ー20YEARS

@naninunenougyou

第1話 荒れる説明会

「お前ら、俺たちの税金を何だと思っているんだ!」

 

 公民館二階の大広間に怒号が飛んだ。


 室内奥側、舞台を背にした説明者席の中央に立ちマイクを握っているさつき市道路建設課長の島村孝輔が、きょとんと目を見開いたまま何事かと様子をうかがっている。その視線の先では、椅子から立ちあがった五十歳くらいの男性が、かなり後退している額の上まで顔を真っ赤にしながら肩で荒く息をしている。


 午後七時から始まった地元説明会は、反対派住民の強硬姿勢によりその進行を妨げられていた。議題は道路用地の境界線を決めるために行う測量と土地の境界線を決めるための現地立会についてだ。


 説明者側の席から聞いていた平岡彰浩は、まるで生きた心地がしなかった。気晴らしに窓の外へ目を向けても、とっくに日の暮れた外の景色の代わりに不安げな表情を浮かべる自分の顔が窓に映っているだけだった。さつき市役所勤務二年目にして初めて参加した地元説明会は、彰浩にとって手痛い洗礼となっていた。


 さつき市の丘陵地に残る広大な雑木林、そこを切り拓いて作る大規模なニュータウン計画が市を上げての一大プロジェクトとして急ピッチで進められている。西に大都市圏、東に工業地帯という位置にあるさつき市は、大都市圏へ直通する私鉄が延伸されたこともあり、住宅地の開発、整備を望む声が高まっていた。

 ニュータウン開発と併せて、旧市街地とニュータウンとをつなぐ幹線道路の建設も計画されており、今回はその道路を建設する前段としての、地元住民への説明会である。


「ええ、税金という面から申し上げますと、道路整備費用に対する経済的利益の比率が三.五倍ほどとなっておりまして、かけたお金に対する効果という意味では大変……」


「そういうことじゃねえんだよ! さつき市にはニュータウン造成なんて馬鹿げた計画に税金使ってる余裕なんてあるのかって言ってるんだよ。今だって既に借金まみれじゃねえかよ」


「まあまあ、お金の話はこれくらいにして」


 反対派の男に向かって穏やかな顔を向けているのは、建設予定地の町内会長である。長年務めた大手電機メーカーを定年退職した後、自由な時間を地域に役立てたいと自ら志願しての役職である。


「今回の道路建設に関わる土地を所有しておられる皆様はニュータウン計画、並びに今回の道路整備事業を支持しております。何より、現市長は計画推進を公約に掲げ、当選しました。ですから市が計画を推し進めることは、歓迎するべきことではないでしょうか」


「そう言うてめえらこそ、自分の懐にカネが入りゃ何でもいいんだろうがよ」


「その発言は聞き捨てなりませんな」


 自治会長がその声色を一変させた。それまでの穏やかな表情とは打って変わって、眉間に皺を寄せ、頬を震わせながら反対派の男を睨みつけている。


「我々だってね、町内の皆さんにとって、最善の選択肢は何かってことを、みんなで知恵絞って、必死になってやってるんだよ。あんたらこそ、偉そうに何を言ってるんだ!」


 住民席のあちこちから、「そうよそうよ」、「いいぞー」などの声が次々と上がる。


「じゃあ、じゃあ言わせてもらうけどな、さつき市みたいな大都市近郊の町でこれだけの自然が残ってるっていうのは、全国的に見ても珍しいんだ。ギフチョウだっている。それ以外にも絶滅が心配されてる生き物が何種類もいるんだ。それをどこにでもあるような住宅地で潰すのが、いいって言うのか」


 形勢不利を察したのか、男は途端に勢いを失いつつも素早く話題を切り替え、自治会長と睨みあった。

 それまで議事メモを取っていた彰浩ははっと顔を上げた。ギフチョウはアゲハチョウの仲間で、絶滅危惧種に指定されている。見た目が美しいため環境保護活動のアイドル的存在になることも多く、大学で環境工学を学んできた彰浩にとっては馴染み深い名前だった。


「ええ、ただ今ご指摘のありましたお言葉、誠にご尤もかと私どもも存じております」


 島村は、二人のやり取りに割って入ると、しおらしい表情で男の言葉に一旦同調して見せた。


「ですが、今回はあくまでも幹線道路の建設に関わる説明会でございまして、ニュータウンそのもののご意見については、また改めてお伺いさせていただきたいと思います」


「何だよそりゃ。どう考えてもおかしいだろ。そのニュータウンを作る前提で道路作るんだろ。その辺の是非を余所に置いといて道路だけ作ろうってか。そういう話の進め方はおかしいんじゃねえのか、どうなんだ。そういうやり方じゃあ納得なんてできねんだよ」


 怒りをぶちまけているうちにさらに興奮してきたのか、男は人さし指を立てた右手を振りかざしながら声を張り上げた。

 蛍光灯のチリチリという音がうるさい位に室内は静まり返っている。緊迫感に押され、彰浩はみぞおちの下辺りが刺すように痛んだ。細い糸が強く引っ張られて今にも切れてしまいそうな、辛うじて保たれる危ういバランスの上で繰り広げられているのは、全力の殴り合いだ。


