第8話「激突食域」

 チャイナドレスの阿室玲奈アムロレイナが目の前にいる。

 その、形よく張り出た見事な胸の膨らみが、目線の高さに浮いている。

 それなのに、一触即発の空気に日陽ヒヨウいづるは凍りついた。いづるの向かいの席には、ドヤ顔で古府谷文那フルフヤフミナが座っている。彼女は続いて同じテーブルに座ろうとした楞川翔子カドカワショウコ富尾真也トミオシンヤを、鋭い眼光で引き下がらせた。

 その間、ずっと玲奈は無表情だ。

 普段の美麗びれいな整った顔立ちも、今は氷の彫像のようだ。

 しかし、文那は全く気にした様子もなくメニューを差し出してくる。

 玲奈が溜息ためいきと同時に肩をすくめて見せたのは、そんな時だった。


「……ま、おおかたまた貴女あなたの思い込みと早とちりでしょう? 文那さん」


 その通り、まったくもってその通り。

 いづるが安堵の溜息を零したが、その瞬間に緊張感が舞い戻る。

 口では納得の様子で「いづる君? 私、そんなに気にしてないぞ」と言いつつ……玲奈は水の入ったコップを、ドン! とテーブルに置いた。

 そんな玲奈を物ともせずに、文那は水を一口。

 美少女同士が自分を挟んでの鞘当さやあて、ヒリヒリするような緊迫の空気だった。思わずいたたまれなくて、いづるは翔子や真也に救いを求める。だが、彼の視線を吸い込む先では、無情にも翔子のどうでもいいほがらかさが発揮されていた。


「じゃあ、呂辺ロベさんも亜堀アボリさんも、文那先輩が小さい頃から……大変ですねえ~」

「いえいえ、これもお勤めですので」

「まあ、大変と言えば大変なのですが」

「楞川っ、敵とたわむれるな! ええい、相席ということなんですよぉ!」

「あ、ドモンさぁん。餃子追加とぉ、わたしはにんにくラーメン大盛りで! 呂辺さんが塩ラーメン、亜堀さんはチャーシューメン、でぇ……富尾先輩はぁ?」

「断固、つけ麺である! ……っておい、楞川! いづる少年が」


 すでに二人は文那のボディーガードたちと打ち解け、四人で仲良く? ドモンと呼ばれてしまうアルバイトの山田さんに注文中だ。どうやら助けてはもらえそうにない。

 そして、いつもの玲奈の笑顔は戻ってきたが、不思議といづるには恐ろしく見えた。

 ひょっとして、怒っているんじゃ……内心、生きた心地がしない。

 しかし、目の前の文那は我関せずで、コップの水を一口飲み終えると、微笑ほほえんだ。


「恋人のライバルと水は飲めないのかしら? 日陽いづる様」

「いや、というか……根本的にですね、文那先輩」

「いい反応ね。でも、向こう見ずでもあるわ。パイロット気質かしら」

「すみません、日本語でオネガイシマス」


 そもそも、どうしていづるがこんなステレオタイプのワガママお嬢様にロックオンされているのかというと……先日の始業式の朝に話はさかのぼる。いづるは校門の上から落下した文那を偶然救出、危機から助けたのだ。

 そして、思い込みが強い文那に見初みそめられてしまったのである。

 彼女は、いづるが玲奈と付き合っているのだと言っても引き下がらない。

 そんな中、注文を待ちつつヤキモチの暗い炎を燃やす玲奈をちらりと見れば……やはり、いづるは意識してしまう。自分はこの人と、この美しい人と恋仲なのだと。


「失礼ですけど、文那先輩。その……そういう押しの強さは、心の傷か何かをお隠しになってるんですか? 僕でよければ話、聞きますよ。本当のところを聞かせて欲しいです。……なにか訳が、事情があるんじゃあ」

