六章  酔狂之天女、迷子之天女と再会す。

 ドガバゴォォォーーーーーーーーーーーッ!


 そんな威勢の良い音が外から聞こえてきた。柔らかい物体と、それとは正反対の硬い物体とがぶつかった際にあげるような音である。例えるならば、人間が車に衝突した音といえば適当だろうか。

 その音が聞こえた瞬間、食堂にいた生徒全員が静まり、しかし、すぐに音の正体について口々にあれやこれやと話し出した。ゆきるたちも例外ではない。


「なによ今の音は?」


 えみるは音が聞こえてきた窓の方に視線を向けている。


「なんだか肉体的にものすごく痛そうな音だったけど……」


 ゆきるは素直な感想を述べた。


「それだけじゃ、なんのことだか分からないでしょ」


「いや、そんな風に反論されても、おれだって分からないんだからさ……」


 ゆきるに限らず、その場にいた誰もが、音の正体について答えられなかった。そこで当然のように、次の行動に移り始める。つまり、皆が音のした方に向かって走り出したのである。


「よし。なんか分からないけれど、えみる、あたしたちも行こう!」


 華琳はすっかりこのハプニングを楽しんでいるようだった。

 

「そうね、なんだかとんでもないことが起きている気がするものね。これは面白くなりそうな予感がプンプンするわ」


 えみるはえらく物騒なことを平然と口にする。


「おいおい、二人とも落ち着けよ」


「ゆきる、仙術を使って無理やりに連れて行ってもいいんだよ?」


「ゆきる、お姉さまの言うことに反対なのかしら?」


「――はい! みんなの後を、すぐにでも追いかけましょう!」


 ゆきるは軍曹には絶対に逆らえない新兵のごとく、その場で首肯した。

 華琳、えみる、ゆきるの三人は、マラソン大会と化した集団の後を追いかけていった。


「――ゆきる、悪いことは言わないから、その性格だけは今のうちに治しておいた方がいいぞ」


 遠ざかる三人の背中を見ながら、比呂夢は気の毒そうにつぶやくのだった。もちろん、その声が親友の耳に届くことはなかった……。




 学校の校門から生徒用の玄関まで続く通り道。道の隣には教師用の駐車場。その駐車場のさらに奥に生徒用の駐輪場。

 普段と変わらぬ景色の中に、異物が紛れ込んでいた。

 駐車場に停められた一台の車にもたれるようにしてグッタリとくずおれている男がひとり。その正体は体育教師の鬼坂であった。

 鬼坂がもたれている車の助手席ドアは、内側にめり込むようにして大きくへこんでいる。どのような衝撃が加わったのか、その惨状を見れば一目瞭然であった。

 しかし、衆目を集めたのは鬼坂の姿ではなく、車の屋根に仁王立ちしている中華服の少女の方であった。


「誰でもいいから……ひっく……かかって……ひっきゅ……きなさいっ!」


 少女は明らかに呂律の回らない口調で、大きな奇声を発している。


「なあ、比呂夢……。おれ、最近疲れているらしくて、車の上に女の子がのっている幻影が見えるんだけどさ……。これって、おれだけかな……?」


 ゆきるは呆然状態でやっとそれだけつぶやいた。


「ぐ、ぐ、偶然だな……。おれの目にも同じ幻影が見えるんだけど……。しかも、見えている女の子が、これまた偶然にも今朝方駅前で見た女の子とそっくりなんだよなあ……」


 いつもは冷静沈着な比呂夢が、このときばかりは動揺を隠せずにいた。


「あれ? よく見たら、女の子の足元に一樹がいるじゃんかよ。まるで敗残兵のように倒れこんでいるけれど……。なんだか昨日よりもだいぶくたびれて、十歳は老け込んでいるように見えるな……」


「あっ、本当だ。一樹がいるぞ。そういえばあいつ、あの女の子に付いて――じゃなくて、強引に連れて行かれたままだったけど……。まあ、ここから見る限りでは死んでないみたいだし、大丈夫なんじゃないかなあ?」


 二人とも狂気の光景を目の前にして、半ば生きる彫像と化している。


「ねえ、あの車の上で暴力的な空気をあたり一面に発散している、豪快極まりない女の子って、ひょっとしたら華琳の知り合いだったりするの?」


 ゆきるとは反対に興味津々の気持ちを隠せないでいるえみるは、体を前のめりにして、その少女のことを見つめている。  


「うーんと、うーんと……知り合いというか、なんというか……つまり、はっきり言うと……あの見るからに危険な女の人は――あたしの姉さんだったりするんだけどね……」


「お姉さんなの?」


「そう……華蓮かれんっていうの。一応、あたしのすぐ上の姉さんっていうことになるんだけどね……」


「華蓮ねえ……。なんだか可憐と呼べるような状況とは、随分とかけ離れて見えるんだけど」


「ははは……。華蓮はあたしたち姉妹の中では一番元気だから。ていうよりも、元気だけが唯一のとり得というか……。あるいは元気が体現化したのが華蓮というか……。あるいは……」


「うん、まあ、なんとなく華琳の言っている意味は分かったわ。そういう特殊なお姉さんってことね。――それで、どうしてそのお姉さんがこの学校に来ているの? ありえないとは思うけれど、親切になにか忘れ物でも届けにきてくれたのかしら?」


「そうだったらいいんだけど……。たぶん、お母さんに頼まれて、あたしのことを連れ戻しにきたんだと思う」


「連れ戻しに?」


「うん。ほら、あたしって、反省部屋から勝手に抜け出しちゃったからね……」


 華琳は壺公という崑崙に住む偉い老師が創った壺の中の世界に閉じ込められていたのだ。


「それじゃ、華琳は帰らないといけないってことなの?」


「そうなんだけど、でもあたし、ここが気に入ってるからなあ……」


「わたしたちはもちろん華琳にこのままいてもらっても全然構わないんだからね。――そうよね、ゆきる?」


 えみるが笑顔でゆきるに同意を求める。その笑顔が、ゆきるにだけは怖く見えるのは、なにかの間違いなのだろうか?


