大盗賊の湯 (後)

「こういう時は、問答無用で『出禁』喰らわすべきなんでしょうが」


 細身の男が一歩だけ前に出てくる。

 ゆらり――その足の運びはどこか踊り子のように優雅で、その静かさは熟練の殺し屋のようでもあった。


 キールは気圧されるように、じりじりと後退した。

 通路が塞がれている以上、あの男をどうにかしなくてはならない。


 相手は枯れ木のよう細く、一見弱そうに見える。

 ただつけ入る隙が全く感じられない。脅かし怯んでいる間に、正面突破すれば切り抜けられると思ったが難しそうだ。


「果てさて、どうしたもんですかねえ」

「……」


 この絶体絶命の状況の最中――だがキールは別の事に気をとられてしまっていた。

 男の手にしている茶色の袋。そこから何とも言えない甘い匂いが漂ってくるせいで、どうしても目の前の出来事に集中できずにいた。


 ここ何日かまともな食事にありついていないのだから仕方がない。

 やがて口のなかが唾液でいっぱいになった挙句――「ぐぐぐう」と腹が唸りを上げた。



 あまりにも暇だったので外で焼き芋買ってたら、『来客』があったらしい。


 次郎が、玄関から男湯の暖簾の先まで、小さな足跡が続いているのを見つけ、こっそり追いかけてみると、脱衣所にいたのは見るからにみすぼらしい少年だった。


 彼の名前はキールというらしい。

 よほど腹が減っていたようで紙袋を差し出すと、抱えるにして焼き芋をがっつき始めた。

 太ったのを三本ほど貰ってきたのだが、この勢いでは全部食われそうだ。

 冬もそろそろ終わりなので、食べ収めのつもりで買ったが仕方がない。ここは欠食児童に譲る事としよう。


「でもバレたら親父殿に怒られるだろうねえ」


 おまけに貰った痩せ細った芋を齧りながら、次郎は溜息をついた。


 守銭奴である店主からは、金のない奴は店に上がらせるなと散々言われていた。

 野良猫に煮干しをやっている時でさえ、文句を言われたことがるくらいだから、この場面を見たらきっと顔を真っ赤にして怒るに違いない。


「なあ」

「私はここの番頭で次郎といいます」

「バントウ、この甘いのは何だ?」

「そいつは焼き芋ですよ」

「ふうん」


 最後の一本を皮まで綺麗に食べ終えたらしい、キールがうっとりしながら指を舐めている。

 それから自分が食べかけていた芋を物欲しそうに見てくるので、半分折って与えると、彼は嬉しそうに頬張った。


「じゃあさ、イシカワゴエモンって何だ?」


 キールの視線はじっと、ロッカーの逆さ札に向けられていた。

 あれは親父殿が京都巡りをした際、神社で買ったものだ。

 異世界ならいざ知らず、三種の神器が家電製品になるこの昭和に、本物の魔除けは存在しない。


「石川五右衛門は、安土桃山時代の大盗賊ですよ」

「アズチモモヤマ?」


 キールが首をひねる。


「よく分かんねえけどスゲー盗賊って事だな」

「ええ」


 間違いではない。


「悪い金持ちからしか盗まない義賊、歌舞伎にもなった有名人ですね」

「へー盗賊なのに偉い人なんだな」


 キールは目を輝かせ、感心していた。

 襤褸を纏い、髪はのび放題、頬をこけさせたその容姿は、さながら終戦直後の浮浪児だ。

 最近はめっきり足を運ばなくなったが、異世界の世知辛さは相変わらずのようだ。


「大昔の話で、実在の真偽も定かじゃないですけど、文禄3年に捕まって、京都三条河原で煎り殺されたって記録があったかな」

「……捕まって死んだのか?」

「ええ。でっかい釜に放り込まれて、煮立った油で殺されたんです」


 次郎はにこりと笑みを浮かべながら、キールの肩をがっしり掴んだ。

 勿論、逃がさない為だ。


「!?」


 油断していたらしい彼も、状況を察し、すぐに逃げようとしたが、もう無駄だ。

 既に金縛りをかけているので、暫くは指一本、第一関節すら動かせないだろう。


「さて、そいじゃあ、お前さんも五右衛門風呂の刑にしてやろうかね」


 震える少年から「ひい」という悲鳴が漏れた。



 食べ物をくれたので、良い奴なのだと油断しきっていた。

 だがバントウは悪魔のような男だった。

 彼はイシカワゴエモンのように拷問にかけるつもりでいるらしい。


 キールは身動き取れないまま担がれ、店の裏口らしき場所を通って外に連れ出された。

 裏庭らしい。

 垣根に囲われた狭い空間には何の為に使うのか大量の木材と、切り株に突き刺さった斧がある。


「ほらじっとしてて下さいね」

「うわっ!?」


 いきなり青い管のようなものを向けられ、そこから勢いよく放出された水を浴びる。


 キールは全身を容赦なく濡らされた。

 寒い。耐えられない程ではないが、その冷たさに歯がカチカチと鳴った。


「ちょっとお待ちなさい、すぐに沸きますから」


 バントウはそう言って管先をキールに向けたまま、別の作業を始めた。

 庭の隅にある石竈のようなものに火をくべている。その上には金属で作られているらしい樽のようなものが乗っている。


「……!」


 それが何であるかをキールはすぐに理解した。

 釜だ。

 殺されるのだ。五右衛門と同じように油で、煎り殺されるのだ。


「ひい!?」

