案内されたのは、店の奥にある個室だった。


敦は、四人掛けテーブルの一番奥に座っていた。煙草を口にくわえたまま、私を見て手を軽く挙げる。


敦の隣に座っていたのは、素晴らしい美人だった。ボリュームのあるふわふわの髪が、冬だというのに大きく開いた谷間に垂れていて、目のやり場に困った。


そしてもう一人。敦の向かいに、小太りで背中を縮めている男。居酒屋の暗がりで見ても分かるほど頭頂部が薄くなっていて、そのくせ襟足だけは長く伸ばしている。金八先生の出来損ないのような髪型だ。


敦は立ち上がり、まず、私をその二人に紹介した。


「このマジメ君が、スノだ。須之内広樹」

次いで私に二人の紹介をする。


「俺の隣の子がユキ。平松由希子。で、向かいのとっちゃんが磯崎祐二。イソ。とにかくこれでやっと全員集まった。まあ座れよスノ」


「お飲み物のほう、よろしいですか?」

傍らでじっと待っていた先ほどの店員に声をかけられて、私はそのとき初めて気付いた。


「みんな、俺を待ってたの?」

「まあな。そんなでもないけど。俺らが十分前ぐらいで、イソが五分ぐらい前か?」

「そう、そんなもん」

言いながら祐二がメニューをパッとテーブルに広げる。


「生ビールの人?」

「俺は生。スノは?」

「あ、俺も生で」

「イソ?」

「ぼくはね、ウーロン茶。ぼく、お酒ダメなんだよ」

「ユキは?」

「私? 山崎、ロックで」

由希子は最初からウイスキーだった。見た目と酒から、第一印象にして水商売を連想させた。


ともあれ飲み物が届くと、ジョッキを持った敦がいやに厳かな口調で宣言した。

「では。何はともあれ、まずはこの出会いに乾杯しよう」

「かんぱーい!」

由希子と祐二が、敦のグラスに元気よく乾杯をする。

「乾杯……」

私は控えめにジョッキを上げた。名前しか知らない面子を前にして盛り上がれる気分ではなかった。


「どした、スノ?」

生ビールの泡を上唇につけたまま、敦。

「じゃあ訊くけど、今日は何の用だ? 俺がさ、騒ぎたいような気分じゃないの知ってるだろ?」


「またまた、スノは真面目だな。今日の一番の目的はさ、お前の歓迎なんだよ?」

「なんの歓迎? 俺は――」

敦の手が突き出され、私の抗議を遮った。


「ストップ。ウジウジするのはそこまで。いいから今日は呑め。んで言いたいこと言っちまえ。そういう日にするんだよ」

「そういう日って……」


「いいからいいから。んなら、自己紹介でも始めるか。そうすりゃ分かるって俺の言ってる意味が。言い出しっぺの俺から早速始めようか」

敦は、有無を言わさずに自己紹介を始めた。


「工藤敦。敦でいい。今日は休みなんだけど、普段は派遣で携帯ショップの店員。ここにいる三人はみんな俺の知り合いで、今日はどうしても来てほしくて集めたんだ」


私はつい口を挟んだ。このメンバーが集まっている意味を早く知りたくて仕方がなかったのだ。

「俺は敦と同級生だけど、二人はどういう?」

「それは本人達が話すと思うぜ。じゃ次、ユキにする?」


指名を受けた由希子が、着席した敦と入れ替わりに立ち上がった。間近で彼女が立ち上がると、何かの香水のいい香りがした。


「平松由希子です。新宿のキャバクラにいます。ここのお店なんだけど……」

由希子は、私と祐二に、ピンク色の名刺を差し出した。

「クラブ『ウィン』ゆき」

「エロい身体なわけだ!」

祐二があけすけに言うので、私は気恥ずかしくなり目を伏せた。


「今度さ、ぼく、お客さんで行ってもいい?」

「いいよー、そんときはマジぼったくるからヨロシク!」

「えーっ!」

「それでー、工藤君とは、前の会社が同じ派遣会社で、そのときからの付き合いです」


由希子と敦は美男美女のペアで、会社が変わっても付き合いが続いているとすると、ごく自然に推測すれば恋人同士なのだろうと私は考えた。


