いろはもみじ

TACO

第1話 プロローグ


○北町奉行所 お白州の場

  奉行が座る座布団は空席。裃を纏った右・北町奉行付き御祐筆 櫻井紋次郎(29) 左・北町奉行所同心 岡部八右衛門(以下・ハチ 24)が奉行のお越しを待つ。下座の茣蓙の上には両腕を縄で結ばれた、桃色の小袖を着付けた可愛らしい女の子。代々木村のお浜(18)


櫻井「北町奉行澤山清司郎忠直さわやませいしろうただなお様、御出座~~~」


  真ん中の襖が開いて、見た目から上質な裃を着付けた、北町奉行澤山忠直(25)が、いかにも面倒くさそうに欠伸をしながら現れる。忠直の行儀の悪さに、櫻井が咳払いをひとつ。忠直、渋々、座布団の上に座り、もう一度、大きな欠伸。下手人として自分を見上げる可愛らしいお浜に、目をやる。


忠直「おや、今日はえらく可愛い下手人だな。代々木村のお浜に相違ないか」

お浜「左様でございます」


  うなだれるお浜。


忠直「罪状……無銭飲食……? 何喰ったんだ? 団子か? まんじゅうか? 俺の妹もよく喰うんだ。こないだなんか、みたらし団子を八本も……」

ハチ「うどん七杯、蕎麦十五杯、そばがき六コにエビの天ぷら十二匹」

忠直「は?」

ハチ「訴え出たそば屋で、お浜が食べたものでやんす」

忠直「一人でそんだけ喰ったってのか。この、ちっちゃい可愛い娘が」

ハチ「へえ。このお浜は『お江戸なんでも番付』にも載っている、有名な大食い娘でやんす」


  忠直、お浜を見つめ直す。


忠直「はあ……人は見かけによらねえもんだなあ。で? そば屋に入って飯を食ってたのは良いが、金がなくなって逃げちまった……と、こういうわけかい」

お浜「いつもは蕎麦三杯で我慢するんですが、昨日はどうにもこうにもおなかが減ってしまって……」

忠直「そういうときは、店主に訳を話してツケにしてもらえ。大食い大会なら年に何回も開いてるんだから、その優勝賞金で、飲食代を返すんだ」

ハチ「あ、なるほど」

忠直「今回の飲食代は、俺が貸してやる。今度の大会で必ず優勝して、返しに来いよ」


   忠直はいつも通り、パチンと扇子を鳴らしてお浜を指し、沙汰を申し渡す。


お浜「かしこまりました」


  櫻井が忠直の沙汰を帳面に書き記す。


忠直「お浜。もう、こんなとこくんじゃねえぞ」

お浜「はい」


  同心たちに連れられて、お浜が退席する。忠直は仕事を一つ終え、大きな溜息を吐く。櫻井が、次の事件の帳面を取り出す。


忠直「まだあんの?」

櫻井「本日はケンカ六件、傷害四件、置き引き三件……」

忠直「うぁぁぁぁめんどくせぇぇ!」


  北町奉行所正面門に響き渡る忠直の叫び。




  タイトル「いろはもみじ」

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