第四話 The successor-後継者-

 その日、僕は夢を見た。

 父が自殺したあの日の夢の続きだ。


「いいか、今から見る光景を忘れるな」


 そう言って銃を片手に手を取った父は、僕をガレージへと引っ張った。

 手には痛いくらいに力が込められていたけど、僕はそれを拒んではならないような気がして何も言わない。

 この手を拒めば、父は人でないものになってしまうような気がして。


 家の通路や部屋を横切ってガレージに着くと、父はいまは母が使っている車一台の空白に壁に立てかけてあった折りたたみ椅子を二つ広げると、その片方を指差した。


「そこに座りなさい」


 低く脅すような父の声。

 それに少し怯えながら僕はおずおずとそこに座る。

 椅子のクッションは硬くて座高も合っていなかったので、僕は地面から浮いた足を所在なさげにプラプラとさせた。


 その間に父は、右手のリボルバー拳銃に弾丸が入っていることを確認し、右手の震えを抑えようと左手で跡がはっきりと残るくらい強く自分の腕を握って僕はそれを不安な気持ちで見る。


「ねぇ、父さん。何をするの? 銃なんかしまってよ」

「お前は黙っていろ!」


 僕が父の様子が本当に気味悪くて、そう口を開くと、父は血走った目で僕を一喝した。


「お前は、黙って、ただ私のすることを見ていればいい」


 ビクッと体を震わせた僕を見て、爆発する感情を息と共に吐いて、少し落ち着いた調子で父は同じことを言う。

 そして空いていたもう片方の椅子に座ると、額に玉の汗が浮かべ、自分自身を落ち着けるように何度も深呼吸すると銃の撃鉄を起こす。


「お前はいい子だ。たぶんそれはこの先も変わらない。でも世界はいい子ってだけじゃ生き残れないんだ」

「…………なにを言ってるの、父さん?」

「世界には人の身には余ることがたくさんある。それをお父さんは知ってほしい」


 そう僕に向けて呟いてから、父は拳銃を顎の真下も押し当てる。

 僕は顔では何が起こるか分からないという顔をしていただろうが、多分、心の奥底では分かっていた。この先に何が起こるのかを。

 そして、父は僕の予想を裏切らなかった。


「いいか。これが死というものだ」


 最後の一言にしてはあっけない言葉を呟いて父は引き金を引く。

 瞬間乾いた音と共に父の頭の中身が弾け飛んで壁や天井に飛び散って、僕は目の前の光景を目を離すことができずにただじっと見つめた。


 そのまま硬直したように僕は動けず、しばらく父の遺体を相対し続けた。

 やがて自身と一体化したように思えた椅子から離されたのは、買い物から帰ってきた母がガレージを開けた時だ。


 あの時、父が僕に自分の自殺を見せて何を伝えたかったのかは分からない。

 ただその時の僕が分かったのは、父はこの世から旅立ったことと父は狂っていたという二点だけだった。



―――――



 その日の夜。

 僕はスレイドと共に新たな取引場所である埠頭の倉庫にいた。


 倉庫には大小さまざまな木箱が置かれて、AKを持った男たちがその中から金属のボディの一部や電子部品を取り出し、ミサイルが本物かどうかを確かめている。


 そして目の前には、今回の取引相手である反政府勢力のリーダーのアラブ系の男がしっかりとしたスーツを着て、従えたボディガード複数名を僕たちの周りを囲むようにして配置していた。


 スレイドはそんな中で端末を操作して銀行口座を閲覧しており、そこにはとんでもない額の金が現在進行形で振り込まれている。

 それらは全てスレイドが売ったミサイルの代金として反政府勢力側が彼の取引用の口座に振り込んでいるものだ。

 やがて、目まぐるしいスピードで変化していた数字が動きをぴたりと止め、金の振込が終了したことを確認するとスレイドは端末を閉じる。


「確認した。これで取引は成立だ」


 そう言って彼が口元に笑みを浮かべて手を差し出すと、リーダーの男は釣られるように笑ってその手を握り返す。


「いい取引だった。これからもよろしく」

「あぁ、君たちがこの戦線を維持するなり、拡大してくれれば検討しよう」

「助かる。これで革命に一歩――」


 そこまでリーダーの男が言いかけたところで、突然倉庫のガラスが割れる音と共に催涙弾と閃光弾が倉庫に投げ込まれて炸裂する。


 直後、倉庫に銃を持った部隊が突入してきて、反政府勢力の男たちがすぐさま乱入者たちを銃撃したが、閃光と催涙に目をやられてまともに狙いをつけられない彼らは次々と突入してきた部隊に倒されていく。


