1/4 森

「っ!」


 痛みを感じた。頭にじわりと広がる鈍い痛みを感じた。身体は自分のものではないように重くて、目をあけるのすら面倒だ。


 いや、だけど、起きないとね。


 自らを鼓舞し、まとわりつく怠惰から抜け出す。


「えっと、ここは?」


 周囲は木々が鬱蒼と立ち並び、手には草の柔らかな感触、鼻をくすぐるのは青い匂い。


 森だ。どこかの森のようだ。


 まだかすかに残る頭の痛みを振り払って、記憶の糸をたぐる。

 思い出すのは、青空も海原もなく、街並みや草花すらない真っ白な景色。あらゆる言葉や概念をのみ込んで消し去ってしまう霧に包まれた空間、『沈黙の霧』を歩いていたこと。一人の少女につき従って、導かれるように。


「次の想区へ着いたのかな?」


 僕のそばで寝息をたてている少女へ目を向ける。赤と白が可憐な装束をまとい、首の後ろで束ねた長く白い髪を木漏れ日にきらめかせている。


「起きてよ、レイナ」

「う~~うぅん、う~うっ……ふふっ」


 声をかけて揺さぶるが、何か聞き取れない言葉を漏らし、微笑むだけだった。


「はぁ、どんな夢を見てるんだろ……そういえば、タオとシェインはどこに?」

「新入りさん、呼びましたか?」


 声の方に振り向くと、黒髪を頭の後ろでまとめた落ち着いた雰囲気の少女――シェインが木々の向こうから現れた。隣にはすらっとした長身に均整の取れた体つきをした青年――タオもいる。


「おう、起きたようだな」

「あれ? 二人ともどこか行ってたの?」

「あぁ、ちょっと周りの様子を探りにな」

「お二人があんまりにも幸せそうに眠っているので、起こすのに忍びなかったのです」


 シェインの声の冷ややかさに微妙なとげを感じるのは気のせいだろうか。


「そ、そうなんだ? えっと、ここはどこなんだろ?」

「森、だな」

「さすがにそれは分かるよ」

「どこかの想区のようですが、まだ何も分かってません。向こうの方に踏みならされた道を見つけたので、まずは道なりに進んで街を探すのが上策でしょうね」


 森としか答えてくれなかったタオとは異なり、シェインは状況を分かりやすく教えてくれた。


「そっか。なら、レイナにも起きてもらわないとね」


 僕たちは想区を渡り歩く旅人みたいなものだ。想区というのは、世界の創造主たるストーリーテラーによって生み出された世界のことだ。

 一つの想区には一つの物語がある。想区に住む人々はストーリーテラーから与えられた『運命の書』に記された通り、想区ごとの物語に沿った人生を歩む。主役は主役として、脇役は脇役として。なんの疑問も抱くことなく、あるいは疑問を抱いても抗うことなんてできず。定められた自らの運命に従い、与えられた役割を生きるのだ。けれど、僕たちは例外だ。何も書かれていない『空白の書』を持って生まれた僕たちには、ストーリーテラーからなんの運命も与えられていなかった。


