第7話 気の重い帰郷

「香夜ちゃんに何を頼んだんです?」

 水を入れ替えたポットをセットしながら川崎さんは不思議そうに聞いた。

 帰郷するような用事を頼んだのが意外だったのだろう。

「煩わしいから追い払っただけ」

 またまた…と笑う。

「私にお金を無心して来たのよ」

 むっとして答えると

「よっぽど姪御さんに信頼されたのね〜頼られて嬉しいじゃない」

 川崎さんはとことん能天気に捉えている。

 清子は口の端しが思わず持ち上がるのを感じた。そんな風には捉えていなかった。姪の必死な顔を思い出し、少し胸がざわつくような感じを味わった。

「そうそう、お客さんが来ますよ。今受付で泉さんの部屋を聞いている人がいたわ」

 思い出したように、大事な事をやっと告げた川崎さんに呆れながら

「煩わしいわね…」

 と呟いた。


「ご挨拶に伺うのが遅くなり失礼いたしました。崎田 小太郎と言います。よろしくお願いします」

 小太郎はスマートに名刺を差し出した。

 ベッドの上に腰掛け、怪しむような目で彼を見ていた清子は、納得したようにその名刺を受け取り

「橋下さんは元気なの?」

 そう聞いた。自分の担当だった編集者の名前だ。

「はい。今は部長になっています。頼もしい上司です」

 仕事中でも、だからこそか?好感度の高い笑顔を崩さない。初対面の人の心を掴むのは小太郎の得意分野だ。

「あの娘はもうここにはいないわよ」

 とは言え、相手は手強い。不機嫌の塊がベッドに寝ているようなものだ。

「聞いてます。なかなか難しい課題を出しましたね」

 ちょっと悲しい表情をしてみせる。

「小さい町よ。そんなに難しくない」

 彼女は顔を背けて答えた。

「存じています。私も同じ町の出身ですから。聞いていませんか?幼馴染なんです。泉 香夜の両親も勿論良く知っています」

 自分の兄の話が出て、表情を少し強張らせた清子だったが、それで合点がいったというように

「随分あの娘を甘やかすね。あなたが大事な仲間ってヤツ?」

 無関心を装いながら、ちゃんと話は聞いていたのだな…と小太郎は思った。

「残念ながら…それは私ではありません」

 ちょっと目を伏せ小さく笑った。

「今時、売れないヘビメタバンドをやっている、そのくせに軟弱な男で…その仲間が怪我をさせられ入院騒ぎで、バンドが危機のようで」

「嘘ではなかったのね」

 興味なさそうに、それだけ言った清子を小太郎は見つめた。

「探させたいのは「ヒカル」ですか?それとも、先生の過去?」

 小太郎の言葉に、びくんと肩が揺れた。

「私の過去?」

 疑わしそうに小太郎を見上げる。その目に僅かな怯えがあった。瞳に映り込む小太郎の姿が潤んで見える。

「香夜をここに送り込んで放置した訳ではないんです。僕なりに、あなたのことを知ろうとしました。とても上手に隠しているので、全ては分かりませんけど、想像することはできました。最悪なシナリオですけど、聞かれますか?」

 柔らかく話す小太郎を睨みつけた。

「下世話な話を聞かせに来たの?」

 怒りに震えた声だ。

「勿論違います」

 小太郎は調子を変えない。

「ただ、先生と香夜の子供時代はとても良く似ている…と知って欲しいのです」

 その言葉に、清子の表情が大きく揺れた。

「どういう意味?」

 怒りや苛立ちの表情をするのを忘れた反応だった。やはり、子供時代…小中学校時代の2人の苦難を思い、小太郎は表情を曇らせた。

香夜には兄はいないけど…


「香夜ちゃん、何やらかした?」

 狼狽える案山子君を無視して、叔母さんから預かった軍資金の中から5枚をバンドの中では信頼できる経理の柳君に渡した。

「本当は調査の為の軍資金なんだからね」

「了解」

 柳君は札を拝み、手持ちの金庫にしまって、簡単な出納帳に書き込んだ。

「どんな感じ?ライブ、いけそう?」

 バイト前に集まっているメンバーを見渡すと。案山子君がセトリの候補を見せてくれた。

「oZの曲は、うしろの正面の案山子と、why not?をやろうと思う。で、why so? のカバーなんだけど…」

「良い曲が多くて選べないんだと」

 嬉しそうにリストに目を通す案山子君の言葉を、翔也が遮った。

 ファンか‼︎


 I'm half dead.

 boohoo.

