【完結】狼と神官と銀のカギ 〜見た目だけは超完璧な聖神官様の(夜の)ペットとして飼いならされました。

上原 友里@男装メガネっ子元帥

「アリスのばかあっ! 嫌みったらしの腹黒変態野郎ーッ!」

「こらこら、飼い狼たるもの、ご主人様に牙を剥いてはいけませんよ?」

 ぐーきゅるるる。ぐううううう。

「はうー、もうダメ」

 情けない声がひとつ間に挟まった以外は、ぐぅぅぅ、ぐううううう、と、体内に魔妖を飼っているのかと勘違いされかねない音ばかりが絶え間なく続いている。

「あ、あたし、マジで飢え死にしちゃうかも」

 そう呻いたラウは、パッ……タリと地面に倒れ込んだ。

「おなかしゅいた……死む……」

 最後に美味しい食事にありつけたのはいつの頃だったか……前方を遮る暗い森と、対照的に頭上へと広がる茫洋たる青い空、白い雲に切ない食欲を馳せる。

 ……たぶん、先週……もとい、もっと前だったような気がする……。

 次の仕事の依頼主が住むドッタムポッテン村までたどりつくのにあと数日はかかるだろう。それまで、体力も食欲を抑える気力も持ちそうにない。

 ラウは飢えた翡翠色の眼をぎらりと光らせた。

「かくなる上はこいつをぶっちぎって」

 親指をぺろりと舐め、虹銀色の聖紋章で厳重に封印された、何やらいわくありげな錠前付きの首輪に手をかける。

 ふと、すずやかな鈴の音がした。

「ラウ、”しっぽ”が見えていますよ」

「ふえっ!?」

 ラウは素っ頓狂にうめき、地面に突っ伏したまま、じたばたと手だけを背中側に回してお尻を押さえた。

「だっ、だれっ!」

 衣ずれの音が風に乗って流れてくる。細い影が差し掛かった。

「勝手に一人で先走ってはいけないと言ったでしょう」

 いつの間にか音もなく背後に忍び寄っていた青年が、取り澄ました声でいさめてくる。

 ラウはとたんにとげとげしい剣呑な表情を作って思い切り相手に噛みつき返した。

「し、シッポなんて見えるわけないでしょッ! アリスの嘘つき!」

 空腹をこらえて跳ね起きる。

「おや、見間違いでしたか。それは失礼。ところでラウ」

 白髪をなびかせた胡散臭い気障男は、ラウの抗議などまったく取り合っていなかった。そのくせ相変わらず表情だけはにこやかなまま、とりすました口振りで皮肉に付け加える。

「貴女、まさか人間をとって食おうなどと思っていたのではないでしょうね」

 『白髪をなびかせた胡散臭いキザ男』。

 ――などと思っているのはおそらくラウだけだろう。

 鋼の柔糸を思わせるあでやかな銀髪をいただき、するどくも艶やかな紫紅の瞳、聖紋章を背に縫い取った純白のコートで腰高な長身を包み、きらめく月金石の銀輪を幾重にもかさねた仕込みレイピアの神官杖を手に、生きた彫像を思わせる均整の取れた仕草で、すっ、と立ち構えている。

 そしてもちろん、激しく悔しいことにその声はラウの立ち位置の遙か上、相当に首を逸らさねば見えぬ高い位置から降ってくるのだった。

「あ、あんたの知ったことじゃ!」

 ぎくぎくとお尻を押さえて後ずさりながらラウは意地っ張りな虚勢の声を張り上げる。

 聖銀アージェンの戦闘神官、アリストラム。それがこいつの名だ。

 ラウが初めてアリストラムに会ったのは、今から一年ほど前のことだった。

 人を傷つければ害をなす魔妖として追われ、狩り取られる。今考えれば重々過ぎるほどにあたりまえな事だったが、そんな簡単なことにさえ思い至らないほど当時のラウは幼かった。

 とにかく、強くなりたかった。

 そのためには強い人間を倒せばいい。相手が強ければ強いほど強くなれる。もちろん、ラウの存在を聞きつけた魔妖狩りに戦いを挑まれることもあったが、たいていの狩人は貧弱で鈍重な人間ばかりで、ほとんどが相手にすらならなかった。

 目の前で笑っている聖神官アリストラムに出会い――その力を見せつけられ、完膚無きまでに屈伏させられるまでは。

(な、何だよオマエ!)

(……街の人を困らせて。悪い子ですね)

(な、何?)

(そんな子には、お仕置きですよ)

(ちょ、ちょっと……な、な、何すんだニンゲンのくせにっ、放せってんだ、う、うわあっ、い、いやあっ……やめ……ああっ、やだぁ、うそ、あっ、ああんっ……!)

