燐光のセレスティア

三笠利也

episode 1 瑠璃色の光

 《……第303飛行隊より司令部へ。現在目標まで距離3000。間もなく交戦予想空域に突入》

 《司令部より第303飛行隊各機へ。全搭載武装の使用を許可する。作戦続行不可能と判断した場合は直ちに帰投せよ。幸運を祈る》

 《了解、通信終了》


 点々と青白い光が散りばめられた夜闇の下を、戦闘機の編隊がジェットを吐いて上昇していく。しかし視界に捉えているこの光景は宇宙の神秘に満ちた星空ではない。この地球ほしを覆い尽くす、新たな支配者だった。

 眼下では吹き飛ばされたビルの残骸が、灼熱で溶岩となった大地に飲み込まれていく。その光景は地獄さながらというより、地獄そのものだ。

 《畜生……ヤツらが来なけりゃ、今頃はこの下でデートの予定だったのによ》

 《無駄口はよせ、いつ攻撃が来てもおかしくないんだぞ》

 《……妙に、静かだな》

 そのとき、正面に眩むような閃光が現れたかと思うと、青白い灼熱の光線が編隊を薙いだ。

 連なる爆炎。

 《第1中隊!!応答しろ!生存機はいるか!?》

 後方の部隊から悲壮な通信が飛んだ。

 「……こちら、一番機……操縦系統は無事だが、エンジン出力を喪失……!」

 ひとつだけ、それに応えた声があった。

 《いさむ!!生きていたか!!》

 「伸也しんや、お前らは、さっさと撤退しろ……勝ち目はない……!」

 《だが、お前を見捨てて……》

 「いいから行け!!」

 再び閃光が煌めく。旋回を始めた部隊のすれすれを光線がかすめた。

 《……了解!!いいか、見捨てたわけじゃねえからな!必ず帰って来い!!》


 ひとつだけ生き残った鉄の猛禽。

 今は頼れる力を失い、空しい風音を立てて滑空するほかなかった。

 「……へへっ、しかしこれじゃあ、ただのでけえ紙飛行機だな」

 そう呟いたパイロットもまた、額から血を流し、機体同様に満身創痍だった。

 一瞬、脱出することを考えた。だが地上は火の海だ。

 と、その灼熱の海の上に、動く人影を捉えた。傾いた高層ビルの屋上で必死に泣き叫ぶ女の子。その姿に、かけがえのない存在が重なった。

 幸いにも向こうから救難ヘリが近づいてくる。これで助かるだろう。


 しかしふと反対に目をやると、そこに脅威が迫っていた。


 本能だった。青い光を放つその魔物に、迷うことなく機首を向けた。


 「やめろおおおおお!!」


 機体が下降しスピードを上げる。コックピットの片隅で、コンソールに貼り付けた家族写真が揺れている。自分、すでに犠牲となった妻、そして、

 「空……おまえは……生きろ…………」

 迫り来る閃光に包まれ、機体は破滅的な速度で――




 「…………っ!!」

 激しく息を切らしながら、少女は目を覚ました。


 また、この夢だ。


 呼吸が収まるのを待ち、深呼吸して額の汗をぬぐった。左腕にはめた腕輪型端末を起動し、立体ホログラム画面を表示する。現在時刻は……。

 「いっけない!!」

 布団をはねのけてベッドから飛び起き、寝ぼけて足をもつれさせたまま着替え始める。冷や汗で濡れたパジャマがベッドの上に放り捨てられていく。

 着替えたのは紺の襟に白のラインが入ったセーラー服。洗面の水で顔を洗い、白いタオルで拭き終えると、肩にかからない長さの黒髪と小動物のような丸い目が鏡に映った。頭上に寝癖が跳ねているのを直そうと、しばらく格闘してあきらめた。机の上に置きっぱなしだった学習用端末をカバンに放り込む。準備ができたらさあ出発。朝ごはんは……明日はちゃんと食べる。


