第13話 月夜にて

 外は結構寒かったので、寝間着の上にショールを羽織っただけで出てきたことを私はすぐに悔やんだ。でも、服を取りに戻ったんじゃ格好悪いので、そのままで行くことにした。

 夜空に雲は少なく、満月の光の中で星が薄っすらと見えた。農場へと続く道は青く照らされ、ランプなしでも十分なほどだ。


 私は厩に向かい、寝ていた馬を起こした。少し不機嫌そうだったけど、首を撫でてなんとかなだめて乗って出発。

 行先はどこだって構わなかった。

 冷たい夜風に駆けだせば、寝るとき用にゆるく編んでいた髪が肩ではねる。最初のうちは手先が凍え顔が冷たかったけど、だんだん体も暖まってきた。


 どうしたら、私はあの男を見返してやれるのだろう?

 私にとってはこの村で起きてる殺人事件の真相なんてどうでもよかった。誰が死のうと、誰が犯人だろうと関係ない。私はただ、ギィ・デュバルという男に自分を認めさせたかった。

 でも、残念ながら私は未熟で馬鹿で弱くて、何をとっても半端な人間だった。


 どうしようもないので適当に馬を走らせていると、森の奥に光がぼんやりと見えた。

 あれは焚き木、かな? こんな時間に誰だろう。

 私は馬の速度を落として森に入り、光に向かって進んだ。黒く影になって並ぶ木々にぶつからないように慎重に、目をこらした。

 光が近づく。やっぱりその正体は焚き木で、そばには人の気配がした。

 私は馬から降りて、歩いて近づいた。人影は、ちょうど森が部分的に開けたところにいるようだった。もしかして犯人じゃ、という不安がちょっとだけ頭に浮かぶ。


 だけど、火の前で膝を抱えて座っていたのは、私の一応知っている男、イサイアス・シャーウッドだった。


「あれ、アイオンさんじゃないですか。どうかしましたか?」

イサイアスは私の存在に気付くと、立ち上がって服に着いた砂を払った。

「あなたこそ、こんなとこで何してるのよ」

「僕はただ月を見ようとしてただけですけど。あ、アイオンさん、薄着じゃないですか。風邪ひきますよ」

 イサイアスがコートを脱いだと思ったら、頭上からそれを被せられた。ぶかぶかのコートはほんのりと暖かかい。


「……ありがとう」

 私は小さくお礼を言った。イサイアスはさっさと腰をおろして火にあたっていた。

 隣に座って横を見ると、オレンジ色に照らされた顔は普段と変わらずにこやかだった。

「デュバル氏と喧嘩したんですか?」

 イサイアスはいつも何気なく、初っ端から核心にふれる。遠慮も何もない男だ。

「まあね」

 私は言葉少なく答えた。

「大方、内容は想像つきますけど」

 イサイアスがぼさぼさな黒髪をかきあげ、耳にかけた。からかうような表情が、私をくすぐる。


 私はイサイアスから目をそらすように火を見つめた。パチパチと静かに燃える炎が、私の頬を火照らせる。さっきまでかじかんでいた手足がほかほかと暖かい。

「わたしはギィを傷つけたかったわけじゃない。ただ私は、ギィと対等でありたかっただけなのに」


 私はギィを傷つけても構わないと思っていたし、最終的には傷つけようとした。でもそれは、方法であって目的ではないはずだった。

 どうしてこういう結果になってしまうのだろう?