「いづる君……ええ、そうね! 文那さん、これ以上優しいいづる君を巻き込むのはやめて頂戴。貴女の目的は私でしょう? なら、正々堂々と私を――」


 いづるの言葉に続いた玲奈の声を、文那は手を伸べ遮った。

 彼女は玲奈を見もせず、真っ直ぐいづるだけを見詰めてくる。


「いいの、阿室玲奈には黙っててもらうわ! ……いづる様は礼儀の話をしているのよね」

「違います。……って、僕の話聞いてます? 文那先輩」

「わたくしの優雅な気品と威厳は、これはファッションのようなものですわ。いづる様のように素直に言ってくれる人がいないので、つい忘れてしまいますの。ごめんなさいね」


 その時いづるは、初めて文那の素顔を見た気がした。

 彼女はウィンクして小さく舌を出すと、玲奈のライバルであり大金持ちのお嬢様という仮面を外す。そこには、気取った普段とのギャップがまぶしい美少女がいた。

 だが、彼女は相変わらずの思い込みの強さで妄想を加速させてゆく。


「心の、傷……そうね、でももうそれもどうでもいいの。だって……いづる様との新しい恋が始まったんですもの。ねえ、萬代ばんだいの白い悪魔? 阿室玲奈」

「それはどういう意味かしら、古府谷文那……ズィーオンの赤い彗星すいせい

「そのままの意味ですわ。いづる様はわたくしを助けてくれた。そして、ガノタである阿室玲奈が、厚かましくも恋人、彼女と名乗ることを許しているのですわ」

「それは! 違う、わ……違う、はずよ。だって、いづる君は」


 そうである。

 許す許さないの話ではない。

 いづるは玲奈が、ガノタなところごと好きなのである。

 その想いを受け止めてくれた玲奈は、苦難と逆境の中で日陽家に来てくれることを選んでくれたのだ。

 そこには許容という言葉よりも柔らかく、温かなものが行き交っていた。


「文那先輩、玲奈さんとはそんな……許されたり許したりする仲じゃないです。もっと、こう……」

「いいの! いいのですわ、いづる様! わたくしが愛で、いづる様の目を覚まさせてあげますの。いづる様はその狡猾こうかつで残忍な女に、騙されてましてよ!」

「……違う、違いますよ」


 鼻から溜息を零した文那は、立ち尽くす玲奈をようやく見た。

 二人の視線が一本の線に収斂され、その中を激しい熱さが火花と散って行き交う。


「阿室玲奈……いづる様は素敵な方ね。残念ですけど貴女、わたくしと同等のセンス、殿方とのがたを見る目は互角とだけ言っておきましょう」

「そういう目で男の子を見るものではないわ、文那さん。男の子ってもっと、繊細なものよ。それに……優しくて、強くて」

「でも、をいづる様が聞いたら……それでもいづる様は、貴女を好きでいてくれるかしらね? ……そう、わたくしを恥辱塗ちじょくまみれの敗者へと突き落とした、


 それは以前から、いづるも気になっていた話だ。

 あの気高く優しい、卑劣と卑怯を最も嫌う玲奈がなにを?

 玲奈が文那になにをしたというのだろうか。

 文那がずっとこだわっているからには、かなりの大事かもしれない。そして、それで彼女の心が傷ついたこともまた、事実だろう。だからこそいづるは知りたい……なにがあったのか。もしかしたらそれは、かなりの高い確率で文那の勘違い、誤解や思い込みかもしれないから。

