第45話「いづる自宅に帰る」

 夕暮れ時、自宅へと帰宅した日陽ヒヨウいづる。

 当然だが、同居人の阿室玲奈アムロレイナも一緒だ。そして、これまたさも当然と言わんばかりに、お隣さんの芳川翔子ヨシカワショウコもいる。

 三人で靴を脱いでいると、奥から情けない声が響いた。


「ああ、帰ってきた! よかったあ……おかえり、翔子ちゃん! ごはん! ごはん早く! お腹と背中がくっつきそうよ!」


 赤ら顔を出したのは、いづるの姉だ。

 もう三十路みそじだというのに、なんてだらしない姉だろう。そして、すでに一杯やっている。彼女は、ヒック! としゃくりあげながらも緩い笑みを浮かべた。

 こういう表情が妙にあどけなくて、怒る気にもならない。

 嫁に行って主婦をしていたし、今はテレビ局に再就職しているが……基本的に日陽あかりはとんでもなく自堕落じだらくなまもの野放図のほうずおねーさんだった。


「わあ、あかりさぁん。もぉ飲んでるんですかあ?」

「そう……だって、翔子ちゃんがごはん作ってくれないから」

「えっと、すぐ支度しますねぇ。今日は簡単に、おなべにしちゃおうと思いますぅ~、エヘヘ」

「鍋! ちょっといづる、聞いた? 玲奈ちゃんも! 鍋よ、鍋!」


 あきれるほどに現金なあかりだった。

 だが、いそいそとキッチンへ翔子が向かうと、そのあとをズルズル身を引きずるように追いかける。まるで飼い主のえさを待つ大型犬だ。

 彼女は一度だけ玄関のいづるを振り返り、その隣の玲奈を見てにんまりほおゆるめた。


「で……なぁに? 二人は翔子ちゃん同伴どうはんでデート? それとも、ぐっふっふー!」

「違うよ、姉さん。先輩の家に呼ばれたんだ」

「ええ、私達みんなで、ガンダ――!?」


 ガンダムを見ていた。

 正確には、SDガンダム、騎士ナイトガンダムだ。

 だが、そのことを喋ろうとした玲奈の言葉を、いづるは慌ててさえぎる。

 咄嗟とっさに口を手で塞いだが、くちびるは柔らかくて呼気こきが熱い。

 そして、突然あかりの表情が暗くとがった。彼女は纏う空気まで黒くよどませ、ドヨーンと湿った視線を突き刺してくる。


「何? ……今、ガンダムって言わなかった? ええ? おうこら、いづる……ガンダム?」

「ちっ、ちち、違うよ! ねえ、玲奈さん」

「ガンダムって言った! 玲奈ちゃん、ガンダムって今!」

「違うってば! これは……そ、そう、! みんなでロード・オブ・ザ・リングをブッ続けで見てたんだ。知ってる? 姉さん。灰のガンダルフっていう魔法使いが」


 危なかった。

 今、あかりはおっとと別居中で、それで実家に帰ってきているのだ。

 彼女の旦那様だんなさま、いづるの義理の兄はアニメ関係の仕事をしている。それも、かなり重要なポジションを任されたアニメーターだ。ガンダムを作っているため、構ってくれる時間が減ったことを、あかりは不満に思ってるのだった。

 そして、話は更に面倒な方向へと進み始める。


「あれぇ? わ……いらしてたんですかあ! えっと、もうすぐご飯にしますねえ? あ、あれ……? 酔って、ますかぁ? 海姫マリーナさぁん」

「ガンダムは敵! ガンダムは敵……ああ、姫様! ガンダムは敵です!」


 奥から姿を表したのは、なんと来栖海姫クルスマリーナだ。

 彼女はかつて、玲奈の家でメイドをしていた。運転手でもあり、ボディーガードも兼ねている。そして、幼き玲奈の最大の犠牲者ゆえに、ガンダムアレルギーになった女性だった。

 やばい、目がすわわってる。

 あかりと並んで、海姫は互いにウンウンとうなずいた。


「そうよ、海姫ちゃん! ガンダムは敵! 女の敵よ!」

「そう、ガンダムは敵……私は再調整を受けた。だから、敵……大いなるスーパーロボットの世界を乱す、リアル系ロボット……それがガンダム!」

「ええ! あなたのたましいはまだ、ガンダムの中に囚われている……」

「はい……そうだ! 私はガンダムを倒さねば! あかり女史と共に!」

「妻を待たせることしか知らない男が、子供のアニメとしてガンダムを造った。家事は女の妻が全部こなしてるのに、不自然だと思わない?」

「ええ! そうです、そうですとも!」


 最悪だ。

 何故なぜ意気投合いきとうごうしてるのだ。

 ついでに、どうして泥酔でいすいしてるのか。

 ともあれ、玲奈は冷静だった。


「つまり、あかりさんは夕食を待てずに飲酒へ走り、そこへ私の様子を見に来た海姫が……二人はごはんを求めていたのね。それを私は呑気のんきなものだと感じて」

「いやいや、玲奈さん。ただの酔っぱらいですから……玲奈さん?」

「ふふ、何だかおかしいわね。私の好きな人、私を心配してくれる人が、今はちょっぴりガンダムが苦手なの。でも、それが全然嫌じゃない。だから、静かに混てるし、ガンダムが嫌いな人を嫌いになれないの」


