第46話

 ゲンガイの葬儀はすぐに行われた。

 二人で暮らした家の近くの教会で、棺桶を前に祈りを捧げ、墓地に掘られた穴に棺桶を入れ、火を付ける。完全に燃えるものがなくなり火が消えたら、後に残るのは、炭なのか土なのかそれとも骨なのか、なんだかよくわからないボロクズばかり。そこに土をかぶせ、埋葬は終わりだった。なんとも呆気ないものだ、と思った。


「ハロルドさん、でしたよね?」

「え。……ああ、神父さん。お久しぶりです」


 穴が埋められた、そこだけ積雪がなく土がむき出しの墓地を見ていたハロルドの耳に、自分の名を呼ぶ声が届く。振り向けば、いつぞやに言語伝達の儀式魔術で苦しめてきた神父の姿があった。


「どうも。ニコと言います。改めまして、よろしくお願いします」

「はあ、ニコさん……」

「……ハロルドさん。大丈夫ですか?」


 そのニコ神父からの問いはひどく曖昧で。


「何がすか?」


 思わずハロルドは、そう問いを返していた。


 何が、とは。

 その一見して平静なハロルドの様子を見て、ニコは心のどこかで恐怖にも似た違和感を覚えていた。

 いくらなんでも、問うハロルドのその顔に何の感情も浮かんでいなさすぎるのだ。正確には、キョトンとした、日常で見かけるような自然な表情でありすぎた。


 とはいえ、ニコがハロルドと会ったのは儀式魔術を施したとき一回限り。当然ながら、『いつも通り』のハロルドの様子などは知らない。

 それに、このような葬儀の際、身近な人が亡くなった消失感のあまり不自然に冷静になったり、人前では強がって努めて平静を繕ったり、酷いときではその死を受け入れられていなかったりすることなど、ままあることだ。


「……いえ、何でもありません」


 だからこそニコは、笑って質問を撤回し、一言挨拶をしてハロルドのもとを去った。

 彼がどんな心境であれ、時間が解決してくれる。今は一人にして、落ち着ける時間を与えるべきだ。と、そんな想いを抱いて。


 後に残されたハロルドは、いったい何だったのだろう、と心底不思議そうに眉を顰め、首を傾げていた。


   ◇ ◇ ◇


 ――ゲンガイ爺ちゃんが死んだ。


 この世界に流れ着き、それ以来二人で暮らしてきた家へと帰ってきたハロルドは、しんと静まり返る屋内を見て、改めてそのことを理解した。







 率直に言えば、ハロルドはゲンガイの死を受け入れられていないわけでも、平静を繕っていたわけでもなかった。

 ただ、だと思っていた。

 悲しくもあるし、喪失感も当然ある。だが、そんなものだ。人はいずれ死ぬし、別れはいつか必ず訪れる。それが早かっただけで、むしろゲンガイは穏やかに死を迎えていたのだ。ならば、別にそれでいいじゃないか。


 思考停止にも似た悲壮感。本来であれば、耐えられない悲しみから目をそらすために奮い起こすそんな想いを、ハロルドは当たり前のようにその胸中に抱いていたのだ。

 言ってしまえば、ゲンガイが亡くなったその時点で彼のなかでは折り合いがついており、「じゃあまあいっか」という、そんな一言で済ませられるような出来事へと相成っていた。


 だからといって、当然ながら、ハロルドがゲンガイをどうでもいいと思っていたわけではない。死をほのめかすような言葉を吐かれたときは悲しかったし、冷たくなっているのを確認したときは涙も流れた。師として尊敬もしていたし、とっくにもう家族の一人であると思っていた。


 しかし、だからこそ、ハロルドは実に夜猫好みの男なのだ。

 ――ゲンガイ爺ちゃんは幸せそうに、穏やかに死んだ。じゃあ俺が悲しむ必要はねぇじゃん。

 きっとあのときニコ神父が言及すれば、ハロルドはあっけらかんとそう答えただろう。


 夜猫は後に語る。「ハルは出会ったときから愚直なまでに真っ直ぐ歪んでたよ。だからこそ私は自分勝手な、実に人間という種族らしいと好ましく思ったし、ハルに興味を持ったんだ」と。

 人間という種族をこよなく愛する彼女は、ハロルドのような、自分を殺していない存在を何よりも好む。

 そんな彼女だからこそ、ハロルドは良い観察対象であり、玩具であり、そしてある種一つの娯楽エンターテイメントだと思っていた。







 しんと静まる家のなかをハロルドは掃除する。

 最近は食料調達やゲンガイの介護でそれどころではなかったため、よくよく見れば家のなかには埃が積もり、結構汚れていた。

 ハロルドはこれ以降、雪解けの季節になるまで、家から出ることを最低限に、ただただぼーっと呆けて暮らしていくことになる。

 何となく、なにもやる気が起きなかった。


 幸い、一人分だと考えれば冬を越すのに十分なほどの蓄えはあったし、暖をとるための薪もある。それに、言ってしまえば、無くなれば買えばいいのだ。何故かゲンガイは金をあまり使わず、自分達でできることは自分達でやるという主義だった。金というものは、どうしても自分達じゃ作れないものなどを手に入れるための手段であり、何でもかんでもそれに頼っちゃいけない。とは、彼が口を酸っぱくして言っていたことだ。

 まぁ、それもありかな。とは思う。事実、ハロルドたちは貧乏でこそあれ、その生活は貧相ではなかった。金など最低限でも、手に技術と身を護る力さえあれば、この世界じゃ自給自足で暮らして行ける。それをゲンガイは教えてくれた。


