第48話「決着」

 珂惟は軽く右足を引き、身構える。

 対する男は、背後の集団に一瞥を投げ、

「お前らは下がって、上座をお護りしてろ。あとでこいつをお前らにやるから術の練習にでもなんでも好きにしろ」

「はっ!」

 松明の炎が揺らめきながら下がっていく。三神殿の前でそれが二手に別れ、建物の陰を明るく照らし出した。

「少しは腕を上げたか? 多少は修行したようだが、せっかく来たんだから少しくらいは手ごたえがないと、つまらん」

「言ってろ」


 キンッ!


 鋭い閃き。闇に甲高い音が響く。弾かれた袖箭の矢が夜闇を切り裂き、男の脇を抜け傍らの松樹に突き刺さった。

「鉄笛か」

 僅かに届く炎の中、闇に沈む珂惟の右手に鈍く光るものを見た男の口が、面白そうに歪む。鉄笛とは文字通り鉄でできた笛で、演奏もできるが、主に護身用の打撃武器として使われる。

「それ単発だろ? どうする、俺の目の前で次の矢、装填する?」

 声は変わらず闇からである。

「さあて、どうするかな」

 のんびりとした声が耳に届くより早く飛んで来た何かを、素早く上半身を右に傾けかわす。足元に転がったのは袖箭の筒――悟ったとほぼ同時、前方から影が飛び込んでくる。男だ!

 何とかかわしたものの、体勢が崩れた。

 整える間もなく間髪入れず地面すれすれに入るケリの連打。跳び退りながら少しずつ距離をとり、漸く体勢を整えた珂惟は、大きく後ろに飛ぶと地を蹴り、蹴りを放った直後の男の頭上を飛び越え、その背後に立った。

「あんた何で……」

 あれだけ蹴りを連発したにも関わらずまったく息を乱すことなくゆっくりと振り返った男――珂惟は大きく息を吐きながら、声を投げる。

「何であんな莫迦みたいな上座の言いなりなんだよ。本当に尊敬してる――ってわけじゃないだろ。出世に興味あるなら、どう考えたってあんたが自分で――」

「お前に関係ない」

「そうだけど、でも――」

「臨」

 珂惟の声をかき消す大音声が、闇を震わせる。

「兵・闘・者――」

 声がまるで鐘の音のように、四方に広がっていく。途端に静かだった観内の木々が俄にざわめき始めた。


 ――無駄ってことか。

 珂惟はゆっくり息を吐いた。


 昨夜、ただ一度だけ試した。経文がうろ覚えで危ういことになりかけたが、それでも悪鬼は一瞬にして霧散した。今は、しっかりと経文を覚えている。琅惺のお墨付きだってある! だから絶対に、負けるはずがない!!


 言い聞かせると、胸前で手を合わせる。

「観世音菩薩行深般若波羅蜜時――」

 観内には松明の熱い、赤いものとは違う、まるで月光がその一カ所だけを照らすかのような冴えた青白い光が立ちのぼっていた。

「裂・在・前-精霊招來、急急如律令!」

 その声に、さざめく木々から仄白い塊が、次々と浮かび上がる。

「行け!」

 声とともに指が振り下ろされた。するとそれらが異様な気を放ちながら、男の指の先、合掌する珂惟を目指す。

 それらは白い筋となり、恰も狐狼の如き鋭い牙を剥き出しにして、四方から珂惟に迫った。

 珂惟は瞑目し、ただ一心に経文を唱え続けていた。

 だが。

「――菩提僧婆訶!」

 そう一声叫ぶと、カッと目を見開く。


 目も眩むような閃光――。


 バチバチバチッ!

