巻の一「大覚寺の双璧」

第2話「行者と上座」

 翌日。

 ここはその大覚寺。


 本堂の片隅に一際高くそびえる槐の根元に、竹箒が転がっている。

 天に向かって張り出された、葉の生い茂るその枝に、長い髪を後ろで束ねた一人の少年が跨がり、幹にもたれかかって空を眺めていた。

 ほどなく人声がした。

 見れば本堂から黄色の衣を着た一人の中年僧と、周りを取り巻く暗色衣の僧の姿。

「やべ」

 少年は体を起こすと、ひらり身を躍らせ、一丈ほどの高さから飛び降りた。箒を手にすると、神妙な様子でそれを動かし少しずつ移動して槐の幹を廻り、彼らから身を隠そうとする。だが――。

珂惟かい!」

 背後から鋭い声。

「バレたか」

 口中に呟くと、少年はゆっくり振り返り、

「これは上座かみざ。何か」

 涼しい笑みを浮かべ、厳しい面持ちで本堂の石壇に立つ中年僧を見上げた。

 上座、と呼ばれた僧は、従う三人の若い僧たちに目を巡らすと、

「お前たちは先に行っていなさい。私は珂惟に話がある」

「かしこまりました」

 彼らは厳粛な面持ちで合掌すると、一列になってその場を去って行った。

 が、上座が背を向け、少年に近い階段目指して歩き出した気配を察すると、彼らは一斉に足を止めた。そして振り返り、嘲笑を浮かべて少年を見た。先頭に立つ年長僧の口が動く。「ザ・マ・ア・ミ・ロ」

 思わず苦笑い。

「どうした」

「いえ」

 上座は目の前で肩を竦める少年を見、肩越し振り返り、整然と本堂を後にする、少年と同じ年頃の若僧たちの後ろ姿を見やった。そして、

「少し歩くか」

 再び珂惟に視線を戻すと、上座は本堂を離れ、歩き出した。珂惟も黙って後に従う。

 本堂の北西にある鐘楼の更に奥、僅かに小高くなったところに、背丈より僅かに高い白梅や紅梅が交互に植えられている。梅香に誘われるように二人はそこを目指し、歩いた。

 梅林に入ると足を止め、先に口を開いたのは上座である。

「さきほどは木の上で何を思案しておったのだ。珍しく考えこんでいたようだったが……」

 その言葉に、珂惟は手にしていた箒の柄でこめかみを押さえながら、

「ちょっとね、今度の『度(僧になるための国家試験)』のこと」

「おお、お前もやっと真面目に考えるようになったか」

 妙に砕けた口調を返す少年をとがめるどころか、上座は嬉しそうに声を上げた。


 だが。


「今度はどうやってサボろうかなーと思って。風邪で喉をやられて声が出ないってのはこの前、その前は高熱で起き上がれないってのも使ったよな、だから今度はどうしようかなと。腹痛? 頭痛? いや、それとも……」

「珂惟!」

 皆までは言わせてもらえなかった。

「何を考えているんだお前は! 寺に住む分際で、度をサボり続ける奴がどこにいる。いい加減あきらめて僧になれ」

「やだよ、そんなカッコ悪い坊主頭なんか。俺が髪下ろしたりなんかしたら、長安の女の子がどれくらい泣くか、分からないかなあ」

「それが仏門に身を置くものの言う言葉か」

「――よく言うよ。だいたい『嘘をつかない』ってのは仏教信者の基本だろ。それを最高僧自ら破っていいわけ?」

 珂惟は責めるように、上目遣いで上座を見た。

 

 

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