ブルマ魂

第11話「うさぎ少女のみた夢」

 中華料理屋、天驚軒てんきょうけんでのアルバイトを始めても、阿室玲奈アムロレイナの生活は揺るがなかった。規則正しく朝起きて、日陽ヒヨウいづると学校で勉学にいそしみ、そのかたわらでこうして生徒会の仕事も副会長としてキッチリこなしている。

 正直言って、いづるは尊敬の念を禁じ得ない。

 だが、それでも……それでも、時々玲奈のことがわからなくなる。

 いまだもって、超絶完璧ガールな玲奈はいづるにとって謎の存在だ。ガンダム大好きガンダムオタク、ガノタであるという以外は、まだまだ知らないことが多い。


「あら、いづる君。いらっしゃい、ちょっと待ってて頂戴ね。見ての通りで、今とても忙しいの」


 放課後の生徒会室へと顔を出したいづるを待っていたのは、いつも通りすずしげな笑みを綻ばせる玲奈だ。そういえば、ここに来る時はいつも生徒会長がいない。確か三年生の男子が務めてる筈だが、不思議といづるは記憶になかった。

 玲奈が強烈過ぎる個性の持ち主なので、当然と言えば当然かもしれない。

 しかし、相変わらずなんというか……玲奈は、かわいい。

 かわいい、そして美しい。

 僕のカノジョなんです、なんて思ったら、不思議といづるは頬が火照ほてった。

 だが、別の意味でも顔が熱くなる……いづるはムッツリスケベだから。


「あ、あのぉ……玲奈さん」

「なにかしら?」

「見ての通りと言われても……見たままだと、訳がわからないんですが。忙しいん、です、よね?」

「ええ。とても、ね」

「じゃ、じゃあなんで――」


 そう、何故。

 どうして。

 なにゆえに?


「なんで、?」


 バニーガールである。

 肌もあらわな、扇情的せんじょうてき蠱惑的こわくてきな、妖艶極ようえんきわまりない格好である。

 バニーガール姿の玲奈は、執務机に座って書類を決済しているのだが、そこに格好との関連性をいづるは見い出せない。見ての通り、と言われても、直視することすらできない程にその姿は眩し過ぎた。


「ああ、この格好? 気にしないで頂戴、これも副会長の……そしてクラス委員の務めよ」

「わ、わかりました。気に、しないように、します、けど」


 視線を反らしてしどろもどろのいづるは、とりあえずソファに座って仕事が終わるのを待つ。

 だが、玲奈はそんないづるをチラリと見て、やおら突然立ち上がった。

 椅子から立つって机を離れた彼女の、完璧なバニーガール姿が目に飛び込んでくる。見事なスタイルはたわわな胸の膨らみが魅惑的で、その谷間が強調されるような衣装が心憎い。柔らかな曲線を描くヒップラインには、ウサギの尻尾が丸くなっていた。


「いづる君? 気にしないで頂戴と言ったわ、私」

「え、ええ」

「でも、気にして。むしろ、気になって!」

「ええ!? そ、そんな……無茶苦茶な」


 ソファの前までカツカツとヒールを鳴らしてやってくると、ピシリと見心地のいい立ち姿で玲奈が見下ろしてくる。

 勿論いづるとしては、気にならない訳がない。

 何故、バニーガールの格好をしているのか? ではない。

 バニーガールの姿な玲奈そのものが気になるのだ。


「あ、あの、じゃあ……どうして、バニーガールの格好なんですか?」


 そして、話は最初に戻る。

 そのことを聞いたら、玲奈はようやくフフンと笑みを浮かべた。いづるは、玲奈のこういう子供っぽいところが嫌いじゃない。


「明日は体育祭だというのに、もう来月末の文化祭の仕事が目白押めじろおしなの。わかるかしら?」

「わかり、ません……あんまし」

「そ、そうよね、ごめんなさい。実は、各クラスで文化祭に出し物をするでしょう? その許可を出すのが私なのだけど、同時に私は二年F組のクラス委員。クラスの出し物をホームルームで話し合っていたの」

「あ、そういえば玲奈さんってF組でしたよね」

「そうよ、


 なんの話かと首を捻ると、慌てて玲奈は口を抑えた。


「……ザクとは違うわね、ザクとは。こっちの話よ」


 そう言って彼女はもじもじしつつも、いづるの隣に座る。

 いづるは漠然ばくぜんとだが、玲奈にある種の小さなストレスが積もり積もっているのを感じていた。

 原因はいづるの姉、日陽あかりだ。

 あかりは日がな一日グータラと過ごし、家にいることが多い。散歩と称して軽く飲みに出掛けたりしているが、基本はニートである。必定ひつじょう、いづるや玲奈が帰宅すると、あかりは笑顔で出迎えてくれる。ちなみに家事はしない、一切やらない。なにもしないが、いるだけで彼女は無意識に無自覚に、悪意も害意もなく玲奈にストレスを強いていた。

