第5話 第三次『鋸草の血』掃討作戦③

【視点:ザイル・シャノン】


 バギッ!!


 骨と肉ががひしゃげた、不快な音を立てて俺の拳が敵の顔面にめり込み、次の瞬間にはそいつの全身から黒い靄が噴き出し始め、やがて黒い塵となってそいつは視界から消え失せていった。次いで背後から飛び掛かってきたバンパイアの首に片足首を引っ掛け、地面に叩き付ける。その衝撃でバンパイアの体はコンクリート舗装された道路に数十㎝ほどめり込み、そこを中心に蜘蛛の巣状のヒビが入った。


「ぐっ…あぁっ……!!?」


 大きく見開かれた赤い瞳を血走らせ、喀血するバンパイアの姿を尻目に、俺は目標の気配を探して辺りを注意深く観察する。

 ったく、これで何匹目だ?鬱陶しいったらありゃしねぇ。


「雑魚は、お呼びじゃ……ねぇんだよっ!!」


 声に苛立ちを募らせ、俺は向かってくる新手のバンパイアに向かって再度拳を突き出す。


 「ぐはっ!?」


 腹部に強烈な右ストレート食らった相手は咳き込むようにして吐血し、その後わき腹に俺の蹴りを食らい、近くにあった巨大なコンクリートの塊に頭から激突してそのまま絶命した。それを最後まで見届ける前に、新手が次々に襲い掛かってくる。

 ちっ、これじゃあ埒が空かねぇ。

 どいつもこいつもにんげんを前に、激しい吸血欲に駆られ、正気をほとんど失いかけている。動きに洗練さが欠けているのがなによりの証拠だ。とは言えこれは作戦通りっちゃあ通りだから良しとするべきなのだろうが、どうにも手ごたえがなさ過ぎてどこか物足りない。自身に向かって来る黒い影をただがむしゃらに殴る、殴る、殴る。多少の理性を残した奴を時折見かけるが、飢餓状態で体が衰弱しているためにかなりの苦戦を強いられている様子だ。まだだいぶ数は残ってはいるが、片が付くのは時間の問題だろう。


 にしてもあんにゃろう、どこ行きやがった?人に喧嘩売っといていざとなったら部下を盾に姿くらますとかは流石になしだぜ?


 俺が気配だけでも結構な玉だと感じ取ったBLブラックリスト・Lv3クラスの怪物。

 作戦の第一段階である奴らのアジトであったビルの破壊前後は、ずっと奴の気配を肌身にビンビンと感じ取っていたのだが、それが今ではめっきり分からんくなっている。まぁ、そこらじゅう軍の人間やバンパイアがゴミ溜めに群がる鬱陶しいハエのようにうろちょろしてっから、それに気配が紛れて分かりにくくなっている可能性もなくはないが、あれだけ洗練された気の流れだ。この俺の気配察知能力をもってすれば、近くにいればすぐに分かる筈だ。


(ってこたぁ、もうとっくの昔にどっか遠くまで逃げちまってるか、それとも完全に気配を絶っているかのどちらかになるな……)


 事実が後者ならかなり事の事態は深刻だ。俺の目測以上の実力者である可能性もかなり高まってくる。そうなりゃ、この俺がられることも作戦の失敗も視野に入れていかにゃならんくなってくるだろう。下手をすれば全滅ってこともありうる。それに、理性を失っている可能性はかなり低いだろうが、それでも奴もそれなりに血に飢えて弱っているはずだ。るならこれほどの機会はめったにお目にかかれないだろう。逆を言えばこれを逃してしまえばとんでもない化け物を野に放つどころかWCDの沽券にかかわる事態となるだろう。


(まぁ、んなことはどうでもいいがな)


 俺はただ強い奴とヤりたい。ただそれだけだ。それだけのためにこうしてWCDに入隊し、それだけのためにここまで登り詰めてきた。そんな俺にとってこの状況ほど高揚感を煽るものはない。

