月光の姫 グリムノーツ

松尾京

第1話 月下の少女

 昔々、あるところに、竹取の翁というおじいさんが住んでいました。


 竹を取って色々なものを作り、商売をしている翁は……ある日、竹林に光り輝く竹を見つけました。

 それをそっと切ると、中から何と、可愛らしい少女が出てきたのです。


 翁はおばあさんと共に、この少女を大切に育てることにしました。

 少女の名は、かぐや姫――

 三月ばかり経つうちにかぐや姫は成長し、世間でも評判の、美しい少女となり――





 歩いても歩いても竹林ばかりだ。


「本当に鬱蒼としてるね……いつになったら抜けられるんだろう」


 土を踏み、林を歩きつつ、息をつく少年がいた。

 碧色の髪に、動きやすい服装。背には木刀を差し、辺りを見回す――エクスである。


 言わずもがな、空白の書の持ち主として、想区――ストーリーテラーの描き出すその世界を、いくつも旅して回ってきた少年だ。

 歪んだ世界を直し、様々な出会いをしながら――あるいは、自分の運命を見つけるために。


 が、旅人として経験を積んできたそんなエクスにも、疲労の色は浮かんでいた。


 世界の“外”――想区を隔てる沈黙の霧の中では、右も左も見えない。

 そこを抜け、やっと新しい想区にたどり着いたと思ったら、一面の林。

 ……つまりは早々に迷ってしまったのだから、無理からぬことかも知れないが。


「うーん、まさか、これだけの想区じゃないよね……?」

「そんなはずはないわ。ここには間違いなく気配があったんだもの」


 エクスの横で、こちらも若干疲弊した声を出すのは、レイナ。

 沈黙の霧から想区へ仲間を導き、世界の歪みたるカオステラーを調律する力を持つ、調律の巫女――


 だが、そんな彼女でも迷子をコントロールできる能力はないようだ。

 むしろ、レイナの先導でどんどんと林の深い場所に入ってしまっている雰囲気さえあった。

 リボンで結われたプラチナブロンドの髪が揺れる。


「もー、早くカオステラーを捜さないといけないのに、どうしていつもこうなのよー!」

「お嬢の迷子力のなせる業だな。オレらはもう、半分慣れっこだが」

「そうですね、想区に入った瞬間深い林だったときに、もう察しました」


 とこちらは調子を崩さずに言うのは、タオとシェイン。

 エクスにとって、レイナと共に出会った、想区を旅する仲間。

 義兄妹の契りを結ぶこの二人は、まだまだ元気に、微妙にレイナをディスっていた。


「私のせいじゃないわよ! っていうか勝手に迷子力とかいう言葉を作るなー!」


 レイナが手足をぱたぱたさせるが、すぐに疲れてうなだれた。

 半日以上歩いて、既に辺りは夜の様相を呈してきている。

 エクスは見回した。


「最初見た時は珍しい、綺麗な木だなんて思ってたけどね……」

「オレらはむしろ、故郷でも見たものだしな……。まあ退屈だし、早く抜けようぜ」


 大柄なタオがざくざくと進む。

 小柄なシェインもそれについて、鳶色の服を翻して歩みを再開した。

 と、そこでシェインが気付いたように立ち止まった。


「おや。ようやく少し開けたところに出ましたね」


 そこは、木々の数が周囲より少ない一帯だった。


 仰げば、夜空が抜けて見え――

 地面には、月明かりがスポットライトのように差している。


 まるで何かの舞台のようだ、とエクスは思った。

 これが演劇ならば、そこに誰か美しい主役がいるであろう、そんな舞台に――


 同時、エクスは気付いた。

 その、目の前の舞台に、人がいたことに。



 月光の下、一人の少女が夜空を見上げていた。



「……」


 見たことのない着物を着た、エクスと同い年くらいの少女だった。

 絹のような黒髪に淡い月光を浴びて、どこかこの世のものではないような、幻想的な空気を漂わせていた。


 薄明かりの中、儚げで悲しいものを含んだ表情をしているのが、エクスに妙に焼き付いた。

 そして月明かりを纏うその少女は、ひどく、美しかった。


「あの子は――」

「月を見てるんですかね? こんなところで」

「とにかく想区の人間なら、助かったな。道を聞こうぜ」


 タオとシェインは、少女に見とれるエクスには気付かず、すたすたと歩く――だが。

 だが、その二人も、立ち止まった。


「……ちっ。道を聞くのは後にした方が良さそうか」


 タオが言ったのは、夜闇の中から、蠢く無数の影を見つけたからだった。

 エクスもすぐに、視線を走らせる。



『……クルルゥ……クルルゥ……!』



 それは聞き慣れた鳴き声。

 闇から黒いシルエットを現したのは、世界の歪みによる異形。

 人型、あるいは獣型の魔物と化してしまった、かつての想区の住人――


「さっそく現れたわね、ヴィラン!」


 レイナは敵に対峙すると、空白の書を手に取る。

 それは、何度も戦ってきた相手だった。

 そして今回も。


 ヴィランとなってしまった相手は、調律をのぞけば、倒す以外に撃退方法はない。

 タオもシェインも、そしてエクスも同じく……空白の書――その、何も書かれていない運命の書を取り出した。


 空白の頁しかないそれは、エクス達の運命を導いてはくれない。

 けれど、自分の運命をつかみ取る、その力の一端を与えてくれる。


 エクスは導きの栞を、空白の書に挿す。

 それは、様々な運命を持った英雄達にコネクトし、力を得ることの出来る特殊な力――


「みんな、行くよ!」

「ええ!」


 エクスと同時、レイナ達も英雄にコネクト。

 光に包まれた直後、皆の姿が変身していった。



 ――おやおや、もう開演の時間かい?



 エクスの脳裏に響く、英雄の声。

 それは音楽の都に生きた、天才音楽家、アマデウス・モーツァルトのものだった。


「頼むよ、モーツァルト!」


 任せてくれよ、という魂の言葉が聞こえると、エクスの周りの光が収束する。

 間を置かずして、モーツァルトとなったエクスは杖を振り抜き、黒色の魔弾を発射。

 強烈な一撃で、ヴィランの群れを散り散りに吹っ飛ばした。


 それでも、四方を囲んで余りあるほどの頭数だ。

 エクスはすぐに、多数のヴィランに攻めかかられるが……



 ――歯応えのありそうな相手だ。楽しませてくれよ!



