蟲森での出会い

捻じれカザフの隣に頭を出すヒラギの傘の上にオルゴーを着地させた。肉厚の傘に杭を刺して固定する。

いつも思うがキヒラタは食べるといったいどんな味がするのだろうか。形が巨大な茸なので気になって仕方がないが、全体が毒胞子と同じような有害物質。焼いても似ても完全には毒は消えないので、一生キヒラタを食べることは不可能。

死ぬ直前に食べてみるという手もあるが、他にも味が気になる胞子植物は沢山ある。一つに絞るのはとても難しい。かといって死ぬ間際に蟲森の様々な植物で料理を作って食べさせてくれる人がいるはずもない。

今のうちに最後の時に、食べたい植物を考えておくのも悪くないかもしれない。


{こんなこと考えるから変わり者って言われるんだな。}


観測を始めるかと準備を整え、ヒラギに腰かけた。上空では毒胞子が空を昇ったり降下したりしていた。この上下運動を見るのは初めてだった。迷路のように入り組んだ、蟲森から吹き上げる上昇気流は強まったり弱まったりを繰り返す。


{風笛も楽しそうな音をしている。}


上げた簡易観測凧も毒胞子と共に上下していて、まるで踊っているように見える。

大羽蟲の幼生が凧に紛れて上へ下へと遊んでいる。いつまでも見ていたいくらい面白い光景。

だが一時間が過ぎた頃、寒くて耐えられなくなった。五分毎に記録を取っていた気温が、つい十分前から急に下がり始め、今は八度。防護服を重ね着していも、体が冷え、手足が震えてきた。


{やはりポックルの仮説通り寒暖の差が突風の要因なのかな。でも再び逆突風が吹く気配はないから、吹くときと吹かないときの差が分からない。}


すぐに答えが出るようなら二百年も風学者が頭を抱えるはずがない。けれども今この瞬間に新しい閃きが生まれるかもしれない。誰かと議論して実験をして。

叶わぬことを考えながらセリムは自嘲気味に笑った。自分は風詠で見える範囲ならば、肌で感じられる範囲ならばどんな風が吹きそうか、どんな風が吹いているかは分かる。

けれども小難しい理論で風がどのようにして生まれ、どんな様子を表すのかを考察するのは風学者の仕事だ。感性の占める割合の多い風詠と理論派の風学者は根本が違う。自分はこの身で情報を集め、風学者に託すのが役目。謎を解き明かすには共に歩む仲間が必要で、一人では夢を叶えることは出来ない。

幼馴染のポックルが、あの臆病で閉鎖的な男が、自分に似て活動的だったらと思うこともある。

レストニアには蟲森まで来てくれる学者はいない。パズーは何度か共に来てくれたが、一言目には帰ろうだ。

この森で得られる感動も、恐怖も、発見も、誰とも分け合うことが出来ない。

それほどまでにこの蟲森は忌されている。大地を覆い、毒の胞子をまき散らして人を脅かす植物ばかりの森。蟲以外に耐性や抵抗力のある生物は他にいないのか、人類か蟲が君臨するこの森と共存できる可能性はないのだろうか。

アスベル先生が崖の国から去って3年、賛同者のいなくなったセリムは時に窒息しそうなほどの疎外感に襲われる。アスベル先生でさえ、首の皮一枚繋がるかどうかという理解者でしかない。


{寒すぎる。帰るか……。}


 腰を上げるとセリムは視線を下に降ろした。それから手袋の中で悴む手を開いたり閉じたりしてみた。


{手が悴んで上手く飛べそうにもないな。体を温めるために少し散策して行こう。せっかく蟲森まで来たのだし。この間発見したナメコに似た胞子植物、飛蟲に邪魔されて持ち帰れなかったから採って研究塔に寄ってから帰ろう。時間があれば良いけど。}


太陽が西に傾く様子から、散策はせいぜい数十分が限界だろうと。あまりに帰りが遅いと皆の仕事に支障が出るうえ、心配したとどやされる。

セリムはヒラキタから捻じれカザフに移り、丸いでっぱりに足をかけながら降りていった。下へ行くほど視界が徐々に暗くなり、日の光が完全に届かない世界に移る。

自ら光を発する植物。七色輝く薄暗い大地。降り立つと土を覆う胞子苔が普段よりも随分柔らかかった。

午後の胞子飛ばしが終わったばかりなのだろう。視界を遮る浮遊胞子が少ないのがその証拠。


{たしかあのナメコもどきは向こうの蠍蟲の巣のあたりに群生していた。}


セリムはアッと声を上げた。銃もナイフも置いてきてしまった。軽装備で蠍蟲の巣に近づくのは危険すぎる。遠回りして植物の上を伝っていくには時間が足りない。

小さい蟲を巻き込んでは大変だと、滅多にしないが、オルゴーで飛んでいくということも頭の隅に浮かぶ。が、風の凪いだこの様子では至極困難そうだ。それに以前、エンジンを使ったせで蟲たちを興奮させて追いかけ回されたのを思い返す。そんなことになれば、より帰還が遅くなってしまう。

もう帰るか、と思ったその時だった。信じられないものを見た。ゴーグルの前を手袋でこすり、何度も瞬きして目を凝らした。

背丈の低いキヒラタのひらひらした笠を椅子代わりにして腰かけている人間がいた。


{人なのか……?}


ゴーグルを擦ってもう一度注視してもそれは確かに人の形をしていた。


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