 I doubt it.

 Holy cow!

 How come.

 l let you down.

 I'm gung-ho!

 You can really sing.

 My beating heart!


「激しいのはI'm half dead.か、My beating heart!だよな」

「楽しい感じなのが、boohooかI'm gung-ho!あとYou can really sing.かな」

「I doubt it.ってどんなだっけ?私知ってる?」

「望み薄〜ってやつだよ。知ってるだろ?」

「あぁ!わかった」

「l let you down.の、バラードっぽく入って転調する感じ俺好き」

「How come.の情けない感じも好きだな。出来ないこと羅列してるだけだけど」

「私、I'm gung-ho!の空回り感好き」

「じゃあ、それ入れよう。俺にも歌わせて」

「翔也は香夜ちゃんに甘すぎる!」

「それより、ここにないけど、so what?は?やるでしょ?」

「勿論!」

 全員が一致した。

「とにかく、歌詞が英語だから案山子が歌いやすいのが良いよ」

「じゃ、boohoo.かな」

「安易だな〜」

 岡山さんは皆の言い合いを真面目な顔して聞いている。自分たちの曲のカバーだ。言いたいこともあるだろうと思う。私の視線に気がついて、岡山さんはニヤッと笑った。叔母さんの意地悪な笑いを見慣れた後では、むしろ爽やかに見えるよ。

「テーマを決めよう。oZはコピーバンドじゃない。不本意ながらのカバーだ。楽しむって言うより、ここが底辺で、ここから這い上がるから待ってろ!って曲選びが良いと思う」

 皆が一斉に岡山さんを見た。

「I'm gung-ho!も良いだろう。I'm half dead.も良いと思う。ボロボロから抜け出そうとする曲だからな。後はl let you down.も良いと思う。異色だし。How come.の歌詞を君らに当てはめいじっても良い」

 急いで柳君がメモを取る。

「バンドのドラムが復活するまで、根性で続ける!ってところを押し出せ。そして、復活時用に新曲も用意しておけよ」

 あ。ちょっと感動した。岡山さんは、貴君の復活信じてくれてるんだ…そこまで、考えてくれてるんだ…

「今の案、私も賛成。出来たらもう何曲かoZのオリジナル入れて、半々くらいにして欲しい。後は任せるけど…」

 私はそこまで言って立ち上がった。

「もう行かないといけないけど、貴くんのとこに顔を出してから行くね。皆、頑張って」

 そう言うと、翔也が手を引いて腕の中に閉じ込める。安心する…動きたくなくなる。でも勇気をくれる。行くよ。

 笑顔で皆を見て、岡山さんを見て、自然とお互い頷きあった。

 皆のこと、よろしくお願いします。

 ほどほどに混み合った電車に乗って、貴くんのアパートに向かう。彼は昨日退院して、これからは病院に通う日々になる。まだギブスは取れない。

 二階建てのプレハブみたいなアパートの一階。インターフォンを鳴らすと、暫くして、ボサボサの髪に青白い顔をした貴君が顔を出した。

「香夜ちゃん…」

「うわ。何があったらそうなる?」

 思わず声を上げるほどの変貌だった。

「桜さんは?居ないの?」

 居たらこうはならないだろう…

「居ない」

 なんだこの情けない感じ。なんで居ない…?2日前には居たじゃない。

 貴くんが身を引いて中に招いてくれたけど、手が不自由なこともあって、何もかもが中途半端に出しっ放しのこの部屋に入るのは結構勇気が要るよ?