 このゲンガイの教えを守り、ハロルドはこれからも自給自足を意識し、暮らして行く。

 例えその教えが、良くも悪くも、ハロルドの今後を決定付ける要素足り得たとしても。


   ◇ ◇ ◇


 季節は巡り、春が来る。

 雪が降ることもなくなり、日が射す時間も遥かに延び、それに伴って積もった雪が解けて、光の反射で街をキラキラと照らす。

 ほんの短いひとときの、ある種幻想的な街並みを、すっかり髪がボサボサに伸びたハロルドも歩いていた。


「……なにしようかな」


 そして、ふと漏れたそんな呟きの通り、その歩みに特に目的はなかった。

 そろそろ行動しないとな、と思って家を出た。なぜなら、家のなかでじっとしているとゲンガイに怒られるような気がしたから。このまま呆けているのは、ゲンガイからのあらゆる教えを無下にしているような気がしたから。

 だが、そう思って家を出ても、なにもする気が起きなかった。

 動かなきゃいけない動機はあったが、動く目的は無かったのだ。


 つまるところ、このころのハロルドは、その『生きる目的』に餓えていた。

 だからこそ――


「や、やめてください!」

「いいじゃないの。ちょーっとお茶するだけだよ」


 そんな喧騒が聞こえた路地へ、特に何を思うでもなく、ふらふらと寄っていった。


 灰暗ほのぐらい路地裏に居たのは、四人の男女。一人の女を壁に押しやり囲むように、三人の酔っぱらった男達が居た。


「い、いやです! 離してっ!」


 腕をつかむ男の手を、気持ち悪い虫が止まったかのように、必死に女が振り払う。もしかしたら、それだけならば何も起きなかったかもしれない。

 しかし運が悪いことに、そのとき、勢い余って男の頬をはたいてしまった。


「いっつ……。いってぇな! てめぇ!」

「きゃっ!」

「お、おい! 暴力はまずいって!」


 それに気を悪くしたはたかれた男は、同じように女の頬を張り、それで姿勢を崩した女はハロルドの足元へと倒れこむ。

 日が当たらずまだまだ溶けきらない雪と、それでも暖かくなっていた外気により徐々に解かされ出来ていた水溜まりから、ぴしゃりとハロルドの足に水飛沫が飛ぶ。

 おそらく、朝までずっと酒を飲んでいたのだろう。フーフーと荒い息を吐き血走った目で女を睨む男に、理性は感じなかった。

 その男とともにいたもう二人はそこまで酔ってはいなかったのか、突然暴力をはたらいた男を止めるよう声をかける。しかし、恐怖からか身を呈して止めようとはしていない。


「た、助けて、ください……」


 その声は、目の前の水溜まりに倒れ伏した女から聞こえた。

 汚い泥水にまみれ、見目麗しいその顔を恐怖にひきつらせ、怯えきった目でハロルドを見ている。


「……やっぱりだ」


 それを見たハロルドの口から漏れたのは、そんな言葉。助けを求める女性の声に答えるでもなく、ニィッと不敵に広角を上げたハロルドは、しかし女の横をすり抜け酔っぱらい達に向かって歩み行く。


「……んだ、テメェ。家無しか? なんにせよ、邪魔だ。どけよ」

「お、おい。もういいだろ。行こうぜ。やりすぎだよ」


 男達の言葉に、ハロルドは答えない。

 ただただ、怪しい笑みを浮かべて、その足を動かすだけだった。


   ◇ ◇ ◇


「あ、ありがとう、ございます……」


 泥水に濡れた女から、かすれた声で礼を言われる。

 女が震えているのは、まだまだ寒い季節に濡れてしまった故か。それとも――


 女の前にて佇むのは、力なく垂れた手からぽたぽたと血を滴らせ、背を向けるハロルド。

 その向こうには、鼻をひしゃげさせてそこから血をたらし、歯が折れた口から呻き声を発する三人の男。顔はぱんぱんに腫れ、どうやら痛みから立ち上がれもしないようだ。


「……ああ」

「ひっ! じゃ、じゃあ私は行きます! ああ、ありがとうございました!!」


 振り返ったハロルドがその礼に言葉を返そうとしたとき、女は短い悲鳴をあげ、弾かれるように立ち上がって大通りの方へと駆けてゆく。

 その背中を首を傾げて見つめるハロルドは、どうやら気付かなかったようだ。

 三人の男からの返り血に汚れ、人助けとはいえ過剰ともいえる暴力を振るい、そしてその顔に歓喜の笑みを浮かべる――そんな自分の、歪みきった佇まいに。


 ――ああ、やっぱりだ。


 しかし、ハロルドは女のそんな態度に対する疑問などすぐに頭から追い払い、全く気にしない。


 ――爺ちゃん。やっぱり、この世界は悪人に甘すぎるよ。


 この時点で。

 ゲンガイというストッパーが消えたこの瞬間に。


 ――罪には罰を。そんなの、当たり前のことだ。


 曖昧だった『夢』は、現実味を帯びた『目標』へと変わる。


 ――キゾクサマたちが監視しきれない街の汚物をそそぐような、そんな存在が必要だ。街を護るために悪人を裁く、そんな正義が必要だ。


 『目標』は『動機』へと。そして『動機』は『行動』へと昇華する。


 ――だったら、俺がなってやる。強くて、かっこよくて、何にも負けない。無敵の英雄ヒーローになって、俺がみんなを護ってやるんだ。






 こうして、人知れず歪んだ意志を持ち、しかし十分なその意志力により歯止めのきかない力を持つ一人の冒険者、『英雄ヒーロー』が生まれることとなる。

 誰よりも英雄ヒーローの師が、その誕生を望んでいなかったというのに。

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