 脳裏に響くモーツァルトの声と同期するように、エクスは辺りに魔力のフィールドを形成した。

 それは、敵を一網打尽に飲み込む、漆黒の魔法。

 奏でられる葬送曲と共に、文字通り、エクスは周囲のヴィランを飲み込むように、消し去った。


 だが、距離を取っていたヴィランはまだ生き残って、標的を変えていた。

 見れば、あの少女も護身用の武器で抵抗を試みようとしているが……思い通りにはいっていない。


 そこに、縦一閃、剣撃がヴィランを両断する。


「下がっていてください。もう少しで終わりますので」


 言って剣を振り抜いたのは、シェイン。

 コネクトしたその姿は、青が印象的なコートを着た、小柄な、兄思いの少女――グレーテルだ。


「だな。とっとと駆除するから待っていてくれ」


 言葉と同時、少女に迫ったもう一体を、横から鎚の破壊力ある一撃が襲う。

 シェインとぴったりと息のあった攻撃を見せる、タオは……グレーテルの心優しい兄、ヘンゼルへとコネクトしていた。


『クルルゥ……』

「残り一体ね!」


 追い詰められたヴィランに剣を向けてかけるのはレイナ。

 その姿は、爛漫で好奇心旺盛な不思議の国の少女――アリスだ。


「えいっ!」


 溌剌とした掛け声と共に振られた剣は……違わずヴィランに命中。

 それが最後の一体となり、ヴィランの気配は消え去った。





 戦闘が終わると、皆は導きの栞を空白の書から引き抜き、元の姿に戻った。

 エクスはようやく人心地がついた気持ちで息をつく。

 コネクトは、何度やっても不思議な感覚だった。


 ともあれ、そこで先ほどの少女が近づいてきた。

 深々と頭を下げ、透き通った声を出す。


「どなたかは存じませんが、ありがとうございました。あなた達がいなければ、どうなっていたことか……」

「怪我はない?」


 レイナがのぞき込むと、はい、と応え、少女はまた頭を下げる。


「何とお礼を言っていいか、わかりません。あのような獣は初めて見たもので、体が竦んでしまって……」

「初めて見たのに戦えるなんて凄いわよ。……それにしても、随分丁寧ね」


 レイナは面食らっている。

 それもそうであろう、少女はぴったり九十度、頭を下げた状態で静止している。


「そんなにかしこまらないでもいいですよ。僕らも、あなたに聞きたいことがあるので……」


 エクスが声をかけると、少女はようやくまともに顔を上げた。

 そこでエクスは一瞬驚いて、目を見開いた。


「……!」

「新入りさん、どうしました?」

「あ、いや……」


 シェインに言われまごついていると、タオがあー、と納得したように頷いた。


「わかるぜ。近くで見たら、想像以上にさらに美人だったからびっくりしたんだろ?」


 図星であったので、エクスは少々黙ってしまう。

 レイナが少しだけ、じとりとした視線を向けた。


「ふ~ん、エクス、そうだったの?」

「いや、別にそう言うわけじゃ……!」


 エクスが取り繕おうとする横で、シェインは頷いていた。


「まあ、実際えらい美人さんですよね。この想区……いえ、この辺りの方ですか?」

「あの……は、はい。近くに住んでいます。かぐやと申します。少し散歩をしていたのですが、そうしたら急に、あの獣のようなものが……」

「わかってはいたけど、カオステラーの影響は既に出ているのね」


 レイナは真面目な顔になる。


 ヴィランが出現したということは、この世界に確かに“歪み”があることの証左だ。

 カオステラー――想区の創造主たるストーリーテラーが異常をきたしてしまった存在――