 だから、なのだろう。

 僕たちは一つの想区に縛られることなく、様々な想区を旅している。


「ダメだ、全く起きてくれないよ」


 大声で名前を呼んだり、ほおを引っ張ってみたりもしたが、レイナは睡魔に意識を食われているようで少しも起きる気配がなく、すやすやと眠っている。


「仕方ありません。アレを使いますか」

「アレ?」


 シェインの言葉に不穏なものを感じる。


「いくです……秘技、鬼ヶ島流快起床術……!」

「えっ……」


 寝ているレイナの上へと馬乗りになったシェインが何やら始めた途端、


「うにゃっ、うにゃひゃッひゃッヒャーーッ」


 人によるものとは思えない、悲鳴に爆笑をかけ合わせたようなレイナの声があがった。


「これで、しばらくしたら起きるはずです」

「ほ、本当に?」

「ふふっ……シェインを信じろって。なんたって俺の頼れる妹分なんだぜ」

「う……うん」


 シェインの秘技を受けたレイナは心なしか先ほどよりもぐったりしているように見える。

 逆効果だったんじゃないかと少し心配になって眺めていると、突然ぱちりとまぶたを開き、


「ふぁーあ。うーんっ、よく寝たわ~」


 起き上がってあくびをしながら、身体を伸ばし始めた。その様子からすると、どうやら元気そうだ。


「おはよう、レイナ。えーっと、大丈夫?」

「ふぁ~おはよ~。なんだか身体がとっても軽いわ。こんな気持ちのいい目覚めはどのくらいぶり……あれ、ここはどこ?」


 レイナは周囲を見渡し、目をぱちくりさせている。


「目覚めたな、お嬢。じゃあ、早速出発するぞ」

「出発って? えーっと……そう、そうよ。私のお城を取り戻しにいくところだったわね」

「お城?」

「姉御の……?」

「お嬢、一体なんの話だ?」



 僕たちの頭に疑問符を生じさせるレイナの言葉だった。


「ほら、あれよ、あれ」


 レイナの指差す先には遠目に城らしき建物が見て取れた。丁度さっきシェインたちが見に行っていた方角だ。


「ほんとだ……」

「おかしいですね。あんな城なんてなかったはずですが」

「そうか? 現にあそこに見えてるんだから、俺たちが見落としてただけだろ?」


 首をひねって疑問を口にするシェインとは対照的に、タオは全く不思議だと感じていない様子だ。僕は、といえば、シェインとは異なる疑問を抱いていた。


「なんでレイナはお城があるって知ってたの?」

「何を言ってるの? 知ってるも何も私のお城なんだから、当たり前でしょ?」

「本当にあれがレイナのお城なの?」


 確かにレイナはお城のお姫様だったと聞いている。でも、それは過去のことで、レイナの生まれ故郷である想区は滅びてしまったらしい。今のレイナはお城という居場所もお姫様という立場も失ってしまったはずだ。


「本当も何も私のお城は私のお城だし、今は奪われちゃってるけど、これから取り戻しにいくところだったでしょ、三人で!」

「三人、で?」

「そうよ。私とタオとシェインで……って、あなた誰?」


 僕の顔をまじまじと眺めて、疑問の言葉を投げつけてきたレイナ。むしろ疑問を投げつけたいのは僕の方だ。


「えっ、何を言ってるの? 僕のこと、忘れたの?」

「忘れた? 私、あなたと会ったことがあるのかしら? ごめんなさい、思い出せないわ。その、名前を教えてくれない?」


 悪い冗談か何かなのか。けれど、僕に向けられるレイナの視線はまっすぐで澄み切っている。


「ほら、僕の名前は……名前……あれ、思い出せない? どうして?」

「あーっ、そうよ、私の新しい従者さんっ!? ほら、あの、サンチョだったかしら?」

「違うよ。僕はそんな名前じゃないし、そもそも従者でもないよ」


 自分の名前すら思い出せないものの、なぜか絶対にレイナの理解が間違っているというのは分かった。


「それじゃあ、あなたは誰なの?」

「僕は、僕は…………」

「従者さんなんでしょ? もしかして、名前がないの?」


 助けを求めるようにタオとシェインへと視線を向けた。


「ダメだ。どうしても思い出せねぇ。お前のこと、知ってるっつうのは分かるのによぉ」

「新入りさん、ごめんなさい。タオ兄と同じく、シェインも思い出せないです。新入りさんと呼んでいたのは覚えているのですが」


 誰も僕の名前がなんなのか思い出せないようだ。なんで思い出してくれないんだよ、と責めたくなる気持ちがわいてくる。だけど、僕自身ですら思い出せないのだから、どうしようもない。