 そうであって欲しいと思うし、そのわだかまりを解消した。

 いづるにはどうしても、文那が悪人とは思えないのだ。何故なら……文那もまた、玲奈と同じガノタ、ガンダムオタクなのだから。

 そう思っていると、玲奈が静かに口を開いた。


「……教えて頂戴、文那さん。私は貴女に、いったい何をしてしまったのかしら」

「まあ! 覚えてませんの!? 嫌だわ、これだから……失望しましたわ! 本当に覚えてませんのね! あれだけのことをして……わたくしの未来を、将来を潰しておいて!」

「文那さん、貴女との思い出は辛く苦しい勝負、苦戦と辛勝ばかりよ。でも、運動部でも文化部でも、充実した一時ひとときだと思っていたわ」

「阿室玲奈っ! ッ……教えてさしあげませんわ! 誰が言うもんですか……でも、一つだけ条件がありますわ。その条件をクリアするなら、教えてさしあげます」


 それだけ言うと、文那は椅子を立った。

 そうして、玲奈の前に顔を並べて、正面から相対する。

 二人はたわわな胸の膨らみがぶつかり合う距離で互いの瞳だけを見詰めていた。

 強い眼差しと眼差しが交錯し、緊張感が圧縮されてゆく。

 そして文那は、玲奈の呼吸が肌に触れる距離で小さくささやいた。


「いづる様をわたくしに頂戴な、阿室玲奈。そうすれば、全て水に流してさしあげてよ?」

「!?」


 玲奈の顔に動揺の色が走った。

 そして、突然のことでいづるも絶句してしまう。


「わたくしのついえた未来、貴女があがなってくださる? いづる様との新しい未来、輝ける将来……それが手に入るなら、わたくしは全てを許しますわ」

「文那さん……いづる君は物じゃないわっ! 私の物でもない、まして貴女の物になど!」

「ならば海賊らしく……古府谷家の女らしく、頂いていきますわっ!」


 文那が、パチン! と指を鳴らした。

 それで、翔子や真也と世間話をしながらラーメンをすすっていた黒服の男たちが立ち上がる。確か、呂辺と亜堀……常に文那の周囲を守るボディガードだ。

 二人はアルバイトの山田さんを押しのけ、渋々といった感じて近づいてくる。

 玲奈が自然と庇うように立ってくれる中、思わずいづるも立ち上がった。

 これではアベコベである、本当はいづるが玲奈を守りたいのに。

 だが、店の戸が開く音と共に声が走った。


「そこまでだ……それ以上お嬢様に近づいてみろ、この私が容赦しない。ことを荒立てるつもりはないが、見過ごす訳にもいかないな」


 平坦で抑揚よくように欠ける声は、不思議とよく通る。

 黒服たちが振り向く先へと視線を巡らせれば、いづるは玲奈と一緒に見覚えのある女性の姿を目撃する。

 彼女は相変わらず色気もへったくれもないコートに帽子を被っていたが、自然とスタイルの良さがいづるにもすぐに伝わった。そして、その華奢きゃしゃ痩身そうしんが鍛え抜かれたしなやかな筋肉をまとっているのも知っている。


「まあ……海姫マリーナ! どうしてここへ?」


 玲奈の驚きの声が、その影に安堵の気持ちをにじませていた。

 そう、彼女の名は来栖海姫クルスマリーナ……かつて阿室家に仕えていたメイドで、玲奈のボディーガード兼運転手、彼女のお付きの侍女で、なにより大事な家族……姉のような存在だ。

 その海姫が、三白眼気味さんぱくがんぎみの瞳で男たちを、次いで文那をねめつける。

 言い知れぬ迫力があって、誰もがみんな黙ってしまった。

 ズズズー、とラーメンをすする翔子だけが「あー、海姫さんだぁ」とのんきな声に口をもごつかせている。


「お嬢様、アルバイトを始めたと聞きました。素晴らしいです、沢山のことを学べるでしょう。私はマスターから……お父さんから様子を見てくるよう言われましたので」

「喫茶ガランシェールのマスターが? そうでしたか、ありがとう。いつもありがとう、海姫」

「いえ、お気になさらずに」


 因みに海姫は、武術の達人で護身術に覚えのある女傑だ。一見して無防備に見える歩み寄りでさえ、同じく武道の心得があるであろう呂辺と亜堀の二人を萎縮させる。

 まるで、怒りにたてがみを逆立さかだてる獅子ししだ。

 彼女はそうして黒服二人組を黙らせると、振り返った文那に向き合う。


「古府谷文那……いつも、お嬢様を付け狙う

「あぁら? 阿室玲奈のメイドじゃありませんこと……阿室家は大変なことになって、お屋敷も財産もなくなったと聞きましたわ。貴女、どうしてまだ阿室玲奈のことを? お仕事がなくて困ってるなら、わたくしが考えて差し上げてもよくてよ?」