 僕はその乱戦の中でスレイドを庇うように端のほうの寄せていた車に乗り込むと、そのまま倉庫から逃げ去った。


「大丈夫ですか?」

「……あぁ、少し時間を置けば問題ない」


 車を運転しながら僕はスレイドに問いかけると、スレイドはキツく目を閉じてそう答える。どうやら閃光弾に目をやられたらしい。


「沿岸のスラム街の方へ行ってくれ。セーフハウスがある」

「わかりました」


 彼の指示した通りに僕は車をスラム街の方へ向ける。

 一般道を怪しまれない程度の、周囲に同化するようなスピードで向かってみると、セーフハウスはそこから五分ほど走ったところにあった。


 車を止めてまだ視力の回復が不完全なスレイドに肩を貸しながら中に担ぎ込む。

 室内はごく一般的な家と変わりなく、僕はスレイドを椅子に座らせると、自分の銃を彼に向けた。

 ちょうど視力が回復してきたのか、僕が何をやっているかに彼は気づく。


「……なんのつもりだ?」

「なんのつもりもありませんよ。ただあなたを逮捕するという自分の任務を果たしているだけです」


 これは昨日、僕とケイトリー捜査官が決めた作戦だった。


 あの倉庫に突入してきたのはこの国の政府軍の特殊部隊だ。

 彼女は日頃から反政府勢力を邪魔に思っていた政府軍に今回の情報をリークする代わりとしてスレイドの逮捕に関してはこちらに一任させたのだ。

 そして意図的に逃がされたスレイドは別の場所で逮捕することになっていた。


 その理由としては、彼の持つ同調言語が及ぼす影響を考慮したもので、今頃ケイトリー捜査官たちは僕に仕込まれた発信機タグを頼りにこのセーフハウスに向かっているはずだ。

 そんなことは知らず、スレイドは僕をじっと見て口を開く。


「私は間違ったことはしていないつもりだが」

「この三年、いや僕が右腕になる前からあなたは世界中で様々な犯罪に加担してきた。今日の取引だって、反政府勢力に差し出したのはよりにもよって海軍から盗んだ最新鋭のミサイル。これを悪と呼ばずしてなんと呼ぶんです?」

「善と悪など簡単に移り変わる。私は自分の信じる正義に従って行動しただけだ。それともあちこちの犯罪に関わって君たちが手に入れられないような情報を持っている私をそこらの殺人鬼たちと一緒に檻の中に入れるつもりか?」

「そのつもりですよ」


 そう言うと、スレイドは僕を小馬鹿にしたように彼は鼻で笑う。


「おいおい、全く笑えないぞ。自分で言うのもなんだが、私をそこらの殺人鬼たちと一緒にしてもらったら困る。様々な国で犯罪に関わってきた私がこんな形で捕まったなんて笑い者だ」