 その奥、昨晩セットし忘れた目覚まし時計の隣に、1枚の写真が立て掛けてあった。軍服らしき制服を着た男性と優しげな表情の女性。その間で七五三の着物に着られた幼い頃の少女。

 「行ってきます」

 少女は凛とした声で、その写真に向かって声をかけた。


 ぴかぴかのローファーを履いて歩き心地を確かめる。ぱたぱたとした足音が心地よい。玄関の扉を閉めると、かすかなモーター音とともに、小型画面の表示が青字の"OPEN"から赤字の"LOCK"に変わった。


 集合住宅の階段を慌てて駆け下り、駐輪場の自転車を動かそうとしてロックを外していなかったことに気付く。番号は……よし、合った。

 サドルに体重を預け、思いきりペダルを踏み込む。


 今日が高校の初登校日。頑張るぞ、新しい私。


 信号待ちの間、汗ばむ胸元の襟をぱたぱた動かして身体を冷やす。ふと上を見上げると、目に映るものの閉塞感から溜め息が出た。

 信号を渡ると道路は地下へ下る。自転車レーンに入れば、あとはペダルを漕がなくてもぐんぐん加速していく。しばらく続くトンネルを抜けるとそこは、




 もうひとつ下の層の街。




 この街――地下京都市は、地球外敵性体の襲来によって壊滅的な被害を被った日本の新たな首都であり、その脅威に対する最後の砦である。

 遥か千二百年の昔に都として造営された地上の街は、時代の移ろいとともにその役割を観光都市へと変えた。しかし2020年、「彼ら」の攻撃により各主要都市が次々と消滅する中、かろうじて壊滅を免れた地方都市では地下居住区の建設が急ピッチで進められた。その中心的存在として、この古都に再び首都が置かれたのである。

 それから10年後の2030年現在、都市を構成する「層」は3重になっている。当然下の層ほど地表から遠く安全で、仮設第1層はすでに放棄されている。少女が住んでいる第2層も人口の多くが下の第3層へと移住しつつあり、どちらかというと辺鄙な扱いをされている。それでも彼女が上層に住んでいるのは、災害で扶養者を失った学生向けに市が無償で住宅を貸し出しているからである。


 上層と下層をつなぐ連絡橋。少女はここから眺める景色が好きだった。一直線に伸びる道路。ジオラマのような街並み。風を切って空中回廊を進んでいると、本当に空を飛んでいるような気分になれる。髪やスカートのはためく感覚が心地よくて、嫌なことだって全部忘れられる。


 ……今まで不幸なことが、多すぎたから。




 そう思った10分後、少女は新たな不幸に襲われていた。




 廃工場の柱に括り付けられた両手。


 目の前にはガラの悪い男が二人。


 「へっへっへ……こんな簡単に釣れるとは思わなかったぜ」

 「さあお嬢ちゃん、ひどい目に遭いたくなかったらさっさと親御さんの電話番号教えな!身代金1億手に入れたら解放してやるからよ!」


 ……登校初日に誘拐されるなんてこと、ある?


 「あの……」

 少女はおずおずと切り出した。


 「私、お父さんもお母さんも、いないんですけど……」


 男たちの表情が、固まった。


 「なんだハズレくじかよ……」

 「言うなって!さすがにかわいそうだろ」

 「だったらカネ持ってねぇのか、財布出せや」

 「さっきポケットとカバンの中をあさったが、なかったぜ」

 「えっ、そうなんですか!?」


 大声を出したのは、少女のほうである。


 「だったら……どこかに落としてきちゃいました……」


 てへへ顔をする少女を見て、男たちもついに諦めの境地に達し、肩をすくめた。




 そのまま少女を解放した男たちは結局、防犯カメラの映像が証拠となってお縄についた。通学路の途中で落とした財布も無事見つかった。


 学校は、登校初日から休むはめになったけど。




 それから、一か月後。

 学校の廊下を歩いていると、周りからひそひそ声が漏れ聞こえてくる。


 (ねえねえ、登校初日に誘拐された子って、あの子?)

