老魔術師の湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・当銭湯には、魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・マッサージ機の調子が悪い際は、チョップで直して下さい。



『ワグナード大迷宮』。

 大陸最西端の『最果ての野』と呼ばれる広大な荒野にあり、十数階層から成る地下迷宮。


 内部には恐ろしい魔物や罠がひしめいているが、同時に魔術師ワグナードの秘匿する魔術研究の成果や、希少な魔導具が眠っていると噂されている。

 故にそれを狙う者が後を絶たなかった。


「ムウ……」


 そして迷宮最深部の書斎で、今日もまたワグナード老は唸っていた。

 安楽椅子に腰かけているその姿は、ただのしょぼくれた老人。

 とても世間から恐れられている狂気の魔導師とは程遠い。


「面目ネエ」

「いやいや謝るでない」


 報告にやってきた配下の魔物、ウッドゴーレムたちまで項垂れだした。


「別にお前さん方に落ち度はない。寧ろ非常に良くやってくれておる」


 ワグナードは慌てて、彼らに労いの言葉をかける。

 ただの木彫り人形に間接球と魔力を賦与しただけの存在。

 だが彼らは犬よりも賢く、忠実で、愛らしい者たちだ。


 問題は足前に転がっている数体の死体である。


 どいつもこいつも黒焦げになっていた。

 人相すら分からない彼らは、番犬代わりに配置した火蜥蜴と戦い死んだ者たちだ。

 冒険者を名乗り、ワグナードの住まうこの迷宮に入り込み研究成果や命を奪いにきた不敬の輩である。 

 言わば不法侵入者だ。



 入口に警告文を用意していたにも関わらず迷宮に入り込んだ以上、同情の余地はない。

 彼らのような、ならず者たちが非常に多く、迷惑していた。


「地下十八階の書架が荒らされたそうだな」

「ソウダ」

「あそこには『蚤殺しの呪文』についての資料が蓄えられていたか……まあ大した損失ではないか」

「オイ、老イボレ、コレ、見ロ」


 一体のウッドゴーレムが前に進み出てくる。

 彼は一枚の羊皮紙を差し出してきた。


 侵入者が残したものらしい。

 冒険者組合による人相書きで、そこには凶悪そうな老人の肖像がある。

 よく見れば幾つか特徴が自分と重なる。何というか悪意のこもった歪曲を施し、ワグナードが描かれていた。


 凶悪そうな人物として描かれているのも気に食わなかったがそれ以上に、冗談みたいな桁の懸賞金が気に食わなかった。


「また懸賞金が上がりおったのか……」


 平民であれば一族郎党末代に至るまで遊んで暮らせるだろう額である。


「これでまたこの迷宮の侵入者が増えるぞい」

「警備ノ、強化ハ、急務ダナ」


 必然的に罠の増築と改良、魔物の召喚と育成にかかる手間と費用が増えることになるだろう。


「はあ……」


 自分は誰にも迷惑をかけた覚えがない。

 ただこの地下迷宮で静かにひっそりと暮らしていたいだけなのに何故、周りは放っておいてくれないのだろう。

 頭を抱えうなだれているとカーディガンのポケットから何かが落ちた。


 古びた木製の札だ。

 そこには焼き印で、この世界では使われていない文字が刻まれている。

『松の湯♨』


 ふいにワグナードの頭の中で「かぽーん」と、大浴場のタイルに桶が当たる音が木霊した。

 無論、幻聴である。


 木札をそっと拾い上げながら、今、自分には息抜きが必要だと思った。

 とてもではないがこの精神状態では、面倒ごとに立ち向かえない。まずは疲れを癒し、身も心もさっぱりする必要があるだろう。


「よし巡回警備に百体、死体の後片づけに五体」

「畏マリ」

「荒らされた倉庫の資料回収と片付けに二十体を配置」

「御意ダ」

「代わりに魔物たちの餌やり係を減らす。連中は適度に飢えさせなければ役に立たないからの。その他にはいつもどおり日次業務を命じる」

「拝命シテヤル」


 口早に捲し立てると、ウッドゴーレムたちはびしっと敬礼し、てきぱきと動き始めた。

 これで午前中いっぱいは迷宮運営に支障はないだろう。

 後は執務室のドアノブに『現在は*不在*』の札を下げると、準備は万端だった。


「すまんが後を任せるぞい」


 ワグナードは『旅人の間』を訪れ、転移魔法陣に踏み込んだ。

 すると周囲の景色があっという間に変わり、暗がりの通路に出る。

 ここは一見さんか、許可証を持っている常連にしか通ることが許されない魔の小道。あちらとこちらを繋ぐ連絡路である。


 いそいそと歩きながら胸元から懐中時計を取り出し確認する。

 あちらはまだ午前中――恐らく営業を始めたばかりの頃合い。

 今ならばまだ客は少ないだろう。


 期待を込めて、紺色の暖簾をくぐり抜け、あちら側にある公衆浴場の受付に辿り着くと、まっすぐ番頭台へと向かった。


「よう、いらっしゃいワグの旦那」

「こんちわだぞい」

「今日はやけに早いじゃないの」

「まあの」

「ダンジョン放ったらかにして大丈夫なのかよ?」

「なあにそんなヤワには造っとらん。一日二日銭湯に行ったところで攻略されんわ」

「どんだけ銭湯好きなんだよ」


 作務衣姿の店主――若旦那が呆れた顔をする。


「そんなわけで魔術師一名じゃぞい」

「じゃあ七十G。……お釣りのお返しと入浴セットをどうぞ」


 若旦那から手拭いとタオルを受け取ると、真っ直ぐに男湯へと向かった。


「これはもしかすると……もしかするかもしれん……こっそり泳いじゃうかも……いやいや、それはいかんぞい。礼節に欠ける行動は慎まなければならんぞい」


 独り言を呟きながら、逸る気持ちを抑える。

 いそいそと衣服を脱ぎ丁寧に畳んでからロッカーにしまいながら、頬が緩む。


「一番風呂じゃい」


 ワグナードは全裸になると、スキップをしながら、いざ浴室へ踏み込んだ。


 一番風呂。

 それは最も早く銭湯に訪れたものにだけ与えられる名誉。

 湯船を独り占めにし誰にも邪魔されずゆっくり湯につかれる特権である。

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