修羅の男よ、呪われしその身で


 強すぎる太陽に大地はひび割れて、その隙間から有毒の水蒸気が噴き出している。


 ところどころにある間欠泉からは不定期に強酸の熱水が吹き上げられ、なかでは殻のあちらこちらがぶくぶくと膨らんだ奇妙な昆虫たちがもがいていた。


 体の本体を高熱から守ることができるよう多数の気泡を含み、さらにその気泡のなかに強酸を中和する粘液を溜め込んでいるその虫たちは、総じて〝発泡虫類〟と呼ばれる。この過酷な環境での数少ない適応生物だ。


 人間が住むには適さないこの土地であったが、人類が知恵を持つよりもなお古くから、大地の底には良質の鉄が眠っていた。さらに、死骸だけで分厚い地層を為している発泡虫たちの殻には、数々の稀少金属がためこまれている。


 機械都市ヨシワラは、それらを都市の〝栄養分〟として、地底にはりめぐらす機械根より吸い上げ、今もなお発展を続けていた。


「工場区画が増えたか……まだまだでかくなるな」


 ドマイナーの目の前で、天高く伸びる機械都市の下層部の一部が、ボコリ、と膨らむ。そして、菌類が繁殖の際に胞子を噴き出すように、区画再編成の際に不要となった部品や機械を外に吐き出した。


 機械都市は、それ自体が一個の生き物のようなものだ。攻撃、防衛、また区画の創出や再編成は機械都市そのものの恒常性維持機能ホメオスタシスにより行われ、意図的に操作することは不可能とされている。


 いちおう、区画再編成の兆候があった際には影響のある周辺区画に対して避難勧告が出されるため、よほどの非常時でもない限り逃げる時間はじゅうぶんに確保されている。ゆえに吐き出されたなかに人間やアンドロイドなどはいないはずだ。それでもそれは、見ていてあまり気持ちのよい光景ではなかった。


 地平線の先に沈まんとする太陽が、茜色に染まりはじめている。ドマイナーは左手に見えるヨシワラから目をそらし、機首をぐいと右に向けた。


 愛機テンダーロインの高度をさげ〝逃がし先〟のヒントになるようななんらかの痕跡をさがすも、荒涼とした大地と、地の果てまでも続くような岩山以外、ここにはなにもなかった。


「逃げた女が、都市の外を歩いて移動したとするだろ……? アンドロイドなら、水なしでも丸一日くらいは歩けるだろ……? だから……」


 ドマイナーは、操作卓の計器盤を休みなくいじり、表示されている情報をあれやこれやとバチバチ切り替える。それを繰り返しながら、できる限りゆっくりとした速度で、ヨシワラの周辺を次第にその半径を広げつつぐるりと飛び回った。そして。


「……ケンカ、してえなあ」


 操作卓の上につっぷした。

 そのシャツの隙間から、蛍ぼかしの包みがこぼれ落ちる。ドマイナーは体を起こしそれをひろうと、包みをほどき金属の蕾を取り出した。


「……符牒……にしては……」


 頭をひねりながらその蕾をしばらく眺めていたドマイナーだったが、諦めたように一度それを操作卓の上に置く。


 そして、操縦席脇の修理用の器具やら古い地図やら用途不明の光る石ころやらをごちゃごちゃつめこんでいるところをひっかきまわしはじめた。引っ張りだしたのは、手甲の部分に金属がはりつけられた手袋と、少し薄汚れたぼろ布である。


 まずは金属の蕾を左手の手の平におしあて、つつんでいた蛍ぼかしのてぬぐいを、蕾ごと自分の手に巻きつける。


 右手には、そのあたりに落ちている適当な部品を乗せて、ぼろ布を使って同じように巻いた。


 そして、操縦席の下におっこちていた手袋をひろいあげ、両手にはめる。手を握ったとき少し違和感はあるが、それで、ドマイナーが左手になにか持っていることは目立たなくなった。