 (そうそう。小さいころから両親もいなくて、ずっとぼっちらしいよ)

 (え、不幸すぎない……?こわ……近づくのやめとこ)

 (そのほうがいいよ……私たちまで呪われそうだから)


 6歳で両親を亡くして以来、ずっと一人ぼっち。中学では勉強を頑張って、なんとか目指してた高校には入れたけど、こんな調子で、友達ができるどころか、すっかり疫病神とか幽霊の扱いをされる始末。背も低いし、見た目も地味だし、存在感のなさを笑われる日々。


  私って、不幸体質だ。




 「すごーい!もうこんだけ倒したん!?」

 「ウチにかかればこのくらい朝飯前や!」

 「ええなぁ……私の家の周り全然出ーへんわ」

 「途中のコンビニが魔境になっとってな、行きと帰りで倒し放題やで!」

 「えー、どこどこ!?」

 はしゃぎながらこっちに向かってくるのは、茶髪ポニーテールの活発な少女と二人の連れ。俗に言うスクールカースト最上位と、その取り巻きたちだ。彼女達の話題は、市内で爆発的にヒットしている携帯端末ゲーム「モンスター・シューター」。両耳に装着したスマート・レシーバーと呼ばれる端末から立体ホログラムを投影し、位置情報と連動して現れるモンスター達を退治していく体感型VRゲームである。

 「……おった」

 と、討伐数を自慢していた茶髪ポニーテールの少女が視線を向けたのは、

 頭上で寝癖を揺らしながら早歩きで教室へ向かう、小柄な黒髪の少女。




 人目を避けてうつむきながら廊下を早歩きしていたら、すれ違った肩と肩がぶつかった。

 「あ、ごめんな?歩いてたの気ぃつかへんかった」

 ぶつかったのは茶髪ポニーテールの少女。

 「……存在感なさすぎて」

 見下ろす目が、笑っていた。

 「違うでほたるん、それ、モンスターやで?」

 「あー、ほんまや!よう見たら確かにせやな、そら気付かんわ!」

 声を上げて笑う彼女と、くすくす笑う取り巻きの女の子達。

 「じゃ、襲われへんうちに倒さんとな!……ばーん」

 茶髪の少女は手で鉄砲の形を作り、倒れている自分に向けて撃つ仕草をした。例のゲームでモンスターを倒すときの動作だ。


 反応を求められているのだ。知っている。でも反応したら笑われる。笑われていじられて、そういうポジションでやってる子もいるけれど、私はそんな人間じゃない。そんな役はやりたくない。


 ただ何も言わず立ち上がった。目を伏せて彼女の横をすり抜けようとした。

 チッ、という舌打ちと同時に、

 ぐいと襟を掴まれた。

 「なんか反応してや」

 苛立ちの込もった声に対し、返したのは無言。


 「瑠璃光るりこう、大丈夫か?」


 背後から聞き慣れた声がした。振り返ると、担任の田中先生が駆け寄ってきた。まだ若い銀縁眼鏡の男の先生だ。基本的に優しくて、というか優しすぎて、生徒達には多かれ少なかれナメられている節がある。

 茶髪の少女は先生の方を向くと、あからさまに表情を変えた。拍子抜けしたような恥じらうような、女の子の表情だった。

 「なんや先生、ちょっと揉めとっただけや。大したことないって」

 茶髪の少女が襟を放した。続けざまにこちらを睨む。もしさっきのこと言うたら……と、目で言っている。

 「飛鳥井あすかい、喧嘩はやめろと何度も言ってるだろう。瑠璃光るりこう、怪我はないか?」

 「……はい」

 「よかった。さ、早く教室に行こうか。そろそろチャイム鳴るぞ」

 先生の手を借りて立ち上がると、教室に入っていく茶髪の少女が流し目にこちらを睨んでいた……ような気がした。




 はあ。


 帰り道の連絡橋。上層の手前で上りのムービング・ウォークを降りた少女は、押してきた自転車を止めて欄干にもたれ、音にならない溜め息を吐いた。頬を撫でる風が黒い髪を揺らす。