 これ程完璧に気配を自在に操れる奴は人間にしてもバンパイアにしても俺はほとんど知らねぇし、ましてや敵として対峙したことなんざ一度もねぇ。少なくともBLブラックリスト・Lv4入りは確実だろう。こんな化けモンとやり合える奴は、戦闘のプロ中のプロであるWCD内でも、そう多くはいない。准将の俺で、真面に張り合えるかどうかっていうレベルだからな。


 汗の伝う頬に笑みを浮かべ、俺は狂気にも似た抗い難い興奮に思考を支配されつつあった。もはや今の俺の脳細胞には、奴と戦うことしか含まれていない。

 こんな時こそ、俺は生きている実感を味わえる。直接命と命のやり取りを行うこの時こそ、至福に満たされる。


「シャノン准将っ!たった今、本部から連絡が!」

「何だ?」


 名前の由来にもなった白龍刀の白い刀身を中天に差し掛かりつつある陽光に煌めかせ、白銀に光り輝くそれで近くにいた敵を二体、一太刀の元に切り捨てたホルムが息せき切って俺の元へと駆け寄る。その表情はいつの冷静沈着なこいつにしては珍しく、1ミクロンほどの焦りが見て取れた。いい知らせじゃなさそうだな。


「後方にしてバンパイアとの銃撃戦を行っていたD班からの連絡が完全に途絶えたとのことです」

「っ……おいおい……」


 あーぁ。やっぱやばい系のパターンなんだな、これ。


「他はどうなっている?」

「今の所、異常が起きているのはD班のみです。ですが、その他のどの部隊も善戦はしているものの、D班に援護を送るのは難しいとのこと。後方支援部隊からの情報収集を兼ねた援護を行っておりますが、D班が担当している区域へ向かった偵察および後方支援部隊の者は誰一人として帰ってこないとのことでして……」

「ったく、ディアクリシスもいんだろ?何やってんだよ」


 思わず俺は悪態をついた。

 どう考えても迎撃していたはずのD班も、援護に向かった後方支援部隊の奴らも、全員殺られたか、何らかの理由で連絡の取れないほどの苦境に陥っているに決まっている。こりゃ多少の人員をそっちに回した方がいいか……。


(俺も行くか?)


 ここに奴はいない。俺の勘がそう言っていた。

 その時、唐突に耳にさしていたイヤホンが耳障りな機械音を立てた。


『ザイル、聞こえるか?』

「はいはい、何だよ?D班とこ行けってか?」


 雑音ののちに鼓膜に響いてきたその声に、ぶっきらぼうに答える。


『あぁ。ディアクリシスの部隊がやられた可能性がある。D班の援護に回したんだが、それ以来連絡がつかん』

「マジかよ。やべぇじゃねーかそれ」

『そっちの状況はどうだ。お前の隊を回せそうか?』

「俺はもうそっちに行くつもりなんだが、隊自体を回すのはまだ厳しいだろうな」

『…………』


 珍しくおやっさんの焦燥がイヤホン越しに伝わってくる。迷っているのだろう。俺一人で奴と戦わせるかどうか。おやっさんのことだから下手をすれば自分が行くと言い出すかもしれない。だが、この人が何と言おうと、俺の心はもう決まっている。


「おやっさん、あんたが出る必要はねぇ。俺が何とかしてみせるさ」

『無茶を言うな……』


 とは言いつつも、否定するその声がどこか弱弱しいのは、きっと「俺ならやり遂げるのでは?」と疑念を抱いているからだろう。これまで俺が上げてきた武功を挙げれば、可能性が低いとは言わせねぇ。