 計器はいまだこれといった反応は示さない。ドマイナーは、手袋と一緒に落っこちていた航空眼鏡をかけると、ふたたび機首をめぐらせた。


 今度はさらに高度をさげて、岩山の狭い隙間へテンダーロインを侵入させる。


 そして、高い橋のような岩の間を通り抜けた刹那、テンダーロインの機体がぐらりと揺れた。計器盤が警告音を立て赤く光る。


「……ぶつけちまったか」


 しかし、周囲の地形との距離を示す計器は、周囲との距離は異常なくじゅうぶんな余裕をもって今の箇所を通過したと出ていた。代わりに、異常がある、と警告が出ているのは、機体に対する異物接着である。さ


 きほど吊り橋のようになっている岩の下を通過した際に上から降ってきたらしいそれは、なにか大きな有機物である、と出ていた。


 たとえるなら――大柄なドマイナーよりもさらに大きな、人、のような――


「?!」


 ドマイナーが緊急開閉ボタンを押し操縦席上部のハッチを開く。わずかに開いたハッチは、しかし、上から突き刺された鉄の棒によりハッチが押し戻される。かと思いきや、その棒がくいと上をむくのにあわせてメリメリとはがされ、、機体後方へと投げ捨てられた。


「なん……だ……?」




「――――災いなるかな」




 驚くドマイナーの上に、重々しい声が落ちる。




「修羅の男よ、呪われしその身で、いったいここへなにをしに来た」




 風にはためく深緑の法衣。その両手足は黒鉄でつくられ、背後には6重の輪を円光のごとく背負っている。上背は大柄なドマイナーよりもなお頭ふたつ分ほども高く、体幅はさらに倍ほどにも広い。坊主頭の下の目は、悪鬼を折伏しゃくぶくする武神のごとくつり上がっていた。


 声の主が誰であるのか確認したドマイナーの顔に、驚きと、歓喜とが浮かんだ。


「……無明むみょう!」


「去ね。ここは、おぬしのような魔縁のものが足を踏み入れて良い場所ではない」


「久しぶりじゃねえか! ちょうどよかった!!」


「聞こえなかったのか。去ね」


「ケンカしてえ気分だったんだよ。お前なら相手に不足はねえってもんだ」


 航空眼鏡をぐいと首元に引き下げ、嬉々として操縦席から身を乗り出してくるドマイナーを、無明は手にしていた錫杖の先で押しもどした。どうやら先ほどハッチを破壊した鉄の棒は、この錫杖の柄の部分だったようだ。


「おい、これ、さっきから邪魔くせえよ」


「無知蒙昧なる哀れな男よ。これ以上業を深めるな」


「ケチくせえこと言わずに、旧交を温めようぜ……っとお!」


 ドマイナーは、自分の肩に押し当てられていた錫杖の柄をつかみ、ぐいと引いた。反射的に無明は、錫杖を己の側へ引く。


 するとドマイナーは、引いていた力を逆に押し、無明が己に錫杖を引く力も借りて、操縦席から飛び出した。


 ふいをつかれ驚く無明に組みついたドマイナーは、そのまま無明と組み合うようにしてテンダーロインから転げ落ちる。


「あ――――はははははははははははははははあっ!!」


 ドマイナーの笑い声が渓谷に響く。


 主人を失い上空へ飛び去るテンダーロインを尻目に、落ちた先の岩場の上で無明に馬乗りになったドマイナーは、下になった無明に対し拳を振りかざし、殴りかかった。が、拳が無明の頬を打つその前にその右手は、無明の黒鉄の手に捕らえられる。すると再び、ドマイナーは笑った。


