第21話「喰わせ者」

 数日後。

 本堂の周りを、行者が手分けして掃除していた。

 少ないとはいえ牡丹観賞に訪れる人々で寺が賑わう今の時期、普段より掃除回数が増えるのは致し方ないことである。

 珂惟かいは集団から一人離れ、中門の付近で箒を動かしていた。

 そこへ、

「おや、珂惟ではないか」

 その声に顔を上げると、黄衣白髭。一目で高僧と分かる、上背のある人物。

 見覚えはあるのだが思い出せない。しかし、とりあえず箒を足元に置くと、

「お久しゅうございます。お元気そうで何よりです」

 合掌し、笑顔を見せることにする。

 老僧は、にこやかに何度も頷きながら、

「この前の度は残念だったね。上座かみざも力はあるのにとお嘆きだったよ。次こそは体調を万全にして合格しないとな」

「はい、努めて頑張ります」

 笑顔が引きつる。

「しかしここの白牡丹は見事だね。うちの紅紫を見飽きたせいか、ここのを見るのが楽しみでな。まあ、うちのも例年以上に綺麗に咲いたと皆言っておるから、今度見においで」

「ありがとうございます。機会を見て必ず」

 去り行く後ろ姿に珂惟は手を合わせる。

「何だ。結局自慢か?」

 参道に消えた姿を見ながらそう呟くと、足元の箒を拾い上げ、再び動かし始める。

 それからしばらく、背後から再び足音が近づいて来た。

 振り向くとそれは――。

化度けど寺の上座は、もう出て行かれましたか」

 手に紫紺の包みを持った琅惺ろうせいである。

「はい、一刻(約十五分)ほど前に」

「そうですか」

 全く表情が動かない。

 結局、琅惺は一度も、一瞬も目を合わせないまま、足早に門を出て行った。


 さらにしばらく。


「化度寺の上座と琅惺は出ていきましたか」

 振り返ると、寺の副責任者ある寺主じしゅが、やはり紫紺の包みを抱えていた。

「はい。上座は半刻程前、琅惺様は一刻程前に出て行かれましたが」

「そうかぁ、それは困ったのぉ」

 珂惟の返答に、好々爺然とした寺主が、目に見えておろおろし始める。

「――どうされました?」

 それで訊かなきゃウソである。

「いや上座にお渡しものがあったので琅惺に追ってもらうことにしたのだが、他にもあるから少し待て、と申したのに……そうか、行ってしまったか……」

「……」

「それにしても最近の琅惺は……。どうしたのかのう」

 嫌味か。

 邪気のない笑顔だからといって、その人が無邪気、というわけではない。

 周りの者は「寺主って頼りないよなあ」などと言っているが、どうだか。

「それにしても、これはどうしようかのう……」

「では――私が参りましょう」

 こう答えなければウソである。

 すると寺主は、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、

「本当か? いや済まんなあ」

 心底嬉しそうに包みを差し出した。珂惟は箒を置いて、それを受け取る。

 寺主は相変わらずの笑顔のまま、

「そう言えば先だっては琅惺と盛り上がっておったなぁ、お主。上座の話では経の解釈を言い合う内につい……とのことだったが」

 何だそれは。もうちょっとマシな言い訳しろよ――心中で毒づきながら、

「あはは、つい熱くなってしまって……お恥ずかしい限りです」

 頭を掻く珂惟に、寺主は何度も頷き、

「若い頃にはよくある話じゃ、ワシにも覚えがある。それに――」

 寺主は、おもむろに参道に目を遣った。

「言い合う者が居る方が、琅惺にはよいであろう。最近はまるで、とりつかれたかのように、ひたすら勤行に励んでおるが……。少々心配じゃ。張り詰めた糸が、いつ、ぷっつり切れるかと思うとな」

 そして再び珂惟を見上げると、

「立場の違いが気にはなろうが、様づけなんぞせず、『琅惺』と呼んでやれぃ。ただし人前では、困るがな」

 茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

「寺主……」

 見下ろす珂惟の表情に、笑みが染み渡る。

「では琅惺と、共に牡丹を愛でてまいってもよろしいでしょうか」

「おお結構結構。ゆっくりして参れ」

「はい、では支度して参ります」

「いや別にそのままでも……」

 しかし寺主の声は、身を翻し境内へと急ぐ珂惟の後ろ姿には、届かなかったようである。


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