槌を打つと、ビースト先輩はもう一度スワン先輩に見下した視線を送ってから出て行った。スワン先輩が小さく舌打ちする。

「気にしなくていいぞスワン。人には向き不向きというものがあるからな!」

「プーちゃんはフォロー下手なんだから余計なこと言わないでね……?」

「………………」

 スワン先輩は何も言わずにデッサンを再開した。せっかく先輩達が気遣ってくれたのに……ビースト先輩に同意するわけじゃないけど、態度悪いなあ……。

「ごめんね、灰庭ちゃん。ずっと立ちっぱで疲れたでしょ? 紅茶飲む?」

 いつの間に入れたのかティーカップを手にしながらソファに手招きしてくれるウィザード先輩。

「ありがとうございます……」

 甘い紅茶とジンジャークッキー、あっという間にテーブルにティーセットが揃えられている。相変わらず如才ない。

「む、そういえば大事なことを忘れていたな」

 プリンス先輩がクッキーを手に牛乳を飲みながら言う。

「なにかあったっけ?」

「灰庭くんのコードネームだ。せっかく入部したのに一人だけ仲間外れはかわいそうだろう?」

「こ、コードネームですか……?」

 そういえばどうしてコードネームなんかつけてるんだろう。それもスワンだとかキングだとか微妙に間の抜けた、ぶっちゃけダサいセンスの。

「もちろん、そのほうが美しいからだ!」

 答えになってない。

「まさか、自分が『プリンス』って名乗りたいからってだけじゃ……」

「ぎくっ!? ……ご、ごほん! とにかく、灰庭くんのコードネームを決めようじゃないか!」

 そういえばこの人、自分を初対面の女子と見比べて美しいと言い切る超絶ドナルシーだったっけ……。

「プーちゃんのネーミングセンスはなんていうか独特だからね……『絶対やだ!』って思ったら抗議していいよ?」

 慰めるように言いながらプリンス先輩のカップにミルクを注ぎ足すウィザード先輩。『おづの』で『魔法使い』、『白島』で『ハクチョウ』よりひどいネーミングってあるのだろうか……?

「ううむ、灰庭くんは女の子だから……『プリンセス』というのはどうだろう?」

「いやです」

「ないなあ……」

「駄目だ」

「なぜだ!?」

 図らずも先輩たちと声をハモらせて否定してしまった。あいにくわたしは名前負けしたコードネームを名乗れるほどナルシストレベルが高くない。プリンス先輩みたいに名前にぴったりマッチしている美貌を持っているならまだしも違うかもしれないけれど。

「むうう、ならばどんな名前ならいいんだ!? 灰庭くん、ハイバ、ハイパー……」

「いっそつけない方向でお願いしたいんですけど」

 ぶつぶつ呟きながら歩き回る馬鹿――もといプリンス先輩をどう止めようか悩んでいると、ふいにどこかからスマホの通知音が鳴った。

「あっ、ごめんオレのだ。誰だろ……?」

 再びスマホを取り出し通知を確認すると、ウィザード先輩は驚いた顔をしてそのまま誰かに電話をかけた。スピーカーモードにしたらしく、コール音がこちらまで聴こえてくる。

「……楽土、やっとメールのやり方覚えてくれたんだ!?」

『ああ、日々成長し続ける俺を全身全霊で称えるがいい! そして俺の話を聞け』

 なんかいきなりコント始めたんだけどこの二人。

「遅いじゃないかキング。いったいどうしたんだ?」

「あ、そうだった……どうしたんだよ? あんなメール」

 プリンス先輩の発言に我に返ったウィザード先輩はコントモードから立ち返る。

『どうした、は俺が言いたい。風紀委員の……美鈴とかいったか? そっちに行く途中で向かいからあいつが来たんだが……美鈴の奴、俺の顔を見た途端卒倒したんだ』

「なんだって!?」

 卒倒って……貧血でも起こしたのだろうか? しかしウィザード先輩は呆れたように顔をひきつらせた。

「楽土。まさかとは思うけど、お前の今の格好……」

『いつも通り生まれたままの美しさネイキッド・スタイルを三千世界に発信しているが?』

「十中八九そのせいだよ! 全裸だよ!」

 ……ストリーキング常習犯、揺籃学園の奇行師。学校だろうが野外だろうが公衆の面前だろうが平気で服を脱いで裸になるド変態がキングこと黄堂先輩なのだった。あの見るからにお堅い清木先輩が校内を全裸で闊歩する変態と出くわしたら気絶するのも当然と言えた。

「ああもう! すぐそっち行くから楽土はまず服を着て!?」

『なぜだ?』

「そこで疑問を持たないで!? 気絶した女の子と全裸の男なんて組み合わせ、絶対変な誤解されるだろ!?」

『ハハハ、俺はこの筋肉に誓って潔白だ』

「わかってるから服を着ろーっ!」

 叫んで電話を切ると、ウィザード先輩は同情したくなるほど深いため息をついた。

「……プーちゃん」

「ああ、キングと清木くんを助けに行こう。スワンと灰庭くんはここで待っていてくれ」

 と、キング先輩救出に向けて部室を出る二人――って、ちょっと待って!?

「あ、あの! わたしも――」

「灰庭ちゃんはここにいて。入って昨日の今日なのに裸の楽土と一緒にいるとこ見られて変なふうに思われたら嫌でしょ?」

 ……ぐうの音も出ない。プー先輩の大暴れのせいでクラス内のわたしの立ち位置がよくわからないことになってるのに、この上変態の同類だと思われてしまったら……口を閉ざしたわたしにウィザード先輩は優しく微笑む。

「大丈夫、こっちはいつものことだからすぐ終わるよ。クッキーもいっぱいあるし、ちょっとのんびり息抜きしてな?」

「で、でも……」

「心配ありがとう! きみの心の美しさにまた一つ感服したぞ!」

 わたしの言葉を聞かず行ってしまう二人。ああ……行かないで……。先輩達が気遣ってくれているのはよくわかるし、断るどころか二つ返事で了承したいところだったけど……しかし実際、二人にいなくなられるのはすごく、とんでもなく困る。

「……スワン先輩」

「………………」

 だって――スワン先輩と二人きりになってしまうから。

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