「はははははは……っ! おい、楽しいな無明!」

「貴様は相も変わらず……暴力でしか人と関われぬ己に、疑問は持たぬか」

「こう見えて、相手は選んでるぜ?」

「争いの心は水面に投げられた石のようなもの。石は水底に沈むとも、一度生まれた波紋はもはや止まるすべを知らぬ……」

「意味がわからねえよ」

「争っていることそのものが次なる争いを呼び、やがては無辜の民をも巻き込む」

「ははっ、なるほどな、だが――説教なら聞き飽きた!」


 ドマイナーは、左手で無明の右手の手首を握りしめ、馬乗りになっている無明の上から降り立ちあがる。


「次は力比べと行こうぜ! 俺とお前、どっちが強い?」

「くだらん」


 そう言いながら身を起こした無明を、ドマイナーは力づくで岩場の端へと押し込む。崖っぷち間際でドマイナーいなした無明は、バランスを崩したドマイナーの体を岩場の下へとほうり投げた。

 が、ドマイナーの手は無明の手首を離さず、無明の体を起点にぐるんと半回転。無明の円環と頭との間に体をすべりこませ、その首に足をかける。


「きさ……」

「いよっと!」


 ドマイナーが後ろにむかって体重をかけると、勢いにまけた無明の体が後ろにぐらつく。ドマイナーはそのまま両手を地面について、両足にはさむ無明の頭を、岩場に叩きつけ――ようとする直前で、わずかに、首を拘束する足をゆるめた。体を反転させ体勢をたてなおした無明は、ドマイナーの両足をつかみ、岩場の反対側の端へと放り投げる。


 ドマイナーの体が、ゴツゴツした岩の上にたたきつけられる。下敷きになった岩たちにヒビがはいり、もうもうと砂けむりがあがった。


「ちぃっ……痛ってえ……」

「貴様、迷いがあるな」


 無明は、錫杖の先で岩場をついた。錫杖の頭部につけられた遊環ゆうかんが、シャラン、と音を立てた。


「貴様にも改心の余地はあるか。己が犯してきた罪の重さに、ようやく気づいたか」

「ひとを殺しちゃいけません、か?」

「ひとも、鳥も魚も獣も虫もみな同じ。命あるものはみな尊い」

「命が尊いなんて前から知ってるぜ。だからなんだ」

「命あるもの殺めること、まかりならぬ」

「無駄な殺しはしねえよ。だが腹が減りゃあ獣を食らうし、売られたケンカは買う主義だ」

「知りながら殺生を重ねる者は、なお罪深い……」


 無明が、錫杖の先端をドマイナーへ向ける。


「……少しでも貴様に改心の芽を見た儂が愚かであった。罪深きものを救うもまた、我が使命……くらえよ、我が奥義」


 錫杖の先端から、なにか言い知れぬ圧力を感じ、ドマイナーは身構える。

 その時である。


「……無明」


 と。


 第三の男の声が、ふたりが争っていた岩場を見下ろす巨大な一枚岩の影から降ってきた。


「僧衣を身にまといし者が、いったいなにをしているのです? 迷える衆生に光を与えることこそが、我らの使命のはず」


 そう語りながら現れた男の姿に、無明は目に見えて動揺する。


「え、あ……! これは、その……!!」


「言い訳は無用です。その力を、御仏の教えを履行すること以外にも使いたいと申すのなら、今すぐその僧衣をお脱ぎなさい」


「お許しください、それだけは……っ!」


 無明が錫杖を地面に投げ捨て、手足を折り額を地面にこすりつけた。


「無明や、汝はまだ修行中の身。今回のことは大目に見ましょう。ですが、己が未熟、肝に銘じなさい。直弟子じきでしがこのような体たらくとあっては、衆生の安寧を願い即身仏そくしんぶつ発心ほっしんをなされた雲海うんかい和尚おしょうも、安心して入定にゅうじょうできぬというもの……」


「は、は……! まことに……!」


 ドマイナーが呆然と見守る前で、無明がひたすらに頭を垂れるその男が――墨染めの衣をわずかになびかせながら、今度はドマイナーへ顔を向けた。


「世話をしている者が失礼致しました。私は、墨羽ぼくうと申します――」


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