銀の騎士

くーのすけ

王都編

第1話 銀の騎士 プロローグ

 薄暗い空間に、ガラス製の容器を布で擦る音だけが響く。

 壁にずらりと並んだ酒瓶。その壁を囲むようにカウンター席が設置され、そこから目を離せば、二人掛けの小さなテーブル席が3個ほど設置されているのがわかる。

 もしかしなくても、この店は所謂『バー』と呼ばれる酒場であることを察することができるだろう。

 まだ正午を過ぎたばかりの昼食時であり、この店にはランチメニューと呼べるような気の効いたメニューはない。あるとしても、酒のつまみに口を慰めるようなもので、空腹を紛らわすことは出来ても消すことなど出来ないようなメニューだけだ。

 そのせいか、店は開いているが客の姿は全くと言って良いほどに見当たらない。

 とは言え、全くと言い切らないのは、一人だけ、テーブルに突っ伏して寝ている客がいるからだ。

 肩にかけたマントを尻の下に敷くようにして垂れ流し、その手にエールが半分ほど残るジョッキを握ったまま、穏やかな寝息をたてる男。

 真っ昼間からそんな醜態を晒す男を世間の人が見れば、遠慮なしに「ダメ男」と罵るだろうが、生憎とこの場には彼を叱咤するような者はいなかった。

 彼の他にいるのは、カウンターの中で、磨かずともピカピカと輝くグラスを手慰みに磨き続ける無表情の店主だけ。

 ダメ男の寝息と、グラスと布が奏でる音しか聞こえない奇妙な空間が、そこには広がっていた。


 そこに、古びたドアの蝶番ちょうつがいをギィと鳴らして客が訪れる。

 磨いたグラスから視線を来客へと移した店主の目が、一瞬だけ驚愕に見開かれる。

 その変化は微かなもので、更に一瞬でいつもの無表情へと戻ってしまったため、もしここに客がいても、気付けた者は極少数であろう。

 しかしもし気付けた者が居れば、崩れたことの無い店主の鉄仮面が一瞬とはいえ崩されたことに、少なくない動揺が訪れたことだろう。すなわち、「それほどのことが起きた」と。


 その来客は、大きめの外套を羽織り、フードを目深にかぶっていた。背丈やその線の細さから女性であることは伺い知れるが、それ以上の情報の一切はわからない、そんな格好である。

 彼女は一度だけ店内を見渡すと、一瞬の逡巡の後、テーブルに突っ伏して寝続ける男に向かって歩み出す。

 慣れっこなのか、それとも興味すらないのか。店主はその歩みを止めないどころか、もう見てすらいなかった。


 近付いても尚も寝息をたて続ける男の対面の椅子を断りもなく引くと、来客はわざと大きな音を立てるように、乱暴に腰掛ける。

 テーブルが揺れたせいで、男が握っているジョッキの中に注がれているエールが波打つ。

 椅子や床が痛みそうなその仕草だが、幸い、注意をするような者はここにいなかった。その仕草が、目の前の男を起こし、嫌でも注目させるための動作であるとわかるからだ。


「…………」


 そのまま、無言で寝ている男を見つめ続ける外套の女。

 沈黙を破ったのは、寝ていた男が伏せたまま露骨に溢した溜め息だった。


「……はあ。なに? どちらさん? 俺に何か用かい?」


 髪型に無頓着なのか、目元までボサボサに伸びた茶髪をボリボリと掻きながら、心底面倒くさそうに眉を顰めた男がそう言いながら顔を上げる。

 寝起きとは思えぬほど焦点の定まったその双眸と口調から、男がいつからか狸寝入りをきめ込んでいたことが伺い知れる。

 男の無遠慮で無礼なそんな言葉を受けた外套の女は、店主をちらりと一瞥する。その視線を受けた店主は最初から打ち合わせていたかのように、カウンターの中にある裏口から店を出ていく。

 もちろん、打ち合わせなどしていない。ただならぬ雰囲気から、これからする話は秘匿性が高いものであると察した店主の自主的な行動である。

 女性はそんな店主の背中に会釈で無言の感謝を送るが、店主の本心と言えば「面倒なことに関わりたくない」という実に利己的なものであったりする。

 ともかく、店の中にダメ男と怪しい女の二人ぼっちになったことを確認した怪しい女の方が、その口を開く。


「……『銀騎士』様が、ここにいらっしゃると聞きました」


 凛と響くその声や口調から、怪しい見た目とは裏腹に、隠しきれない高貴さが滲み出ていた。

 だが、その言葉を耳にしたダメ男の方といえば、眠そうだった両目を心なしか見開き、ひょうと下手くそな口笛を吹いて、


「マージ? あの王国近衛師団ですら誰一人敵わないと噂されるギンキシサマがここに? っべー、俺ファンなんだよ。ドコドコ? ドコに居んの?」


 そうおどけてみせて、キョロキョロとわざとらしく店内を見渡す。

 だがもちろん、見渡したところで、正面に座る女性以外に客など見当たらない。

 さ迷わせていた視線を正面の女性に戻せば、相変わらず女性は目元の見えない顔を真っ直ぐに男へ向けていた。その顔は、言葉にはせずとも、「あなたのことです」と悠然に語っている。


「……まさかだけど、俺のことかよ? オイオイ、ちょっと待てよ。俺のどこに『銀』要素があるんだ?」


 両手を掲げて「勘弁してくれ」と口にする男を見れば、確かに彼の言うとおり、その身体のどこにも『銀』と呼べるようなものはない。

 唯一、右手の中指にはまるシルバーリングが銀の輝きを放っているが、その程度のアクセサリーなど誰でも身に付けている。その一点をついて「間違いなくあなたが『銀騎士』です」などという気狂いは居ないだろう。

 だが、そんなことを言われた女性は尚も一切の曇りを表情に出すこともなく、その整った口を開く。


「貴方に詳しいというヨルネコ様から、情報を買わせて頂きました」


 その一言で、おどけてヘラヘラと笑っていた男から、ふざけた雰囲気の一切が削ぎ落とされた。

 そして諦めたように再び頭を掻くと、


「ちっ、アイツか……。んで? 改めて、俺に何の用? そこまでするんだ。よっぽどメンドクセェ用事なんだよな」


 心底面倒くさそうに、そう訊ねる。

 訊ねられた女性は逡巡するかのように何度か口を開いては閉じという行動を繰り返したが、一度意を決したように口をきゅっと固く結ぶと、ようやく声を発した。


「それでは、改めまして。銀騎士様。貴方に指名依頼があります」

「…………」

「内容は、王城に保管されていた宝剣の奪還及び返上。これを、秘密裏に行ってほしいのです」


 依頼内容を知らされた男は、露骨に溜め息を溢して天を仰ぐ。

 こりゃまた、面倒な依頼だ、と内心で愚痴りながら。

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