第5話

 来訪者数、無。

 ペレストロイカの初放送は無残な結果となった。チーレンもいないのにドーミク放送などするからである。


 美咲はため息を吐き椅子に身を預けた。力なくぶら下がった細い腕が切ない。無音。寝息。そして椅子ごと滑り落ち目をさます。やるせなく、美咲は寝支度を整え睡眠に入った。






「チーレンの集め方ですか?」


 昼食。美咲は伏し目がちに夏美にそう聞いた。恥を忍んでの事であろう。目が泳ぎ、どこかぎこちない。


「いや、夏美さん、ドーミクばかりなのに沢山チーレンの方がいるなと……」


「私の場合、ナロートからバブライブに入ったものですから、放送をしますとお邪魔しているアルガの掲示板に書き込んだところ皆様来てくださいましたわ」


 美咲は「なるほど」といって相槌を打った。彼女は他者のライブ放送を全く見ていないことに気がついたようである。


「美咲さんも、アルガをお作りになるんですか?」


 夏美の質問に対し美咲は努めて冷静に否定した。予めそう聞かれると予想していたのであろう。余裕たっぷりな彼女の姿勢には、摘もうとする者を一刺しする棘があった。


「別に、ただ聞いてみただけですわ」




 さて夕方。この日美咲は日課となっていた共同配信をせず足早に帰宅していた。というのも、夏美の方で家族と外食をする約束が入っており、一日放送は休止という事となっていたのだ。そしてそれは、彼女にとっては願っても無い事であった。


 小刻みに響くクリック音。カチリカチリと乾いた旋律が奏でる惰性。バブライブをザッピングする美咲は早くもその作業に飽いていた。


「ブリェスチャーシィ。皆様の皆様にる皆様の為のバブライブ。ナチャーロです」


 ブラウザバック。


「モージナアブニャーチチェビヤー! 抱きしめたい愛しき人よ!」


 ブラウザバック。


「スメェールチ……生きていても意味がない……人生を生き抜くという事は、平地を横切るのとはワケが違う……」


 ブラウザバック。


「あぁ……@@@(下品な言葉)したい……」


 ブラウザバック。


「可愛い女の子! 僕と@@@@@!(凄まじく下品な言葉)」


 ブラウザバック。


「@@@@@!(想像を絶する程の下品な言葉)@@@@@@@?(発言者の人格を疑うくらい、信じられない下品な言葉)@@@@@!(もしこれを公にて発すれば、なんらかの法的処置を受けるであろうとんでもなく淫猥で低俗で信じられない程下品な言葉)」



 ブラウザバックブラウザバック!



「何なんですの!?」


 美咲は思わず声を荒げる。余りに恥知らずな男連中の放送に堪えかねたのだろう。


「美咲さん。どうかなさいまして?」


 遠くから聞こえる母親の問いかけに「何でもございません」と返し、落胆。頬杖とため息を同時につきまたザッピングを繰り返す。不毛な作業に当初の目的を見失っている様である。

 再びクリック音がこだまする。しかしもはや意識朦朧といった有様で、動画を読み込む前にブラウザバックをしてしまう事も度々あった。臆面もなく生あくびをし、誰も見ていないのをいい事にはしたない姿を晒している。


 美咲は大きく伸びをして、マウスポインタをクローズボタンにもっていった。その目は座り、今にも寝てしまいそうである。そうしてまた生あくび。誰が見ても、彼女がベッドに誘われるのは明白であった。が、突如目を見開きマウスを忙しなく動かし、震える指でとあるバブライブ放送のリンクをクリックした。それは、ペスニャってみた枠という、いわばカラオケを聴く放送であった。


 息荒く、細い髪が揺れる。スピーカーから流れる歌声は録音されたものではなく、生。リアルタイムで訪れるペスニャ。曲目は、彼の十八番である[愛しき我が草原]……


 美咲はこの曲が特に好きであった。元は機械音声に歌わせるソフト[冬宮 エカチェリーナ]を使った曲であったが、投稿された直後から爆発的に再生され多くのペスニャ手がペスニャってみた動画を上げた、名曲といわれているものだ。


「ご静聴。歓喜の極み。現在約三百名のナロートの方々がいらっしゃる様で、まさに恐悦至極であります」


 曲が終わり、男が話し出す。それに反応して美咲は素早くキーボードをタイプした。


『初めまして! 当方ルサルカ殿の大ファンであります! なんと素晴らしき美声! ハラショー!』


 美咲の眠気を追いやったバブライブ。それは彼女が贔屓にしているペスニャ手、ルサルカが放送しているものであった。


「プリヴェッ。いやいやありがたい。しかし、某如きの歌を良いと語るとは、まったく奇特な御仁であるな」


 チャットは笑いを表すxoという文字列に埋まる。もちろん美咲も書き込んだが、モニタを見ながら感涙していた。自分の書き込んだコメントにルサルカが反応した事がまこと嬉しかったのだろう。


 その後ルサルカのバブライブは深夜にまで及んだ。通常は三十分で終わるのだが、ナロートが延長を希望しカペイカを贈ったのだ。

 カペイカとはサイト上の通貨の様なもので、これを使えばバブライブの時間延長やグッズの購入。一部有料放送を視聴する事ができる。購入はクレジットカード。当然、美咲が購入できる代物ではない。


「おやおや。ありがたいのですが、これでは眠る時間がなくなってしまいますな」


 そんな事を言いながらもルサルカは数曲歌い放送を終えた。美咲はすっかり眠気が覚めてしまったのか、椅子の脚に自身の脚を絡ませ悶えている。吐息甘く盛りのついた雌犬の様でだらしがない。


「ルサルカ様……」


 そう呟く少女の姿は側から見れば狂気である。しかし、憧れとはいつだって正気では抱けない。彼女に宿る狂気は、恋と呼ばれるものである。


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