 あかりは、ガンダムが嫌いだ。

 今、日陽家は暗黙の了解で、ガンダム禁止令が出されているのだ。

 だが、そのことで玲奈は不満を口にしなかったし、笑顔であかりと接してくれている。だから、気付いているのはいづるだけ……いづるには玲奈の些細な感情の機微きびすら、手に取るようにわかる気がした。気がするだけで十分だった。


「この格好はね、いづる君。私のクラスの出し物、バニーガール喫茶のコスチュームよ。ふふ、これでは道化どうけだわ」

「いや、まあ……でもなんで、そのバニーガールの格好を玲奈さんが」

袖付そでつき、よ……二年F組所属の男子が袖付きと接触したのは、間違いないようだわ」

「袖付き?」

「これよ、これ」


 玲奈は肩まであらわな腕を伸ばすと、自分の手首を指差す。

 バニーガールにはお約束の、白いシャツの袖だけが巻かれている。そこには兎をあしらったカフスボタンが輝いていた。

 袖だ、袖である。

 だが、イマイチいづるの中で話が繋がらない。


「えと、つまり……」

「F組の一部に、女子たちが用意してる衣装を『袖は付いていない』って言う人が多いのよ。袖付きって呼ぶことにしたわ。袖なんて飾りなのに……偉い人にはそれがわからないんだわ」

「いや……袖、駄目なんですか?」

「予算というものがあるわ。見て頂戴、いづる君」


 立ち上がった玲奈は、いづるの前でくるりと回ってみせた。

 こうして改めて見ると、バニーガールというのはとても刺激的な格好である。頭の耳は片方がぺっこりと折れており、玲奈の愛らしさを何倍にも引き立たせている。ほっそりとしなやかな両脚には網タイツがまぶしく、そのおみ足の付け根はきわどい角度の三角地帯デルタゾーンだ。首元のちょうネクタイも、とてもかわいらしい。

 だが、腰に手を当て玲奈は溜息を零す。


「今、私はフル装備だわ。言ってみれば、ツイン・フィンファンネルにしたHWSヘビーウェポンシステム装備のνニューガンダムよ。でも……それでは駄目なのよ」

「駄目、なんですか」

「予算オーバーなの。それで、袖か網タイツかを、どちらかを諦めなければならないわ」

「それはまた……大変、ですね」

「ええ、大変なのよ」


 文化祭におけるクラスの出し物は、全て生徒会から出された予算で切り盛りするのが規則だ。そして、その多くを恐らく、バニーガール喫茶では食材の調達に使うだろう。珈琲コーヒー紅茶こうちゃ等を出しつつ、ある程度は軽食や甘味も用意しなければいけない。

 予算というシビアな現実と、玲奈は戦っているのだった。

 いづるにはバニーガール姿がまだまだ納得できなかったが、眼福ではある。


「えっと、じゃあ……袖、欲しいって人が多いんですよね」

「一定数いるわね。まったく、全裸ぜんらじゃあるまいし」

「ぜっ、全裸!? 全裸に、袖……全裸に、袖! ぜんらに、そで……」


 いづるの脳裏でたちまち、玲奈が袖を残して全裸になる。

 だが、玲奈はいづるが妄想世界に飛び去っても言葉を続けた。


「ああ、全裸っていうのはフル・フロンタルのあだ名よ。フル・フロンタル……素っ裸って意味なの」

「素っ裸!」

「……あらやだ、知らないうちにスラングを使ってたわね。最近、ようやく一人でも少しネットができるようになったから、つい。い、いけないわね。ごめんなさい、いづる君」

「全裸……素っ裸……? は、はい、いえ」


 やはり、玲奈にはガンダム禁止令はこたえているようだ。

 普段、玲奈はガンダムに関するスラングはあまり使わない。忌避きひしている訳ではないし嫌悪も抱いていないが、彼女はそうした略称や蔑称べっしょうは使わないのだ。

 普段、なら。

 だが、見えないところで玲奈も荒んで疲れているような気がした。


「あ、あの、玲奈さん」

「なにかしら? いづる君」

「バイト、週四ですよね? 水曜日と、土日が休みで」

「ええ、師匠が都合してくれたの。土日は子供らしく遊びなさいって」

「ぼ、僕、そろそろ……新しいガンダム、みたいなあ……なんて」


 頬をポリポリと掻きつつ、自分でもわざとらしいなあと思いながらの一言。その言葉を聞いた玲奈は……みるみる表情がパァァーッ! と明るくなってゆく。

 潤んだ瞳に口元を緩めて、彼女は突然いづるに抱き付いてきた。


「いづる君っ! ええ、是非! 是非、そうしましょう!」

「わわっ、玲奈さん!? ちょ、ちょっと、あの」

「私にはまだ、いづる君とみたいガンダムがある……こんなに嬉しいことはないわ!」

「そ、その、玲奈さん! あ、あっ、あああ、当たってます」

「ン? なにが? 当たらなければどうということはないぞ?」


 どうということはあります、むしろ……どうにかなっちゃいそうです。いづるは口をパクパクさせながら、玲奈に抱き締められた。生徒会室に二人きり、こんなところを誰かに見られたら、いいゴシップだ。だが、玲奈は嬉しそうにいづるの首に腕を回してくる。