ただ、昔はどちらかといえば昔気質な男だった敦が、水商売の女性を恋人にというのは、あまり想像がつかなかった。

職業に貴賤はないとは言うが、教師に染まりだしていた私はやはり水商売を一つ下に見ていた。敦にはふさわしくない、という偏見に満ちた思いこみだった。


それでいて由希子に性的魅力は感じていたのだから本能は正直なものだ。水商売や風俗を見下していながら、それ自体は喜んで受け入れていたのだから。


「由希子の紹介はそんなもんでいいだろ。次、イソやってくれよ」

由希子が座り、代わって祐二が立ち上がった。男なのに、明らかに由希子よりも背が低い。薄くなっている毛髪といい、まるで貧相そのものな容姿だった。


「磯崎祐二です。見えないと思いますが、これでもまだ三十前です」

「ウッソ、マジ? あゴメンなさい、もっといってると思った!」

由希子が軽い口調で驚く。

人の容姿への非難を遠慮なく口にする由希子に、私は不快感をおぼえた。


確かに祐二は四十歳近くに見えた。私より年上だろうとは思っていたが、二十代、三十代には見えなかった。

外見の部品だけではない。全体的な雰囲気、表情から疲れが滲み出ていた。負のオーラ、とでも言うのだろうか。


祐二は、由希子の言葉に気分を害した様子もなく、自虐的に笑い、肩をすくめた。

「自分でもあきらめてるからさぁ、いいよー」

「ダイジョブ、人間中身ですよ! あ、お仕事は何してるんですか?」

由希子は流れるように会話を誘導する。


「クボキバッテリーっていう電気設備の会社で、メンテナンスとかやってました。こないだ退職しましたけど。いろんな会社にうちの機械置いてあるんで、それ点検したりするんです。それで、工藤さんとは、インターネットで知り合いました。ぼくのブログが……」


「ストップ。そこまででいいよ。そっから先はあとで俺が」

「あ、それもそうか」

祐二はこくんとうなずいて席に着く。


敦は私に声をかけた。

「じゃ、本日のメインゲスト。スノ、よろしく」

呼ばれて私は立ち上がった。何を自己紹介すればいいのか、戸惑いながら。


「あの、須之内広樹です。敦とは高校の同級生で、それから腐れ縁みたいのがまだ続いてます。仕事は――こないだまで中学の先生だったんですが、まあ退職したところです」


「先生辞めたの?」

由希子が訊ねてきた。

「色々あって」

私は、歯切れ悪く答えながら、助けを求めて敦を見た。

「話せよスノ」

「え、でも……」


私は渋ったが、敦の視線は強かった。

「大丈夫。お前とはそれぞれ事情が違うけど、こいつらも、みんなそれなりにワケありなんだ。お前を笑ったりバカにするような奴はいない。むしろ仲間になれる」

「仲間」

「そう」


「どうしても話さないと?」

「どうしても。それが今日の目的だから。お前が俺達ドロップ人の仲間入りをした歓迎会」

「ドロップ人?」

「はみ出し者とか落伍者とかアウトサイダーとか、そんなような意味さ。俺達はみんな、世の中からドロップアウトしかけてるから」

「ドロップアウト……」

「ちょっと道を外しちゃったのさ」

「それは俺もそうだけど、でも長い話じゃないか。しかもくだらない。俺がダメな奴って分かるだけで、みんな盛り下がるだろうし」


「いいじゃん、聞かせてよ。ダメさならぼくは負けない自信がある」

「私も。聞きたい!」

祐二と由希子も興味をもった眼で私を見ていた。


私は覚悟を決めた。

敦は、これと決めたことは絶対に譲らない。私が話すまでこの場はこのまま進まない。逃げ道はない。

一度深呼吸をしてから、口を開いた。

「その子は、深く美しいって書いて『ミミ』って読む、変わった名前なんだ」

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