「ま、何にしろまだ戦況の目途が立ってねぇんだ。あんたはまだそこを離れるわけにはいかんだろう」

『……そうだな。頼んだぞ、ザイル』

「任せとけッ!」


 最後に「死ぬなよ」とおやっさんらしからぬ台詞が聞こえてきた気もするが、今はどうでもいいか。


「おい、ホルム。ここがあらかた片付いたらお前もD班の援護に回れ!俺は先に行ってるからな!」

「お一人で行かれるのですか!?」

「ここ片付けんのが先だ!だが、状況が状況だ。長引きそうならおやっさんに援護を要請しろ。ここならちょっと顔見せるくらいはできるだろう」

「了解っ!ご武運を!」

「おうっ!」


 物わかりの良い部下で助かったぜ。

 背後で刀を振るうホルムの姿を尻目に、俺は駆けだす。俺は、時折飛び掛かってくる雑魚バンパイアを殴り飛ばしながら上機嫌な足取りで前へと進み続ける。D班が敵を迎撃していたのはビルの反対側。地図でしか確認できていないが、確かそこには森が広がっていたはず。その森の中にはそれなりに大きな川が流れており、街を覆うドームを突っ切って、外の世界に続いている。その地点には関門が建てられてはいるが、強行突破されてしまえば、ただのコンクリートのかたまりでしかない。脱走を試みるならまさにうってつけというわけだ。奴は必ず、その辺りにいる。追いつけることを祈るばかりだ。いざとなりゃ俺もドームの外に出ても構わんが。


 気が付けば、いつしか周囲の景色はビルや商店の立ち並ぶ町中の景色から打って変わって、蔦や雑草が乱立する木々に絡まり合い、光がわずかにしか届かない薄暗い山中の景色へと変わり果てていた。所々の木々の幹に穴が空き、硝煙の匂いを漂わせていることから、先程までこの辺りでも激しい戦闘が行われていたことが窺える。


「ぐあぁぁぁぁぁ―――!!」

「うおっ!?」


 突如目の前を人影が覆いかぶさり、俺は慌てて後方へと飛び退った。


「っ……!?てめぇ……」


 おいおい、随分たいそうな置き土産を残していきやがって。


 今俺の目の前に立ちはだかる無数の人影の正体は、つい先程までバンパイアと銃撃戦を行っていたはずのD班所属の兵士たちだった。そしてその先頭には変わり果てた姿で立つディアクリシス・レノンがいた。

 やっぱお前もやられたんかよ。

 この作戦成功させることにおいて最も情熱を注いでいたのはこいつだ。こいつにとって「鋸草アキレアの血」とは多くの仲間と部下を奪ってきた憎き敵であり、何度も敗北と恐怖を味わわされてきた天敵だ。

 それがかたきの一言では言い表せないほどに相手によって殺められるだけでなく、同類に生まれ変わるとは……。これほど屈辱なことはないだろう。


 死人のように青白い肌、虚ろな鮮紅色ブライトレッドの瞳、よだれの滴る口元から窺える鋭い犬歯。

 バンパイアとなってさほど時間が経っていないためか、その動きは操り人形のように鈍重で、真面な意思疎通すらできそうもないが、全身から鬱陶しいほど陰鬱とした殺気を漂わせていやがるから今から俺に何をしようと企んでいるのかは一目瞭然だ。

 予想をしていなかったわけではない。だが、これ以上足止めを食らえばどんどん敵の大将を逃す確率が増えていくことになる。

 俺は今更ながら、やっぱ部下一人くらいは連れてこればよかったかなと後悔した。そしたら雑魚の片づけは押し付けられるし。


「よぉ。痛ぇ思いしたくなかったら、そこ、退いてくんねぇか?」

「うぅ……」


 反応なし、っと。当たり前か。

 さっき俺にとびかかってきた一匹は、俺に攻撃を回避され、その勢いを殺せずものの見事に顔面を地面にめり込ませる結果となっていた。おかげで鼻血を吹き出すわ、生えたてほやほやの牙はボロボロになる派手悲惨な姿になっている。だが、痛覚がないのか、再びゾンビのようなおどろおどろしい動きでゆらりと立ち上がり、再び俺に飛び掛からんと、構えを取る。

 こりゃもうだめだな、こいつら。手の施しようがねぇ。薬はどうした、薬は。

 あの対バンパイア菌の薬は副作用の問題を除けば確実に効くまさに夢のような代物だ。何せ、今まではバンパイアに一度でも噛まれたら問答無用で即アウトだったからな。


(ちっ、気は引けるが、やるしかねぇか)


