24時間テレビ

今日は僕の経験というよりは、僕自身の意見をこの場で語りたいと思う。



24時間テレビの障がい者をあつかった企画が「感動ポルノ」と揶揄されている。


僕はこの企画で感動する人がいるならそれはそれでいいと思う。


NHKの裏番組でも取り上げていたが、やはり人は自分より恵まれていない人を見つけて安心し、その人が頑張ってるから私も頑張ろうとか思う生き物だと思うから。


でもやはり、テレビを見ている障がい者はいい気分にはならないだろう。


彼らは彼らなりに幸せを求めて普通に生活しているだけで、健常者に勝手に「かわいそう」なんて思われたら、ふざけるなという気持ちになるに違いない。


このエッセイで僕も何度か言っているが、何もわかってない奴に勝手に同情されるのは本当に腹が立つものがある。


もちろんテレビに出演している障がい者の方たちは望んでメディアに取り上げられている(もしかしたら親や局に無理やり強要されている人もいるかもしれないが)


その人たちは自分の頑張りがテレビを通じて放送されることを望んでいるんだから、それで見ている人に勇気を与えることができたら、喜びを感じる人もいるだろう。


でも、あの番組を見ただけで、健常者が障がい者を見る目が本当に変わるだろうか?


最近、教職を取っている知り合いが言っていた言葉を思い出す。


「『感動』っていうのはあくまで一過性のもの。生徒の印象に残る授業をするには『感動』があるだけじゃダメなんだ」


この番組の企画もまさにそれではないだろうか。


僕が思うに大抵の人は番組を見て感動し、あたかも障がい者についての理解を深めた気持ちになっているのだろう。


しかし、例えば数か月もして、実際に電車で騒いでいる障がい者がいたら、どうせ冷たい視線を送る人が大抵だと思う。


障がい者を弟に持つ僕でさえ、普通の人よりかは障がい者に理解があるというだけで、彼らの本当の気持ちや考えはわからないのに、あの番組を見ただけで普通の人が簡単に理解することなんてできないはずだ。


そもそも、実際同じ立場にならないと相手を本当の意味で理解することなんて無理だと僕は思う。


テレビ局だって数字を稼ぎたいし、金も稼ぎたい。


だから、みんなが感動しそうな、また物議をかもして話題になりそうな企画をするのはビジネスとしては当然の考えだろう。


色々な意見が人それぞれあっていいと思うし、24時間テレビを一概に「偽善だ」「差別だ」と決めつけることはできない。


ただ、僕は個人的にあまりこの企画は好きではないのは事実。


ただ単純に面白くも何ともないし、これを見て障がい者を知ったつもりになっている健常者を見るのも不快だから。


不快に思う健常者がいて、感動する健常者がいる。


不快に思う障がい者がいて、テレビに出たいと思う障がい者がいる。


皆が不快に感じない番組を作るのは難しいことだろう。


僕はこのエッセイを通じて、障がい者について理解を深めてもらおうとか、感動してもらいたいとかいう、そんな大それた気持ちはさらさらない。


このエッセイは趣味で気ままに書いているだけ。


もし僕と同じような境遇の人がいれば、「こういう気持ちになるのは自分だけじゃないんだ」と思ってくれてもいいし、健常者の方がこれを見て気持ち悪いと思ったならそれはそれで一向にかまわない。


何を感じるかはその人次第なんだから、僕が強要することではない。


「弟をそんな風に見ているなんてひどい」と言われようが、これは編集して綺麗ごとを並べたテレビ番組じゃなくて、エッセイなんだから、僕は綺麗ごと抜きで、自分の素直な気持ちを淡々と書いていきたいと思う。

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