「も、も、も、も、もちろん、い、い、い、い、い、いいいいいいいいに、き、き、き、きききき決まってるじゃ、じゃ、じゃ、じゃ、じゃああああああん」


 否定の意思が丸分かりのゆきるの言葉。


「ありがとう、ふたりとも。じゃ、あたし、姉さんを説得してみるね」


「その説得に応じてくれなかった場合はどうするつもりなの? 何ならば、わたしが一緒に行って口添えしようか?」


「大丈夫。もしもダメだったら、そのときは――」


 華琳がスカートのポケットに手を伸ばす仕草を見せた。そこになにかを入れているのだろうか。もしも入れているとしたら――。


 なんか、こんな場面を、ごく最近どこかで見た気がするけど……。


 ゆきるはとってもいやーな予感がしてきた。気のせいか胸騒ぎまでしてくる。


「そのときは、あたしが力ずくで追い返してみせるから!」


 華琳はスカートのポケットから取り出した霊符を頭上に高く掲げてみせた。


 ほらね、やっぱりおれのイヤな予感が当たったよ。


 ゆきるはがっくりと肩を落とした。  


「華琳、まさかとは思うけど、力ずくってことは、あのときみたいな凶暴な術の数々を使う気じゃないよな?」


 一縷の望みを掛けて、ゆきるは華琳に問い質す。


「凶暴な術ってなんなのよ。あれは立派な仙術の技で、符術だって教えたでしょ!」


「いやいや、あの術をここで使うのだけは絶対にダメだからな!」


「なんでよ。あたしの符術ならば華蓮なんか一溜まりもないのに! 一発で瞬殺すること間違いなしよ!」


 二人のやりとりを見ていた生徒たちの間で、静かなざわめきが巻き起こる。


「今、シュンサツって聞こえたかな?」


「診察か新札の間違いだろう?」


「いや、たしかにシュンサツって聞こえたぞ」


「シュンサツって、瞬間的に殺すって意味だよな?」


「ああ、おれの知っている国語辞典には、そう説明があったと思うけどな」 


 生徒たちはなにかを感じ取ったらしく、一律に後方に下がっていく。


「瞬殺って、一応は華琳のお姉さんなんだろう?」


「姉さんと言っても、必ずしも仲が良いとは限らないでしょ」


「それでも姉妹だろう」


「安心して、あたしにはまだ華蓮以外にも姉さんがいるから。ひとりぐらいいなくなっても大丈夫だから」

 

 華琳が不敵な笑みを浮かべる。

 生徒たちの間で起きていたざわめきが、悲鳴じみたものに取って代わった。生徒たちの集団が、さらに後方に下がっていく。


「ちょっと二人だけでなにコソコソ話してるの」


 会話に置いてきぼりにされたえみるが口をはさんだきた。えみるは華琳の仙人としての力をまだ見ていないのだ。当然、霊符を使用した符術のありがた迷惑な破壊力のことも知らない。


「ちょうどいい、えみるも言ってくれよ。華琳が言っている符術っていうのは――」


 ゆきるは華琳を説得するために、えみるに懇切丁寧に符術のことを説明したのだが、返ってきた答えはというと――。


「やだー、なにそれ! すごく面白そうじゃない! 絶対に間近で見たいんだけど!」


 えみるの瞳はキラキラと輝いている。青春のきらめきならばいいのだが、この輝きの正体は破壊に対してのきらめきである。

 

「…………」


 教えなければよかった、と思ったところで後の祭りである。

 こうなってしまったら華琳を止める人間はもういない。あとは台風が通り過ぎるのを家の中で待つように、下手に手を出さずに事の成り行きを見守るしかない。


「なあ、ゆきる。なんだか知らないうちに、おれたちだけが取り残されているんだけど、気のせいか?」


 比呂夢の言う通り、生徒たちの大半はピリついた場の雰囲気を敏感に感じ取って、すでにゆきるたちのまわりから数メートル近く離れていた。


「あっ、そうだ。おれもちょっと用事が――」


 後ろ足で逃げようとする比呂夢。


「なあ、比呂夢。おれたち友達だったよな。と、も、だ、ち!」

 

 ゆきるは比呂夢が右腕をがっちりとつかんだ。


「頼む、ゆきる。おれを巻き込むな!」


「頼む、比呂夢。おれだけにするな!」


「ゆきるには、えみるお姉様がいるだろう?」


「今のえみるは台風が来るのを喜んでいるガキみたいなもんなんだよ」


「だったら、お姉さまと一緒に台風の中で遊べばいいだろう!」


「そんなことしたら、おれだけ台風の暴風で飛ばされるに決まっているだろう!」


「おれを巻き添えにするつもりか?」


「悪いな、おれの友達になったことをあの世で後悔してくれ」


「ゆきる、おまえとはもう一生話さないからな!」


「比呂夢、おまえの腕はもう一生離さないからな!」


 二人が友情という名の醜いやり取りをしている間に、華琳がさっそうと華蓮に向かっていく。


「じゃ、頑張って説得してみるね」


 明らかに説得というよりは、戦闘に向かうという感じ満々の華琳である。


「華琳、お姉さんの説得がダメなときは、仕方ないけれど、力ずくでもいいんだからね」


 明らかに力ずくでのショーを期待しているえみるである。

 

 

 共に見た目こそ見目麗しいが、その実、凶暴極まりない仙人姉妹が、ここで合間見えようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る