 いや、違う――思い出すのも腹立たしい! 悪魔払いだの妖気を祓う秘儀だのと称してそのままどこかの聖堂に連れ込まれ、何日間も――そう、何日もだ――力が抜ける訳の分からない首輪を無理矢理はめられて、鎖で繋がれ縛り付けられて歯ぎしりするほど屈辱的で恥ずかしい、数々のとんでもない目にえんえんと遭わされ続けたりしなければ、だ!


「ドッタムポッテン村はもうすぐです」

 記憶の中のアリストラムと違って、現実のアリストラムはニコニコと穏やかな微笑みを決して絶やさない。しかし残念なことにラウにはそれがむしゃくしゃと嫌味きわまりない顔に見えているのだった。

「うるさい、とっとと消えちゃえ、アリスのばかっ! うんこっ!」

「おやおや、口の利き方がなっていませんね」

 ふわりと腰に腕を回され、引き寄せられる。

「はぅうん……」

「ほら、ちゃんといい子にしなさい、ラウ」

「ぅっ……ううう!」

「こらこら、飼い狼たるもの、ご主人様に牙を剥いてはいけませんよ?」

「だっ……誰が飼いオオカミだっ……!」

「またそんなこと言って」

 くすくすと耳をくすぐるような笑い声が吹き込まれる。

「貴女の愛おしすぎる従属の姿勢を見るのが楽しすぎて、つい毎晩、おつとめに励んでしまう私の身にもなりなさい」

「ばっ……馬鹿なこと言ってんじゃ……!」


 聖神官の手が、明らかに――


「ふむ……もうそろそろ、年相当な大きさに成長してきても良いものですが、ね?」

 どこふく風で、少々肉付きの足りないラウの胸をもみもみと撫で回している。

「あ、うっ!?」

 聖神官は、ラウの頬に甘いくちづけを落とした。そのまま、濃密な微笑みとともに、優しくささやく。

「可愛い私の狼ラウ。残念ながら……まだまだですね。でも、ぺたんこな貴女も、そうやって怒ってる貴女も、恥ずかしがってる貴女も、悔しがっている貴女も、甘えて、鼻を鳴らしてくれる貴女も……全部、可愛くてたまりませんよ」

「んっ……!」

 押しのけようとしても身体が変なふうによじれて言うことを聞かない。

「……ばかっ……昼間っからこんなとこで……!」

 背筋が、ぞくっ……と甘く悶える。

「”こんなところ”でなければ、もっと? この続きをさせていただいても良かったのでしょうか」

「……ち、ち……ちが……!」

 びくん、と腰が震える。それもこれもおなかが空きすぎているせいだ。栄養を、足りなくなった魔力を、身体が欲しているせいで……!

「仕方ありませんね。では、先に行って食べるものを調達してきますか。どうやら今の貴女にはゴハンが必要なようです」

 聖神官は杖を振った。すずやかな笑い声と邪気を祓う月金石の環の音だけを残して、はらはらと散る花吹雪のように消え失せてゆく。

「くれぐれもつまらない邪気を起こさないように。いいですね、ラウ。もし悪い気を起こしたら」

 優しい声が残響する。

「今夜は……気持ち良いことしてあげませんよ?」

「んなこといちいち言うな恥ずかしい!」

 ラウは真っ赤な顔で怒鳴った。思わずほっぺたを押さえ、誰かに聞かれやしなかったかとびくびく周りを見回す。

「口に出して言わなければ、”されてもいい”のですね?」

「誰がそんなこと言うかあッ! アリスのばかあっ! 嫌みったらしの腹黒変態野郎ーッ!」

 地団駄を踏んで、足下の石ころを消えゆくアリストラムの影めがけて蹴っ飛ばす。笑い声が吹き散らかされた。またぞろ物哀しいことに、ぺっちゃんこになったお腹と背中がくっついて、くぅぅぅぅ……ともの悲しい音を立て始めた。



 ぐううう。きゅるるるるる。ぐううきゅるるるるるるる。

 ……聞こえてくるのはまたまた凶悪な腹の虫の唸り声ばかり。

 ラウがドッタムポッテン村に到達したのは、あれから数日してからのことだった。必死に目的地までたどりついたは良いものの、今度こそあまりにもハラペコすぎて動けなくなっていたのである。

 とはいえ魔妖の出る村にわざわざ向かおうとする奇特な人間など他にいようはずもない。行き交う旅人も皆無な、ど田舎の街道でぶっ倒れ中のラウに気付いてくれる人は、おそろしいことに丸一日以上もの間、現れなかった。


「あのう……大丈夫ですか?」

 舌足らずさの残る幼い声とともに、おずおずと背に触れる手の感触があった。

「……大丈夫じゃないかも」

 ひょろひょろと頭のてっぺんから漂いだしていたラウの生き霊が無意識に応答する。

「お水、飲めます……?」

 声が聞こえてくる。ラウはあわててまどろんでいた意識を引き戻した。口からヘロヘロと幽体離脱させている場合ではない。人間だ。それもうら若くていかにも柔らかそうな可愛らしい女の子の声。全てにおいて最高級の食料。

「起きられます……?」

 少女に支えられてラウは何とか上半身を起こした。

 意識を取り戻したラウに、少女はかすかに微笑みかけた。唇に水筒を押し当ててくれる。とろりとした、果実の甘みを感じさせる水が流れ込んだ。

 おいしい!