「ねぇ、従者さん。やっぱり、あなたは私の新しい従者さんなのよ」

「えっと、どうして?」

「だってシェインが新入りさんって呼んでたんでしょ? なら、きっと私の新しい従者さんよ。私、何度もお願いしてたの、お星様に。私の従者が欲しいって」

「えっ…………!?」


 何から突っ込めばいいのか分からないほどに無茶苦茶な発言すぎて、なんと答えればよいのか分からなかった。


「従者さん、これからよろしくね」

「うん、よろしく……って、ちょっと待って。僕は従者じゃない。仲間だよっ!」


 そう、仲間だ。仲間という言葉がしっくりくる。僕はレイナたちの仲間だったはずだ。


「えぇ、当然よ。だって、あなたは私の……って、もしかして、従者さんじゃなくて仲間さんって呼ばれたいの? いえ、仲間っていう名前なのかしら?」

「いやいや、違うよ。たぶん違うはず。そんな名前じゃないと思う」


 正直、自信がなくなってきた。自分が何者なのか、よくよく考えてみると、何も分からない気がするのだ。名前を忘れただけなのに。


「そうなのね。うーん、なんて呼ぼうかしら」

「ななし、でいいんじゃねぇか?」

「いえ、タオ兄、いくらなんでもそれはひどいです。名前がないわけではなく、忘れているだけみたいですから。ねぇ、新入りさん? なあり、とかがいいですよね」

「いや、どちらも嫌だよ」

「もう面倒ね。それなら、いっそのこと、あなたはあなたって呼びましょう。今決めなくても、きっとすぐに思い出すでしょう?」

「う、うん」


 取りあえず自分の名前が思い出せるまではそれでも良いかと思った。


「それじゃ、あなたも私たちレイナ・ファミリーの一員よっ! さぁ、出発ね。私のお城を取り戻すわよ」


 そうやって僕に向かって告げると、レイナはお城の見える方角へと歩き始めた。森へと突き進む彼女の後ろ姿を見つめながら、僕は先ほどの言葉を頭で反芻した。何度思い返してみても、確かにレイナ・ファミリーと彼女は告げていた。


「なんだと……?」

「マジですか」


 僕だけじゃなく、タオとシェインも呆気に取られていた。それもそのはずだ。僕の記憶にあるレイナは絶対にレイナ・ファミリーなんて言わない。


「シェイン、あのさ、起こす時に変なスイッチ押さなかった?」

「そ、それはないはずですよ。えっ、えぇ、たぶん違うのではないかと」


 いつも冷静沈着なシェインがあからさまに戸惑っているのが分かる。


「お、俺の……俺が大将の……」

「タオ兄、落ち着いてください。分かってますから。シェインたちは分かってますから、もうしばらく様子を見ましょう。さっ、置いてかれてしまいますよ?」


 タオに至っては言葉を失っている様子で、シェインが小声でなだめている。

 レイナはどう考えてもタオの口癖であるタオ・ファミリーという言葉をもじっている。いつもの彼女なら毛嫌いしている言葉なのに。


「一体お嬢はどうしちまったんだ?」

「どうかしてるのは、姉御だけじゃないです。ねぇ、新入りさん?」

「えっ……? あぁ、そうだよ。僕だって自分の名前を思い出せないなんておかしいし、タオやシェインだって……」

「それはそうだな。俺がタオ・ファミリーに迎えた奴の名前を忘れるなんて、ありえねぇ」


 三人で前を歩くレイナに聞こえぬよう話していたら、レイナが突然こちらを振り向いた。


「アイツらの邪悪な気配……敵よっ!」

「敵だと?」


 レイナは慎重な足取りで森を進み始めた。僕たちもすぐ後ろをついていく。

 すると、森の中の小さく開けた場所でアイツ――闇色に身を染めた異形――ヴィランたちがさまよっているのを見つけた。


「本当ですね」


 二足歩行するのは人だった頃の名残りなのか、それとも、人にとって代わろうとしているのか。大きく丸い瞳は、しかし、怪しげな光を虚ろに放ち、裂けた口とつながっている。


「ここにもヴィランが……!」

 

 この想区にも混沌をまき散らす化け物、ヴィランがいたのだ。ということは、人をヴィランの姿へと変え、ヴィランを従えているカオステラーもいるのだろう。カオステラーは、ストーリーテラーが異常をきたした存在。狂気に満ちた混沌で想区の物語を歪めて滅ぼしてしまう悪しき存在だ。ほうっておけば、この想区も混沌の渦にのまれて消えてしまうことだろう。


 カオステラーを『調律』して想区をあるべき姿へと戻すこと。

 それがレイナの、そして、彼女と共に旅する僕らの使命だ。


「この数なら問題ないわね。やっつけるわよ」

「おうよ、おっぱじめようぜ」


 レイナとタオがヴィランたちへと近づいていく。と、ヴィランたちの中に赤いフードを被った見覚えのある女の子がいるのに気付いた。


「あれって赤ずきんちゃんじゃ?」

「ですね。どういうことでしょう?」

「助け出すにしても、まずヴィランを倒すわよ」


 僕たちは自らの『空白の書』へと『導きの栞』を挟んだ。白い光が溢れだし、僕たちを包み込む。


 そして、僕たちは『導きの栞』に宿るヒーローの姿へと変わった。

 運命の記されていない『空白の書』の持ち主である僕らは、『導きの栞』に宿るヒーローの力を一時的に得られる。ヒーローの魂とコネクトする、という言い方もできるけれど、仕組みは全く分からない。