「ニュータウン計画についてでございますが、以前の計画説明会において各関係者より既に同意をいただいております。ですから、本日この場で議論をすべき課題ではないと考えております」


 額に汗を光らせながら反対派の追及を絶妙にかわしつつ鋭いカウンターを決める島村の姿は、彰浩の目に歴戦のベテランボクサーのようにも映って見えた。一方でやられ役になってしまった反対派の男にも同情を抱かずにはいられなかった。

 住民たちの多くは居心地悪そうに俯きながら、半ばのぞきこむように二人のやり取りを見守っている。

 マイクを胸の辺りに持ったまま反応をうかがっている島村と男との間で、なおも睨みあいが続いていた。男は大きく口を歪め、鼻孔を大きく開かせたまま仁王立ちしていた。が、島村を睨みつけたままわざとらしくパイプ椅子を荒々しく引き、わざとらしくどかりと腰を下ろした。


 大広間が再び静まり返る。


「ええ、それでは、よろしいでしょうか」


 集まった面々がそれぞれにお互いの様子を見合った一瞬の間を縫って、島村が抑揚を抑えた声を響かせた。


「ええ、以上の通り測量と現地立会について説明させていただきました。こちらからお伝えするべき事項については、ただ今ご説明さし上げた次第ですが、今一度何かご質問はございますでしょうか?」

 

 つい先ほどまで気勢を上げていた男は、途端に黙りこんだ。強く顎を噛みしめながら拳を振り上げると、俄かに周りの出席者が色めきたった。しかし、それもほんの一瞬で、男は握りしめたままの拳をテーブルの上に力なく下ろした。

 男は用地買収に絡む土地の所有者ではないため、説明会に対して発言権がない。その泣き所を島村が突く形となった。説明会の後半、ここぞと言うところで切り札を出してきた島村に彰浩は舌を巻いていた。


「それでは以上の説明をもちまして、測量と現地立会の実施についてみなさまからのご了解を得たということでよろしいでしょうか」


 一瞬の間、大広間が静まり返る。


「ありがとうございます。それでは、皆さまのご了解を得たということで計画を進めさせていただきます。個別の測量予定については別個連絡させていただきます。また用地売買につきましては、担当課より改めてご説明させていただきたいと思います。よろしくお願いします」


 島村は満足げな表情を浮かべながら、深々と頭を下げた。


「なお、今後の予定については、こちらから町内会長さんへ逐一連絡させていただくと共に、回覧板にも掲載させていただきますので、重ねてお願い申し上げます。本日はお忙しい中ご出席いただき、誠にありがとうございました」


 島村は、今日だけでもう何度下げたか分からない頭を、やはり深々と下げた。


「俺は納得してないからな」


 頭を下げている島村に向かって先ほどの男が声を張り上げたが、既に椅子から立ち上がり始めていた住民たちはその動きを止めようとはしなかった。

 テーブルの上に広げた資料やホワイトボードに貼られた図面を回収していた彰浩は、ふと顔を上げて大広間を見渡した。あれだけ騒いでいた男は、説明会が終わったあとの雑踏にまぎれいつの間にか姿を消していた。

 彰浩はむしろ、騒いだ男のすぐ後ろ側の席にいる男の様子が引っかかった。周りにいる人たちが忙しなく動き回る中、一人だけ身じろぎ一つせずに腕を組んだままたただじっと大広間の前方へ向けて睨みを利かせている。男は、ホームセンターで売っていそうな作業用ジャンパーを横縞模様のポロシャツの上に羽織っている。外見だけならどこにでもいそうな中年男性、と言えるかもしない。けれども、その揺るぎない様子は声を荒げていた反対派の男よりもなお凄味を感じさせた。

 島村はと見ると、まだ席にいる町内会長の前でしきりに頭を下げている。雑談中なのか、説明会の時とは打って変わってくだけた雰囲気をまとった町内会長の言葉に、下品にならない程度の笑いを返している。

 その間に、彰浩は指示棒やマイクなどの小道具を片づけ、帰る準備を進めていく。

 彰浩が会場へ戻ると、住民側テーブルの前では言葉は丁寧ながら、元々細い目をさらに神経質そうに細めた係長の岡崎が愛想のない声を張り上げている。それに追い立てられるように、まだ室内に残っていた住民たちは物言いたげな視線を職員たちへ送りながら、大広間の出入口へ向かって歩みを進めていく。他の住民たちが室内から出て行く中、作業用ジャンパーの男もゆらり立ち上がり、出入り口へと向かった。


「どうだ、平岡」


 ひと通り片づけが終わり、舞台に背中を預けながら室内を眺めていた彰浩の肩に手を置いたのは島村だった。


「いや、何と言うか、疲れました」


 彰浩は島村に向かって力なく笑って見せた。


「おいおい、平岡は後ろで聞いてただけだろう。マイク握って前に立ってなきゃいかん俺の身にもなってくれよ」


 島村は舞台に背を向け両手で体を支えながら「よっこいしょ」と舞台の上に腰をおろした。やっと人がはけた大広間は、先ほどの騒ぎがまるで嘘だったかのように閑散としている。