 様子を見にきただけなのに、結局、部屋を片付け、洗い物をし、簡単に食べられそうなものを作り、取り出しやすく片付けておく。

「退院には付き合ってくれて、ここまでは来たんだけど、布団とか出して洗濯物とか片付けたら、怪我させた同級生たちに治療費払ってくれるよう話してくるって出て行って…それっきり」

「連絡もないんだ?」

「酷い目にあってないか心配で…」

 それで憔悴しきって居たらしい。

 う〜ん…女の子だから手を出さないだろう…なんて思うほど私は男って生き物を信用して居ないけど、あの子でしょ。ソツが無さそうだけど…

「まだ丸1日でしょ?あの子も色々やる事あるだろうし、そこまで心配しなきてもいいんじゃない?」

「そうかな…」

「多少お金入ったし、治療費に当てられる。皆バイトもバンドも頑張ってる。貴君は、しっかり怪我治すこと考えて」

「あぁ、うん。ごめん」

 何だか可哀想なくらい凹んでいるな…

「あ。そうだ。復活に向けて、新曲作れって岡山さんが」

「お、おぉ…」

 やっと、表情が戻った。

「新曲か…」

 良かった。復活への希望は捨ててない。

「私、また暫く留守にするけど、何かあったらoZの仲間頼るんだよ?」

「うん。ありがとう…」

 心配だけど、もどかしいけど、自分で進んで行くしかない。

 元気に笑って別れてから

「怪我人放っておいて連絡無しって、どんな薄情もん…」

 と悪態をついておいた。何かあったんじゃないといいけど。私、親しくないから連絡先も知らないしね。頼むよ本当に…ただでさえ気が重いのに。

 気が重い。 何年ぶりかの帰郷…

 とにかく、気を取り直して歩き出した。


 帰郷と言っても、そう遠くない関東圏。電車乗り継いで1時間ちょっと。地下鉄から乗り入れるようになって随分楽になった。まぁ、帰ってないんだけど。


「えっと…ただいま?」

「あらまぁ香夜ちゃん⁉︎」

 実家から5分くらいの所にある、祖父母の家に顔を出すと、久し振りの祖母はひとまわり萎んだように見えた。

「まぁ、この子は、本当に久しぶりよ。ほら、入りなさい」

 小さな体で私の荷物を取り上げて、ぐいぐいと押してくる。いや、逃げないから。大丈夫だから。押さないでよ。結構感慨に浸っているんだから。

 仏壇に挨拶していると

「何飲む?急だから、カルピスとかサイダーとか、無いわよ…」

 祖母が台所から叫んだ。

「おばあちゃん、私、もう大人だから」

 あれこれ突っ込んで満杯の冷蔵庫をごそごそいじる祖母に、一応念を押した。

「あら、そう?じゃあ、ビール飲む?」

 いきなりだな…と思ったけど、祖母が手にしている発泡酒じゃ無いお高いビールの缶を見たら

「…飲みます」

 遠慮するのはやめた。

 祖母はいつから冷やして居た?と言いたくなるくらいキンキンなグラスと金色の缶ビールを私の前に置くと、

「おつまみは何かあったかねぇ…」

 と言いながら台所に戻る途中に、

「とりあえず、これで飲んでて」

 そう言って小袋の柿の種を置いて行った。

「ピーナッツだけじゃなくて柿の種も食べるのよ」

 そう念を押された。確かに昔、全部の袋を開けてピーナッツだけ拾い食べて叱られた事あるけど…

「もうしないし…」

 忘れて居た色々なことが蘇ってくる。あの柿の種は全部、小太郎に押し付けた。

 甘酸っぱい思い出…と言えるほどまだ時間の経過を感じて居ない。

 

リビングに飾られた写真は、私と両親の写真がほとんどだ。私がここを出てからの写真は無い。赤ちゃんの頃の写真が1番多く、お宮参り、お食い初め、ハーフバースデー、初節句、入園式、七五三、入学式…の後からぐっと減る。1/2成人の10歳の私は、背中を丸めて、もう笑って居ない。次は中学の制服姿でそれは辛うじて、ドキドキが伺える表情だが、その先は…見るに耐えない仏頂面だ。家族揃って…はいつまでだろう…どこで拒否して、叱られたんだっけ…