「僕の知ったことではありません」


 銃を突きつけられながら道化のような心の読み取れない笑みを浮かべるスレイドに対し、僕は無表情に答える。

 こんな状況で未だに落ち着いた調子で軽快な言葉を言えるスレイドは一瞬笑みを消して、押し黙ったが、またすぐに口元に笑みを浮かべて笑い出した。


「何がおかしい?」

「いいや。健気に頑張るものだなと思っただけだ」


 薄気味悪い悪さを感じながら、僕は油断なく銃を握る手に力を込める。


「あんたの信用を得るために六年を費やしたんだ。長かったよ」

「それはご苦労様だったな。レッド・リチャード捜査官。それともこう呼んだほうがいいかな」


 そう言って、スレイドが口にした名に僕は戦慄した。

 彼の口にした名前――それはまぎれもない僕の本名だったから。

 明らかに動揺を隠せない様子で僕は呟く。


「……知ってたのか」

「あぁ、最初からな」

「そんな……」


 信じられないと思いながら、銃を持つ手が震える。目の前のスレイドが人間ではない何か得体の知れない怪物のように思えて、僕は何も口にすることができなくなった。


 スレイドは自分が潜入捜査官であることを知っていながら、自らの組織に招き入れたのだ。

 そんな中でコソコソと行動していた自分はまさに道化ではないか。


「私のボディガードである君が潜入捜査官だと知った時はどうしたものかと思ったが、こういう形で話ができるという意味では、君を私の側につけるのは正解だったよ」

「……どういうことだ?」


 半ば呆然とする僕の言葉に、スレイドは椅子から目を光らせ、不敵な笑みで立ち上がった。


「君も知りたいと思ったんじゃないのかい。私が世界で争いの種を蒔く理由を」


 金のためではなく、争いそのものを欲するというスレイドの行動理由。

 確かに彼が争いを振りまくその理由だけが未だに謎だった。

 そんな僕の表情を見て、彼は不敵な笑みを貼り付けたまま答える。


「私は世界に教えたいんだよ。大切な人や身近な人が何も残さず、この世界から死ぬ悲しみを。ただ知らしめたいだけなんだ」

「…………奥さんがそうやって死んだからか」


 昨日聞いた彼の言葉を思い出して僕はそう呟く。

 世界中に悲しみを伝えるために各地で武器を提供したり犯罪をプロデュースしたりしていく。

 突き詰めれば、それは自分の妻を失った悲しみを他の人も味わせようということだった。


「じゃあ、あんたは自分が大事な人を失ったからって、それを他の人間にも味わわせようってのか? そんなのッ……、あんたが世界の人間にやっていることはガキの嫌がらせとなんら変わらないじゃないかッ」

「それがどうした!」


 スレイドは僕のほうを向いて声を荒げる。この三年間で初めて見た彼の激情した姿だった。


「この世界の人間は人の痛みを知らなすぎる。平和ボケした人間は生易しい言葉を言うだけで世界が平和になると思っているが、もしそうであるのなら、彼らはここや他の紛争国に行って、マイクでそう叫んでくればいい。だが現実はそうではない。一人の人間にできる事なんてたかが知れている。組織という力も君たちは思っているほど強くはない。蔓延るところには悪が蔓延るし、飢えて死ぬ奴は死ぬ。なら、話は簡単だ。世界に争いがもたらされ、悲しみが広がれば人は他人の痛みを知ることができる」

「その分、あんたは倍以上の憎しみを産んでるんだぞ」

「知ったことか。彼らにはその感情がもたらす無益な殺戮をその身で味わって貰えばいい。そうすれば自分がどれだけ緩くて優しい世界にいたかわかるはずだ」


 そう言い捨てるとスレイドは今度は教師が生徒に語るように優し気な口調で続ける。


「現実に安全というものは存在しない。どれだけ過保護の育った子供たちも誰一人として安全とは言えない。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なんだ。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはないんだ」