 私は負けを認めるのも後悔するのも嫌だった。でも自分は間違っていないとも思えない。


「アイオンさんは、どうして普通の女の子じゃ嫌なんですか? 別にデュバル氏に黙って守られるのも悪くないじゃないですか」

 イサイアスはもうすでに答えを知っているように微笑み、私をじっと見た。赤々と燃える焚き木の火が、眼鏡に映る。

 私はしばらく黙っていた。イサイアスも私の答えを何も言わずに待ってくれた。不思議と沈黙は気まずくなかった。

 私はぽつりと答えた。


「……私の兄は殺されたの。ある日、森で頭を撃たれて」

「はい。それで?」


 イサイアスは曖昧に優しい態度で、私の言葉を引きだす。


「誰が殺したのかはわからないけど、私は兄の復讐をするをするって決めたの。だから私は、人を撃てるようになりたい。そして犯人を見つけ出して、きっと殺す」

 気づけば、つぶやきだったはずの言葉はいつの間にかはっきりとした調子になっていた。復讐についてわざわざ自分から人に語ったのは、初めてかもしれなかった。


 駄目だな、私は。イサイアスにはなぜか全部を明かしちゃう。

 私はちらりとイサイアスを見た。気恥ずかしさに、直視はできない。


「そうだったんですね」

 なぜか嬉しそうな、イサイアスの相づち。眼鏡の奥の瞳が、キラリと光った気がした。

「……ちょっと待ってくださいね」

 イサイアスは空を見上げると、砂をかけて焚き木の火を消し始めた。あたりは真っ暗、になるはずだったけど、ちょうど森が開けたところから月がのぞき、やわらかい明かりで周りを照らした。きらきらと光る木々の葉。月はきれいに満ちて冴えわたり、はっきりと空に白く輝いていた。


「ここはこの季節になるとちょうど満月が森のすき間から見えるんです」

 空を見つめるイサイアスの横顔を、月明かりが青白く照らす。

「夏だと月が低くて見えないんですよ」

 イサイアスは小さく私に微笑んだ。

 さりげないイサイアスの言葉に、私はひっかかりを感じた。


 あれ? イサイアスはこの村に来て数日のはずなのに、何でそんなことを知って……。

 私はその時ふと、イサイアスのシャツのボタンが一つ、とれていることに気がついた。他のところには白い四つ穴で金の縁取りがしてある、ちょっと凝ったデザインのボタンが並んでいた。

 このボタン、どこかで見覚えがあるような……。


「まさか……?」


 ささやかな疑問が、確信へと変わる。

 私がそのボタンを見たのは、次男が殺された犯行現場。ボタンを拾った私はそのままその存在を忘れていた。


「やっと気づいてくれましたか、アイオン・バークワースさん」

 イサイアスは私の様子を見て、この瞬間を待ち望んでいたかのようにきらきらした笑顔。

 間違いじゃないんだ、と思った。私はわかっているけどあらためて尋ねる。


「もしかして、あなたが犯人?」


「そうです。僕が犯人です」


 ずっと何も変わらないイサイアスの声。だけど今までとは全然違って聞こえた。

 でもおかしいな。犯人が目の前にいるのに、怖くない。


 私は信じたくないというよりは、どこかで納得した気持ちで、イサイアスを見つめた。

「あなたは昔、この村にいたんだね。だからこの場所のことも知っていた」

 イサイアスは少し遠い目になって、過去を語りだした。

「ええ。僕はこの村に子供のころ住んでいました。父と母は東欧からの移民で、貧しいけれども新天地での生活を愛していました。でも、コールリッジ牧場は両親を歓迎しませんでした」


 移民たちのつくったこの国は一応、自由と平等の国であるはずだった。でも、現実には移民の国だからこその対立や争いがたくさんある。東欧系の移民は一番最後にこの国にやってきた人たちだから、最初のほうからいるアングロサクソン系の住民に差別されがちだ。


「僕の父は適当に我慢すればいいのに、それができない人だったみたいですね。コールリッジ牧場の不当な妨害に抗議して、母と一緒に殺されました」

 イサイアスは自分の両親の話だというのに、客観的な姿勢を崩さない。そこが逆に不気味だった。

「この村の人たちは何も言いませんでしたし、何もしませんでしたよ。僕の両親が殺されても」


 イサイアスは一瞬黙ると、空を見上げた。

「でもあの人だけが、トラヴィスだけが、僕たち一家のために戦ってくれたんです。雇われたとはいえ流れ者で、関係ないことのはずなのに」


 そうか、イサイアスはそのトラヴィスって人のことが好きだったんだ。

 私は何も言わずに頬杖をついて座り続け、イサイアスの言葉に耳を傾けた。


「でも、あの人は死んでしまった。撃たれた傷が深くて、ずいぶんあっさりと。彼の死体を埋めたのは僕です。両親も死んでトラヴィスも死んで一人になった僕は、トラヴィスの持っていたお金で東部へ行きました。何とか生活はできましたけど、僕はずっと忘れられませんでした。遠い西部にいる両親と恩人を殺した人間たちのことを」