「よしよしそろそろ良い頃合いかも」


 水責めのせいで身体が凍えそうになってきた頃、バントウが薄く笑った。

 それから再び、ひょいとキールを担ぐと、石竈に向かって歩き出す。


「ううううううー!」


 逃げ出すか、大声を上げるかしたかったが、未だ身体がこわばったままいう事を聞いてくれない。一体どんな術を使ったのか。

 近づくと想像した通り、鉄樽にみなみと水が入っているのが見えた。

 いや既に湯だ。燻らせた湯けむりが顔に当たった。


「さあお入りなさい」

「うわっ!」


 ざぶん、と抵抗でないまま放り込まれた。


 熱いのか冷たいか分からない。ただ皮膚が痺れるのような感覚に襲われる。

 だがそれが次第にはっきりとした痛みに変わってくると、熱さを感じてきた。


「あちいあちい! 死にたくねえよう!」

「馬鹿ですねえ。その程度じゃ死にはしません。肩まで浸かって百まで数えてりゃじき慣れます」

「ひゃ、百って何だよ!」

「成程、そこからですか」


 キールは喋っているうちに冷静になってきた。

 思っていたほど湯が熱くなかった。確かに熱くはあるがまだ耐えられない程ではない。


 何より底には木製の足場のようなものがあり、直接底からの熱に触れない仕組みになっている。

 本当に、自分を拷問にかけて殺すつもりがあれば、そんなものは敷いたりしないはずだ。


「……殺すつもりじゃなかったの?」

「人聞き悪いですね。野良猫と一緒で抵抗するだろうから、とっ捕まえてただけですよ」


 野良猫扱いはひどい。


「どうです。こいつが五右衛門風呂……と言いたいところだがドラム缶風呂です」

「ドラムカンブロ?」

「そ。古き良き戦後の遺物。あの頃は皆、これか銭湯かのどっちかだったんですよね」


 バントウの話はちっとも要領が得なかったが、要するにフロとは良いものらしい。

 確かに、先程まで野晒で野宿している時のように凍えていた身体が優しく解れていくのが分かった。

 まるで良く晴れた日に日向ぼっこをしているようで気分がいい。


「……?」


 暫く湯に浸かっていると、はらりと何かが水面に落ちてくる。

 何だろうと思いながら、摘み上げると、見たこともない小さなうすべに色の花弁だった。


「早咲きの桜ですね」


 バントウは目を細めながら、何かを見上げている。

 習うように見上げると、すぐ傍に巨大な樹木が聳えていた。先程までは、それどころではなく全く気づかなかったが、庭いっぱいに広がった枝々には見事なうすべに色の花弁が咲き誇っていた。


「すげえ……綺麗だ」

「『絶景かな絶景かな春の眺めは価あたい千金とは小せえ小せえ。 この五右衛門には価万両』」

「何だそれ?」

「五右衛門の辞世の句です。彼は釜茹でにされている最中でも桜見ながら、良い景色だな、って言ってたそうですよ」

「へえ」


 死ぬ間際まで、格好良いことが言えるなんて、さすがは天下の大盗賊だ、とキールは感心した。

 自分も盗賊家業に精進していれば、いつかはイシカワゴエモンのような大人物になれるだろうか。

 そんな事をぼんやりと考えながら、湯につかりうすべに色の空を眺める。


「なあバントウ。お前は、何でおれに親切にしてくれるんだ?」

「風呂、気持ちいいでしょう?」

「まあ悪くは……ないけどさ」

「私はね、それを知らしめたいんです」


 バントウは嬉しそうにそう言った。


「だから松の湯に訪れたなら、どんな人にでも風呂に入らせたい。……でもこれは商売。金がない人にはそれをしてやれません」


だからこれを置いてるんです、とバントウはドラムカンブロを叩いた。


「これくらいなら、ただで入れてあげられます」

「……」


 キールは、バントウの言っていることが正直、理解できなかった。

 商売なのに金を貰わないなんて、ただ損するだけで意味がないではないか。馬鹿なのだろうかとすら思えた。

 ただ同時に、誇らしげなバントウを見ていると、少しだけ格好良いとも思った。

 勿論、イシカワゴエモンの比ではないけれども。


「なあ他の風呂も気持ちいのか?」

「勿論、松の湯はどこにも負けない立派な風呂屋です。とりわけ薬湯はうち秘伝の配合を使っている自慢の湯です。貴方もいつかは金貯めてきて下さいね」

「……まあ考えとくよ」


 キールはそう言いながらも内心では、ただでなければ入りには来ないだろうな、と思った。


 確かにフロは心地がいいものだ。

 だがやはり金があるなら、きっと食べ物を買ってしまうだろう。


 銅貨が一枚あれば麺麭を、二枚あればより美味しい麺麭を買う。

 例え銀貨があっても日持ちする食べ物や生活品を買うに違いない。

 金貨は正直、想像がつかなかったが、そもそも浮浪児が手に入れる機会などあり得ない。

 とにかく過酷な世界で、生きていく為には、何よりもまず食べなくてはいけないのだ。


 ただ――キールはもう一度、桜を見上げ思った。

 自分がいつかゴエモンになれた暁には、ここに来てもいいかもしれない。

 いやいつか立派な盗賊になってもう一度来よう。


 誓いを立てた少年は「ゼッケイカナゼッカイカナ」と小さく呟いた。

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