「さっきの人が以前課長のおっしゃっていた反対派ですか?」


「そうだ。平岡も苦情電話を受けたことがあるだろう」


「ああ、あの人たちが」


 島村の一言によって、彰浩の頭の中では電話で聞いていた声と今日の反対派たちの顔とが、ようやく今一つになっていた。


「ああいう連中をやり過ごすワザも行政のプロとして身に付けておかないといかんぞ。平岡もあと二十年、いや十五年も経てば俺と同じ立場になるんだからな。そういう意味では、苦情電話の対応も大事な仕事だ。分かるな」


「期待していただくのは嬉しいですけど、自分が説明してるところなんて想像つかないですよ」


「今はいいさ。けどな、その時が来てからどうしようじゃ遅いんだ。今から対応できるように、自分なりに訓練しておけ」


「ありがとうございます」


 彰浩は島村に向かって頭を下げた。


「あとな、一つだけ付け加えるとあれは本命じゃないんだ。本命は別にいる」


「ひょっとして、騒いでいた人の後ろにいたジャンパー姿の男性ですか?」


「おお、そうだ。何だ、知ってたのか」


 島村は驚きを隠さなかった。


「あ、いえ、そうじゃないです。ただ、他の人と雰囲気が違うっていうか、オーラを感じました」


「ふむ、オーラか。そうかも知れんな」


 島村は感慨深げに顎をさすった。


「あの男が反対派のリーダーだ。名前は榎本幸雄と言って道路建設予定地のすぐ近くに建築事務所を構えてる。道路が出来ると騒音が大きくなると言ってうるさいんだよ。一級建築士だけあって関係法令に詳しいもんでな、面倒な相手だよ。だがその雰囲気を一発で見抜くとはなかなかやるじゃないか。」


 上質さを感じさせるスーツに包まれた自分の太ももを、島村は軽くはたいた。


「地元説明会って、いつもこんな感じなんですか?」


「いや、そうでもないな。スムーズに行くこともある。ただしそういうのは少ないな。興奮した住民に椅子を投げられたことだってあるぞ」


「椅子ですか! プロレスみたいですね」


 彰浩の言葉に島村は声を立てて笑った。


「いやあ、向こうだって別に怪我させたくてやってるわけじゃないからな。ただ、その説明会は上手くいかなかった。向こうも雰囲気を読んでやるからな。そういう時はたいてい上手くいかないな。今日はまだいい方だった。地元が後押ししてくれてたからな」


「地元、ですか」


 彰浩には、島村の意図が掴み切れなかった。


「いつも言ってるだろ、地元を押さえとかないと俺たちの仕事は進まないって」


「ですけど地元説明会っていうのは、地元の了解を取り付けるためにあるわけじゃないですか」


「そうだぞ。そのために日頃から地元と調整を取ってるじゃないか」


「そうですけど」


「おう、どうした」


 島村は服を着ていても分かる引きしまった上半身を前に倒しこむと、彰浩の顔をのぞきこんだ。 


「町内会長さんが動いてくれたのは分かったんですけど、町内会長さんイコール地元ってことですか?」


 島村はおおげさにため息をつくと、やれやれと首を振った。


「平岡もそろそろ、と思って連れてきたんだが、まだまだだな。地元は地元でも、二種類あるんだ」


 島村は彰浩の前でピースサインを作ると、指の間を閉じたり開いたりして見せた。

 島村の言うことをイメージできずに、彰浩は首をかしげた。


「難しいか。そうだな、ヒントを出そう。今日は両方ともいたな」


「賛成派と反対派っていうことですか?」


「うーん、いい線行ってるが、少し違うな。いいか、よく聞け」


 島村は右手の中指を拳の中へ畳んだ。


「まず一つはさっき平岡が言っていた町内会長だ。彼らはその地域を代表する立場にある。まずは彼らをこちら側に引き入れないことには、俺たちの仕事は進まない。町内会長はキーマンなんだよ。じゃあ、もう一つは何だろうな?」


「それなんですけど」


 彰浩は体ごと傾げて考えてみても、思い当たるものがなかった。


「分からないか。まあ始めのうちはそんなもんだ。もう一つはな、はっきり賛成するでも反対するでもない、ごく普通の人たちだ。その人たちが今日は反対派に流されずにいてくれた。だから成功したんだ」


 島村は、一旦折りたたんだ中指を再び延ばしてピースサインを作って見せた。


「あんまりピンと来ないですよ」


 彰浩の反応に、島村はニヤリと笑った。


「けどな、それが本来の相手なんだ。声が大きいからと言って、それが多数派だとは思わないことだ。確かに反対派は強硬な態度を取ることが多いさ。だからと言って、俺たちはそれに負けちゃいけないんだ」


 島村は自信に満ちた表情でそう言い切ると、まだ釈然としない表情でいる彰浩の背中を「なっ」と言いながらどんと叩いた。

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