第28話「聖ズィーオンの残光」

 富尾真也トミオシンヤ楞川翔子カドカワショウコの、デート。

 それを壊滅的なセンスでバックアップする、謎の少女……嶺阿寶リン・ア・バォ。その正体は、どう見ても阿室玲奈アムロレイナその人である。サングラスにノースリーブで変装したつもりらしいが、モロバレであった。

 そして、そんな彼女を見ていられない日陽ヒヨウいづるは……不用意なエンカウントに固まっていた。

 彼の背後には今、花粉症を装うマスクに大げさなサングラスの少女。

 揺れる真っ赤な縦巻きロールで、その正体はすぐにわかる。

 そして、彼女の方からいづるへと喜々として接触してきた。


「やっぱり、いづる様ですのね。因みに乙女座の私と言いましたけど、実は魚座のA型ですの。フフッ、でもお会い出来てうれしいですわ!」

「あ、ああ、ええと……文那フミナ先輩」


 古府谷文那フルフヤフミナは、私服も赤かった。

 豪奢ごうしゃな雰囲気、ゴージャスなオーラをまとっている普段の学校生活とは少し違う。美貌を台無しにするサングラスとマスク、そして赤いジャージに赤いリュック。

 正直、声をかけてくれなければ気付かなかった。

 そのことを正直に告げると、嬉しそうに文那はサングラスをずらし、その奥から輝く目を垣間見せる。キラキラと輝く瞳に、困惑したいづるの顔が映っていた。


「わたくしの変装は完璧ですわ! それに引き換え……阿室玲奈。情けない変装と戦って勝つ意味があるのかしら? しかし、これはナンセンスですわ!」

「あ、あの……文那先輩。文那先輩の変装もなかなか……」

「ええ、なかなか堂に入ってるでしょう? 自信ありますの。買い物の時はいつもこれですわ! 気付かれることなく行動できましてよ」

「確かにちょっと、気付かなかったですけど」


 そうこうしていると、真也と翔子は駅の中へと消えていった。

 どうやら映画館に行くらしい。

 そして、そのあとを物陰から物陰へと、モロバレな怪しい尾行で玲奈が続く。今の彼女は、若き少年少女を見守る謎の人物……嶺阿寶。見るからに危なっかしい彼女を、慌てていづるも追いかけようとする。

 何故かその腕に、文那は抱きついてきた。

 密着の距離から見上げてくる彼女は、興奮にハスハスと鼻息を荒くしている。


「これは、運命ですわ! まだわたくし、戦えますの……いづる様とこうして、休日を御一緒できるなんて。んー、イノベーションッ!」

「ちょ、ちょっと、文那先輩!?」

「それにしても阿室玲奈……また、またしても、! その恋愛を破壊する……それが、阿室玲奈」

「……へ?」


 文那は、改札の中へと消える玲奈の背中をにらんだ。

 その視線は、サングラスの奥から凍りついた戦慄をにじませる。常日頃から文那は、玲奈に対して過剰な敵愾心てきがいしんを隠そうともしない。そして、その理由は今もって語られないままだ。

 だが、いづるは確かに聴いた。

 その真相の一旦と思しき、文那の情念がこもった暗い声を。


「あ、あの、文那先輩!」

「あっ、阿室玲奈が行ってしまいますの。さ、いづる様っ! あとを追いますわよ!」

「ちょ、ちょっと! 引っ張らないで……っていうか、密着しないでください! む、胸が、腕に……あの!」

「人の恋路を邪魔する阿室玲奈は、馬に蹴られてナントヤラですわっ!」


 文那のスレンダーな身体の、ささやかな胸の膨らみ。それが今、いづるの二の腕にぴったりと吸い付いている。ジャージ姿は露出が全く無いのに、スタイルのいい文那のシルエットを完全に浮き上がらせていた。

 どぎまぎするいづるを引っ張り、文那は切符を買って、改札を通り抜ける。

 流されるままに、いづるはあわあわと混乱しながら連れて行かれた。

 ホームには丁度、都心の方への電車が滑り込んできた。

 真也と翔子が仲良く二人並んで乗車し、少し離れて玲奈が乗る。わざとらしく新聞紙を読みながら、チラチラと玲奈は二人に気を配っていた。そして、そんな玲奈に隠れるようにして、文那もまたいづると共に隣の車両に乗る。

 真也と翔子を尾行する玲奈、そしてその玲奈を尾行する文那といづる。

 とても複雑な休日が、急転直下で動き出す。

 ドアの影から隣の車両をうかがいつつ、文那はそっといづるにささやいた。


「いづる様、あれは全校女子の憧れる二年生、生徒会書記の富尾真也ですわね!」

「え、ええ。あ、知り合いですか? 有名人なんだ、富尾先輩も」

「当然ですわ。わたくしを差し置いて阿室玲奈のライバルを自称する、ただのイケメンですの。いつか思い知らせてやりますわ……分かるまい! 好敵手と仲良しごっこしている阿室玲奈に、このわたくしの身体を通して出る力が!」

「……ちょ、ちょっと怖いですよ、文那先輩」

「あっ……ご、ごめんなさい。その、忘れてくださる? わたくし……いづる様の前では普通のかわいい女の子でいたいですの。それに……ガンダム好きでも、いづる様は」


 隣の車両では、並んで座るなり翔子がズガガガガ! とマシンガントークを開始した。聞き上手に徹している真也も、眼鏡の奥でタジタジである。何やらショクパンマンが総受けだとか、そのけがれなき純白をバイキンマンが汚してゆく背徳だとか、朝からとんでもないことを一生懸命喋っている。

