第18話 月明かりの少女

 緑帆と景斗と錬は別々の牢獄に入れられた。

 錬に至っては手足を紐で縛られ、口には猿ぐつわをはめられるという念の入れようだった。

 魔法の詠唱を警戒されたのだ。

 もっとも、牢獄エリアは完全に《断魔(マナの供給が絶たれること)》されている。

 錬の小指には依然として翻訳のための魔法の指輪をはめることが許されていたが、マナのチャージ量は微量だ。魔法詠唱のためのマナ原資としては役に立たない。

 実のところ、大量のマナはもっと身近に存在していた。

 錬の体内である。

 だが、体内のマナを使い果たしてしまったときのことを考えると、錬は恐ろしかった。

 わずか数週間をこの地で過ごす間に、錬の体はマナに強く依存するようになっている。

 おそらく体内のマナが枯渇したら、無事では済まないだろう。

 ミューダ公国の魔法専門家は、そのような状況を把握した上で、錬に対して厳重な警戒態勢を敷いていた。

 錬には、命に危険が及ばない様、最低限のマナがチャージされたネックレスが与えられていた。


   ◆   ◇   ◆


 錬は地面に仰向けになり、壁の小窓から漏れる月明かりを眺めていた。

 いつもと変わらない月だった

 実は、景斗や緑帆が恐れた仮説を覆す証拠がそこにはあったのだが、錬は気づかない。


 やがて、雲が月を覆うと、自分の姿すら確認できないほどの暗闇に包まれた。

 召喚された時もそうだった。

 あの時も、このような暗闇に包まれた後、この世界に引き込まれた。

 あれから数週間、錬には元の世界に戻りたいという欲求が次第に薄れているように感じられた。

 戻ったとしても、自分を待っててくれる人はいない。

 叔父さんと叔母さんは心配しているだろうけど、そういう意味ではない。

 本当に待ってて欲しい人は消えてしまった。

 文字通り、消えてしまったのだ。


 雲が晴れると、再び月が顔を出した。

 闇が潮が引くように消えていく。


 いつの間にか、傍らに一人の少女が立っていた。

 突然現れた少女に錬は息を飲んだ。


 月明かりに照らされているからか、少女の全身はほんのりと光に包まれている。

 寝衣のようなものを身に纏っている。靴は履いておらず、裸足のままだ。

 片膝をついて、仰向けの錬に顔を近づける。

 年の頃は錬と同じぐらいか。まだ幼さが残っている。

 ひどく疲れているようで肩で息をしていた。


 錬にはその顔に確かな見覚えがあった。

 彼女が錬にとって非常に身近な存在であることは見紛いようがなかった。

 呼びかけようとするが、猿ぐつわをされた口ではうめき声にしかならない。

 少女は動揺する錬を見て、人差し指で「シー」というポーズをした。

「落ち着きなさい。あなたは友人とともにここから脱出するのです。シーナスは東の隣国ムドルへ亡命しました。脱出したらムドルを目指しなさい」

 そう言うと、呪文を唱え始めた。

 それは錬にも聞き覚えのある念力の魔法だった。

 唱え終ると手を縛っていた縄が蛇のようにスルスルと動き出し、両手から外れていった。

 少女は苦しそうにしばらく俯いている。

 錬は自由になった手で猿ぐつわを掴みとると、少女に呼びかけようとした。

 が、声にならない。

 錬が必死に口をパクパクしていると、少女が俯いたまま上目で錬を見つめた。

「私が助けることができるのはここまでです。後はあなたが魔法を使って、自分で脱出しなさい」

(でも、マナがない)

 そう考えると、少女は錬の心を読んだかのように続けた。

「マナはあなたの体の中にあります。意識を集中して徐々に周辺のマナを自分の体に取り込んでいくのです。そうやって上手にマナを使っていきなさい。自分なりにマナのコントロールの方法を身につけなさい」