 珂惟を包む青白い光に精霊(樹木の霊)が差しかかった時、それらは雷のような眩い白光を発し、珂惟の周囲はまともに目が開けられないほどの明るさになった。


 そして一瞬のち、精霊全ては霧散した。


 再び辺りは闇に包まれる。だが二人を包む青白い光は、いまだその名残を留めていた。そして薄い煙が幾筋も立ちのぼる向こうで、男は驚愕を顔に張り付けていた。

「お前――」

 僅かに息が上がってる珂惟も、戸惑いを隠し切れない。

 二人は表情を動かさず、睨み合う。互いの力に驚愕と、畏怖を感じながら――。


 気づいたのはほぼ同時。


 いつしか二人の周りを、先程の道士たちが幾重にも取り囲んでいた。円の外に立つ上座は醜悪な顔つきで珂惟を指さし、

「ええい埒が明かぬ、もう誰でもよい、あの狼藉者を捕らえよ!」

「そんな上座――」

 男の異議を意に介することなく、唾をまき散らしながら声を張り上げた。

「構わぬ、一斉にかかれ!」

「チッ」

 ざっと周囲を見回した珂惟が舌打ちした――その時。


「そこまでだ!」


 声が飛んだ。一斉に視線が集まった先、何十もの炎が揺らめきながら近づいて来る。

 次第に明らかになっていくその姿。数多の人間を引き連れ、近づいてきたのは――。

「観主!」

 周囲が一斉に跪く中、一人立ち尽くす珂惟は我が目を疑った。

「上座! それに琅惺! 何でここに」

「――全ては聞いた」

 観主は物凄い形相で、足元に這いつくばる自らの補佐役を睨みつけると、

「お前は何とそら恐ろしく、莫迦な真似をしてくれたのだ。お前の行為は、我が道教の教えを著しく穢す愚かなものだ……」

「おい、どういうことだよ」

 珂惟はなお続く観主の言葉を尻目に、上座と琅惺の方へと駆け寄った。

「いやそれが――」

「私が連れて来た」

 口ごもる琅惺に変わり、上座が応える。

「お前らの様子を見、何かあると思って杏香ちゃんに聞いたのだ」

「杏香に? でもあいつ昨日はそんなこと一言も――」

 言いかけて慌てて口を塞いだが、上座はそんな珂惟を気にすることなく、

「それは言わないでくれと私が頼んだのだ。彼女も逡巡していたようだが、お前たちの為になると判断したんだろう。私の言を容れ、怪しい道士の話も、琅惺と五通観に乗り込んだことも全て話してくれた。それで私と化度寺の上座が狙われたことを考えると、やはり琅惺と同じ仮説に辿り着いた」

「でもどうやって、坊越えしてきたのかよ」

「おまえと一緒にするな。私を誰だと思ってる」

 言いながら傍らの琅惺に目を投げる。すると琅惺は懐から折り畳んだ一枚の紙を取り出した。文牒である。

「曲がりなりにも上座だったか。――で、結局何なの、コレ?」

 背後で未だに続く観主の説教を振り返り、珂惟は怪訝な顔で聞く。

「『道僧格』を道教の意のままに作り、その功で観主になろうとした上座の計画――と観主はおっしゃられているが、全く知らない話だったのかどうか」

「ってことはもしかして、あちらの上座は単に躍らされてた、今回最大の犠牲者な可能性?」

 珂惟の言葉に、上座は頷く。

「うわーサイテー、これだから権力者って」

 双璧の片割れから鋭い視線が飛んできたが、珂惟は「だってそうだろ」と不満顔だ。

「我々仏教側を制するためにはどんな手段を使っても……ということだったんだろう。うまくことが運べば最善、そうならなかった場合は――被害を最小限にとどめる手段を考えておくだろう」

「それがあの上座。でもいくら上座独断を装っても、悪行がバレちゃったら道教の大きな傷だよな」

「そうだね」

 三人は揃って振り返り、後ろで繰り広げられている茶番劇を眺めた。

「――かくなる上は、お前は還俗の上追放だ。残りの者共も、追って処罰を与える!」

「そんな観主――」

 道士たちが泣きそうな声を出す中、足に縋り付く上座から観主は冷たく身を引くと、

「金吾衛に突き出されないだけ有り難く思え。そんなことになれば、お前は還俗の上殺人未遂の罪で獄に放りこまれ、外に出ても一生日陰を行かねばいかなくなるんだぞ。穏便にすませたいと、あちらに言われておるでな」

「そんな――」

「さあ、出て行け。今度こんなことをやったら次は確実に獄に入れてやる。さあ!」


 観主の野太い声の余韻が夜闇に消えると、ただ炎の爆ぜる音だけが周囲に満ちる。 

 やがて――うなだれ、のろのろと上座が立ち上がった。だがよろめいて倒れかけた――その姿を、背後から支える人物があった。

「あいつ――」

 それは珂惟とやりあったあの男である。

 上座を支え、遠ざかって行くその後ろ姿に、珂惟は叫んでいた。

「何でそんなヤツについて行くんだよ!」

 すると、男がゆっくりと振り返った。

 それは――穏やかで、嬉しそうな笑みを浮かべて。

「え?」

 戸惑いを露にする珂惟に、上座は静かに言った。

「彼は、あの男に幼い頃拾われたらしい」


  ――仏だと思った。


 急に、その言葉が脳裏に蘇る。

 その言葉を発した人物を、珂惟は見た。

 琅惺もまた珂惟を見ていた。琅惺は悲しげに笑って、言った。

「思えば、彼が私たちをここに導いてくれた。彼は――上座が悪事に手を染めていくのを止めたかったんじゃないのかな」

 二人は揃って、同じ方向を振り返る。

 足元のおぼつかない上座を支える逞しい背中が、やがて闇に消えていった。



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