 少しおかしそうに、再度玲奈は小さく笑った。

 そんな彼女をじっとりと見詰めて、海姫はあかりと勝手に盛り上がる。


「とにかく、姫様! ミネバ様! 一緒に来てもらいます」

「おうー! 玲奈ちゃんはみんなのお姫様なんらろー! いづるのお姫様で、デヘヘ……」

「うっ……あ、頭が……姫様、来栖海姫、ここまでです……」

「おろ? 海姫ちゃん飲み過ぎ? そういう時は向かい酒らろー!」


 いづるは知っている。

 酔っ払うと何故か、海姫は過去のガンダムのストレスを思い出して、人格が豹変ひょうへんするのだ。でも、同時に彼女は幼少期の玲奈を許している。もう、とっくに許しているのだ。

 スパロボでも使、許している。

 無邪気さ故にガンダムを押し付けた玲奈は、今では彼女の大事な人間なのだ。


「さ、いづる君。私も翔子さんを手伝います。いづる君は二人をリビングに戻して、御酌おしゃくしてあげて」

「は、はい。さ、姉さん。海姫さんも。もどりましょう」

「……いつか、みんながこうしてわかりあえればいいのにね」

「え? 玲奈さん、何か言いました?」

「いいえ、何でもないわ。阿室玲奈、キッチン! いきまーすっ!」


 ブラウスを腕まくりして、玲奈は行ってしまった。

 その背を見送るいづるは、左右からガシリ! と二人の女声に抱き着かれる。あかりも海姫も、酷くグラマラスなのだからドギマギしてしまう。

 勿論、姉にもメイドにも変な気持ちになどならない。

 だが、ムッツリスケベないづるの肉体は正直なのだ。


「ちょっと姉さん、海姫さんも。凄くお酒臭いですよ」

「いづるー! ……あんた、しっかりやってんろ? やることやってんらろー!」

「いづる……姫様を、泣かせたらいけない。ウプ……姫様を、頼む、ぞ……」


 なんとかいづるは、寄りかかってくる二人に挟まれながらリビングへと戻る。

 ちょっとあかりが心配だし、顔色の悪い海姫の飲み過ぎも不安だ。

 だが、そんな二人をようやくソファに落ち着かせると、キッチンからはいい匂いが漂ってきた。すでに翔子は、てきぱきとだしを取って鍋の下ごしらえに入ったらしい。

 そして、エプロンを着た玲奈がそこに加わる。


「翔子さん……阿室玲奈、おむつ持参で、もとい、エプロン持参でお手伝いします」

「わぁ、ありがとうございますぅ。じゃ、玲奈先輩は野菜を切ってくださぁい」

「任務了解……!」


 いづるは、自分が古い価値観に固執した人間だとは思わない。

 だが、全時代的だと言われても、女性が台所で甲斐甲斐かいがいしく働く光景は好きだ。それをただ待って過ごせるなんて、贅沢だとさえ思える。

 勿論、この場合は自分も手伝いを申し出て、酔っぱらいから解放されたいという気持ちもあった。


「ねね、海姫ちゃーん? なんかこぉ……玲奈ちゃん、最近よくなーい?」

「姫様は、変わられた……以前にもましてお綺麗に、そして……きっといづる少年がいい影響を与えているのだな」

「そう! でね、でね……彼女、なーんか秘密があるのよ。ね、いづる?」


 ドキリとした。

 というか、秘密もなにも……彼女はガノタ、ガンダムオタクである。

 そして、そのことを最近は隠さなくなった。

 家の外では、どうどうとガンダム好きを公言するようになったのだ。それは、彼女の魅力を損ねることなく解放感を呼び込んだ。いづるも、好きな人が溌剌はつらつとしているのは嬉しい。

 だが、この二人に……特に、あかりには秘密である。

 ガンダムで家庭環境をこじらせてしまった人だからだ。


「ねえ、海姫ちゃん……玲奈ちゃんの秘密、何か知らないの?」

「それは、姫様は……姫様は! ガンダ――」

「ガンダーラ! ガンダーラ! は、はは……歌いたくなっちゃったなー! そこに行けばー! どんな夢もー! 叶うというよぉぉぉぉ! はぁ……」


 突然歌うよ!

 というか、しょうがないからいづるは歌った。

 ガンダムの話題はまずい。

 あかりにガンダムは禁句だ。

 でも、ふと脳裏にあかい少女のことがよぎった。

 あの古府谷史那フルフヤフミナは……もしかしたら、ガンダム好きである故に何かに傷付いたのかもしれない。そしてそれは、あの玲奈に関わりがあるようなのだ。


「ちょっと、いづるー? それ、知ってる! ナツメロ! 踊りもあるよね、それ!」

「……いづる、その歌……な、なんだ、頭が……うっ!」

「歌姫ちゃん、踊ろ! 歌って踊ればガンダーラだよ!」


 酔っぱらい二人組が、一昔前の動画投稿サイトの『』みたいなことを始めた。いづるが止めるのも振り切って、奇妙なダンスに身を揺らす二人。

 気付けば、キッチンで振り返る玲奈も翔子と一緒に笑っていた。

 この笑顔の輪に、いつかあの人も……史那も加わってほしい。

 いづるは人知れず、小さく決意を固める。

 大好きな玲奈のためにも、史那とのわだかまりを解消してあげたい。例えそれがお節介せっかいでも、自分がそう望んでいることだけは確かなのだった。

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