 密着してくる胸の膨らみが、ガッツリと腕に当たっている。

 玲奈の深い胸の谷間に、いづるの二の腕が埋まっていた。

 じんわりとシャツ越しに浸透してくる柔らかさと温かさ。


「れ、玲奈さん、落ち着いて。離れて、ください……その、僕、ちょっと」

「あら? ご、ごめんなさい。うれしくて、つい」

「いえ」


 ようやく自分がしていたことに気付いて、玲奈は頬を赤らめ離れた。

 同じソファに座って背を向け合い、なんとも気不味い時間が流れる。

 だが、玲奈は笑顔で振り返ると、いつもの小気味よい声を響かせた。


「明日の体育祭が終わったら、少しゆっくりできると思うの」

「は、はい」

「だから……また私と、ガンダム、みてくれるかしら? ……二人きり、で」

「……はい」


 いづるの返事に、玲奈はこの日一番の笑顔を見せてくれた。

 そして話題は、明日の体育祭へと移る。秋の体育祭は近隣でも評判の盛り上がりを見せ、高等部とは思えぬ程に父兄が大挙して押し寄せる。私立萬代学園しりつばんだいがくえんの伝統でもあり、学級対抗で一年生から三年生までが一致団結しての熱戦は見ものらしい。


「僕も玲奈さんと同じ、F組だったらよかったんですけど」


 作者も忘れていたが、いづるは一年G組、玲奈とは隣のクラスだ……ただし学年が違うが。そして、このG組にあの女がいるとは、この時はまだ想像すらしていない。


「そうね、体育祭では三学年混合の競技もあるもの……私もいづる君と一緒に戦いたかったわ。気持ちはいつでも、デラーズ・フリートにノイエ・ジールしか残せなかったアクシズと一緒よ」

「や、その例えはよくわからないです、けど。でも、玲奈さんの活躍を応援してますね」

「ふふ、私もだぞ? 私も、心の中ではこっそりG組を応援するわ。GははじまりのGですもの」

「……G、なんですか?」

「そうよ? 創まりGENESISのG、でしょ」


 そう笑って玲奈がソファを立ち上がる。


「着替えるわ、今日はここまでにして一緒に帰りましょう。明日の準備もあるから、今日はアルバイトは休みの連絡を師匠にいれてるわ。大丈夫!」

「あ、じゃあ外で待ってますね」

「あら、そう? 明日は朝早く起きて、翔子さんとお弁当を作るの。ああ、楽しみだわ……去年よりずっと楽しみ。早く明日にならないかしら」


 子供のような笑顔を見せて、玲奈は左右の袖を取る。頭の耳も外して、蝶ネクタイを細い首からほどいた。そして、網タイツに手をかけたので、慌てていづるは背を向け部屋を出る。

 だが、そんな彼を玲奈は呼び止める。

 背中でいづるは、衣擦きぬずれの音を聞きながらも振り返れない。


「いづる君、好きなおかずはあるかしら? 私一人じゃ無理だけど、翔子ショウコさんとなら色々作れると思うわ」

「え、あ、いやあ……唐揚げとか? ハンバーグとか。あとで、とりあえずあとで話します! 外で待ってますから!」

「あっちを向いててくれれば、別にいいのに。着替え、すぐ終わるぞ?」

「そういうの、まずいですって!」


 今、同じ密室の空気に玲奈と二人きり。そして、いづるが吸って吐く呼気は、玲奈のあらわな柔肌に触れた空気なのだ。

 ゴクリと喉が鳴ったが、どうにか自制心をフル回転させていづるは部屋を出る。

 背後を見ないように後ろ手に扉を締めて、溜息。

 勿論、見たい。

 玲奈の着替え、ガン見したい。

 だが、いづるはまだまだ純情を拗らせたムッツリスケベ、そこまで図々しくはなれないのだった。だが、ふと楞川翔子カドカワショウコの名前が出たので思い出す。

 そして、生徒会室を出てきた制服姿の玲奈に振り返った。


「玲奈さん、さっきの袖の話」

「ああ、袖付きの男子たちね。フェチズムとでもいうのかしら? 凄いこだわってるのよ、袖に。困ったものね」

「翔子が前、僕の古いワイシャツを処分するって言ってたんですけど……クラスのみんなにいらないYシャツがあれば、それの袖を切って加工するのはどうでしょう。コスト、かかりませんよね、あまり」

「廃品の利用、リサイクルね……あら、凄いじゃない? ふふ、やっぱりいづる君、頼りになるかも」


 ニコリと笑った玲奈に、自然といづるも笑みが溢れる。

 こうして二人は、明日の体育祭を話し合いながら帰路につくのだった。

 明日という日に、数奇な運命の対決が待つとも知らずに。

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