 あまりのおいしさに、ラウはぱちくりと眼を瞬かせた。

「うわあ、何これ超おいしいじゃん!」

 少女の手から水筒をかっぱらい、ごくごくと喉を鳴らして最後まで一気に飲み干す。

「そう? よかった……もう大丈夫ですね」

 膝をついて支えてくれた少女の身体からは清楚な花の香りがした。

 眼が合った。少女の表情は暗いかげりを帯びている。どこか寂しげな雰囲気だった。まつげの長い伏し目がちの表情。常に何かに怯えているかのような、おどおどと揺れ動くまなざし。肩で切りそろえた黒髪、お仕着せらしい黒と白のエプロンドレスとお揃いのカチューシャ。村娘の出で立ちではない。

「歩けますか……?」

 少女が心配そうに小首を傾げ、のぞき込んでくる。さすがに気後れを覚える。だが、大げさでなく生死の境目にいるこの瀬戸際にそんな悠長な遠慮なぞしている場合ではなかった。ここで獲物を逃しては本当に飢え死にしてしまう。

 ラウは相手の目をまっすぐに見上げた。誘惑の光が映り込む。

「あ、あの、何でしょうか……?」

 少女が怯えて声を揺らがせる。

「うん、実は、ちょっぴりお願いがあるんだけど」

 ラウはにっこりと鬼畜に笑った。少女の華奢な手を取り、ぎゅっと握る。

「一口かじらせて」

 ぺろりと小さく舌なめずりし、やおらくんくんと鼻を鳴らして物欲しげに少女の首元を嗅ぎ回り始める。

「えっ……?」

「大丈夫大丈夫。ああ、美味しそう……!」

 ラウは狼の笑みを口の端に浮かせた。

「やっ……何……?」

 少女が顔を赤らめて身をひこうとするのを遮ってラウはさらににじり寄った。翡翠の瞳に、ゆらゆらと不穏に燃える金の妖気が混じってゆく。

「痛くないから。お願い」

 言うなり、ぐっと踏み込んで少女の身体をやすやすと組み伏せる。少女はみるみる青くなった。馬乗りになって迫るラウに涙のまなざしを向ける。

「な、何をなさ……い、嫌っ……やめて……あん……!」

 気にせず少女の耳をぺろりと舐め、かるく口に含んでみる。良い味がした。少女の身体が、びくっと震える。

「全部食べちゃおうってわけじゃないから大丈夫。ちょこっと美味しいところかじらせてもらうだけだからさ。ね、ね、いいでしょ? ねっ!?」

 笑うラウの口元から、白い牙がちらりとのぞく。

 少女は息をあえがせた。胸元で結んだブラウスのリボンがほどけるのもかまわず、真っ赤な顔でもがいている。か弱い獲物を組み敷き、すっかり据え膳を前にした気分になったラウが、ではいただきまあす! とばかりに、あんぐり、と口を開けた――まさにそのとき。

 突然。

 首輪に掛けられた銀の錠前が跳ね上がった。じりりりりんと物凄い大音響を放って鳴り出す。錠前に刻み込まれた聖紋章が危急を報せる真っ赤な明滅を放って回転しはじめた。

「あああああ! あちゃちゃ熱い熱い熱い!」

 ラウは首輪を押さえてひっくり返った。きゃいんきゃいん泣きさけぶ情けない野良犬のように、あっちへゴロゴロこっちへゴロゴロ、号泣しながら七転八倒する。

「あいたた熱い痛い苦しいっ、うわああんごめんなさいごめんなさいもうしませんっアリスのばかああああ……!」

「な、なに……?」

「ごめんなさいもうしません、うえええんアリスのばか、あほ、へんたい、あああ……!」

「アリス……トラム様?」

 駄々っ子そのものの仕草で地面にへたり込み人目をはばからず盛大に泣きわめくラウを前に、少女は眼を瞠った。

「もしやアリストラム様と……お知り合いなのですか……?」

 ラウはぐすぐす泣きながら少女を見上げた。

「アリスが何?」

「あ、あの……お連れ様が後からいらっしゃるというのでお迎えに……でも、まさか、貴女だとは」

 おずおずと身をちぢこめながら、手を口元へ持ってゆく。

「え、うそ、依頼者さんなの?」

 ラウは膝を折って地べたに正座し、ぺこぺこと謝った。

「もう二度とニンゲンは食べませんのでどうか勘弁してください」

「そんな、食べるなんて。ちょっとびっくりしただけですわ」

 少女は驚いた顔でラウを支え起こした。

「お気になさらず。わたくしはミシアと申します。ドッタムポッテン卿のお側に仕えさせていただいています。どうぞ、村までご一緒させてくださいませ」

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