 元々、この想区へきたのも、その気配を感じてのことだ。

 そういう意味では、予想より早く目的に近づいた、とも言える。


「この辺りに住んでいるなら、よければ、僕らを案内してくれませんか? 僕ら、迷っちゃって……」

「誰かさんの方向音痴のせいでな」

「だから私のせいじゃないわよ! 最初からずっとこんな風景だったでしょー!」


 レイナがぷりぷりとする横で、エクスは再度、美しい少女――かぐやに言った。


「さっきの敵……ヴィランが出てきても、僕らが守ってあげますから」

「……」


 エクスの笑顔を見て――かぐやは、不意に一度、目を伏せた。

 それから、ほんの少し慌てたようになって、頭を下げる。


「あ、ありがとうございます。とても、心強いです。皆さん、是非、一度、私の家に上がっていってください」


 エクスはその様子に少しだけ、不思議なものを覚えた。





「おおー。これはまた、中々立派な家ですね」


 かぐやに連れられてやってきた、家は……竹林のある山のふもとにある、木造の家だった。

 大きく、敷地も広い。

 シェインから思わず出た言葉通りの印象だった。


「すげーな! ひょっとして金持ちってやつか?」


 タオがはしゃぐのに対しては、そういうわけではありませんが……と控えめに応えるだけのかぐやだ。

 ともかく、初めての人家ということもあり、一行はひとまずお邪魔することとなった。


 家に入ると、老年の夫婦が出てきた。


「おおかぐや! 心配したぞ! ずっと、探し回ってもおったのじゃが……!」

「おじいさん、おばあさん。心配をかけました――ごめんなさい」


 と、そこでもかぐやは頭を下げた。

 滲ませるような言葉に、夫婦は言葉に詰まり……そして、涙をこらえるように声をかけた。


「いいのじゃ。無事でいてくれれば。とにかく、よかった」

「……はい。この方達に、林で獣に襲われていたところを助けて頂きました」


 かぐやがエクス達を紹介すると、夫婦はありがとうございます、と頭を下げた。


「この二人が親御さんなのか?」


 タオが言うと、かぐやは頷く。


「私を拾って、育ててくれたのです。血は繋がっていませんが、大切な両親です」

「是非、上がってくつろいでいってくだされ」


 そうして、言われるがままに、エクス達は家に上がらせてもらうことになった。

 レイナは始め、少し遠慮がちであった。


「でも、いいのかしら……カオステラーも調べないといけないのに」

「姉御も、くたくたでしょう。何を隠そうシェインもです」


 林にいたときはぴんぴんしていたシェインだったが……さすがに、戦闘もこなして、体力の消耗は激しいらしかった。


「休息は必要です。せっかくですから、休ませてもらって体勢を整えてから、調査をしましょう」

「そうだな、そのあとで、一気にカオステラーをぶちのめしてやろうぜ」

「そうね。エクスもそれでいい?」

「うん」


 カオステラーを相手にするのは、一筋縄ではいかないことがほとんどだ。

 おそらく、これから様々な、予想もしていないことが起こる可能性もある。

 そのために、まずは体力と精神力を、蓄えておかねばならない。

 そういうわけで一行は、かぐやの家で休むことになった。


 エクスはその間も、月明かりの下で見た、かぐやのあの、どこか悲しげな顔が頭から離れなかった。

 おぼろげに何かを求めているような、何かを願っているような、あの顔が。


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