 どのみちこいつらはもう人間じゃねぇ。人を殺し、その血を貪るだけの化けモンだ。

 致し方なし、と俺は覚悟を決めると、指の関節を鳴らしながら一歩、足を大きく前に踏み出した。


「悪く思わないでくれよっ!!」

「うぅ……ぐあぁぁぁぁぁ……!!」


 * * * * * *


【視点:????】


 やはり、あの程度では大した足止めにもならなかったか……。骨折り損のくたびれ儲けとはまさにこのことだな。

 俺は足元の崖下で繰り広げられる戦闘を静かに観戦しつつ、残してきた傀儡が大した役に立たなかったことを僅かながらに悔しがった。これならいちいち相手にしてないで、逃げの一手に専念したほうが利口だったな。


 先ほど、森への脱走を図る俺たちを待ち伏せしていた人間どもの援護にやってきた奴らを返り討ちにしてくれた際、隊長格と思われる人間がやけに部下をかばう様子を見せたので、増援に対する足止めも兼ねてちょっとした余興に奴らの首筋に牙を立ててやった。牙を立てられながらも斬りかかってきたことには一本取られはしたものの、最終的には奴もバンパイアの毒に屈することとなった。

 だが、どうやら今度の男はそうでもないらしい。意外にも一人で来たので、はぐれ兵かと思ったのだが、どうも違うらしく、本当に一人で俺たちを狩りに来たらしい。

 現在進行形で傀儡たちと交戦中のそいつは先ほどまでの奴らとは一味違い、なかなかの力量を持っていた。流石、一瞬で俺の気を察知するだけはある。今の俺ならやられる可能性も無視できないだろうな。


 俺は少し離れた岩棚の上から、今回のWCDの作戦部隊において唯一俺にとって脅威になりうる可能性のある二人の存在の片割れが、今現在、その圧倒的な強さで小枝をへし折るようにして次々と敵を薙ぎ倒していく様を相手に気取られないように気配を消しつつ、無言のまま眺めていた。


(強いな……)


 ビルの最上階であの男を試してみた時から既に分かっていたことだが、間近で見てみて、改めてそう思い直した。

 乱立した木々や岩などの周囲の障害物をものともせず、それごと敵を素手で殴り飛ばし、粉々に打ち砕くほどの腕力。ほんの一瞬でどんな僅かな気配を見逃すことのない勘の鋭さ。ここまで来れば、恐らくWCD内でもかなりの上位の官位を持っていることだろう。とすれば、あれが風の噂に聞いた『石獣のギャスト』か?いや、作戦の総司令官がわざわざ一人でこんなところにまで来るのはあり得ない。まだ可能性があるとすれば、あの『喧嘩屋』だ。あれでまだ准将なのか……。下手な中将よりもよほど力量はあるようにも思える。


 それにしても、今回はWCDも本気で『鋸草アキレアの血』を潰しにかかってきているな。これまで二度も任務に失敗していることだし、そりゃそうか。まぁ、弱体化した組織を立て直すために昔のよしみで雇われただけの俺に取っちゃあ、組織が潰れようが潰れまいが俺に被害が及ばないと言うのならどうでもいいことだけどな。残念ながら、もう既に被害は及んでいるが。ったく、今度からはもう少し考えてから行動するようにしねぇと。


 しかし、今回ばかりは逃げ切れるかどうかすら危ういな。


「ねぇ、早く逃げた方が良いんじゃないの?」


 不意に背後から、むっつりとした不愛想な声色の幼女の声が問いかけて来た。


「……あぁ」


 チラリと背後を見やり、声の持ち主の姿を見やってから視線を再び眼下に戻す。


「だったら早く逃げましょうよ。あの男がここに来るの、もう時間の問題じゃない。あたし、もうそんなに長いこと飛ぶ体力なんてないわよ?」

「…………」

「もうっ、聞いてるの!?」


 相変わらず無言を貫く俺にしびれを切らしたように、ぷにぷにと幼さを感じさせる小さな両手が俺の骨ばった鋭い爪のある手を引っ張る。


「……ここに、残るか?」

「えっ?」

「お前は異能持ちではあるが、それでも人間だ。あいつらなら、異能持ちというだけならそう悪いようにはしないだろう。俺にとってもお前にとってもその方が都合がいいかもしれない」