 笑みを絶やすことなく紡がれた言葉に僕は瞬きをできずに目を見開く。


 なんということだろう。

 彼は9月11日のあの日からその思いに憑りつかれて生きてきたのだ。

 そんな感情を見せてまで語るスレイドに、僕は何も言うことができなくなる。


 ただ彼の言葉だけが脳の中でグルグルと渦を巻き、反復され、僕の心をジワジワと侵食し汚染して敵対する意思を削いでいく。

 気を抜けばその場に崩れそうになるのを押さえて、僕は銃を構えたまま口から自らの言葉を絞り出す。


「ひとつ聞きたい。……何故、潜入捜査官だと知った上で僕をボディガードとして傍に置き続けた?」

「私にそっくりだからさ。海軍に所属していた経験があり、そのあとに別の組織に移動。両親も共に死んで天涯孤独の身。私も同じような人生を送ってきた」

「俺は悪人のなる気はない」

「確かに、いまの君は私のような悪人ではなく捜査官だ。だがいつまでもそうしてはいられないさ」

「どういうことだ」


 怪訝な表情でそう絞り出すと、スレイドは嘲笑うような笑みを向けてくる。


「君はあのニューヨークで殺したマフィアの男の血と夕日を見て何を思った?」

「……なに?」

「血の赤と夕日のオレンジ。君の目にはそれはどう映った?」


 彼の問いかけにあの時のマフィアの男の血と夕焼けのオレンジ、そして部屋の細かい装飾までが僕の脳裏に鮮明に再生される。

 僕はあの光景をどう思った? どう感じた?

 そうだ、僕は――。


「君が言えないなら当ててやろうか? 君は美しいと思ったはずだ。血の赤と夕日のオレンジを。そして昨日、私の持っていたグラスの色を見て、それを思い起こしたはずだ」


 スレイドの断定に僕は知らずに息を飲む。図星だった。


 確かにあの時、口に出すことはなかったがニューヨークであの光景を見た時、僕は綺麗だと思ってしまった。

 捜査官として、血が流されることは嫌悪するべき事態であるはずなのに、僕はそれに見惚れていたのだ。

 そして昨日。彼と酒を酌み交わした時のグラスの色を見て、あの時の光景が頭によぎったのも事実だった。


「なぜ、私が君の前で同調言語を使い続けたかわかるか? 同調言語は加減をしてやれば相手に気づかないくらいの微々たる同調を植え付けることができる。何度も私の同調言語を聴き続けた君の意識の奥深くには、すでに私の意思や思想を模倣する器官が宿っている。すべては君が私になってくれるための仕込みだ。君は私の意思を継ぐ後継者になるんだ」


 ありえないと言いたかった。しかし、六年前なら嫌悪したはずことを美しいを思ってしまった時点で僕にはそれを否定することができない。

 それでも自分は紛れもない自分の意思で行動していることを証明するように僕は彼に向けた銃を握りしめる。


「……嘘だッ、僕は決してあんたのように争いの火種なんて撒きはしない」

「一個人が善行だと思うことをやっても、それが大多数にとっての悪とされることだってあるんだ。それほどまでに善悪の境界なんて曖昧だ。断言できるか? 私のようにならないと。父の自殺を目にし幼い頃から死を近かった君が」


 父の自殺まで持ち出したスレイドは真っ直ぐに僕の目を見てそう告げた。まるで僕の中にある自分自身に語りかけるように。


「足掻くなら足掻けばいい。だが君に私の言葉を、正義を止めることはできない。いずれ君はこちら側の世界を覗くことになるだろう。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているように。その時は例え地獄に落ちようとも嗤って向かえてやるさ。さぁ、撃て。私を殺してみろ。お前は自分自身を殺すんだ。いまから見る光景を忘れるな」


 もはや自分の意思なのか、それとも彼にやらされているのか分からず、訳の分からないどす黒い感情に支配されて僕は引き金に指をかけ、そのまま引こうとした。


 しかしその直前、乾いた音とともにスレイドの体が震え、そのままゆっくりと両膝を地面について仰向けに倒れる。

 さび付いたように動かない頭を動かして視線を落としてみると、スレイドの胸に小さな穴が空いており、そこから赤い斑点がジワっと広がっていく。


「大丈夫ですか?」


 背後からそう問いかけられてぎこちなく振り向くと、防弾ベストにライフルを持ったケイトリー捜査官を筆頭に、複数の捜査官が他に敵がいないかを無駄のない動作で調べていく。

 そこから再びケイトリー捜査官に視線を合わせると、彼女の足元には薬莢が一つ転がっていることに気づいた。


「…………」

「捜査官?」

「……あぁ、問題ない」


 遅れてそう呟いて、僕は父の時と同じように死んでただの物体と成り果てたスレイドの死体を呆然と見つめる。

 その手から銃はいつの間にか滑り落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る