 もしかしたら、僕たちの運命が空白であればこそ、ヒーローの濃密な物語を一瞬の間だけ書き込めるのかもしれない。

 その運命、在り方をなぞるようにして。


 赤ずきんを助けようと考えた僕はヴィランたちを蹴散らし、彼女の前へと躍り出た。


「さぁ、こっちへ。赤ずきんちゃん、助けに来たよ」


 赤いフードの少女へと手を伸ばす。しかし、彼女はそれをはねつけた。


「お兄ちゃんたちは何? どうして私の大切な森の仲間をいじめるの? どうして怖―いオオカミさんみたいなことするの?」

「何を言って……」

「来ないでっ!」


 赤ずきんが杖をかかげて、僕の方へと振り下ろす。火の玉が襲い来るのを、すんでのところでよけた。

 どうして、という言葉を頭に浮かべる瞬間にも、次々とヴィラン、そしてオオカミが現れる。僕の記憶が何かを告げていた。


「どうやら赤ずきんさんが親玉みたいですね」

「えぇ、でも、カオステラーの気配とは何か違うわ。きっと赤ずきんちゃんはアイツに操られているのよ。許せない」

「アイツって?」

「私のお城を襲って奪った悪い『魔法使い』よ」

「そいつのこと、詳しく知りたいが、のんびり話してる余裕はねーみたいだな」


 いつの間にか僕たちはむき出しの敵意に取り囲まれていた。


「お兄ちゃんたち、おばあさんの言ってた森を荒らす悪ーいオオカミなんでしょ? そうなんでしょ? 私たちの想いをのみ込んで消しちゃうんでしょ?」

「何を言ってるのか、分からないよ。僕たちはそんなことしない。するはずないじゃないか!」

「嘘つき、嘘ツキ、ウソツキッ!」


 赤ずきんの影から闇が溢れだし、みるみる赤ずきんを染め、たちまち黒ずきんへと変えてしまう。


「お前たちみーんな、食われる前に食ってやるっ!!」


 どこからか持ち出してきた身の丈ほどもある鎌を黒ずきんは振り下ろしてきた。


「おい、油断するなっ!」


 ガキンッ、と金属のぶつかる音がした。

 騎士の姿となったタオが盾で防いでくれなければ、僕は黒ずきんが振るう鎌の餌食になっていた。

 再び大振りに振り下ろされた鎌がタオの盾に当たり、すぐさま僕は盾の後ろから飛び出て、斬りかかった――と思ったのだが、突如として腰に強い衝撃が生じ、吹き飛ばされた。タオと共に。

 黒ずきんの動きの方が早かったのだ。タオがかばってくれなければ、吹き飛ばされるだけでは済まなかったはずだ。

 こちらへ近寄ってくる闇。容赦などない。

 タオはさっきの一撃で負傷している。レイナも回復してくれているが、それだけでは心もとない。


 逃げるべきか――逃げられる距離ではない。


 振り上げられた鎌。タオが目くばせをしてきた。俺に任せろ、とでも言うように。

 僕はうなずき、身構えた。

 鎌が振り下ろされる瞬間にできる隙を次こそ――鎌の鈍い閃きが目に入る。タオの怒声が聴こえ、僕は跳ね飛ぶように躍り出て斬りかかる。

 しかし、こちらを黒ずきんがにらみつけていた。


 まずい気付かれた間に合わない。


 頭によぎる不安。

 黒ずきんの向こう側、弓矢を握るシェインと目が合う。

 僕は黒ずきんを真正面から斬り伏せた。

 鎌が頭のほんの少し上を振りかぶる。

 再び闇に還っていく黒ずきんの腕にシェインの弓矢が突き刺さっていた。

 僕へと襲い来る鎌の刃がわずかに僕の斬撃よりも遅れたのは、この弓矢のおかげだ。


「やりましたね」


 シェインが遠目にそう口ずさむのが分かった。そして、そのまま倒れてしまった。傷だらけだった。ヴィランやオオカミたちを引きつけながら、黒ずきんの腕を射抜いてくれたのだ。幸いながら、シェインが負った傷はレイナの回復魔法で十分に治せるものだった。


 やがてヴィランは跡形もなく消え去り、オオカミたちは逃げていき、後に残ったのは赤ずきんだけ。

 そう、なぜか赤ずきんが元の姿、傷一つない状態で眠っている。


 レイナが『調律』を行ったわけでもないのに、元の姿へ赤ずきんは戻っていた。

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