 どうやら翔子は、本当にアンパンマンの映画が楽しみらしい。

 それを見守る玲奈は落ち着かないが、全体像を把握しているいづるだってそうだ。

 すると、ピタリと身を寄せてくる文那が小さくらす。


「恋人同士のデートで、アンパンマン……ぶち壊す気満々ですわ」

「でも、翔子は嬉しそうですけど」

「いづる様、幼馴染の方はちょっと特殊ですの! ……な、なんですの? ショクパンマン総受けって……総受けならもっといいキャラが……はっ!? い、いえ、それより」

「それより?」

「阿室玲奈……恐ろしい! いづる様、あの女は……阿室玲奈! 貴女はわたくしの全てを奪った!」

「……えっ?」


 信じられない一言。

 そして、信じ難い話だ。

 だが、文那はじっといづるを見上げてくる。

 彼女は改めて周囲を見回すと、空いてる席へといづるを座らせた。そしてその隣に自分も腰掛け、じっと床の一点を見詰める。

 緊迫感を張り巡らせて、文那は呼吸を落ち着かせるように薄い胸に手を当てる。

 ようやく彼女の、玲奈への遺恨の秘密が語られようとしていた。


「いづる様、阿室玲奈はわたくしにとってライバル……わたくしはあの人に、勝ちたい!」

「え、ええ」

「でも、いいライバル同士でいられたのは昔の話ですわ。阿室玲奈は……卑劣な暴露ぼうろでわたくしの恋を……初恋を木っ端微塵に粉剤しましたの」

「えっ!?」

「……話せば長くなりますわ。聴いてくださる? いづる様」


 サングラスの奥で、さびしげに文那が目を細める。

 いづるは黙って頷くしかない。

 あの玲奈が、そんなことをする筈がない。

 そう自分に言い聞かせて、信じる気持ちを新たに確認する。同時に、文那がありもしないデタラメを信じ込んでいるとも思えなかった。事実無根では、あんなにも情熱的に玲奈への対抗心を燃やせない。

 なにか誤解があって、それを解くのには真実が必要だ。

 いづるの目だけを見詰めて、文那は喋り始める。


「昔……一年生の時、わたくしと阿室玲奈はライバルでしたの。"萬代ばんだいの白い悪魔"と呼ばれた彼女と、"ズィーオンの赤い彗星"と呼ばれたわたくし。そう、セントズィーオン女学院では、わたくしにかなう者などいませんでしたわ」

「そ、それで」

「いろいろな競技で戦う内に、わたくしは親近感を、そして尊敬の念さえ感じましたの……阿室玲奈。気品と気高さを持った、誇り高いアスリートであり、文武両道の文化人。部活動を通して、わたくしたちは言葉なき相互理解に達した瞬間さえあった」


 しかし、と文那は言葉を切る。

 そして、真実が暴かれる。


「当時、わたくしは交際していた方がいましたの。とても素敵な方……親同士が決めた許嫁いいなずけでも構わなかった。周りの言うことなんて、気にしなかった。でも……その方にもわたくしは隠してましたの。そう……いづる様にだけは告白しますわ。わたくし……。それも重度の」

「そ、それは……! 前から、知って、ました」

「ええ。いづる様はわたくしの異常で異様な趣味を知ってさえ、こうして接してくれる。ガンダムが好きな女の子なんておかしいでしょう?」

「……そんなことないです! だって、玲奈さんだって」

「でも、わたくしの許嫁は違った。そして……彼は去っていきましたわ。あれは忘れもしない、一年生の時。聖ズィーオン女学院の文化祭でしたわ。恋人と二人で周るわたくしに、丁度訪れていた阿室玲奈は……」


 ギュムと文那が、膝の上に拳を握る。

 震える唇は、弱々しく真実を吐き出した。


「あの女は、わたくしの許嫁に言いましたの……わたくしがガンダム好きのガノタ、ガンダムオタクだと! ……恋は、終わりましたわ」


 いづるは初めて知った。

 そして、考える。

 あの阿室玲奈が、人をおとしめるだろうか? そのために人のプライベートを喧伝けんでんしたりするだろうか? それも……自分と同じガノタとしての古府谷文那を、はずかしめるだろうか?

 いづるにはそうは思えない。

 だが、文那が嘘を言っているようにも感じなかった。

 そうこうしていると電車は静かに、駅のホームに滑り込む。

 どうやら真也と翔子は降りるようで、その背後を距離を保ったまま玲奈が続く。

 文那はサングラスとマスクで覆った顔で、無理に微笑んだ。

 復讐の仮面を被った赤い彗星が、いづるを気遣い笑いかけてくれる。


「つまらない話をしましたわ、いづる様……さ、行きましょう! 再び阿室玲奈は、若い恋人たちの仲を引き裂こうとしてますの」

「そんなことは……ないと、思います、けど。でも」

「恋人たちにアンパンマンを押し付けるような女ですの! そう、宇宙そらを恐れて縮こまりながらも、カミーユとフォウを引き裂いたアムロ・レイのように……わたくしにはそれがわかるんですの、阿室っ!」


 それだけ言うと、いづるの手を取り文那も急ぎ足で下車する。引っ張られるままに、いづるはジャージ姿に並んで歩いた。

 文那の手は柔らかくて、そして赤い炎のように熱く、温かかった。

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