 わかってる。どうしてあんな目にあうのかなんて。


 空気を読む。ノリに合わせる。みんな、自分を殺して生き抜くためにそうしている。でも、そんなことに意味があるとは思えない。やりたくないことはやりたくない。自分らしく自由に生きたい。本当はもっと堂々としていたいけど、そんな勇気は私にはない。だから、今の自分の立場を変える勇気もない。


 瑠璃光るりこう そら。それが私の名前。


 空。無限に広がる、青い世界。戦闘機乗りだったお父さんは私にこの名前をくれた。


 でも、この街には、空がない。


 見上げても目に映るのは金属板の天井と、ところどころに埋め込まれた照明装置。顔には真っ赤な「夕日」が照りつけているけれど、この色も人工的に再現されているにすぎない。


 左腕の腕輪型端末を起動する。空中にホログラムの画面が投影される。ネットで検索すれば、人類が地上にいたころの資料はいくらでも出てくる。もちろん空の画像も。でも、いくら画像を眺めたところで、空がどんなものなのかちっとも実感できなかった。


 ホログラムを消して、ムービングウォークに戻ろうとした、そのとき。


 自分に向かって、登り車線のトラックに積まれていたドラム缶が、バウンドしながら転がってきた。


 「ごふっ……」


 カバンを盾にして受ける。くの字に折れ曲がる体。


 少女の体が、欄干を超えて弾き飛ばされた。


 気付いたときには天地が逆さまだった。必死に手を伸ばして、かろうじて欄干に指が届いた。

 地上100メートルで宙ぶらりんになった身体に、さっきまでは心地よかった換気システムの風が容赦なく吹き付ける。

 大丈夫。このままよじ登れば戻れる。それまで何とか――


 無慈悲な突風が、殴りかかった。


 悲痛な叫びが自由落下してゆく。




 ――ああ、やっぱり私は、不幸体質だ。最初から存在しないほうが、私も、周りの皆も、幸せだったんだ。


 急速に近づいてくる地面。


 その光景に、いつも見る夢の結末が、重なる。


 ――お父さん、お母さん、私は……。


 ぎゅっと目をつむり、膝を抱えた。


 ――やっぱりまだ、死にたくなんかない!!




 臨死体験をした人間の自叙伝には、その瞬間までは気の遠くなるような長さだったとか、思い出が走馬灯のように駆け巡ったとかいう表現が往々にして存在する。


 空も、そのたぐいの時間を体験しているのだろうと思った。


 しかしいつまで経っても破滅は訪れなかった。代わりに、身体がふわふわとした感覚に包まれているのを感じた。


 おそるおそる目を開けると。


 青白い光の粒子が周囲を包み込み、


 街の上空に自分を浮かばせていた。


 彼女の体は重力から切り離されていた。膝を抱えた華奢な体が丸まったまま胎児のように空中で回り、天地が再び元に戻る。ゆっくり脚を伸ばしてみると妙に涼しい。無重力のせいでスカートがめくれ上がったままだった。慌てて両手で押さえつける。誰も見ていない……はずだけど。

 

 そのままゆっくりと人気のない小路に向かって降りてゆく。足が地面につく直前、自分を包んでいた光がフェードアウトして身体に重力が戻った。すとん、と膝を曲げて着地。


 しばらく自分がまだ宙に浮いているような錯覚の中にいたが、上に残してきたものをはっと思い出した。


 「……自転車!」


 駆け出した少女の後ろ姿が、暮れなずむ街並みに消えた。




 人工の夜を迎えた街に、ぽつぽつと明かりが灯りはじめた。

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