「無用な気遣きづかいだ。私は今も、お嬢様に……自分の心のままにお仕えしている」

「なっ……そ、そうですの! フンッ!」


 腕組みそっぽを向いた文那は、心なしか寂しそうだった。

 だが、海姫はいつもの鉄面皮てつめんぴで周囲を見渡すと、言葉を続ける。


仔細しさいは先程から聞いていた。お嬢様……古府谷文那と今一度、もう一度だけ雌雄しゆうけっするべきかと思います」

「海姫……」

「古府谷文那、お前も自分に正当性があると思うならお嬢様と勝負しろ。私が断言しよう……お嬢様はお前に遅れなど取らない。いつも側で見ていた私にはわかる……お前はまたにがい敗北の中で、少し頭を冷やすがいい」


 なんとも大胆な言葉で、いづるは思わず息を呑む。

 そういえば、玲奈と文那はライバル……文那が一方的に思い込んでいるだけのようだが、何度も過去に勝負を繰り広げてきたという。

 そんな二人の闘志に、海姫は言葉を尽くして火をともした。

 火と火を持ち寄り炎にするかのように、二人の表情がりんとして静かにんでゆく。それを見るいづるにはやはり、文那が悪い人間には見えないのだ。そして……自分のために本気になってくれる玲奈の凛々りりしさが、とても頼もしく思えた。

 そして、厨房ちゅうぼうから影が躍り出たのは、そんな時だった。


「ええい、あいわかったあ! この東方不敗マスターアジアっ、全てを聞かせてもらったぞお!」


 店の大将だ。

 自分から東方不敗と名乗るだけあって、似ている……激似クリソツである。

 だが、そんないづるの平凡な感想とは裏腹に、彼は三つ編みを振り乱して謎のポーズを取ると、勝手に取り仕切ったままで熱く暑苦しく叫び始めた。


「よろしいか、お嬢さん方! 勝負は料理、中華料理にて対決してもらうっ!」

「料理……やってみるわ! 文那さん、手加減しません……阿室玲奈、作りますっ!」

「あらあら、いいのかしら? チャンスは最大限に活かす、それがわたくしの主義でしてよ!」


 すぐに自称東方不敗の大将は、アルバイトのドモンさん、もとい山田さんに二人分のエプロンを用意させる。

 いづるは文那の余裕が気になったが、安心させるように玲奈は微笑みかけてきた。


「大丈夫よ、いづる君。最近、翔子ちゃんと特訓してるもの……それに、文那さんが私をライバルと言うのなら、それは光栄なことだわ。私は……あの人に、勝ちたい」

「玲奈さん」


 力強く頷くと、玲奈はエプロンを付ける。

 そして、文那もまた黒服たちが詰め寄るのを押し留めて、まるで王者の威厳をまとうようにエプロンを装着した。

 二人の姿を交互に見て、いよいよ大将のボルテージが最高潮へと盛り上がる。


「制限時間は30分っ! 勝負は公平を期すため、ワシが食べて審査するっ! それでは、キッチンファイトォォォォォオ……レディーッ! ゴォォォォォッ!」


 大将の猛々たけだけしい声と同時に、玲奈は文那と一緒に走り出した。

 まだ口をモギュモギュ言わせながらも、その時翔子が立ち上がる。


「玲奈先輩っ、わたしも手伝います! だって、だって玲奈先輩……まだ……」

「ありがとう、翔子さん。でも、これは私の戦い……文那さんが一人で来るというのなら、私もまた一人で迎え撃つまで。悔しいけど、私は女なんだわ」


 文那もまた、ぞろぞろ厨房に入ろうとした呂辺と亜堀を追い返す。そうして二人は、互いに視線で頷き合うと……厨房の奥へと消えてゆく。

 いづるには、玲奈の勝利を願って祈るしかできない。

 そしてそれは、彼女を応援する誰もがそうなのだった。

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