第5話 反旗の狼煙

「反対派が本格的に動き出した。来月からニュータウン計画反対の署名運動を始めるらしい。署名は市長に提出するとのことだ。詳しい日時は総務課が今確認、調整している」

 

 幹部会から分厚い資料を抱えて戻ってきた島村は、開口一番そう言った。電話中の者を除き、道路建設課の職員たちがノートとペンを持って島村の前に集まって来る。


「反対派っていうと、あの榎本のグループですか?」


 島村の隣に席を並べている、頭の半分くらいを白いものが占めている課長補佐の赤木が手を挙げた。


「そうだ。最近大人しいと思ったら、これだ」


 島村は忌々しげに唇を噛んだ。


「署名が提出された場合私たちの仕事はどうなるんですか?」


 彰浩は、素朴な疑問を口にした。


「いや、どうもならんだろう。市長も恐らくは署名を受け取るだけで終わるはずだ。即計画中止などということにはならんよ。一部の議員が何か言ってくるかも知れんが、議会自体は大きく動かんだろう。ただし署名運動によって、さつき市が全国的な注目を集める可能性はある。そうなると、電話対応がかなり忙しくなるかも知れん。まったく、迷惑な話だ」


「そうなると、体制作りが必要になってきますね、課長」


 課長補佐の赤木は既に対応を模索し始めている。この辺りはベテラン同士の独壇場だ。


「その通りだ。今回の幹部会で、連絡体制を再度確認することになった。最も注意すべき点はマスコミ対応だ。俺たちの一言一句が新聞やニュースに出るからな。対応そのものは課長級以上がやる。つまり俺か、部長だ。二人ともいない場合は止むを得ない、局長に頼むようにする。それでも無理なら副市長だ。その辺りも説明できるように資料を作ってくれ」


「反対派の対応はどうしますか?」


「そうだな、反対派だからと言って特別な対応は必要ない。一般からの電話と同じ対応でいい。面倒な相手でどうしても対応しきれない場合だけつなぐようにしろ」


「資料作成の締めは、いつになりますか」


「明日の午前中、そうだな、十一時までだ。総務課で取りまとめた体制案を、明日中に総務課から副市長に提出する。それに先だって、今日中に課内の体制を確認するための打ち合わせを行いたい。今日外に出ているのは……いないか。夕方なら、全員空いてるな」


 島村は職員の予定を書き込まれたホワイトボードに目をやった。


「よし、今日の夕方五時半から連絡体制についての緊急会議を行う。原案作成を赤木補佐、お願いできますか」


「ええ、分かりました」


 赤木は自信ありげにうなずいた。


「道路建設課のみんなも当面は大変だろうが、周りの雰囲気に流されずに自分たちの仕事を進めることがより重要になってくる。俺たちの仕事は市民の生活をより豊かで快適にするためのものだ。各自、自信と誇りを持って職務に当たってくれ。それでは、解散!」


「あの、課長」


 彰浩は、他の職員たちが自席に戻る中、一人課長の前に残っている。


「何だ、まだ何かあるのか」


「あの、今の話なんですけど、どうして一般住民とマスコミとで対応が違うんですか?」


 島村は小さく首を振った。


「あのなあ、平岡。よく考えてみろ。一般住民とマスコミと、どっちが世の中への影響力がある? マスコミの方が圧倒的に上だろう。それにマスコミってのは揚げ足取りを常に狙ってるからな。一言でも妙なことを言おうものなら、全国的に恥を晒しかねんぞ。だから責任ある立場にいる者が十分に用意した上で慎重に対応しなけりゃいかんのだ。おい、そんなことより昨日頼んであった説明資料できてるのか」


「あ、はい。すぐに持ってきます」


 彰浩は自分の席へ飛んで戻った。


 約一ヶ月後、反対派は予定通りに署名運動を開始した。署名を訴える様子が市内の各所で見られ、夕方の地方ニュースでも署名運動が開始されたことを伝える映像が何度か流れた。


「署名運動、随分扱いが大きいみたいですね」


 彰浩は切り抜き記事の回覧資料を島村に渡した。資料のトップは、反対派の説明を受ける市民が用紙に署名しようと構えているところを捉えた写真入りの記事だ。


「ああ、そうらしいな。うちの家内も商店街で声をかけられたって言ってたよ。結構署名する人が多いらしくてな」


 島村は耳を手でほじると、収穫物を息で吹き飛ばした。


「そんなに反対する方が多いんですか?」


 彰浩は眉をひそめて見せた。


「どうだろうな。反対派の連中は、市長と市議会とが市民の意見を無視した政策を強引に押し進めている、と主張しててな。同じような不満を抱えた人たちがこぞって署名してるんじゃないか」


「すると、署名はかなり集まると?」


 平岡は肯定も否定もしなかった。


「人の意見をまとめるために一番効果的なのは、誰かを悪者にすることだ。そうするとな、悪者をやっつけられるかもしれない、と感じた人たちが一斉に動き出す。まるで自分が正義の使者だとでも言わんばかりにな。ただいつもと違うのは、今まで派手な動きをしていなかった連中が急に動き始めたことだ。だからな平岡、お前も注意してよく見てろ。今回の署名運動、かなりきな臭いぞ」


 彰浩には島村の言う「きな臭さ」が何なのか、がよく分からなかった。が、彰浩が問いかけるよりも先に出た島村の「もう戻っていいぞ」という言葉に押され、疑問を口にすることはできなかった。

 署名活動の結果、反対派が市内人口の四割以上、二万七千名を超える署名が集まったことを発表すると、呼応するように苦情電話が殺到し彰浩たちはその対応に追われた。 

 島村の予想した通り、市長は署名を受け取ったものの「市民から受けた一つの意見として認識している」とコメントするにとどめ、ニュータウン計画そのものの今後の方針については明言することを避けた。

 けれども、直後に開会された市議会において今後ともニュータウン計画実現に向けて議論を進めていく、という決議がほぼ全会一致で行われると市長は態度を一変させた。そして「議会の決議を以て市民からのニュータウン計画への同意を得ることができたと考えている。今後ともニュータウン計画実現へ向けて、市民の皆さんと共によりいっそう努力していきたい」とマスコミ各社へコメントした。

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