 少女はそう言い残すと、今度は錬が聞いたことのない長い呪文を口ずさんだ。

 呪文が終わると、ふっと吹き消されるように消えていった。


 突然の展開に錬はしばらく茫然としていた。

 その間、幾度となく月が雲に隠れては現れた。その都度、あの少女がまた現れるのではないかと期待した。

 だが、少女が再び現れることはなかった。


 10分ほどそうしていただろうか。

 錬は周りの異変に気づいて、我に返った。

 牢の中の空気が徐々にマナで満たされていくのを感じたのだ。

 錬はこれまでの鍛錬でマナの存在を敏感に感じることができるようになっていた。

 しばらくして、ようやく錬の心に動きださなければという意志が湧き上がってきた。


 錬は体を起こし足の紐も解くと、立ち上がって牢の外を覗いた。

 見張り兵が壁にもたれて座り込み、ウトウトしている。

 錬は壁が崩れて出来た瓦礫の欠片を見つけると、手の平をかざして、小さな声で念力の魔法を唱えた。

 すると、欠片がひゅっと持ち上がり、見張りの前を通り過ぎ、奥の階段にぶつかった。

 跳ね返ってカラカラと音を立てて落ちていくと、見張り兵が驚いて跳ね起きた。

 腰の剣をつかみながら、そろそろと階段の上の方へと消えていく。

 錬は牢の錠前を見つめた。

 息を一つ大きく吐いてから、手のひらを錠前に伸ばす。

 自分の体の中のマナが手のひらに流れ込んでいくのを感じながら、念力の魔法を唱え始めた。

 シーナスから教わった魔法はこの念力の魔法だけだ。

 だが、シーナスは念力の魔法を色々と応用することによって、様々な魔法を実現することができると言っていた。

 鍵の構造がよくわかっていないので、ここでの解錠の作業は、魔法の指で鍵の構造を探りつつ、押したり引いたりを試してみるイメージに近かった。

 しばらく格闘すると、カチっと手応えのある音がした。


 牢の扉をそっと開いて、あたりを見回す。

 見張り兵はまだ戻ってきていない。

 そっと、外に出ると隣の牢を覗いた。

 緑帆は膝を抱え、うずくまるように座っている。

「矢島さん。起きて!」

 錬がささやいた。

 緑帆がびっくりした表情で顔を上げた。

 錬は錠前に向かって念力の魔法を唱えた。

 今度は即座に鍵は開いた。

 そのまた隣の景斗の牢を開けようとしていると、見張り兵が階段から戻ってくる足音が聞こえた。

 見張り兵はすぐに牢の前で手をかざしている錬に気づいた。

 驚いて階段を走り降りてきた見張り兵の腰からすらりと剣が抜き取られる。

 緑帆はその剣を見張り兵ののど元に当てた。

 見事なものである。


 錬が景斗を牢から出すと、二人がかりで見張り兵を縛りあげて、牢の中に閉じこめた。

「騒ぎになる前に早く逃げましょう」

 錬が落ち着かなそうに辺りを見回しながら言った。

「待て。その前に武器と食糧は調達していこう。囚人の持ち物保管庫はないかな」

 景斗が辺りを探索しはじめる。

 この状況で大した落ち着きぶりだが、錬は気が気でならない。


   ◆   ◇   ◆


「何をしているのですか。早く逃げてください。気づかれますよ」

 発見した倉庫で武器と食糧を物色していると、後ろから声がかかった。

 一同は驚いて武器を構えて振り返る。

 そこには小柄で痩せ型の男が立っていた。

 その顔には見覚えががある。

 たしか、一俊達とラトア城塞へと同行したサルートという魔導士だ。

「落ち着いてください。私はシーナス様からあなた達の脱走の援助をするよう指示されています」

「シーナスは生きているの?」

「直接お会いできていませんが、脱出には成功しました」

 サルートは周りを気にしながら言った。

「いいですか。これから脱出ルートの説明をします。よく聞いてください」


 サルートは警備兵を眠らせて、脱出ルートの確保をしてくれていた。

 脱出ルートの説明は錬一人が受け、その間も景斗と緑帆は武器と食糧の物色を続けた。

 「今、このエリアで魔法が使えるのは、私が制御室に行って《送魔》をしたからです。《送魔》は10分後に止まります。それまでに脱出を済ませてくださいよ。その後は魔法が使えなくなりますからね。私はこれから他の傭兵達の脱出支援に向かいます。必ず逃げ切ってくださいよ!」


 それを聞いた錬はすがるように景斗の方を見た。

 彼に全く慌てる様子はない。

「よし、こんなもんだろう。あと、俺は図書館に忍び込んで、本を何冊か盗んでくるよ」

「えぇ、そんなことをやっていたら間に合いませんよ」

 錬は泣きそうな顔になる。

「では、10分後ですよ。わかりましたね?」

 サルートは構わずに行こうとした。

「待って! 一俊達はどうなったの?」

 緑帆が大声で尋ねた。

 錬がシーっというしぐさをしてキョロキョロする。

 サルートが振り返った。

「作戦は失敗しましたが、彼らは無事です。彼らのことは私にまかせて、あなた達はシーナス様の元へ向かってください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る