第24話再会 四

 待ちに待った休日、私は始発の電車に乗った。

 例の病院に辿り着いたが、午前六時に患者への面会が叶うはずがない。

 仕方がないので、自動販売機で飲み物を購入し、外来の患者が現れるまで、駅の待合室から眺めて待機した。

 最初の患者が現れると、私は即座に病院の入り口へ向かった。二番目の外来者になったのだ。

 入り口で私の前に立っているのは、高齢の女性だった。酷く腰が曲がり、ほのかに土の臭いがするので、農家ではないかと尋ねてみた。すると女性は、自分が作っている野菜の自慢話を始めた。

 興味のないことを聞かされたけれど、私は人の良さを顔に出し、適当に相槌を打った。

 女性は野菜よりも、その態度が嬉しかったのか、ついに私自身のことを尋ねてきた。

 「面会に来たんです。生き別れの母がこちらにお世話になっていると聞いて、会えると良いなと思って……」

 俯いて答えると、女性は感極まって涙した。

 「会えるさ。子を想わない親なんているもんか。特にあんた、べっぴんさんだから、そりゃあもう、驚くだろうさ。成長したなって」

 「そうだと良いのですが」

 「いいや、間違いない! 母親は子どもが一番大事なんだから」

 女性は首を縦に大きく振り、片手で拳を握った。譲らない主張だった。

 残念ながら、という反論が喉まで昇ってきたが、私はそれを飲み込み胃へと送り返す。

 歳を重ねるほど、人は頑固になり己の意見を譲りたがらなくなる。ここは介護士としての経験に従い、恥ずかしそうに笑ってみせた。

 すると女性は満足したのか、最近の天気や物価の上昇など一般的な世間話が、入り口が開くまで続いた。

 診察時間が始まると、私と女性を含め、私の後ろに並んでいた大勢の人が一斉に受付に駆け付けた。

 あくまで善人を装っているので、私の面会希望を自主的に後回しにした。また、患者を優先するという、介護士のプライドまで捨てることはできなかった。

 受付開始から一時間後、ようやく私はメンカイヲ申し込んだ。

 私とあの女の姓が違うことで関係を尋ねられたが、今朝の女性と同じように説明すると、簡単に面会の許可を得た。

 このとき外来患者の数で看護師が多忙だったので、受付で教えられた病室へ、私一人で向かった。

 エレベーターで三階に上ると、開いた扉からナースステーションが見えた。

 その隣に、三〇一号室がある。番号の下には、確かに町田涼子と書かれている。

 何一つ躊躇うことなく、思い切り扉を開いた。

 するとそこにはーー。

 確かに、当時の面影が残っていた。けれど、化粧をせず入院用の浴衣を着たあの女は、十数年前の派手で若作りした顔が、今では疲弊し、五十代前半に見えない。何かしらを患い、介護施設に入居したての六十代と大して変わらない。

 そして、二本の浴衣の袖が旗のように垂れ下がっている。

 「……笑っても良いのよ? まだ子どもだったあんたを捨てた罰だとでも思ってさ」

 女は片方の口角が上がり、醜くなった自分自身を嘲笑っている。反省など、していないくせに。

 私は殴りたい気持ちを抑え、女のベッドに近付いた。

 「笑わないよ」

 女は自分の耳までもおかしくなったのかと、頸を振り子のように左右に傾けた。両腕がない今、自分で調べるには、それしか方法がなかったのだ。

 「……あんた、自分が一体何を言っているのか、分かっているの?」

 「もちろん。だって私、今介護士として働いているし」

 私の職業を明かすと、女は目を見開いた。

 「嘘でしょ? だって、あんたの……」

 「私の『何』?」

 「えっ、あ、いや」

 女は酷く動揺した。やはり父の死を知っているのだ。

 計画が完遂する前に離婚したが、田川夫妻と、父の毒殺、遺産獲得を企んでいた。

 途中でそれを放棄したが、女は父の死期を予測していたのだろうか。もしくは弁護士の吉田さんが、私よりも先にこの女に面会したのかもしれない。

 どちらにしろ、父の死がトラウマとなり、私が介護士にだけはならないと思っていたようだ。

 とんでもない、むしその逆だ。心の内部で、漏れぬ声が響いた。

 「ねえ、ところでさ……」

 十数年ぶりの会話であっても、私が名前で呼ばれることも、女を母と呼ぶこともなかった。物理的な距離は縮んでも、心は相変わらず別々の世界にある。

 それでも女は、私の提案を二つ返事で受け入れた。

 私はその後ナースステーションに向かい、看護師長との交渉を求めた。

 事情を説明すると、看護師長は担当医に相談し、了承を得たら紹介状を発行すると答えた。

 私の連絡先と職場を教え、病院での一日が終わった。

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