「嫌っ!!」


 間髪入れずに、断固とした拒絶の言葉が返ってくる。その意志の強さを示すかのように、俺の手を握る力も強くなった。


「あたしの能力がばれたらどうするの!?またあの白いお部屋に戻るなんて、絶対に嫌っ!」

「隠しきればいい話だ。お前ならできないこともないだろう?今回の件については巻き込まれただけとでも話せば何とかなるだろう」

「でもWCDって絶対科学者いるもん。科学者なんかもう見たくもない!」

「お前もそうだろうが」

「あたしをこうしたのはあいつらよっ!とにかく、嫌なものは嫌なの!」

「俺に噛まれるとしてもか?」


 脅すように少し声を低くして、唇を噛み締め、明るい茶色の瞳を怒らせながら俺を見上げる少女を見下ろす。しかし、それでも少女は俺の触れれば切れてしまいそうな鋭い視線を浴びながらも臆することなく、逆に頬を膨らませて睨み返してきた。


「あんたにロリコン的な趣味なんてないでしょ?それに、今まであった奴らの中で、あんたが一番まともなんだもん!それに、WCDにも科学者はいっぱいいるじゃない!もう実験なんてうんざり!またあんな思いするくらいならあんたに噛まれてバンパイアになった方がマシよっ!」


 一切の迷いを感じさせないその岩石のごとく硬い石をにおわせる強い語調に、些か閉口し、俺は溜め息を吐いた。

 また十歳にもならない子供にここまで言わせるとは……。これじゃあ、どちらが忌むべき存在なのか、分かったもんじゃないな。全く、人間ってやつはつくづくよく分からん。


「……勝手にしろ。ただし、自分の面倒は自分で見ろ。俺は俺の思う場所に逃げる。置いていかれたくなかったら死ぬ気でついてこい」

「あたしを何だと思ってるの?そのくらい出来るに決まってるじゃない!それに偉そうに人のこと言ってるけど、あんたこそ大丈夫なわけ?あたしがいなかったら、今頃薬のせいで野垂れ死んでたところじゃない」

「……気にするな。大した傷じゃない」

「嘘つき。全く。あたしにそんなウソが通用するとでも?あたしが事前にあんたが盗んで来たその薬の成分を解析して抗体を作ってなかったら、マジであんた死んでたんだからね!」

「…………」


 ちっ、痛いところを突いてきやがって。……不本意だが、確かにその通りだ。

 以前、VVAと名付けられた俺たちの持つバンパイアウイルスに対抗するためにWCDの科学者共によって作られた薬の存在を知った俺は、今回の作戦では確実に奴らはそれを使って来るだろうと予想し、対策を講じるため、事前に奴らの基地からそれを盗み出し、こいつを使って薬の効力およびその弱点を探らせた。

 突然にたくさんの量が無くなってしまうと怪しまれるだろうから、と少ししか盗んでこなかったせいでこいつに「量が少ない」と散々文句を言われたが、それでもこいつは自身の能力を惜しみなく発揮し、VVAは空気に触れるとすぐに蒸発してしまうこと、バンパイアウイルスを殺す力を持つため、噛まれた人間にこれを投与することでバンパイア化を防ぐだけでなく、ウイルスの塊である俺たちに直接これを打ち込むことで大ダメージを与えることも可能であることが分かった。先ほどの戦闘の際、最後の最後で隊長格のあの男に不意を打たれ、この薬を食らってしまったが念を入れて抗体を作らせておいてよかった。下手をすれば死んでいたかもしれないからな。