 イサイアスの丸眼鏡が、月に照らされ暗く輝く。


「僕は両親とトラヴィスの、仇を討ちたいと思いました。あの人のやってくれたことの続きがやりたいと。僕はあの人に、トラヴィスになりたかったんです」


「あなたはその人に憧れていた。だからその人の銃とその人の殺し方で殺したんだね」

 私はイサイアスの横顔を見つめ続けた。


 現在に意識を戻すように、イサイアスは空を見るのをやめて地面に視線を落とした。

「死んだ人の存在を匂わせたことは復讐の完遂にかなり役立ちましたよ。僕が森に隠れ住んでいたときの野営の跡も、トラヴィスのものだと勘違いしてくれましたし」


 イサイアスの話を聞いているうちに、推理力のない私にも次第に事件の全貌というものが見えてきた。

「あなたは一人一人、仇を討っていった。サイモンは手紙で呼び出して殺した。そして最後にあなたは、サイズ違いの靴を履いてコールリッジ家の父親を殺して、トラヴィスの銃を現場に残し、彼の亡霊の消失を演出した」

 私は昨夜にイサイアスの元を訪ねに行ったときのことを思い出していた。眠くなった私に毛布をかけてくれたイサイアス。あの夜が空けた朝、彼はコールリッジの父親を殺しに行ったのだ。眠り続ける私をそっと置いて。

 まさかあの朝に私に朝食つくってくれたイサイアスが、人を殺してきた後だったなんて思わなかった。もう一度あの日の朝が来たとしても、絶対にわかる気がしない。


 イサイアスは満足げにゆっくりとうなづいた。

「僕は大切な人の銃を使って、大切な人を奪った者たちを殺しました。後悔はしていません。むしろ達成感でいっぱいです。兄の復讐を望むアイオンさんなら、きっと僕の行動をわかってもらえますよね」


 イサイアスは私に微笑み、同意を求めた。私は静かに立ち上がった。イサイアスに借りていたコートがするりと地面に落ちた。冷たい夜風が、ショールを揺らす。

「そうだね。私は別に、こんなの間違っているとか、人を殺しちゃ駄目とか言うつもりはないよ。復讐に意味がないなんて嘘だと思うし。少なくとも私にはちゃんと意味がある。きっとあなたにもあるんだよね」

 所詮他人だし、私はイサイアスの気持ちにはなれない。でも共感ってほどじゃなくても、イサイアスのしたかったことはわかった。


「アイオンさんなら、そう言ってくれると信じていました」

 イサイアスも腰をあげ、私と向き合い嬉しそうに目を細めた。

「ですけどね、僕は正しいことをした僕を、正しいからと許す気はないんですよ。僕はこの復讐の最後は僕の死で終わらせるって決めていたんです」


 イサイアスがどこからか銃を出し、笑顔のまま私に向けた。突然の出来事に、私は何もできなかった。


「アイオンさんは人を殺せるようになりたいんでしたよね。それなら、僕を殺したらどうです? 僕はアイオンさんになら殺されてもいいと思っていましたよ」


 どうやらイサイアスは撃つ気はなさそうだった。銃を私に向けたのは、私に撃たれるためらしい。


 そっか、イサイアスは死にたいんだ。


 それがわかったとき、私は幼いイサイアスの姿が見えた気がした。膝を抱えて泣いている小さな少年。誰もその子を抱きしめない。

 兄さんが死んでも、私には父さんがいたし、親戚も友達もいた。でもイサイアスは一人だったんだ。

 私はその少年に何か言ってあげたかったけど、目の前にいるイサイアスはもう大人だった。どんな言葉だって、今の彼には届かないし、意味がない。彼は自分の罪の重さを自分で決めた。私にできるのは、彼が望む罰を与えてあげるだけだ。


 イサイアスは死にたがっている。そして私も、人を撃てるようになりたい。

 私は迷わなかった。


「わかった。じゃあ、あなたは私が殺してあげる」


 ポシェットからS&Wスコフィールドを出して撃鉄を上げると、私はゆっくりとイサイアスに向けた。ずしりとした重み、木製のグリップのつややかさが力を与えてくれる気がした。


 銃を突きつけられたイサイアスの口がほころんぶ。微笑みはより深まっていった。

 私は別にイサイアスを殺したくはない。でもこんなチャンスは一生ないし、そんなに私に殺されたいなら殺してあげようと思った。


 人を撃てるようになりたいってずっと思っていたけど、私はここで初めて人を撃ち殺すんだ。


 イサイアスの白い額に銃口を向け、数秒後には死んでいるはずの男と見つめあう。眼鏡の奥のイサイアスの黒い瞳は暗い期待にきらめいていた。これで最後なのかと思うと不思議な気持ちだ。


 兄さん。私はこれで兄さんの復讐ができる人間に一歩近づくよ。


 勇気を込めて、私は引き金を引こうとした。

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