 奥の方に、両親の結婚式の写真があった。祖父母の旅行らしき写真も。

 免許証の写真みたいにかしこまった若い父の古い写真が数枚。

「あ…」

 一枚だけ、古びた写真の中に、見慣れた顔の面影がある女性が写っている。奥の方に埃をかぶって、家族と写っている、居心地の悪そうな

「叔母さん…」

 手を伸ばしかけた所に

「なぁに、そんな埃っぽい所いじらないの。おつまみ、食べるでしょ?」

 祖母が現れビクッと手を引っ込めた。

 叩いたキュウリに梅肉を乗せたものと、一夜干しのイカを焼いてくれていた。美味しそうな匂いが立ち込めている。

「好きだったでしょ?ちょうど有ったのよ」

「うん」

 ありがたく頂いた。ビールの味がさっきより苦い。

 祖母は、叔母さんを思うことはあるのだろうか…

「どう?まだ飲む?何か作る?」

「ん?まだ大丈夫。十分だよ。美味しい」

 私の答えに満足そうに、今私がいじっていた写真の並びを整えながら

「懐かしいよねぇ…」

 そう言って私の写真を眺めた。優しい視線だ。切り出すなら今だ!と自分を奮い立たせた。

「ねぇ、それ、清子叔母さん?」

 努めてさりげなく聞いた。奥の写真を指差して。

「ん?あ、ああ、これね。写ってたのねぇ。そう、清子よ」

 祖母は隠しはせず、懐かしそうにそう言った。

「今幾つかしら…晴人が52歳?やだ、もうそんなになるのねぇ。清子は二個下だから50歳。あの子ももうおばさんなのねぇ…」

 年を数え始め、そのあまりの長さに更に萎んだように見えた。

「この時は幾つ?」

 写真を指差して聞くと、その写真を手にして懐かしそうに埃を払いながら

「香夜ちゃんのお父さんの高校入学の写真だから…13歳かねぇ」

 ズキンと胸が痛んだ。自分のその頃を思い出し、胸が痛んだ。

 その叔母さんの暗い表情も、丸めた背中も、他人事とは思えなかった。

 とは違う。かけ離れている。

「体の弱い子だったから…」

 そう言い訳するように言った。

「そっか…心臓が…」

 思わず言ってしまって、しまった…と思った。

「そうよ。どうして知っているの?」

「あれ…どこでかな…作家紹介の記事かなんかに書いて有ったんだよ。それで人前に出ない…みたいなこと」

 苦しい言い訳をした。父から聞いた…の方がよほど嘘くさいって知っているから。

「あぁ。、そうなのねぇ一体どんな本を書いているのやら…」

 祖母は疑いもしなかった。そうか、父が隠匿したから祖父母は未だに知らないんだ…

「待って」

 私は祖母が運び込んだ自分のキャリーバッグを開くと、突っ込んできた叔母さんの小説の文庫本を引っ張り出した。

 この位、良いよね?

「コレだよ。読む?」

 私が差し出した文庫本4冊をまじまじと眺め。ええっ⁉︎と言うように驚いて、恐る恐る手を出した。

「これがねぇ…本当だったのねぇ…」

 祖母は中も開けずに本自体を大切そうに眺め回した。

「読めば?」

 そう言うと

「なんだか怖いわねぇ…」

 そう言ってなかなか開かない。

 怖いって…何だろう?何が書いて有ったら怖いんだろう…そう言えば、父は何でこの本を隠匿したんだろう。読んだのかな…?本気で叔母さんを探したの?本を探したの?祖母ならヒカルのこと知っているかも…と思ったんだけど、その前に聞きたくてたまらなくなった。私は何を探しているの?何を掘り返すことになるの?

 写真の中の叔母さんの暗い瞳を見つめて、今まで以上の、大きな大きな拒絶を感じた。

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