「まぁ、いいわ。とにかく今は逃げましょう。じゃ、あたしは足遅いから飛んで逃げるわ。関門前で落ち合うってことで」


 そう言い残して、てけてけと短くて小枝のように細い足を交互に動かして森の中へと消え去っていく幼女の背中を見送ると、俺はもう一度眼下の男を見やった。

 もうとっくの昔に決着はついていた。

 その仕事の速さに思わず内心で感嘆の声を上げる。

 他にも囮は何人か残してきたが、既にもともとこの一帯で脱出を試みる俺たちを待ち構えていた兵士たちに半数近くを殺られているし、次々に送られてくる兵士によってもう数える程しか残っていないだろうから、最早時間稼ぎは期待出来ないと言っていいだろう。


「…………」


 ポタ……ポタポタ……


 服で吸いきれなくなった血が、足元に落ちて灰色の岩肌の上にいくつかの赤黒い染みを作った。俺はそっと、いたわるように片手を先程の戦いの最中に傷ついた腹部にあてる。

 あいつの作った抗体が打ち消しきれなかったのか、それとも俺の体力が弱まってしまったせいなのかは定かではないが、一向に出血が止まる様子はなく、未だに血があふれ出し続けている。唯一の救いはそこまで傷が深くないことくらいのものか。だがそれでもなお、傷口から血とともに生命力が流れ出すかのごとく、俺の体力を徐々に削っていくことに変わりはない。早く血を呑まなければじきに力尽きるのは目に見えている。


(増援まで来たか……。移動したほうがよさげだな)


 目下にいる男ほどではないが、そこそこの力量を思わせる気配がいくつかこちらに向かってきていることを察し、少しでも戦いやすそうな場所を探しに移動を開始した。元々、傀儡が大して役に立たなかった時点で逃げ切ることは諦めている。それにこの体ではドームの外に出ても他の外敵に襲われることは必須。ならば森の中に姿を隠し、俺を探す奴らをこっそり一人ずつ襲い、血をいただきながら力を回復させる方にかけた方がまた生き残る可能性は高い。


「こぅらぁ!いつまでこそこそ隠れていやがんだぁ、てめぇ!とっとと出てきやがれぇ!」

「!?」


 雷鳴のような大声が俺の耳をつんざいた。

 どっから出してんだよ……。

 いや、それよりも考え事してる場合じゃなかった。さっさと行かねぇと。

 あー、耳の中がまだゴワンゴワン言ってやがる。鼓膜が破れなくてよかったな。


* * * * *


【視点:ザイル・シャノン】


 差し迫る刃の切っ先を頭を右に反らしてかわし、すかさず相手の背後に回り込む。それに合わせて相手も背後を振り向き、ロングソードの刀身で俺の拳を受けとめようと構えるが、間に合わず、腹にパンチを諸にくらい、後ろの木に激突した。シュウウゥゥゥゥと儚げな音を立てて空へ消えゆくその姿を最後まで確認する前に、また新たな攻撃が俺の首元目掛けて飛んでくるが、そのときには既にそこには俺の首はなく、次の瞬間俺に刃を向けたそいつは頭から地面に叩きつけられ、絶命した。

 残りあと一匹。


「ヴヴヴヴヴ……」


 奴が俺に残していった置き土産の最後の生き残りであり、元俺の仲間でもあった吸血鬼化したディアクリシスは、先ほどの戦闘中の間もひたすらその場につったているだけで、俺に危害を加えようとはしなかった。

 「なぜ?」と疑問に思ったが、そのときには既に戦闘中であったためにその件については後で考えることにした。そして今、ようやくディアクリシスを除いたすべてのバンパイアを片付け終え、再度首を捻ってみる。俺と対峙している現在も進行形でディアクリシスは一向に動こうとはしない。ただただ、苦しげに呻いているだけだった。


「お前、自分の名前が分かるか?」


 結局答えが見つからず、どういうことか直接本人に聞いてみるが、返ってくるのは獣のような唸り声だけだ。

 焦点の定まっていない虚ろな緋色の瞳、数時間前までは見受けられなかった鋭い犬歯、血と泥で薄汚れた青白い皮膚。どこから見ても完璧なバンパイアにしか見えなかった。だが、一向に俺を襲おうとするそぶりを見せないのがどうにも腑に落ちない。

 吸血鬼化したばかりのバンパイアはかなりの飢餓状態であるため、正気を失っていることが多い。だからバンパイアとしての生を受け、息を吹き返したばかりのバンパイアは、かなり危険だ。なんせ死に物狂いで人間俺たちを喰らおうとするからな。




 ガンッ!!




