カズラの異世界旅行記

空伏空人

四足族の異世界

四つん這いの人間

 ようやく人間らしい生物に出会えたのは、異世界を三回ほど行き来してからだった。

 ある日突然、世界のどこかに現れるようになった正体不明の『歪み』。それの正体が『我々が住んでいる世界と同時に、並行に存在している世界が衝突し、出現した亀裂』であることが判明してから、数年が過ぎていた。

 歪みがいつどこで出現するのかは未だに不明な点が多かったが、ある日、俺の親友の発明家が。


「歪みが出現する時期と場所を特定する機械をつくった」

 と電話してきた。

 バカらしい。お前なんかがそんなものをつくれるはずがないだろう。と親友を小馬鹿にしつつ、いい暇つぶしになるだろう。と知り合い数名を連れて、その機械の実験を手伝うことにした。


 機械によると次、歪みが発生するのは今日の近所の山の上だと言う。

 それに従い、俺たちは山の頂上へと向かった。

 あった。本当にあった。

 まさか、本当にその機械は見つけることができるのかと俺たちは皆驚いた。親友は鼻高々だった。


 しかし、ここで問題が発生した。なんてことはない。誤って俺たちはその歪みの中に落ちてしまったのだ。まさかその歪みが今も拡大中だとは想像もしていなかった。

 俺たちは歪みの中に落ちた。

 次に目を開いた時、俺たちのいたところは山の頂上ではなかった。

 真っ白な木々に囲まれている。こんなものは見たことがなかった。

 ここが俺たちがさっきまでいた世界とは違う場所であることは明白であった。


「暑い」

 知り合いの一人が呟いた。

 俺は自分たちを包むむわっとした暑さに気がついた。

 苦しいほどの暑さであった。思わずポケットの中にあるスマホを手に取った。スマホは圏外だった。しかし内蔵アプリを使用する分には問題はない。気温と湿度をはかることができるアプリをつける。

 画面に『気温 58℃ 湿度90%』と表示されていた。

 暑い。という次元ではなかった。人間が長時間居続けることができるような世界ではなかった。


「ここから早く逃げよう」

 知り合いの一人が言った。親友に歪みの場所を調べさせ、俺たちは少しでも涼しい場所を探して移動を始めた。生き物の気配はなかった。音すらなかった。この異世界は動物が出現しなかった異世界なのかもしれない。


「運がいい。このすぐ先に歪みができている。すぐに飛び込もう」

「俺たちの世界に帰ることができたらいいんだがな」

 俺たちは歪みを見つけ、飛び込んだ。

 歪みを抜け、次の世界にはいる。途端に呼吸ができなくなり、疑似的な浮遊感が体を包んだ。俺たちは水の中にいた。

 俺はすぐに口をふさいだ。この水が飲んでもいい水なのかは分からないからだ。すぐに目もつむり、とにかく上を目指した。少ししてから、頭が水からぬけた感覚があった。目を開いて息を吸う。さっきの世界の炎を吸い込んでいるような空気で痛んでいた喉には、この世界の涼しい空気はありがたかった。飲むと死ぬほど痛いが。

 辺りを見渡す。次々と頭が飛び出してくる。


「次の世界はなんだ」「海の世界か?」「ずっと立ち泳ぎし続けるのはキツいな」「とはいえ、近くに島は見えないし」

 立ち泳ぎをしながら俺たちは安全地帯を探すべく思考を開始していた。海の中というのは、我々が思っている以上に大きな生物の存在を許してくれるものだからだ。

 そう、例えば。

 俺たちが見渡すことができる地平線の先までを一気に口の中に入れることができる生き物とか。


 世界がすぐに真っ暗になってしまった。そんなに急に夜になってしまうのかと思ったがそうではなく、大きな生物に一飲みにされてしまったのだ。天を見上げると、長い糸が何万、何億も垂れ下がっているのが見えた。クジラの髭のようなものだろうか。風で揺れているように見えたが、よく見るとそれにしては不規則だ。あれは意思をもて、それはゆっくりと俺たちの方に近づいてくる。触られた。大きな歯ブラシで全身を擦られているようだった。俺たちが口の中にあるものを舌で確認するように、このクジラ髭で確認しているのだろうか。そう考えると触り方に慎重さがあるように思えた。もしかしたら人間を口の中に入れるのが初めてなのかもしれなかった。