「っ!?」


 っと、あっぶねぇ。かすった。


 咄嗟に身をかがめて飛んできたナイフをかわしたはいいものの、微かに頬を生暖かいものが伝う。


「ガアァァアアァァアア!!」

「ちっ!!」


 俺としたことが、こんな正気も定かではない相手に後れを取るとはな……。ちょっくら気ぃ抜きすぎてたな。


「うらぁ!!」

「ぐっ!」


 両刃剣を片手に向かってきたディアクリシスに俺も拳を構え、隙を伺った。鼻からこうすりゃよかった。余計な時間を食っちまったな。

 果たして奴はどこまで逃げおおせただろうか。先ほどのディアクリシスの様子も少しは気になるが、さして問題ではないだろう。少なくとも俺の専門外であることには間違いない。俺としては奴を仕留めることが出来るかどうかが重要だ。


 幾度も繰り返される拳と斬撃の応酬の末、最後に突きをかわし、ついで振り払われた剣を屈んでかわした後、ディアクリシスの右足に俺の左足を引っ掛け、転倒まではいかなかったものの、体勢を崩させることに成功する。そしてすかさず剣を持つ右手を左手で捕らえ、もう片方の拳で腕を手加減なしで殴りつけ、容赦なく骨をへし折った。


「つっ~~~~~!!?」


 言葉にならない悲鳴を上げるディアクリシスに、反撃の隙も与えることなく、俺はその腹に蹴りを入れる。

 後方に吹っ飛んだディアクリシスの体は木を何本かなぎ倒したのちにようやく地面に倒れ伏した。利き腕を壊したし、もはや立ち上がってくることもないだろうが、俺は気を抜くことなく止めを刺すために砂埃がハラハラと舞う中、歩み寄る。その間、ディアクリシスはピクリとも動く気配は見せない。俺が身動きがとれないように上から覆い被さろうとも、糸の切れた操り人形のようになされるがままだった。

 首を掴まれ、俺の冷め切った残忍な瞳を見ても抵抗する素振りを見せないその姿はそうされることを望んでいるようにも見える。


 数週間といった短い期間であったが、それでも肩を並べて戦っていた仲間を殺すのは、俺の心を一段と冷えさせた。


(悪ぃな……)


 もし、俺とこいつの部隊が逆の配置にされていたなら、と思えばこんなことにはならなかったのだろうか。


(敵は必ず取ってやる。あの世で見ていろ)


 そしてディアクリシスの首を掴む手に力を籠めようとしたその時、


「…を、つけ……ろ…」

「!?」

「奴は……化け、もの…だ……」

「てめぇ……」


 まだ人としての記憶が残っていたのか?

 

 俺は驚愕に目を見開き、まじまじとディアクリシスの瞳を覗き込んだ。心なしか瞳は元の琥珀色に近い色に戻っているようにも見え、虚ろだった焦点もしっかりと俺にあてられている。


「奴はどんな姿をしている?」


 死ぬ間際の相手にかける言葉がこれなのかというのもどうかと思うが、優先事項なのだから仕方がねぇ。ディアクリシスも血を口元から滴らせながら、掠れた声音で懸命に俺の質問に答えた。


「全、身…黒ずくめ……で、年齢は…二十代、半ばくらい。腹に……傷を、負っている……」



 シュウウゥゥゥゥゥ……



(逝く、か……)


 ディアクリシスの体が薄くなりはじめ、宙に溶けていく。


「最後に、聞け……」

「何だ?」

「奴は……VVA…に、対抗する薬を…持っている……」

「何だとっ!?」




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