 その予想は恐らく正解なのだろう。

 俺たちの体にそのクジラ髭に絡みついてきたと思うと、口の外へと放り捨てた。

 思ったよりも高かった。俺たちが初めに登った山ぐらい高かった。

 この世界にも、重力というものはある。それは海がある時点で理解できる。よって、俺たちの体は重力に従い落っこちる。

 俺の体が風をたたき、落下する。どうにか体勢を整えて、着水。水面から頭を持ち上あげて、髪についた水滴をはらう。ぷかり、と他のメンバーたちも浮いてくる。

 死ななかったのが不思議だった。俺たちが気づいていないだけで、この世界の環境は地球と異なるのかもしれない。

 俺たちは親友の機械によって算出された歪みの位置まで泳いで移動した。途中でまたあの大きな生物に食われたりすることはなかった。

 二日泳ぎ続けて、どうにか陸地を発見した。砂浜の上で一日眠った。

 目覚めて疲れをとってから、俺たちは歪みへと向かって泳ぎ始めた。

 歪みにたどり着いたのは、この世界に来てから、四日ほど過ぎてからだった。


***


 こうして俺たちは三つ目の異世界へとたどり着いた。

 ここもまた、俺たちの知っている世界ではなかった。しかし、どこか似ている世界であった。

 さっきの海だらけの世界や、白い木々――あれは水晶ではないかと推測している――ばかりの世界ではなく、逆に木々もなければ海もない世界だった。

 いや、俺たちの視界に海も木々もないだけで、それを世界全体のものであると解釈するのは少しばかり急ぎすぎかもしれない。

 頭まですっぽりと隠してしまうぐらい高い草が生い茂っている。

 近くにいる仲間を探すのも一苦労だった。

 一人だけ背が高く、草から頭をひょっこりとだしている男の元に全員集まった。

「なにか見えたか?」

「なにも、けど、向こうでなにかが動いたのが見えた」

「それは見えたというんじゃあないか?」

「草むらが動いていたのが見えただけだ。なにかが見えたわけじゃあない」

「そうか」

 俺たちはそいつの案内に従って、その草むらが動いた。という場所へと移動した。そこに近づくにつれ、自分たちの草を押しのける音以外にも音がしていることに気がついた。

 確かになにかがいるようだ。

 俺たちは顔を見合わせてから、ごくり、とノドをならす。

 嫌な汗が首筋を伝う。

 音のした方に向けて歩く。自然と腰をかがめて、足音を消すようにして歩いていた。

 目の前の草むらをかき分けようと手を伸ばす。

 その時だった。

 目の前の草むらをかき分けるようにして、小さな顔がでてきた。

 女の子だ。

 いや、ここではこう言うべきなのかもしれない。

 人間だ。

 異世界人だ。

 あまりにも唐突の出会いに、俺たちもその異世界人も体を動かすことすらできず、何度もまたたいた。

 その顔は、俺たちとそっくりだった。目があり、鼻があり、口がある。

 俺たちの世界で生活をしていたとしても、違和感はないだろう。

 黒い瞳だ。汚れというものを知らない目だ。

 黒色の髪を、肩の辺りにまで伸ばしている。

 肌は健康的に焼けている。浅黒いほどではない。


「こ、こんにちは」

 ひょろっとしたのっぽが恐る恐る話しかけた。

 もちろん、日本でしか満足に利用することができない言葉が異世界で通じるはずもなく、異世界人の少女は眉をひそめると首をひっこめた。ガサガサ、という音が離れていくのが聞こえた。


「あれ?」

「知らない言葉で話しかけられたら誰だって逃げるだろう」

「バカかお前は!」

 俺たちは慌てて逃げていく彼女を追いかけはじめた。ここで彼女を見失うのは惜しい。もちろん、歴史的発見であるというのもあるが、彼女を知ることは同時にこの異世界を知る要素の一つになるからだ。

 ガサガサという音が止まった。彼女が動くのをやめたようだった。

 俺たちは顔を合わせて、草むらをかきわける。すぐそこに、彼女はいた。

 彼女は全裸だった。

 布一枚、葉っぱ一枚すらつけていない。恥部を隠す様子すらない。成長途中の控えめな乳房から俺は視線を外してしまいそうになったが、それはできなかった。

 決して、その乳房に興味があったとか、そういうことではない。

 後ろにいるひょろっとしたのっぽなら、ありえるかもしれない。

 あいつはこれぐらいの大きさが好きらしいから。

 ともかく。

 とにかく。

 それではない。そこではない。

 彼女は、四つん這いでそこにいた。

 より正確に言うならば、

 俺たちが初めて出会った異世界人は、四足で歩いていた。

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